419
帰り道。
部員たちと別れて、俺と風子だけになる。
俺たちは寄り道をすることにした。とはいえ、別に大層な場所へ向かうわけでもない。
足を向ける先は、昼に一度来ていた墓地だ。
有紀寧の兄の話を人に言いふらすつもりはないが、風子にだったら許されるだろう。
今日のことを話していると、風子はぜひ自分も一度お参りをしたいと主張した。
風子にとっては、友達の家族の墓。
それを止める理由もない。
それに、ついでに母親の墓の様子を見に行ってもいい。
そろそろ夕暮れの気配がする町の中を、俺たちは歩いていく。
…。
墓場に着く。
大して広い墓地でもないから、宮沢の家の墓はわかる。それに、今日あれだけの花を捧げたのだ、それだけで十分目立つだろう。
そう思いながら見当をつけて歩いていて…すぐに、目的の場所は見つかる。
だが、俺も風子も、そこに向かって歩き出すことはなかった。
有紀寧の兄の墓。
そのすぐ手前に、中年の夫婦がいた。
妻は手を合わせてじっと立っている。夫は墓の周りに散った花びらを片付けたり、水で拭いて綺麗にしたりしている。
そのふたりは、一心に自分のすることに没頭していた。
少し離れたところでそれを見ている俺と風子に気付きもしない。
俺は、しばらくして、そのふたりが有紀寧の両親だと気付く。
そして、同時に、今日有紀寧の口から語られた話が思い出される。
彼女の兄は、両親と折り合いが悪かった。
そして彼が死んだ時、両親はあんな人間と一緒にいたからだ、と嘆いていたという。
そう、彼らは、決して彼女の兄の、そして有紀寧の友達を認めたわけではない。
それは多分、今でもそうだろう。
しかしそれでも…そこは息子の墓なのだ。
なにを差し置いても、その事実は変わらない。
夫婦は、その墓を朽ちるままに放っておくような人間ではないようだった。
やがて、ふたりはお参りを終えて歩いてくる。俺と風子のところへ向かって。
そしてすぐに、立ち尽くす姿に気付いた。
「君たちは…?」
有紀寧の父が、不思議そうに尋ねる。
「和人の友人ですか?」
「いえ…」
俺は首を振る。
俺と、宮沢和人。俺たちは、出会いもしていないのだ。もし会っていたら仲良くなれたかもしれないが、人生はそう転ばなかった。
「あの、風子は、ゆきちゃんの友達です」
「ああ、有紀寧の…」
「それは、わざわざすみません。今日はあの子の兄の命日でして…」
夫婦は恐縮したような様子で頭を下げた。
「ああ、いや…」
俺は慌ててしまう。そこまで丁寧に対応されると、困ってしまう。
「すみません。邪魔をしてしまって」
「そんなことはありません。ちょうど、わたしたちは帰るところでしたから」
「今日はこんなところでは何もお構いもできませんが…。よろしければ、お名前をうかがえますか? 有紀寧の方から、礼を言わせますので」
「いや、そこまでしてもらうわけにもいきません」
「そうです、風子、そんなつもりはないですから」
「…ふふ、風子ちゃんっていうんですね」
妻の方が、くすくすと笑った。
疲れたような目じりが、優しく皺をつくる。
「おい、馬鹿っ」
「…はっ。風子としたことが、つい騙されましたっ。岡崎さん、この人、とんでもない策士ですっ」
「あと、岡崎さんですね」
「ぐあ…」
さっそく身元を見破られている馬鹿がふたりここにいた。いや、原因は風子だから、馬鹿はひとりで十分だ。
「おふたりとも、ありがとうございます。わざわざここまでいらしていただいて。それと、差し出がましいようですが、どうぞ有紀寧のことをよろしくお願いいたします。あれは、しっかりしているようですが、いつも甘えられる相手を欲しがっているような子なので…」
「はあ…」
ともかく、俺は頷くしかない。
風子も隣で、水飲み鳥のようにかくかくと頭を縦に振っていた。
