folks‐lore 05/13



511


隣町の病院に、風子は眠っている。


少し前に部員たちで遊びに来た時、その病院の前を通った。あの時は俺たちの輪の中に風子もいた。


今となっては、それはずいぶん昔のことのように感じた。


今は俺ひとりだった。


病院の入り口の前に立って、しばらく、立ち止まる。


ここに風子がいるのだ。


…そう思うと、緊張してくる。


そして、俺は不意に思い出していた。


それは、別の世界の記憶だ。創立者祭の頃…公子さんが言っていた言葉がある。風子の容態が急変して、呼吸が止まった、と。


あの時みたいに、風子が危険な状態にあるという可能性が浮かんでしまう。俺の前から風子が姿を消したのは、彼女の体に悪いことが起こったからなのだ、と。


そう思ってしまうと、足に根を下ろしたように動けなくってしまう。真実を知りたくない気持ちばかりが広がってしまう。


マイナス方向の思考にとらわれたまま、病院の建物を見上げていると…


「あら? ご用でしょうか?」


通りすがりの女性に声をかけられた。白い制服に、カーディガン。この病院の看護婦のようだった。


「ええと、まあ」


「ご気分が悪いんですか?」


「いや…」


煮え切らない俺に、気を悪くした様子もない。むしろ心配そうに、俺の顔を覗き込んでいる。


「それじゃ、お見舞いですか?」


「ええと…そんなとこです」


「そうですか。それなら、中に入って右の方に行くと受付があります。そこで、面会受付をしてください」


「あ、そっすか」


「なにかわからないことがあったら、そちらで聞いてくださいね」


「どうも」


「それじゃ」


促されるままに歩き出す。


全然、覚悟ができていないが…考えてみれば、覚悟を決めれば状況が好転するわけでもない。やってみなければ意味がない。


病院の中に入る。


いいことなのか悪いことなのかはわからないが、中は結構盛況で、たくさんの人がいた。


見回してみると、老人が多いものの、結構若い人の姿もある。思い返せば、そういえば自分も健康診断とかで病院に行かされたことがあるし、必ずしも病人だけ が集まるというわけでもないか。


先ほどの女性に教わった通り、右手の受付へ向かう。


「あの、面会を頼みたいんだけど」


そして、受付の女性に声をかけた。






512


俺は病院の外に備え付けのベンチに座ってぼんやりと考え事をしていた。


…結局、俺は風子に会うことはできなかった。


そして、病状を聞くこともできなかった。


ただわかったのは、ひとつだけ。


今あいつは、面会謝絶の状態にある、ということだけだ。


どうやら、それ以上の情報は家族以外の人間には伏せられているらしい。


受付の女性に何とかわからないかと掛け合って、いくつか電話もしてもらったものの、結局俺の望みは撥ね付けられたのみだった。


しまいには胡散臭い目つきで見られ始めて、結局、ろくに収穫もないまま受付を後にした。


なんとか、風子の病状でもわかればいいんだが。あるいは、ここでこうしていれば公子さんに会えたりしないだろうか。


そんな希望を持つものの、都合よく公子さんが目の前を横切るということもない。


公子さんには会えず、風子の病状も不明。


手詰まりか…。


いや。


「…」


閃いた。


公子さんが捕まらないならば、その結婚相手…芳野さんと話ができないだろうか?


