folks-lore特別編 合唱部
喫茶店の中に入ると、からからから、とドアに付いているベルが鳴った。
それなりに席が埋まっている店内、仁科はいるかと周りを見てみると、すぐさま見つかる。
店員でフロアを担当しているので当然だろう。
来客に気付いてぱたぱたと駆けてきたが、すぐさま相手が俺たちだと気付いたらしい。
びくっとして足を止めると、その後、とぼとぼとした感じで俺たちの前にやってくる。
「い、いらっしゃいませ」
肩を縮こまらせ、恥ずかしそうにそう言う仁科。
なんだか、元気のない店員だった。
まあ、サプライズで知り合いに来店されて喜ぶようなタイプではないな。そう思って苦笑する。
「悪いな。こいつらに誘われて、様子を見に来た」
「やっほー、りえちゃん、がんばってる?」
「その恰好、すごく似合ってるわっ」
「はは…」
好き勝手言う俺たちに乾いた笑いを浮かべる仁科。
店の制服というものはなく着ているのは私服だが、エプロンだけは指定のもののようだ。それがかえって、家庭的な印象があった。
そういや、以前部活の連中でこの店で食事をしたことがあった。あの時は有紀寧の他、芽衣ちゃんやことみがエプロンを付けて給仕をしたことを思い出す。
まだあれは、創立者祭の前のことだったな。
「ああ、俺も似合うと思うぞ」
昔のことを懐かしみながら、仁科の格好を褒める。
「あ、ありがとうございます。あの、お席をご案内いたしますね」
恥ずかしそうにそう言って、歩き出してしまう。
俺たちは顔を見合わせて含み笑いをして、その後に続いた。
「目の保養ですね」
ホクホクした表情で言いながら紅茶を口にする杉坂。その視線の先には別の客の会計をする仁科の姿があった。
レジの操作にまだどこかぎこちなさを感じるが、傍から見ていても一生懸命に仕事をしている印象がある。
まあ、そんな様子がほほえましいのは確かだが、杉坂の方を見ると目じりが垂れ下がっていて明らかにデレデレしたような様子だった。
「こいつを通報しよう」
「奇遇ですね。私もその方がいいような気がしていたところです」
原田と意気投合してしまった。
「え、そんな変な顔をしていましたかっ?」
どうやらこいつは、自分がどれだけ仁科を凝視していたかわかっていないようだった。やばい奴だ。
…というか、仁科の動きがどこかぎこちないのは、俺たちが彼女の挙動をじろじろと見守っているせいのような気がする。あいつも結構、プレッシャーに弱いからな。
「気になるのはわかるが、あいつはバイト中だから困らせるなよ」
「う…そうですね。なにも困らせたくって来たわけじゃないですからね」
バイトしている姿を見たいから来たというのは、十分困らせる要因なような気もするが…。
杉坂は仁科の方から視線を引きはがし、紅茶に目を落としてカップに口を付ける。
だが俺は見逃さなかった。飲んでいる最中にもちゃちゃっと仁科の方に目配せをするのを。病気だこれ。
まあ、仁科がまだ慣れない様子なのは見ていてわかるし、心配になって目が行く気持ちは理解できる。
「結構、店員姿も様になっている感じはするな」
ソワソワしている杉坂は諦めて、原田に声をかける。
「そうですね。りえちゃんは元々人当りいいですから、こういう接客業は向いているかもしれません。エプロンも似合いますね」
「まあな」
「胸キュンしましたか?」
「してるのは、こいつの方」
杉坂を指さす。
原田は横に座る杉坂の方を見ると、諦めたように息をついた。
「これはもはや野獣の眼光」
「してない」
仁科の様子をうかがうのに夢中だと思ったが、俺たちの会話は聞いていたようだ。杉坂はこちらに視線を戻すと呆れたように息をつく。
「元々が私たちの計画の余波でりえちゃんを働かせているわけじゃない」
「そうだよね。このお店に沈めちゃった的な」
いかがわしい言い方をするなよ、原田。
まあ、杉坂は意味が解っていないみたいで首をかしげていたが。
「だから、心配になっただけ。エプロン姿は調理実習とかで見たことあるし、今更なんともないわ」
調理実習の時はなんともあったのだろうか。
とりあえず、しばらく凝視して杉坂もある程度は冷静になったようだった。
