folks-lore特別編 合唱部
合唱の練習をした帰り道。
部活終了の時間ぎりぎりまで練習しているというわけではないので、そろそろ夕方というくらいの時間だ。最近は日が長くなったから、まだ空が赤らむということもな い。
練習を終えて後、さっきから話しているのは、勧誘のこと。
「藤森さんを部員に勧誘するのはいいけど、どう切り出すの? いきなり部員になってほしいなんて言われても、困るでしょ」
相変わらず、杉坂はどちらかというと否定派。言い出した側の原田は、どこか呑気な様子だった。
「そうかもしれないね。いきなり部員になってくれって言うのも唐突でっていうのはよくないし、ちょっとずつ馴染ませる感じがいいかなあ」
「原田さん、馴染ませるって、何?」
「ええと、すれ違い際とかに、『合唱部』とか『入部希望』とかってつぶやくのはどう?」
「…言っとくけど、それホラーだから」
「というか、洗脳だと思います」
ロクでもないことを言い出した馬鹿にツッコミを入れる。
「そうかな? 無意識に刷り込もうとしたんだけど」
首をかしげる原田。こいつはダメそうだ。
「…まずは部活の話でも振ってみたらどう? 藤森さんに軽く部員が少ないこととか話してみて、反応を見るとか」
「まあ、やるならそんなところだな」
発案者の原田がふざけたことを言っていて、乗り気ではなかった杉坂がまともな案を出すミステリー。
「うーん、うん、やってみる」
自分の案ほど優れているわけでもないが、まあいいだろうという心中が表情にありありと浮かんでいた。
「明日あたり、藤森さんに聞いてみるよ」
「うん、よろしくね」
「頼むぞ、原田」
俺たちがエールを送ると、原田は不思議そうにこっちを眺めてから、いきなりニヤニヤと笑いだした。普段頼られるようなキャラではないだけに、こうして応援されるの は嬉しいのだろう。
だが、見ているこちらからすると不気味だった。
「う…」
杉坂も少し引いていた。
とはいえ、やる気を出してくれる分にはありがたい話だ。現在の部員の数は、ほぼ必要最低限をクリアしているに過ぎない、という程度だ。今年の秋に向けて活動の幅を 広げ、更に来年以降も下級生たちが活動を続けるというならば、人数は多ければ多いほどいい。
勧誘に際して部員が気持ち悪い笑いをしていても、それは許容範囲内だろう。そう思うことにする。
「ともかく、明日は原田さんに軽く聞いてもらって、部員のことを話し合いましょう。練習は、軽くやっておしまいです」
「マジか。ラッキー」
杉坂の言葉に頬がほころぶ。放課後が空くのは嬉しい。久しぶりに春原とゲーセンにでも行こうか。
そんな思考は杉坂の冷たい視線によってさえぎられる。
「怠けさせたいわけじゃないですから。先輩、楽することばかり考えちゃダメですよ?」
「…」
どうやら俺は、後輩の女子にずいぶんアホだと思われているようだった。
「あの、せっかくですから一緒にりえちゃんのバイト先に遊びに行きましょう」
「え…。杉坂さん、でもさ、りえちゃんは失敗ばかりしてるからわざわざ来なくていいって言ってたよね」
杉坂の提案に、原田は戸惑ったような表情を浮かべる。
たしかに、今日資料室で昼食を食べている時にその話題になり、仁科は恥ずかしそうな様子でそんなことを言っていた。
「何言ってるの、原田さん。そんなのフリよ。私たちに様子を見に来てほしいと思っているはずよ、本心ではね」
「…」
「…」
仁科は本気で来てほしくなさそうだった様子だったような気が…。
「あの喫茶店の恰好覚えてますか? きっと、りえちゃんにはエプロンも似合うよ思うんですよね。それに人当たりもいいですから、接客業とかは問題なくこなせていると思いますし。そりゃ、初日だったら迷惑だとは思うんですけど、何日かは働いていますから、心配する必要はないですね、ぜんぜん」
「…」
「…」
だが、ニマニマと笑っている杉坂を見ていると、俺たちは何も声をかけることはできなかった。
俺が一緒に合唱の練習をしている下級生ふたりは、そろって笑顔がニマついているようだった。
やれやれ、と息をつく。
仁科に気持ちの悪い笑い癖が移らなければいいが。つい、そんなどうでもいい心配をしてしまった。
翌日。
いつものように資料室で昼食を済ませて、教室へと帰る道すがら。
「有紀寧」
俺は他の部員から離れて、有紀寧に声をかける。
「はい、なんでしょうか?」