そんな様子を微笑ましげに見て、宮沢夫婦は丁寧に頭を下げて去っていった。
俺と風子は、立ち尽くしてそれを見送った。
…。
こざっぱりと片付いた有紀寧の兄の墓の前に立って、手を合わせる。
俺は昼にも一度ここに来ているから、手短に。
風子を見ると、手を合わせてむにゃむにゃと口を動かしていた。
「…おまえ、何かお願いをしてたのか?」
やがて目を開けた風子に、そう尋ねる。
「はい。ヒトデを、皆さんがたくさん受け取ってくださるようにってお願いをしました」
「…」
前も思ったが、ここは神社ではない。故人に願い事を頼むなよ。有紀寧の兄は、今頃天国で困ったように腕を抱えて首をかしげているはずだった。
そうして彼の墓参りも済ませ、母親の墓の様子も見る。
特に掃除の道具を持っているわけでもないので、墓石の傍に散っている木の葉を手で集めて傍の木陰に落として終わり。
簡単な掃除のみだが、こまめにこうして来て掃除するのはいいことだろう。
一通りの用事を終え、俺たちは再び連れ立って墓地を後にした。
420
家路。
空は赤く染まっている。もうしばらくすれば一気に暗くなってしまうだろう。
さっきまで墓に寄っていたから、腹も減っている。
昨日のカレーがまだあるから、帰ったらすぐに夕飯が食べられる。
昼休みの後、随分色々なことがあったから、さすがに疲れてしまった。
有紀寧と一緒に、彼女の兄の一周忌をした。しかもたくさんのお友達に囲まれて。
その後はあいつが俺に対して聞きたいと思っていたことを聞いた。俺の秘密のことを。
あれで、随分寿命が縮まってしまった。そして結局、俺がとったのは逃げの一手であり、まったくもってこの件は解決に向かってなどいない。ただただ、有紀寧が一方的に妥協してくれたのみで、自分としても胸が痛いことだった。
創立者祭の準備も佳境に入り、にわかに身辺がばたばたし始めた。
後はゆっくりと家で休みたいものだ。
俺はそんなことを思っていた。
「ん?」
「あ…」
そんなことを思って、歩いていた、その先で。
肩を並べて歩いていた俺と風子は、見知った顔にめぐり合う。
「ああ…岡崎か。久しぶりだな」
「芳野さん…」
作業が終わったところなのだろう、軽トラに寄りかかって缶コーヒーを飲んでいるところだった。
「どうも。残業っすか」
「ああ。今終わったところだ」
こんな時間までかかってしまうとは、かなり大変そうだ。見た感じ今日もひとりで作業をしているようだし、コンビを組んでいる相手がしばらく病気でもしているのか、あるいは新人がすぐにやめてしまった穴埋めか…。
どちらにせよ、そんな状況で作業をさせられるとかなりイライラさせられるのだが、そんな素振りはなかった。
というよりは、部外者の学生の俺に対してだから、表に出さないようにしている、という感じがする。それはそれで、少し寂しい。
「お疲れ様ですっ」
つい、そう言ってしまう。
芳野さんはその言葉を受けて、苦笑を浮かべた。
「おまえもそうだろ。今まで、学校だったんだろう?」
「はい」
「そろそろ、創立者祭の本番だと聞いた。今が一番忙しい時だな」
「はい…」
その話を聞いたのは、公子さんからだろうか。
「どうだ、部活は?」
「大変ですけど、楽しいっす。今まで、あまり創立者祭に興味はなかったんですけど、色々とやってみると、新しい発見があります」
芳野さんはうんうんと頷く。
「そうだな…。たしかに、自分がやってみないと見えてこないものがある。一生懸命になってみなければ、手に入らないものもある…。一生懸命になることを諦めて、何かに一心に取り組む人間を馬鹿にすることは誰にでもできるが…だが、それでは、何も手に入れることはできない…。岡崎、おまえはまだまだ若い。これから、色々なことに出会うだろう。苦しいこともあるだろうし、辛いこともあるだろう…。だが、そんな時にこそ、その気持ちを思い出して欲しい。その思い出は、必ずおまえの力になるだろう。岡崎、おまえは今、たくさんの仲間に囲まれているのだろう?」