もし風子の病状に大きな変化があったならば、きっと芳野さんもその話は知っているはずだ。


幸い、俺は芳野さんの名刺を持っている。職場になら連絡は付けられる。


思い付いたら、じっとしていられなかった。


俺は慌ただしく立ち上がり、病院内の公衆電話から工務店に電話をかけた。


数回のコールののち、電話がとられる。


『…はい、光坂工務店です』


その声は親方だった。


「もしもし、岡崎といいますが…ただ今、芳野さんにお電話代われますか?」


『あいにく芳野は本日休日でして…よろしければ代わりに伺いますが?』


「ああ、いや…私的な話なんで」


『私的な話? 失礼ですが、芳野とはどういう…?』


どうやら、不審がられているようだった。ま、いきなり名指しで秘密めいた話を社の電話で繋ごうとすれば、いぶかしむだろう。


俺が先日芳野さんの仕事を手伝って、それで電話番号を知った話をする。すぐに親方の声音は穏やかなものに変わった。


『ああ、岡崎くん、君がこないだ芳野くんが言っていた子か。ずいぶん、筋がいいっていう』


「いや、まだまだっす」


『いやいや、彼が人を褒めることはなかなかないから、謙遜することはないよ。それで、どんな要件なんだい?』


「実は、どうしても芳野さんに聞きたいことがあったんです」


『ふむ…』


受話器の向こうから、考え込むような様子が伝わってくる。


「それで、連絡先とかがわからないかと…」


『なるほど…話は分かった』


「じゃあ」


『すまないが、彼の連絡先を教えることはできないな』


機先を制するように先に言われてしまう。


『もちろん君を疑っているわけではないが、何分、個人情報でね』


「そうっすか…」


考えてみれば、常識的な反応だった。


うちの工務店は、仕事はきついが、こういう部分は結構しっかりしているのだ。


それでも当てが外れたのは事実。俺は肩を落とした。


だが、まるでそんな様子をどこからか見ているかのように、幾分明るい調子で言葉を続けた。


『…だから、提案なんだが、よければ私がこれから芳野くんに連絡を取ってみよう。それで、彼が了解すれば連絡先を教えるのはどうだろう。それなら、問題な いからね』


間を取り持ってくれるという提案だった。願ってもない展開だ。


「…ありがとうございますっ」


思わず、その場で頭を下げてしまう。


相変わらずというか…よく気が回る人だ。この世界で顔さえ合わせていないのに、もう頭が上がらない。


『それじゃ、彼が捕まったら折り返させよう』


「あ、いえ…今出先なので、また掛けなおします」


『ああ、それじゃ、少ししたらまた電話をもらえるかな。彼の了解が取れたら、電話番号を伝えるよ』


「はい。…すみません、ご迷惑をかけて」


『いや、構わないよ。それじゃ、いったん失礼させてもらうから』


言って、電話が切れた。



…。



そして、俺はしばらく時間を空けて再び工務店に電話をかけたが、どうやら芳野さんは留守だったらしい。


親方は申し訳なさそうに俺に詫びるが、あの人が悪いわけではない。礼を言って、電話を切る。


この方向性もダメか。


俺は頭を抱える。


風子が今どんな状況に置かれているかを調べようとしている。


だが…。


病院では面会謝絶。話が聞けそうな公子さんも芳野さんも会うことができない。


正面から風子の現状を調べるのは無理がある。


とはいえ、まさか病院に忍び込むというわけにもいかない。


…となると、やはり、ひとまずは別のことをやるか。


そう思うが、次の案がポンとは浮かばない。


途方に暮れて、しばらくぼんやりと病院を見る。


…この白くて大きな建物に、風子のはいるのだ。少なくとも、彼女の肉体は。


そんなことを考えていると、俺の頭に浮かんだのは、椋の顔だった。


不意に、道筋が見えた。


そうだ。この病院は、椋のバイト先でもあるのだ。


先ほど、病院内に忍び込む案は心中で却下したばかりだが…試してみる価値のある腹案が浮かぶ。


俺は踵を返す。早足に、その場を後にする。


今できることがあるならば、そのすべてを試してみたい気分になっていた。


それくらいしなければ、風子の元にはたどり着けないような気がした。それに、それくらいの努力を払わなければ、自身の目標のために愚直に頑張っていたあい つに申し訳ないくらいだ。