実際、こうして仁科の姿を見ると合唱のプレゼントのモチベーションは少し上がる。あいつを喜ばせてやるために練習をしているのだ、という再確認みたいな感じもする。
「お冷のおかわりは、いかがですか?」
そこに、聞き覚えのある声。
いつの間にか、脇には仁科と同じく私服の上にエプロンを着た有紀寧が立っていた。俺たちの様子をにこにこしながら眺めている。
別にこちらの水が減っているわけでもないので、来店しているのを見て少し話をしにきたのだろう。
「よう」
「いらっしゃいませ」
挨拶を交わす。
「あ、その服見たことない。かわいいね」
「はは、ありがとうございます」
男の俺には気付かない部分を褒める原田。言われてみれば、有紀寧はエプロンの下に真新しいワンピースを着ていた。
女って、目ざといな。こういうやり取りを見ると、正直感服するしかない。
「最近は少し暑くなってきましたから」
合唱組と会話をしつつ、自然な様子で俺の方に体を向けて軽く服の裾をつまんでみせる有紀寧。コメントしてほしいということだろう。
「ああ、似合ってるぞ」
「ありがとうございますっ」
「りえちゃんもだけど、学校の制服の上にエプロンじゃないのね」
杉坂がそんなことを言う。
そういえば、以前部員一同で来た時は有紀寧は制服の上にエプロンを着て店の給仕を手伝っていた。
「ダメなわけじゃないですけれど、制服姿だと目立ちますし、汚れてしまうかもしれませんから」
有紀寧はキッチンの方に回ることが多いと言っていたし、そうなると油染みなど気を付けることが多いのだろう。
さすがに学生服を大量に持っているというわけでもないだろうから、汚れると面倒は多そうだ。
「…その割には、その服新しいんだろ? 大丈夫なのか?」
「はいっ」
ぽん、と手を合わせる。
「朋也さんから今日皆さんでいらっしゃると聞いていましたので、奮発してみました」
「へぇ」
奮発の意味がわからない。
まあ、使い古した服を見せたくはないというのもあるのかもしれないが、どうなのだろう。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
俺たち以外にも客は入っているから、あまり雑談してもいられないのだろう。有紀寧は早足にキッチンの方へと戻っていく。
とんとんとん、と足取りも軽やかな後ろ姿だった。
「バイトも、結構楽しそうですね」
有紀寧の後ろ姿を目で追いながらつぶやく杉坂。
知り合いが働いているのを見ると、自分もやってみたくなるのだろうか。
「たしかにな」
こないだの創立者祭、仮に有紀寧がうちの店員をやっていたら人気だっただろう。人当たりもいい。
「ダメだよ杉坂さん。部活がおろそかになるでしょ。勉強だってあるしね」
原田が釘を刺す。
実際、うちの学校でバイトをしている生徒はどちらかというと少数派だ。やはり進学校だから、放課後は塾に時間を取られる生徒が多い。スポーツも強いので、運動部の連中は部活がある。
「でも、椋先輩はバイトしてるでしょ」
「あ、そういえば」
進学校とはいっても、単純に成績が良くてうちの学校に入ってくる奴もいる。うちの部員なんかはそこまで極端に進学志向ではないし、そのパターンが多い。
「渚もバイトしてるぞ。まあ、あいつの場合は家の手伝いだけど」
「実家の手伝いは別だと思いますけど…そういえば、古河先輩の家の手伝いって、お給料出ているんですかね?」
話が渚に及んで、ふと思いついたように言う杉坂。
「いや、たしか出てなかったぞ」
まあ、給料でないことを気にするような性格でもないけど。
というか、店の売上を見てしまうと給料を要求するのも申し訳なくなるだろう。
「むしろ、宮沢さんはお金もらってるんですかね? こっちももしかしてボランティアとか?」
「ちゃんと、出てるみたいだよ」
原田の問いに答えたのは、伝票を手に持ちながら脇を通りすがりの仁科。
「おまえ、俺たちの会話耳を澄ましてるのか?」
まあ、混んでいるわけでもないから耳をすませば会話の内容も聞こえるかもしれないが…。
「ち、違います。たまたま聞こえただけですから」
恥ずかしそうに言うと、たたた、と逃げて行ってしまった。
そんな様子を、慈愛顔で見送る杉坂。
「杉坂さん、変態の顔をしているよ」
「してない。というか、どんな顔よ」
