folks‐lore 05/13



507


大好きな姉の結婚式を祝ってもらうために、生徒たちに木彫りのヒトデをプレゼントして回った。


花嫁はこの学校のかつての教師。在校生からすれば在籍時期はずれて、顔も知らない相手。正直、遠い関係の女性の結婚式だ。そんなものに、積極的に参加した いと思う人間は稀だろう。


そんなことは、初めからわかっていた。


だからこそ、それでもお祝いに行きたいと思ってもらえるようなものを渡そうと考えたのだ。


その思い。それがヒトデの形となった。


最初は、不器用なものだ。手に怪我をしながら、それでも出来上がったものは不恰好だった。


だけど、どれだけ格好が悪くても、すべてはそこから始まっていく。


最初は、なかなか生徒たちはプレゼントをもらってくれなかった。初めて会う女生徒の姉の結婚式、などという話を聞くと目を丸くした。多くの生徒は受け取る のを拒否した。受け取ってくれる者も、戸惑いがちにもらっただけにすぎない。積極的に参加したいと思う生徒なんて、皆無だった。


だが、すべてはそこから始まった。


毎日毎日、ヒトデを彫った。


時間を見つけて、生徒に配った。


一度断られた生徒にもめげずに声をかけた。もう貰ってくれた生徒にも声をかけて念押ししたりした。


そうして。


だんだんと、小さな輪が、大きくなった。


最初、結婚式のお祝いをしようとしていた者はたったのふたりだった。


俺と風子。


ふたりだけで、始めたのだ。


俺たちは同じ時間に迷い込んでいた。


自分にはこの時間に舞い戻った意味が分かっていなかった。だがその傍らで、風子は決めた目的に向かって努力を続けていた。


その姿はまぶしいものだった。


だが、その姿は未来に迷う中での一つの指針になったのだ。


俺が風子を手伝って、彼女の助けになった部分はあるだろう。だがそれよりも、あいつに与えられたものの方がはるかに大きい。


戸惑いながらも、肩を並べてここまでやってきた。


家族と言おうか、相棒と言おうか。


そんな彼女は、もういない。






508


適当なことを言って、俺は資料室を飛び出した。


あの場所でのんきに会話などできないと思った。


風子がいない場所で平然と平穏な日常が続いているのに我慢がならない。風子のことを口に出しても、部員たちにはあいつのことがもう記憶にはないのだ。


かといって風子のことを自分の胸に押し込んで会話に混ざるなんて不可能だ。


校内は昼休みで、行き交う生徒たちにあふれている。


俺は彼らの姿を見渡す。多くの生徒は風子のプレゼントをもらっているはずだ。


だがきっと、おそらく一人残らず彼らは風子のことを忘れているのだ。問答無用に、容赦なく。


世界が彩を変えてしまったようだ。


そう思って、気分が悪くなる。


…不意に、全員に聞いて回りたいような気分に駆られた。


声をかけて、肩を掴んで、伊吹風子という女の子を知っているかと。お前の部屋の中にはヒトデの彫刻が転がっていないかと。


「あれ? 岡崎?」


声をかけられる。クラスメートの男だった。


「おまえ、ふらふらして、どうかしたの?」


いたって自然な調子でそう言った。こちらの心中などお構いなし、という様子で。


俺は思わず腕を浮かせる。肩でも掴んで問い詰めたくなる。


だけどぎりぎり、それをやめた。


そんな様子を相手は不思議そうに見ていた。


「ボーっとしてて、夢遊病者みたいだな」


呆れたように言う。


「体調でも悪いなら、早退すれば。おまえ、顔色悪いぞ」


「ああ…」


「じゃあな」


さして俺を気にとめるっこともなく、男は行ってしまった。


俺はその後ろ姿を見送って、失笑する。


夢遊病者のようなのか。


たしかに、夢を見ているのかもしれないな。心の中で、そう思う。


だが。


夢を見ているのは俺ではない。


この世界だ。


風子はたしかにここにいたのだ。


俺は、それを、心から断言することができる。


誰しもが風子の名前に首をかしげても、俺だけはその名前を心に刻んでいる。


心中で断言してみると、それで少しは心が落ち着く。


俺まであいつのことを忘れてしまっているわけではないのだ。それはきっと、一つの希望。


…風子がいなくなったわかって頭が真っ白になっていたが、だんだんと落ち着いてくる。


これからどうするか。


そう考えて、やることはひとつしかないとすぐに結論付ける。


もちろん、風子を探すことだ。それ以外にやるべきことは今はない。


とりあえず、今は情報収集と情報整理が必要だった。


校内では静かにものも考えられそうにない。それに、確認したいこともある。


俺は教室に戻って自分の鞄をひっつかむ。


「早退するって教師に言っといてくれ」


「え?」


手前の男子生徒に声をかけておく。


「なんで?」


「理由は適当に考えといてくれ」


返事も待たずに踵を返す。


周囲はまだまだ昼の喧騒。薄っぺらい鞄をわきに挟んで、俺はせっせと帰途につく。







509


家に着く。


俺は自室に鞄を置くより前に、まず第一に風子の部屋に入った。


最近は居間で一緒にいることは多かったものの、あいつの部屋に踏み込むことは少なかった。いつの間にか、この部屋が風子の部屋として自然に認識していた し、気軽に入らなくなっていた。