513


学校に戻ると、すでに夕方になっていた。


昼に風子のことを思い出して資料室を飛び出してから、ずいぶん時間が経った。


あれから家に帰って公子さんの家に行き、古河パンに寄ってから病院に行った。かなり動き回ったものだ。


運動部の掛け声をグラウンドの方から聞きながら校内に入る。


中は、物寂しいくらいにしんとしていた。


もちろん、行き交う生徒は少しはいるし、いつもの放課後の光景だ。


だが、先日までの創立者祭の準備にいそしむお祭り騒ぎに比べると、ずいぶん静かな気がする。


いつもは切れ切れに聞こえる吹奏楽部の演奏も聞こえない。発表が終わったばかりで今日は部活を休みというところも多いのかもしれない。


椋を探して三階の部室に行くが、無人だった。歌劇部も、どうやら今日は休みにしたらしい。


いや、黒板の半分ほどが豪快に消されてそこにいくつか次の演劇案が書き込まれている。


活動はしたけれど、短めだったようだ。あるいは連れ立って遊びにでも出たのかもしれない。


…なんにせよ、ここまで来たけれど空振りというところか。


息をつく。


部室の後方のイスに座り込んで、ぼんやりと中を見回した。


誰もいない部室は、がらんとずいぶん広く感じた。


腰を下ろしたら、自分がずいぶん疲れていることに気付く。


ま、駆け回っていたのだから、仕方がないかもしれない。そうやっても、風子について何かわかったということもない。


ふと、あの不思議な場所で出会った少女について思い出す。汐の姿で目の前に現れたこともあったし、どう考えても現実的な存在ではない。


彼女に再会することができれば、風子についてもなにかわかるかもしれない。


そんなことも思いついたが、どうすれば彼女に会えるかもわからない。いつも向こうから会いに来ているくらいで、こっちの呼びかけに答えてくれるかもわから ない。


だが、思い返してみれば、一昨日の別れ際に見守っていく、ということを言っていたはずだ。


試しに心の中で彼女に呼びかけてみるが、あまりにも馬鹿馬鹿しくてすぐにやめた。当然、あの少女から応答があるというわけもなかった。


そのままこれからのことを考えて、だがそれもうまくまとまらない。


小さく、あくびをする。


普段ぐーたらしている俺には、駆け回った疲れは結構大きい。


つい、目を閉じてしまう。そのうちに意識はまどろみのうちに沈んでいった。



…。



チャイムの音で目が覚める。


いつの間にか、暗くなっていた。


時計すら見えない。外は既に夜。空の端に微かに夕暮れの名残が残っている。


さっきのは、おそらく自習する生徒に帰宅を促すチャイムだろう。さすがに、帰らないと見咎められる。


風子のことを探そうとするのを、今日はここまでにしようか、と思う。椋に会えればとも思ったがそれもできなかったし、明日その話を進めようか。それに、ま たあとで他に何かいい案でも浮かんでくるかもしれない。


ひとまず今日は帰って、明日のことを考えるか。


寝起きの頭でそう考えて、机に手をつき体を起こす。


その時、ささくれた木片が軽く指を刺し、俺ははっとした。


机をよく見ると、ぱらぱらといくつもの木の削りかすが残っていた。


それを見て、そういえば、と思い出す。


部室の隅っこ。風子がいつもここで、せっせとヒトデの彫刻を作っていたことを。部室の前方で部員たちがわいわいと騒いでいるのを聞きながら、ここでプレゼ ントを作り続けていた。


