422
いよいよ、明日が本番だ。
その到来を待ちわびる気持ちはあるが…逆に言えば、今日がその準備の最後の日。やれることはやらねばならない。
朝食を作って居間に持って行くと、風子と親父はヒトデを彫っていた。
「親父…?」
「ん? どうしたのかい?」
「なにしてんの?」
「ああ、これか…」
親父は自分の手に持った木片と彫刻刀を見ると、少し微笑む。
「明日が本番で、たくさんプレゼントを渡すつもりだと聞いたからね…。少しでも力になれるように、一緒に作っているんだ」
しゅ、しゅ、と木片を削ってみせる。
「こう見えても、こういうのは得意なんだ。せっかくだから、今日はプレゼントを作って過ごすことにするよ…」
「そりゃ、ありがとな」
「いや…。おれも、明日ただ遊びに行くだけというのも悪いからね。これくらいはしてみるよ」
「お父さん、さすがですっ」
そんな会話を横で聞いていて、風子は嬉しそうだ。
「今日は一日中ヒトデを作ってくれるなんて…もう、風子とお父さんはソウルフレンドですっ」
「ええと…?」
親父が戸惑った声を上げる。
「い、一日中…?」
「はいっ」
「…」
俺は、親父の顔がわずかに強張るのを見逃さなかった。
というか、ソウルフレンドって…。どうしようもないソウル(ヒトデ)を共有している友情だな、おい。
「はいっ。ありがとうございますっ」
風子は手伝ってくれると言ってくれた親父に、素直に嬉しそうな顔をする。
親父の口の端がヒクついた。
「ああ…」
断ればいいのに、どうして頷いてしまうんだ。期待をこめた目で見られてしまって、引くに引けなくなってしまったのかもしれない。
「…」
親父も大変だな…。
「岡崎さんも、お父さんを見習ってください」
「…」
まずい、矛先がこっちに向いた。
「ま、いいからまずは飯を食えよ」
俺は盆に持った料理を置いていく。
相手を懐柔するならば、まずは胃袋から。まして相手が風子なら。
「んーっ、今日は早起きしてずっとプレゼントを作っていたので、風子、今ならたくさん食べられそうですっ」
「ああ、食え食え」
すぐに目的を忘れる阿呆を横目に見て、俺はほくそ笑んだ。
…。
朝食が終わる。
「さて、岡崎さん…さっきの話の続きですが」
「…」
うまい具合に忘れてくれていると思っていたが、そううまくはいかないようだった。
「わかった、わかった。そりゃ、手伝うよ」
「ありがとうございます」
毎日それなりに手伝っていて、無駄に作成スキルは上がっている。
それに、当然嫌というわけでもないし、元から手伝う気持ちは十分あった。拒絶する理由などはない。
「それじゃ、お互いヒトデを作るのを頑張ろうか…」
はは、と笑いながら親父は言う。
「はい。みんなでがんばれば、きっとできると思います」
風子はにっこりと笑って、俺と親父を見る。
「そう…もう風子たちは、ヒトデ大家族なんですから…」
なんでいきなりだんご大家族をパクっているのか。
というか、その感動気味な口調は何だ。
「嫌な家族だな、おい…」
「いえ、最高です」
呆れてため息をつく俺に、風子は自信満々に断言してみせた。
423
通学路に渚の姿を見つける。
俺の家と渚の実家とではほとんど通学路が交わらないので、こうして途中でその姿を見つけるのは珍しかった。
ここはほとんど学生寮が見えているくらいの場所だから、坂の下で会うのとほとんど変わらないのかもしれないが。
渚は、劇の台本に目を落としながら、心ここにあらずというような様子で歩いていた。
なんだか、危なっかしい。
今日の午後は授業がなく、リハーサルに充てられている。そして、明日はいよいよ本番だ。
やはり、緊張しているのだろう。そして、それ紛らわすかのように台本の確認をしているのだと思う。
以前のこの日も、同じようなものだったな、などと過去のことが思い出される。