「今鏡出すから」
「い、いらないわよ」
言い合いをする下級生二人を見て、俺は笑う。
仁科の様子を見に来て、しょうもない会話でもして終わるのだろうな、などと思っていたが、まさにそんな予想をなぞるような時間だった。
だが、こうしてここに来てみて、なんとなく、仁科のための合唱のプレゼントをがんばろうという気分は膨らむ。
俺も結局、この一生懸命な下級生たちを悪く思っていないのだろう。
だから、彼女らのために何かしようとするのも、そう悪い気分ではなかった。
頃合いを見て、店を出る。
最初は俺たちに見られていて恥ずかしそうな様子の仁科だったが、退店する俺たちを見送る時は上機嫌だった。
どうやら、なんだかんだアルバイトを楽しんでいるようだった。成り行きとはいえ、楽しんでくれているのならそれはそれでよかった。
「とりあえず、店に馴染んでいるみたいでよかったな」
「普通に戦力になっていましたね」
俺のセリフに頷く杉坂。今日で三日目、まだまだ新人のはずだが特に付きっきりに指導されているわけでもなく、独り立ちしている様子だった。
「楽しそうだし、バイトもいいかななんて思っちゃいますね」
しみじみと原田が言う。うちの学校は進学校で、あまりバイトをしている生徒がいない。かえって物珍しく目に映るのだろう。
俺は創立者祭で執事の格好をさせられて接客をしたから、また仕事をしたいとは思わなかった。働くならどちらかというと、体を動かしている方がいい。
というか、学生のうちならばその時にしかできないこともあるだろうし、無理にバイトをしなくてもいいんじゃないかという気になる。それは、俺が未来の記憶を持っているからだろうか。
だが同時に、学生のうちに働いてみるのもそれはそれでありだよな、という気もした。
結局のところ、後悔しないように、きちんと考えて選択することができるかどうかということなのだろうか。
「ま、二年生だったらそれもできるかもな」
「ケーキ屋さんとかいいですね。廃棄がもらえそうですし」
「…」
「…」
俺と杉坂は顔を見合わせる。
「どこでもいいですけどね。廃棄がもらえるなら」
意地汚い店員志願者だった。
「また太るわよ」
「バイトしてれば運動になるし大丈夫だよ」
「そう言っているうちに腹が出始めるんだぞ」
「先輩…女の子にそこまで言いますか?」
不満そうに言う原田。
どちらかというと心配しているんだが。
俺は空を見上げる。そろそろ夕方というくらいだろうか。
「おまえら、もう帰るか?」
別に暗くなっているわけでもないが、ずっと一緒に行動しておく必要もない。
「先輩はこの後何か予定はあるんですか?」
杉坂が聞いてくる。
「まだ飯の時間じゃないしな…」
今日は親父が当番の日だから、早く帰る必要はない。商店街でもぶらつくか、春原の部屋にでも遊びに行くか…。
考えてみれば、自堕落な生活をしていた頃と今と、行動範囲があまり変わっていないよな。だらけている時間は短くなっていると思うが。
俺の返事に杉坂と原田は顔を見合わせて、小さく頷いた。
「それじゃ」
「商店街のほうに行きましょうか」
どうやら、もうしばらく一緒に行動をするつもりのようだった。
「はいはい…」
歩き始めると、とことこと心なしか楽しそうな足音が続く。
「先輩」
杉坂が後ろから耳元にささやく。
「りえちゃんの誕生日プレゼント…歌だけとは言いませんよね?」
「現物ももちろん選びますよね?」
逆方向から原田もささやいてくる。
呪いをかけてくる女たちみたいだな。俺の財布から現金をくすねることを目的とした貧乏神かもしれない。
俺は苦笑する。
だがまあ、なにもあげないというわけにもいかないよな。
しかし、そうなると今度は部員全員に何か買ってやる羽目になりそうだ…。
「バイトでもするかな…」
「あ、一緒に働きます?」
馬鹿面した原田に冷めた一瞥を送り、俺は歩調を速めた。
慌てたような足音が追いかけてくる。
「ふーん、それで、なんか買ったんだ」
「まあな」
仁科の誕生日プレゼントの小物入れを買って、さてどうするかというところで商店街をぶらつく春原に行きあった。
これ幸いと下級生組に別れを告げて、俺たちは商店街の片隅でだべっていた。