一心に、自分の目的のために。


ぱっと彼女の姿が脳裏に浮かぶ。一生懸命に頑張る姿が。


まるであいつに背中を押されたような気分になる。


心に浮かんだその姿に、今日はもういい、と思っていたさっきの気分が吹き飛んでいた。


やれることは、やっておこう。そう決める。


俺は席を立って、部室を出る。


最後に少し振り返り、その場を後にした。






514


チャイムを鳴らすと、家の中で呼び鈴が鳴る音が微かに聞こえた。


夜の帳の住宅地。普段は足を向けない場所に来ているので、かなり緊張した。


少しして、チャイムに備え付けてあるスピーカーから聞き慣れた声がする。


『は、はい…なんでしょうか』


椋の声だった。


「椋か? えーと、岡崎なんだけど」


…風子を探し出すという勢いにかこつけて、俺はこんなところまでやってきていた。


相手からすれば、俺が家に訪ねてくるなど想定外もいいところだろう。


案の定、しばらくスピーカーの向こうで沈黙が続いた。


だが、たとえ性急でも俺は今できることを、やるべきことをやると決めているのだ。


『…えええっ?』


しばらく無言ののち、驚いた声。


『え、どうして、うちに? …ああ、あの、なんでもないからっ』


素っ頓狂な声を上げて、そのあとは後方にいる家族に弁明しているっぽい。


しばらく向こうから騒がしい様子がして…静かになる。


『す、すみません』


「悪い、いきなりで」


『い、いえ…。それで、岡崎くんはどうして…?』


落ち着きのない声音だった。動揺しているようだ。


「実は、お前に頼みがあるんだ」


それに対して、俺は一言一言を、はっきり口にして答えた。



…。



椋に外に出てきてもらい、彼女に病院に現状を知りたい人間がいることを話す。


最初は緊張した様子だったが、俺の話を聞くと目に見えて慌てた。


「ええっ…、わ、私が、その人のことを探ってくるんですか…?」


「スパイみたいだろ」


冗談めかして言う。


「無理無理無理、絶対無理ですっ」


慌てた様子で、ぱたぱたを手を振った。


その様子を見て、なんとなく、まだ押せるなという気がする。


「頼む、椋、お前しか頼れる奴がいないんだ」


手を合わせて頭を下げる。


「え、ええと…」


「それに、なにもカルテを取ってこいとかってわけじゃない。噂話程度でも、ちょっと話が聞ければいいから」


「うう…」


そわそわと落ち着かない様子で、あたりを見回す。悩んでいるようだ。


もうひと押し。


「そいつ、俺の知り合いでずっと眠ったままなんだけどさ、最近変化があったらしいんだよ。おまえも、創立者祭の時に会っただろ? うちの学校の先生だっ た、伊吹公子さんの妹なんだよ。公子さんが捕まらなくて、だけどどうしても今の状況が知りたいんだ」


とりあえず、あいつのことをひとまず後回しになどはしたくない。


俺の言葉を、椋はうかがうようにこちらを見つめて聞いていた。


「あの…」


戸惑いがちに、口を開く。


「その、伊吹さんっていう子は、岡崎くんとどういう…?」


「ええと、そりゃ…」


一瞬、言いよどむ。


俺と風子は、どんな関係なのだろうか。


同じ時間に迷い込んだ存在。共に未来を見た存在。


一言で言うのも難しいが…


「家族みたいなもの、かな」


「そうですか…」


俺の言葉を反駁するかのように、椋はしばらく顔を伏せた。


「…わかりました」


少し考えて、彼女はぐっと目に力を込めて顔を上げた。


「私がどこまで力になれるか、わからないですけれど…やってみます」


「ああ…ありがとう」


唐突で無茶苦茶な要求だが、俺の気持ちは相手に伝わったようだった。それだけで、嬉しくなる。


「いえ…。あの、親に出てくるって言ってきますね」


言って、再び家の中に入っていった。


俺は安堵の息を漏らす。


手詰まりだった状況に、一筋の光明が差した。



…。



しばらく待ち、外出着に着替えた椋と並んで、住宅地を歩く。


「そういえば、杏は?」


ふと気になり、聞いてみる。


「お姉ちゃんは、部屋にいたので…」


「ああ、そうか」


どうやら、そもそも俺が来ていたことも知らないようだ。あいつまで巻き込むのも気がひけるし、ちょうどいい。


「ただ…」


椋はばつが悪そうな顔をする。


「代わりに、親は大騒ぎでして、今度家に連れて来いって…」


「…」


なんだか、盛大に勘違いされているような気がするんだが。


「すみません…あの、違うって言ったんですけど」


「いや、いいけど」


実害はこうむっていない。


ま、勘違いした藤林家両親の談話を杏が聞いて、そこからの着弾という攻撃ルートはありうるが。


そう思うと、憂鬱になる。ま、その時はその時だ。


「…?」


俺の返事に、椋は小首をかしげた。


「あの…それって、もしかして…親にきちんと挨拶をしてくれるということですか?」


勘違いしていた!