あの頃はたしか、もう俺は渚の家に厄介になっていた。それに、もう彼女と付き合っていたはずだ。渚が真剣に自分の夢を見ている横で、俺は創立者祭が終わってしまえば恋人としての時間が多く取れるだろうな、などと呑気なことを考えていたような気がする。
結局、渚は発表の後で体調を崩してそのままずるずると学校へは通えなくなり、俺が元々期待していたような蜜月を味わうことはなかった。
…俺はそんなことまで思い出して心臓を冷たい手で掴まれたような気分になるが、振り払う。将来のことなど、まだわからないことだらけだ。前回とまったく同じ未来を描き続けるわけにもいかない。今大切なのは、今のことだ。
俺と風子は早足に渚に追いつく。
「渚、おはよう」
「おはようございます」
「…」
ふたり、声をかけるが渚は反応しない。
そのまま、じっと台本に視線を注いだまま歩いている。
「渚?」
「…」
どうやら、かなり集中しているようだった。こちらに気付いたようではなく、視線を本に注いで目だけが動いているような感じ。自分の世界に浸りきっているような姿。
その姿は本を読んでいることみの姿に重なる。
なんとなく、俺は同じような声のかけ方をすればいいのか、などと思ってしまった。
そこで俺は…
「渚…ちゃん」
必殺技、ちゃん付けで呼んでみた。
「…」
「…」
だが、渚はこちらに気付かない。まあ、当然か。渚とことみは別問題。
「うっ…」
だが、横の風子が苦しそうに胸を押さえた。
「どうした?」
「いえ、岡崎さんのちゃん付けが気持ち悪くて、魂が吸収されるかと思いました…」
「…」
100%の力を出すと周囲に悪影響を及ぼす悪役のような扱いだった。
「すげぇ失礼だな、おまえ」
というか、風子の身の上でそんなことを言われると冗談ですまされない。
「すみません、つい」
「…あ、岡崎さんに、ふぅちゃん」
横でわあわあと話していると、さすがに渚はこちらに気付く。顔を上げて、にこりと笑った。
「すみません、わたしボーっとしていましたっ。おはようございます」
慌てて台本を鞄にしまいながら、そう言う。
「おはよう」
「おはようございます」
こちらも、先ほど届かなかった挨拶を繰り返す。
「渚さん、すごく集中していました」
「今日のリハーサルで、初めて舞台の上で劇をやるので、なんだか緊張してしまって…」
渚はそう言って恥ずかしそうに笑う。
俺にはその気持ちもわかる。たしかに、部室や外でやることもあっても、今回のリハーサルはそれとは違う。初めて、不特定の人間の前で発表をするのだ。その上、音楽・効果音・照明などの要素も一緒にして演技したこともない。もしかしたら、その場でとんでもない間違いや修正点がでてくる可能性だってある。そう考えてしまうと、当然、不安だろう。
俺自身、脚本を書いた人間として不安はある。幸村が内容については添削をしているから、これ以上は自力でなんとかなるものでもないと納得もしている。おかげで渚ほどに不安を感じてはいないと思うが。
「がんばって練習してきたんだ、大丈夫だよ」
「はい、そうだといいんですけど」
渚の性格を考えれば、あとはどっかり構えている、というわけにもいかないだろう。
ともかくは、やってみるしかない。
歩きながら話しをしていると、坂が見えてくる。俺たちはそれを見上げる。
吸い込まれるように生徒たちがそこをのぼっていく。
まだ、それなりに早い時間のはずだが、いつもよりも生徒の数が多い。おそらく、創立者祭の準備で忙しい下級生たちが早めに登校しているのだろう。心なしか、彼らは少し早足に進んでいるような気がする。
坂の下には、そんな姿をぼんやりと見つめる春原の姿があった。脇に薄っぺらい鞄を抱えて、ポケットに手を突っ込んで、彼らの様子を眺めていた。
その視線は、かつてのように異形でも見るようなものではないと思う。多分もっと、温かいものだ。
近付く俺たちの姿を見て、春原はヘラッと笑って手を上げた。
近づいて、口々に挨拶を交わす。