室内。


部屋の隅に畳んである布団。


普段ならば、その周辺に風子の私物があるはず。


だが…。


「…」


俺は、がらんとした室内で立ち尽くす。


そこには何もなかった。


彫刻等の予備、着替え、生活用品などはことごとく消え去っていた。


「…風子っ!」


俺は彼女の名を呼んだ。慌てて周囲を見渡した。


だが、何の反応さえもない。


しんとした空気だけが、そこにはあった。俺の小さな叫びの名残が、かすかに空気を震わせ消えた。


心の中に冷たい風でも吹いたような気分だ。


俺は思い出す。


かつて、別の世界で。


風子と共に日々を過ごしたことがあった。


あの時、俺は一度風子のことを忘れた。だが再び彼女のことを思い出した時、傍らにいた風子の存在に気付いた。


だが、今直面している事態は全く違う。


周囲を見渡しても風子の姿は相変わらずなかった。俺自身、あいつの記憶が薄れるということもない。考えてみれば、周囲に連中も次第に風子を忘れるなどとい うこともなく、全員一緒に唐突にあいつのことを忘れてしまった。


似ているが、全然違う状況なのだ。俺が手に入れた記憶は大した役にも立ちそうにない。


俺は鞄を放り出すと、慌ただしく家の中を調べて回る。


洗面所や、台所。


風子の洗面用品は跡形もない。


風子の食器類は消え去っている。


存在の名残は、どこにもなかった。まるで丁寧に痕跡を消してしまうように。


…しばらく家の中を駆け回り、やがて、ぐったりと疲れてしまった。


今や空き部屋となってしまった風子の部屋に投げ捨てられて自分の鞄を拾い、自室に入る。


頭の中が、こんがらがってきた。


なまじ別の世界のことを知っているだけに、その違いの多さに戸惑うばかりだった。


何をすればいいのか。


ベッドの脇に鞄を置いて、途方に暮れた。


一晩眠れば、事態が好転しているなどということでもあるだろうか。そんな期待さえ持ってしまうが、事態はそううまく転がらないだろうな、という予感はあ る。


ここで足を止めてしまうのは、諦めることだった。そんな選択肢を取ることなどはできない。


「…ん?」


ぼんやりと部屋の中を見渡して…自分の机の上、見覚えがあるものに気付く。


俺はそっとそこに近づいた。


散らかった学習机の上に、いびつなヒトデの彫刻があった。


それは、風子が一番最初に作ったからと、俺に渡してくれたプレゼントだった。


それを手に取る。


ごつごつしていて、ちょっとささくれ立っていて。慣れない手つきで作った彫刻。


不格好だけど、そこにはあいつの気持ちがこもっている。


「…はは」


それを見て、俺の口の端からは笑みがこぼれた。


見つけた、と思った。


あいつがここにいた印。


俺は涙が溢れそうになった。


胸がいっぱいになり、戸惑っていた心が晴れる。


そうして、まだまだできることはたくさんあると気付かされる。


机に再びヒトデを戻し、俺は早足に部屋を出た。思いつくことを全部してみよう。


風子がいなくなった後のことで、気になることが一つある。


それは、創立者祭の振替休日に商店街で見かけた公子さん。何か、慌てている様子だった。


そこになにか指針があるだろう。彼女から事情が聞ければ、それが道標となるはずだ。


まずは、足を公子さんの家に向けた。







510


公子さんの家に着く。


小奇麗な一軒家。家の前の花壇には花が咲き誇っている。公子さんはよくこの花壇に水をやっていた。


そういえば、この世界でここに来るのは初めてだ。改めて考えてみると、この家の場所を知っているはずがない。


…ま、渚に聞いたということにしておけばいいか。


そんなことを思いつつ、玄関先のチャイムを鳴らす。



…。



反応がない。もう一度チャイムを押す。



…。



どうも、留守のようだ。俺は肩を落とした。


だが、これくらいで諦めるわけがない。


すぐさま、次の目的地を決める。隣町の病院だ。


公子さんが看病とかでそっちに行っているというのはありえる。同時に、風子の体がどんな様子かがわかればラッキーだ。


だが…向かう前に、古河パンに足を向けた。


公子さんが行きそうな場所というと、病院以外だと古河パンという線もある。会えなくても、オッサンや早苗さんがここ数日中に公子さんと会って何か話を聞い ているという可能性もあるし。