「そういう意味じゃないから」


「そ、そうですよね」


ちょっと顔を赤くして、苦笑した。


はにかんだ笑顔に、どきっとする。


そうだ、俺は椋と一緒に未来を過ごすという選択肢も存在するのだ。胸がざわめく。相手を意識してしまう。


俺も照れたように、顔を背けた。


そのまま、無言になった。


だけど、ふたりとも、それで距離をあけるようなことはなかった。


服の裾が時折触れ合う距離感。


近いようでまだまだ遠い、俺たちの関係。


だが、その距離はなんだかほの温かいような気がした。


町の夜。


不揃いな足音。彼女と並んで、歩くペースを落とす感じ。時折すれ違う町の人の一瞥。春の終わりの陽気の名残。街灯の灯。柔らかな空気。言葉は交わさなくて も、互いに通じ合うことはある。


こういう感じも、悪くなかった。


「なんだか、不思議です」


椋が、ぽつりと呟く。


「岡崎くんと、ふたりで歩いているって」


「ああ、そうかもな…」


考えてみれば、椋とふたりきりというシチュエーションはあまり記憶にない。


「それに…病院にスパイに行くのも、どきどきします。前の私だったら、絶対にやらなかったと思いますから」


「スパイは言い過ぎだからな」


ツッコミを入れると、控えめに笑った。


「お姉ちゃんと喫茶店をやって、渚ちゃんと一緒に部活をやって…私も、勇気を持つことができた気がするんです」


「そうか…」


あいつらの努力は、俺にも思うところはあった。それは椋も同様らしい。


「私、ずっと前からこんな性格で、あんまりわがままを言ったり、なにかに挑戦したりって、なかったです」


顔を伏せて、夜道を照らす街灯に影が伸び縮みをする様を眺めながら、椋は語る。


「でも…やっと、わかったんです」


顔を上げて、俺を見た。ふわりと小さく、微笑んだ。


「やってみるっていうことが、すごく、大切なんですね」


「ああ…」


彼女の言葉が胸に沁みた。


「俺も、そう思うよ」


本当にそう思う。


未来は見ても、わからないことなど沢山ある。


やる前から結果がわかっているものなんてない。


一歩一歩に意義がある。


言葉にすれば大したことはない。だが、俺はずいぶん長い時間をかけて、その意味を咀嚼できたような気がする。






515


病院に着く。


外来の検診は当然終わっているので、外に人の姿はない。夜の病院というと、たしかに割と威圧感がある。白い外壁が寒々とした印象を際立たせる。


だが、椋は慣れているのだろう、気にした様子もなかった。従業員用の裏口に案内してくれる。


入る前に、守衛の前を通る必要がある。ここの突破が問題だ。…などということはない。


椋が忘れ物を取りに来たということで中に入り、目的を遂行するだけだ。


最初、俺は自分が病院の中に入らないといけないと思い込み、椋が守衛を引き付けているうちに俺は陰から忍び込む…などという自説を開陳してきょとんとした 顔をされてしまった。


そもそも、椋が中で当直の看護婦とかから噂などでも仕入れられればそれでいい、という目的だ。


実際、部外者の俺がいるとむしろ患者の話などしにくいだろうし、無理して自分が病院の中に入る必要はなかった。


…というか、いるとむしろ邪魔だった。


「病院の中だと途中に待つような場所もないですから」


椋の言葉で、結局、病院外の裏口近くにあるベンチで待つことになる。


ぺこりと一礼して病院に入っていく椋を見送って、ひとりになる。


照明に照らされているものの周囲は暗く、大して見るものもない。なんとはなしに空を見上げた。


そのまま、ぼんやりとする。


考えるべきことは、今、たくさんあった。


風子のこと。


別の世界で歩んだ道筋のこと。


渚の体調のこと。


そして、自分の未来のこと。


だが、痺れるようにうまく頭は働かない。


考えるべきことが多すぎるのだ。頭を抱えてしまうほど。


だから、やはり、ひとつひとつやるべきことをやっていくしかない。


空。星が広がっていた。


それらは、光の粒のようだ。


あの時、光にとけた不思議な少女を思い起こす。


彼女が語った言葉。


…たくさんの光を集める、あの言葉はなんだったのだろうか。


「…」


光の玉か。


幸せの象徴。


幸福を見守るように、空に浮かぶ玉。


…それは、きっと。


たくさんの世界のでの、願いだ。


別の世界の自分たちが、一歩踏み出そうとした時に願ったもの。


そしてそれは、この世界で…俺と風子が恐れながら、それでも求めたもの。


それは、きっと、未来だったのだ。


全ての星が出揃ったかのように輝く夜空を見上げながら、去った椋を待ちながら、俺はそんなことを考えていた。





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