少し首をかしげて、こちらを見上げる。背中まで伸びた髪が、ぱらりと揺れた。
「仁科のバイト、どう?」
「はい、がんばっていますよ。仁科さんは、とても覚えがいいと思います」
にこにこと笑って答える有紀寧。
たしかに、仁科は慌てることはあるだろうが基本的に頭の回転が速いタイプだ。割となんでもそつなくこなす感じ。有紀寧もついているわけだし、危なげなことにはなら ないだろう。
昨日杉坂に誘われて、放課後にサプライズで仁科の様子を見に行く予定なので、その答えを聞くと安心する。
「仁科には秘密にしておいてほしいんだけどさ、今日様子を見に行く予定なんだよ。だから、フォローしてやってくれ」
「あ、そうなんですね。はは、わかりました」
楽しそうに笑う有紀寧。
「そういえば、秘密の稽古の調子はいかがですか?」
そういえば、こいつは合唱のプレゼントのことは知っているのか。仁科に秘密にしておきたいから、有紀寧からバイトの話を持ち掛けてもらってあいつを拘束してもらっ ているのだ。
「そういや、お前も協力者なんだっけな」
「はい。合唱ですよね?」
「そう。ま、悪くはないだろ。合唱やったことないし、よくわからないけど」
「そうですか。わたしも、歌う時は一緒に聞きたいです。朋也さんいい声をしていますから、歌声も素敵だと思います」
「恥ずかしいから、やめてくれ」
今は練習しているのみだからいいのだが、いざ人前で歌うと考えると緊張する…というか、げんなりする。正直、特別歌が得意というわけでもないのだ。
…というか、褒めすぎだ。
「わたしも仁科さんを引き留める協力をしているので、プレゼントの時には呼んでほしいです」
全然、こっちの話を聞いちゃいない。
そんなわざわざ足を運ぶほどの歌にできるかはわからないんだが。
「わかったよ」
俺は苦笑する。
「期待しないで、待っててくれ」
「はいっ」
適当に言う俺をよそに、有紀寧はうれしそうに笑った。
放課後になる。
今日も今日とて、俺と杉坂と原田は音楽準備室に集合する。そろそろ吹奏楽部の部員も俺たちの姿に慣れてきているようで、顔を合わせると軽く挨拶をされたりする。う ちの高校の吹奏楽部は結構人数が多いので、活気がある。歌劇部も発足時に比べれば段違いに人数も増えたが、ここと比べてしまえばまだまだ少数だな。
「そんなことないですよ」
準備室でそんな話をすると、原田が笑顔で否定する。
「たしかにうちの部活は人数が少ないですけど、活気という意味では負けてないですよ」
「はい、私もそう思います」
杉坂も同意する。
「ま、そうだな…」
一から作り上げた部活な分、部員全員が運営に参加しているという雰囲気はあった。まあ今はやることがなくて閑散としているが、士気が低いというわけではないはず だ。集まれば全員が活動に取り組む空気がある。それは、頭数が揃えば付いてくるというものでもないだろう。
「春原先輩がヘンなことを言って、杏先輩が辞書を投げて、一ノ瀬先輩がヴァイオリンを弾いて…。活気なら大所帯の部活にも負けていません」
「なんかはた迷惑なだけなような気がしてきたんだけど」
「はい、私もそう思います…」
俺と杉坂は少し肩を落として苦笑し合った。まあ、活動場所は旧校舎の中でも辺境だから、あまり周囲には迷惑にはなってないと思うが。
気を取り直して、俺たちは軽く合唱の練習をする。とはいえ、今日はこれから仁科のバイト先に顔を出すという予定ないので、あくまでも軽く慣らす程度のものだ。
普段は夕方まで練習しているのに、今日はさっさと引き上げようとする俺たちを見て吹奏楽部の部員たちは不思議そうな顔をしていたが、なぜなのか聞いてくるというほ どではない。
「そういや、原田。おまえ、あの藤森って奴に部活の話はしたのか?」
校舎を出ての道すがら、ふと思い出して尋ねると原田は苦笑した。
「一応、部活の話はしてみました。部活とかやらないの、って。そうしたら、興味がないって言ってましたね」
「原田さん、それ以上は追及できなかったらしいです。言いだしっぺなんだから、もっと頑張ってほしいわ」
杉坂はそのあたりの話は聞いていたのだろう、原田の体たらくに不満そうだ。
「そうはいっても、ふたりでいる時間ってあんまりないんだし、このネタであれこれ聞くのは難しいよ。今日聞けたのも、たまたまふたりでトイレに行く時があったから だから。これ以上聞くとなると、もう一緒の個室に押し掛けて大事な話があるんだって迫るくらいしないと」