時間を確認する。昼下がりだ。今なら暇な時間だろう。


…まあ、あの店は、ほとんどの時間は暇な時間ではあるのだが。



…。



「ちーっす」


古河パンの店内に入る。ふわっとパンの香り。


「…」


誰もいなかった。


パンを盗み放題な状態に苦笑するしかない。


ま、盗んでも下手に犯人が早苗さんのパンとかに当たったら手痛いしっぺ返しだろうな(そう思うと、善良な買い物客が早苗さんのパンを買ってしまった場合、 食べた時一体どれだけ複雑な気持ちになるのだろうかと心配になる)。


不用心だが、この店らしいといえばらしい。


息をひそめていると、店の奥から何か聞こえる。人の話し声のようだった。


どうやら、奥にはいるようだ。


「おじゃまします」


一応、そう言いながら家に上がる。


音は居間の方から聞こえてくる。


覗いてみると、オッサンと早苗さんが並んで座ってテレビを見ていた。


仕事中に、テレビ見てるのかよ…などと呆れてしまったが、よくよく見るとテレビ番組ではなく、個人で撮影したビデオのようだった。


それは、演劇のビデオだ。


ちょうど、オッサンが壇上で朗々とセリフをしゃべっている。よどみない口調だ。古代ギリシャのような外衣を着ている。古典劇とかなのだろうか。


ふたりは真剣に画面を見ていて、俺に気付いていない。


「…あのー」


声をかけると、同時にこっちを振り向いた。さすがにちょっと驚いた表情だった。


「テメェか。なんだ、おどろかせるなよ」


「岡崎さん、いらっしゃいませ」


「店内、誰もいないんだけど」


「ああん? 今日は客で来たのか? それなら、おまえにおすすめのパンがあるぜ。早苗の新作だ」


「はいっ。最近温かくなってきまして、そろそろたい焼きとかがお店で売らなくなってしまうのが寂しいなって思いまして、たい焼きパンを作ったんです」


早苗さんが嬉しそうな顔をする。


俺はかすかに後ずさる。なんて季節外れな新商品なのだろうか。


「それ…あんぱんをたい焼きの形にしたってことですか?」


「それじゃ、あんぱんですよ」


にこにこしながらやんわり注意された。


「まずたい焼きを焼いて、それをパンで包んだんです」


「…」


どうやら、見た目には全くたい焼きではないらしい…。


というか、食べても食べても肝心の餡にたどりつきそうにない。


「すみません、パンを買いに来たんじゃないっす」


さわらぬパンに祟りなし。早苗さんのパンを回避する。


「まあそう遠慮するな。まだ若いんだから、てめぇ十個くらい一気食いして見せろっ。そうしたら、報酬に早苗の新作を更にオマケしてやる。どうだ、うれしい だろ」


それ拷問だ。


「はい、そうですよっ。幸い、まだたくさんありますからっ」


それは売れ残っていると言うんです。


とりあえずこちらの旗色が悪い。話をそらす。


「いや、それよりも…そのビデオ、何すか?」


「おっ、そういやそうだな。おい、まあ座れ」


「お茶入れてきますねっ」


ぱたぱたと席を立つ早苗さんを横目に、オッサンに座らせられる。


あっという間に一座に加えられた。


「前にも言っただろ、昔演劇をしてたって」


「そうっすね」


「渚の劇を見てたら、懐かしくなってな。奥から引っ張り出して、見てたんだよ」


「店はいいのか、店は」


「この時間に客なんてほとんどこねぇよ」


「…」


無茶苦茶な店だった。


俺は半眼でオッサンを見るが、どこ吹く風だ。


「渚がいる時間は、さすがに見れないからな」


オッサンは少し寂しそうにそう言った。


「…」


渚は夢を叶えた。創立者祭の舞台で劇をして、たくさんの拍手をその身に受けた。


だが、その夢がオッサンや早苗さんから託されたものだとは、あいつ自身自覚していない。


オッサンも早苗さんも、わざわざそれを知らせるつもりはないようだった。


…こういう言われ方をされてしまうと、俺としては何も言えない。


「…これ、何歳の時なんですか?」


話をそらすように、質問をする。


「おまえと同じ頃だ。高校の最後の舞台だよ」


「へぇ」


高校生の舞台とはとても思えないくらい舞台映えしている姿だ。演者もそうだが、衣装もきちんと作ってあるし、大道具もよくできている。きっとこの演劇部は 人数も多く、技術も高かったのだろう。そしてそんな集団の中で、オッサンは主役を張っているようだった。