そうしていると、智代がやってくる。
「おはよう」
手には鞄を持っていた。
ちょうど今登校してきたところなのだろう。
「おはよ。ここで会うの、久しぶりだな」
「ああ…。今は、創立者祭で忙しいからな」
そうして、俺たちは一緒になって坂を登っていく。
「今日のリハーサルは、私も見ることができそうだ。楽しみにしている」
智代は渚に笑いかける。
おそらく、当日は忙しくてゆっくり発表や模擬店を見て回ることはできないのだろう。生徒会長というのも大変なものだ。
「は、はいっ。ありがとうございますっ。がんばりますっ」
渚は、こくこくと頷く。
やっぱり、緊張している表情だった。
智代はそれを見て笑う。慈しむような笑みだった。
「今まで、古河さんは一生懸命練習をしてきたのだから、きっと大丈夫だ。もっと自信を持ってもいいと思う」
智代の言葉に、渚はきょとんとして、それから小さく笑った。
「岡崎さんと、同じことを言っています」
不思議そうな顔をする智代にそう言うと、彼女も表情を崩す。
そしてその笑顔を、俺向けた。
「そうか。おまえとは、似たもの同士かもしれないな」
「いや、俺はおまえほど立派じゃないよ」
俺は肩をすくめてみせる。
今話題の新生徒会長とおちこぼれを比べて、似ているなどというのもおかしな話だ。
「そうか? 私は、そんなことはないと思うが」
俺の言葉は半ば予期したものであったようで、智代は特に意外そうな顔をするわけでもない。
「岡崎と智代の似てるとこなんて、名前の響きくらいじゃない?」
春原が茶化すように言った。
朋也と、智代。まあ似ている。
「これからは、トモトモコンビでも名乗ってれば」
「うん、それもいいかもしれな」
「…よくない」
意外に乗り気な智代の笑顔に、俺は息をついてツッコミを入れた。
「あとは、トモアンドトモとかどう」
「いきなり、芸人みたいになったな」
「ですけど、とっても楽しそうです。わたしも、仲間に入れてほしいです」
「アホ連合の一員だと思われるぞ」
結構本気で羨ましそうにしている渚に、俺は苦笑を浮かべた。
「渚さん、ここは風子と組んでトモアンドトモに対抗しましょうっ」
「…」
風子はノリノリだった!
「はいっ」
…渚も楽しそうだから、まあいいかという気分になる。
「なぎちゃんふぅちゃん、なんてどうでしょうか」
「お笑い芸人みたいな名前なのは変わらないんだな」
俺はツッコミを入れる。
「いえ、とても楽しそうですっ」
ダブルボケのどうしようもないコンビになりそうだった。
ここにことみを加えて奇跡のトリプルボケを完成させてみたいところだったが、幸い(?)今日はここにいない。
…ああ、下らない会話だ。
だが、そんなものが忙しくすぎる日常の中ではきらりと光るものに感じる。
俺たちは、今日も今日とて騒がしく、坂を登っていく。
424
教室に入る。
昨日のうちに準備は一通り終わったということだが、それでもやることがなくなったわけではないようだった。
衣装合わせをしたり、スケジュールを確認したり。
後はただ単に、いつものように早い時間にこの教室に来てしまって、そのまま集まった連中で談笑している姿も多くある。
おかげで、この時間なのにクラスの密度は普段よりも高い。他のクラスの連中が結構入り込んでいるのだろう。クラスの垣根を越えて広く交流する姿、というのはこの学校では珍しかった。
クラスの壁というのは、薄いようで厚いものだ。
だがこうして今そんな垣根も大して感じさせないような雰囲気を見ると、限られた時間の中でもそれだけ濃い時間を一緒に準備をして過ごしてきたおかげなのだろう、と思う。
主催者が杏と椋でクラスを跨いでいたこともあるだろうし、祭りの直前の浮ついた空気も一役かっているだろう。
今この時は、特別な時間なのだろう。
まるですべてが許されて、受け入れられるようなひと時だ。
高揚した意識で、それぞれの夢を見る時間。