「通報されるわよ」
言われてみると、女子生徒は結構グループになっていることも多い。全員に勧誘の話をするならともかく、個人に対して話があるとなると機会が少ないのかもしれない。
「興味がないって言ってたなら、諦めるのか?」
「いえ、まだがんばってみます。私も、元々、部活に興味なかったですから。でも、杉坂さんとか、りえちゃんががんばってるのを見て興味が出てきたんです。だから、 今は興味がなくても興味を持ってもらえるように何かできると思います」
原田はにこにこ笑いながらそう言った。こいつは全然、へこたれていないようだ。
杉坂はそんな言葉に、驚いているような様子だった。原田はあまり部の方針に関わるというタイプでもなく、定められた仕事をやっている、というくらいの参加度だっ た。だが、こうしてほかの奴を勧誘することに意欲的なのを見るにつけ、結構歌劇部のことを考えているのだと思わされる。
俺自身、そこまで新入部員を探そうということをあまり優先事項ととらえていなかった。だが、俺たち三年生が卒業した後もこいつらの部活動は続く。原田はその先も考 えているのだろうか。
…それならば、それは嬉しいことだった。
俺は杉坂とつい顔を見合わせて、お互いちょっと笑った。同じようなことを考えていたのだろうと、顔を見ればわかった。
「それじゃ、藤森さんのことは原田さんにお願いするわ。私も、一年生に知り合いでもいれば下級生の勧誘とかもしたいけど…」
「一年なら、風子がいるだろ。あいつもれっきとした部員だし、やらせれば?」
「復学したばかりの伊吹さんに、余計な仕事を増やしたくはないですよ」
まあ、杉坂の視点でいえば風子とは知り合ったばかりというところだ。気軽に頼める関係でもないだろう。
だが、風子はなんだかんだ全校生徒にヒトデを配って回ったという経験がある。それは部員勧誘とベクトルは違うものの、物怖じせずに声をかけること自体はできるかも しれない。あいつは先日の結婚式のこともあって既に学内でも有名人だし、興味を持つ奴が出てくるかもしれない。
「伊吹さんの部活への馴染みっぷりはすごいですよね。私が入部した時は杉坂さんたちがいたからそんな不安はなかったですけど、ほかに一年生はいないですからね」
「そうはいっても、年齢的には岡崎先輩と同じですからね。気安さはあるんじゃないかな。まぁ、見えないけど」
一応、部内的には俺と風子が元々知り合いで、俺を通じて入部したという経緯になっている。他の奴らは風子のことを記憶していないが、四月、五月とあいつと過ごした 感覚は残っているのだろう、あまり違和感なく一緒に部活をやっている。
とはいえ、そんな事情は他の連中にはわかるはずもなく、ただただ物凄いスピードで部に馴染んだという印象があるのだろう。
「うちの部はヘンな奴ばっかだろ。だから、ひとりヘンなのが増えても変わりない」
「伊吹さんは確かに変わってますよね。小動物的というか」
うんうんと頷く杉坂。たしかに、気分屋な部分はそういう印象がある。
「あの、ちなみに、ヘンな奴には私は入ってないですよね?」
「もちろん、原田は入っている」
「ええー…」
「ちなみに、杉坂も入っている」
「ちょっと、それは先輩には言われたくないんですが」
「そうですね。先輩もヘンですよ」
「それこそ、お前らには言われたくないんだが」
仁科のようなストッパー役がいないので、こんなくだらないことで言い合いになる。
ああだこうだと喋っていると、仁科のバイト先の喫茶店が見えてきた。
「ああ、なんだか緊張してきました」
「なんで杉坂が緊張するんだよ?」
「りえちゃんのウェイトレス姿を見れると思うと、平静ではいられないっていうことじゃないですか」
「変態じゃねぇか」
「ふたりとも、言っていいことと悪いことがあります」
俺と原田が好き勝手言っていると、物凄い形相で睨まれる。
「勝手に来ちゃったから、りえちゃん怒らないですかね?」
今更過ぎる心配だった。
「…だったら、このまま帰るか?」
「いえ、せっかくここまで来たんですから、もちろん行きます」
面倒くさい女だった!
「原田、さっさと行くぞ」
「そうですね」
「あっ、待ってくださいっ。深呼吸、一度深呼吸をしてからっ」
後ろでわめく杉坂を無視して、俺たちは喫茶店の扉を開けた。