「誕生日か…。あ、そういや、芽衣のやつがこないだ誕生日だったな」
どうでもいいというような口調でけっこう重要なことを言い出す。
「マジかよ。何かあげたのか?」
「別になにもあげないでしょ。妹に何渡せばいいんだよ」
「そりゃ…土偶?」
「どこから発掘したんだよっ」
春原はツッコミを入れた。
「まあ、人生最大の恥である兄だから、連絡しないでおいてやるのが一番のプレゼントかもな…」
「僕の存在価値もうちょっとありますから」
迷惑かけている自覚が多少はあるのか、気持ち控えめなツッコミだった。
「つーかさ、僕も仁科に何かあげたほうがいいのかな?」
「お前ら仲良かったっけ?」
春原は少し考えてみて、それを否定する。
まあ実際、部内の人間関係でいうとやや距離がある方だろう。仁科の側も、見るからに不良という風体の春原に慣れてきてはいるようだが、戸惑っているように感じる時もなくはない。
「こないだのことみの誕生日だって特になにもやってないし、ま、いいんじゃないか」
「そだね。ま、学食の食券でもあげとくよ。何もないってわけにもいかないしね」
「おしんこ以外だな」
おしんこは学食で一番不人気のメニューだ。
「食べ物は高いし、飲み物でいいかな。コーヒーとか」
「あいつは紅茶派だぞ」
そんな話をしていると、春原は意外そうな目で俺を見る。
「おまえ…結構あの子のこと詳しいよね」
そんなこと言われると、なんだか気恥ずかしくなる。
春原は、俺とあいつの距離感が割と近いように感じているのだろうなという気がした。そしてそれは、少しわかるような気もする。
仁科は昔、俺とあいつが似ていると言っていた。同じような過去を持っていると。
それに時折、彼女から憧れにも似たような眼差しを感じる時もある。合唱部の結成が危機に陥っていた時、歌劇部という案を出して窮地を脱したのは、俺の力量が大きいと考えている節がある。実際は智代や春原とか、もっと他の奴らの助けだって多いのだが。
生暖かいまなざしに何か言い返してやろうという前に春原は言葉を続ける。
「ま、いいけどさ。僕は高みから見守っておくことにするよ」
「春原」
「あん?」
「おまえがいるのは低みだ」
「いやたしかにそうかもしれないですけど!?」
こいつの場合、シリアスな空気が漂い始めてもすぐに打ち消してくれるから相手が楽だな。
夕食後、俺は久しぶりに春原の実家に電話をかける。
「はい、春原です」
数回のコールの後、芽衣ちゃんが出た。そういえば、以前春原家では芽衣ちゃんが電話に出る係だと言っていたな。
「俺だ」
「あ、岡崎さん。お久しぶりですっ」
あえて名乗らなかったのだが、一言だけでこちらが何者か見破られた。さすがだった。
春原経由で芽衣ちゃんの誕生日を今日知ったことを伝える。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございますっ。うーん、本物のおにいちゃんは何も言ってこないのに…」
快活な返事の後に、呆れたように言葉をこぼした。
「…岡崎さんがわたしの新しいおにいちゃんになってくれますか?」
冗談めかした口調でそう言った。
どうやら新しい兄が補充されると自動的に旧バージョンの兄は廃棄される運命のようだった。
俺は苦笑してそれを否定して、そのあとはしばらく世間話。
新しく風子が部員として入部したことを伝えると、芽衣ちゃんはうれしそうに笑った。
「わ、部員が増えてよかったですねっ。そっかぁ、あの結婚式の新婦さんの妹さんだなんて…なんだか、わたしじゃ縁もゆかりもないんですけど、自分のことみたいに嬉しいですっ」
それは本心なんだろうが、そう思ってくれたのは、彼女の中に少しでも風子と過ごした時の思いの名残があるからなのだろうか。
こういうことを考えるのも、なんだか久しぶりだな。
「あいつ、もうずいぶん馴染んでるぞ。またこの町にくることがあれば、紹介する」
「本当ですかっ。はい、ぜひ会いたいです」
何とか近いうちにまた旅行にできないかと話す芽衣ちゃんの言葉を聞きながら、俺は二人が顔を合わせる日のことを思った。
風子にとっては再会で、芽衣ちゃんにとっては初対面だ。
それでも、きっと、それはうまくいく。
幸福なその日がやってくることを、俺は願った。