素人が集まった俺たちの歌劇部とはずいぶん違う。


オッサンはうまそうに煙草を吸うと、ちらりとこちらを見る。


「渚はどうだ。学校ではうまくやってるか」


「ああ、まあ。最近は、秋の学園祭でまた劇をやりたいって言ってる」


「そりゃいいな。今度はビデオ買っておかないとな」


親バカだった。


「あんたにどんな劇にするか相談したいって言ってたぞ。オッサンが劇をやってたのは知らないみたいだけど、何か感じるものがあるのかもしれない」


「まあ、同じ屋根の下で暮らしてるんだから、そう思うかもしれねぇな」


あまり驚いていない様子だった。一緒に暮らしているのだ、やはり互いに感じるものはあってしかるべきことだろう。そもそも、仲のいい家族なのだから。


「岡崎さん、お待たせいたしました」


早苗さんがお茶をいれて戻ってくる。


「あ、すんません」


湯呑みを受け取る。


早苗さんはにこにこ笑いながら、茶をすする俺の姿を眺めていた。


「うまいっす」


「そうですかっ。それは、とてもよかったです」


「うめぇだろ、そりゃな。早苗のいれた茶が飲めるなんて、てめぇラッキーじゃねぇか。これで一生分の運を使い果たしちまったなあ、おい」


この茶一杯を代償に俺の未来は暗雲が立ち込めているらしい。


「それで、こんな時間にどうされたんですか?」


今はまだ昼下がりだ。時間としては、昼休みが終わって次の授業の最中という時間。


早苗さんが不思議そうに俺に聞く。


「ええと、実は…人を探してて」


「つうとだ、うちの客ってことか?」


鋭い人だ。話が早くて助かる。


「はい」


「なるほどな…話は分かった」


オッサンは腕を組んで、目を閉じる。


しばらく考え込むような様子をして…俺を見据える。


「おまえが探しているのは…スメルライクティーンスピリッツの連中だな?」


「誰だよっ!?」


全然違った!


アホな人だ。話がこんがらがって困る。


「知らねぇのか? 隣町の草野球チームだよ…」


「知るかよ…」


いや…。


そういえば、記憶の端に引っかかる。


草野球…?


そういえば、どこかの世界で、そんな情景を見たことがある。


急ごしらえの俺たちの町のチーム。そしてそれに立ちはだかる、真っ黒のユニフォーム。


「ほう…どうやら、知っているようだな」


俺の表情を見て、オッサンが不敵に笑う。


「元高校球児がうじゃうじゃいるチームだ。うちの商店街の連中とチームを組んでいたんだが、負け続きでよ…それで、新しいチームを作ろうと考えてたんだ よ…」


オッサンがしみじみと語る。


「そんな矢先に出会ったのが、おまえらだ。このあいだうちに飯食いに来たのを見たが、なかなか活きのいい連中じゃねぇか。それで、思ったんだよ。こいつら となら、やれる…ってな」


「へぇ…」


「どうだ、小僧。俺と一緒に、野球をやろうぜ」


「…」


「そして、この町に勝利を」


「お断りします」


「…んなっ!?」


オッサンは驚きのあまり土偶みたいな表情になった。


正直別の世界の熱い記憶がよみがえってきたが、今はそれどころではなかった。


「早苗さん。実は公子さんを探しているんですけど、昨日か今日、店に来ませんでしたか?」


「いえ、いらっしゃっていないですよ」


「ああ、そうっすか…」


「もしよろしければ、ご自宅の場所ならわかりますよ」


「さっき家にも行ったんですけど、留守みたいで」


「そうでしたか…」


俺は茶を飲み干す。


「それじゃ、行きます。ありがとうございました」


「お役に立てず、すみません」


「いや、お茶、うまかったです」


俺は席を立って、居間を出ていこうとする…ところで、オッサンが復活した。


「おいテメェ、今かなり乗り気な流れだったじゃねぇかっ」


「…」


その言葉に苦笑して、振り返る。


「面倒事が片付いたらあいつらにも草野球のことを話してみるから、もうちょっと待っててくれ」


草野球をやるなどという雑事にかまけている余力はない。今は。


だけどまあ、雑事が片付き、風子も加わったならば。またみんなで白球を追うのも楽しそうだった。


「…は」


最後にオッサンと頬の片端分だけの微笑みを交し合い、俺は古河パンを出た。


そしてその足を、駅の方へと向けた。


俺は隣町の病院を目指した。






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