…そんな雰囲気だからだろうか、俺や春原にも何人かの生徒は声をかけてくる。
俺は未だになれないくすぐったさを感じながら、それに答えて自分の席につく。
祭りの前の華やかさ。
多分昔は、こんな雰囲気の中では息苦しくて、俺はこの教室にいられなかったのではないかと思った。それは同時に、春原も。
だが今、この空気に身をゆだねて甘酸っぱいような軽い高揚を感じていた。
春原も、この教室の空気に顔をしかめるわけでもなく、周囲を見ると笑ってみせていた。
未来を見ている感じ、夢を共有している感じ。
ばらばらだった心が、ちぐはぐに重なったような感じ。
いつの間にか、俺はそんな感覚が嫌いではなくなっていた。
425
あっという間に授業が終わる。
まあ、正直言うと、大体寝ていたからあっという間に感じただけだが。
俺が不真面目なのはいつものことだが、今日は他の生徒もどことなく気もそぞろな感じがした。なにせ明日が本番なのだ、意識がそちらに向いてしまうのは仕方がないのかもしれない。意外なことに、教師たちもことさらにそれをなじるようなこともなかった。
今日の最後の授業が終わると、教室の空気が一気に弛緩する。
これで面倒な授業は終わり、いよいよ最後の準備が始まる。
明日のための模擬店や出展の設営、飾りつけ。部活動での出展がある連中は、そちらのリハーサルもある。
教室は一気に騒がしくなる。
すぐに準備が始まるわけではない。
準備の前にまず腹ごしらえ、というところか男たちが声を掛け合って購買へと早足に出て行く。
女子たちが幾つか集団になって固まって弁当を広げ、今日これからのことや明日のことを声高に話し合う。
そんな喧騒の中、俺と春原は部室に向かうために席を立つ。
椋の姿を探すと、クラスメートに囲まれて何か話している様子で、声をかけるのは憚られる。多分、クラス展の準備の話でもしているのだろう。邪魔をするのも悪い。
目で合図だけ送ると、すぐにこちらに気付いて照れたように小さく会釈を返してくる。すぐに女子に声をかけられて、話の輪に戻っていくあたりを見ると、忙しそうだ。
たしか、椋と杏はこれからまずクラス展の方を指揮して、その後部活のリハーサルにくる。そして、それが終わったら最後にまたクラスの女子たちと今度はコーヒーの入れ方の講習会に行く、というような段取りだったはずだ。
八面六臂の大活躍、という感じ。無駄な時間はないだろうし、目で合図する程度で十分だろう。
廊下に出ると、人の往来が多い。
三年生は真っ直ぐ帰る生徒が大体だ。
最上級生で受験生なので、三年のクラスは基本的にクラス発表というのはない。いつもの土曜日のように、まっすぐ家に帰る奴もいるだろうし、塾がある生徒もいるはずだ。
しかし、普段は帰宅していても、今日は残ると言う三年生も多い。
文化部の幾つかはこの創立者祭で引退というところもあり、そういう生徒は連れ立って明日の準備について頬を染めて相談し合っている。
部活などでの参加はなくとも、うちの喫茶店の手伝いの他のクラスの連中も様子を見に来たりしている。
人の流れがまっすぐ昇降口に続いているわけではないからか、普段よりも雑然とした印象を受ける。
中には傍らに派手なポスターを持っていたり、ダンボールを抱えたりしている姿もある。やはり、この準備も大詰めという感じがその印象に輪をかけているのかも知れない。
階段を下りていくと、祝祭的な雰囲気はさらに華やぐ。
その雰囲気に当てられて、明日が楽しみになってくる。
一部鬼気迫る顔の奴らがいたりするのは、多分準備が遅れていて焦っているんだろう。様々な姿だ。
旧校舎に入ると、そんな雰囲気はいっそう濃くなる。
ここは文化部の部室に充てられている。
気の早い生徒たちは、まだ昼食も取っていないだろうに、機材を持って動き回ったり、部室の外側に装飾を始めている。
騒がしい校内。
俺と春原は、そんな様子を珍しげに眺めながら、通り過ぎていった。