「はあ、まあ」
「それならば、その周りの人たちを大切にしてやるといい。それはこれから必ず、おまえを助けることになるだろう…」
「…」
芳野さんは、絶好調だった。
だが、ぽかんとアホ面をしている俺と風子の気付いたのだろう、我に返る。
「おっと、すまない、引き止めてしまったな」
「ああ、いえ…」
そこで、俺はふと思いつく。
「芳野さん」
「ん? どうした」
「もし暇なら、明後日、創立者祭に来ませんか? きっと楽しいですよ」
「すまないな…。明後日も、仕事が入っているんだ」
「そうっすか…」
「岡崎、おまえはたしか演劇をやるんだったな」
「はい」
「それなら、実は俺の知り合いが見に行く予定だ。あとでその話を聞かせてもらうことにするよ」
公子さんのことだろう。
…そこまで考えて、俺はふと、風子がずっと黙り込んでいることに気付く。
俺は隣の風子に目をやる。
…風子は、真っ直ぐ視線を芳野さんに向けていた。多分、俺たちが会話を始めてからずっと、そうしていたのだろう。
「ん? どうかしたのか?」
芳野さんが不思議そうに声を上げた。
彼は視線を俺の顔が向いている先…風子へと注ぐ。そして、すぐに、その視線は定まりもせずに先の路地へとずれていく。
「…」
俺はその仕草で、状況がわかる。わかってしまう。
…芳野さんに、風子の姿が見えていない。先日の教師がそうだったように。
俺は反射的に口を開きそうになる。
ここに、女の子がいるのが見えないんですか?
そう聞きたくなったが、歯を噛み締めて、我慢した。
…もしそう聞いて、芳野さんが困惑した顔を浮かべてしまったら、などと思うと何も言えない。
俺は、そんな情景など見たくはない。
かつて。
芳野さんと風子が馬鹿みたいに楽しそうに遊んでいた姿を知っている俺は、彼らのそんな姿を見たくなど、ない。
「ああ、いや…」
俺はなんとかそう言った。
「どうした、体調でも悪いのか?」
「…」
俺は頭を振るう。
それくらいしかできなかった。
「疲れているのかもしれないな。もちろん一生懸命になるのもいいことだが、それでおまえが倒れては周りの仲間たちが心配することになる…。努力し、頑張ることは大切だが、休むことも必要だ」
「はい…。すみません、もう行きます」
「ああ。それじゃあな、岡崎。俺も応援している」
「…」
俺は歩き出す。
風子も隣についてくる。
俺は走り出したい衝動を覚えたが、こらえた。
…風子の方が、辛い気持ちだろう。
俺は無理矢理に、風子の手をとった。
その手は、小さな手。温かな手。
そしてたしかに、ここにある温かさ。
俺たちは交わす言葉を持っていなかった。
だけど、力強く手を握って、まるでこの世界に取り残されたふたりのように、暗くなる町の中を歩いていった。
421
風子のことを認識できない人がいるというのは、たしかなことだった。
彼女はそのことについて、あまり語りたがらない。
当然だ。
自分がこの世界からつまはじきにされていることを、嬉々として語る奴などはいない。
俺も正直、積極的に聞きたいわけではない。
わからないことが多すぎて、不安だけが膨らんでしまいそうだった。
創立者祭の日を楽しみに思う気持ちはある。
その日が今までの総決算なのだから、当然だ。
だが。
その日は公子さんがうちの高校を訪ねてくる日でもある。
彼女が風子と顔を合わせて、頑張っている姿を見てもらおう、などと思っていたが…。
事態がどう転んでしまうか、もう予測ができない。
だが、なにがどうなろうと。
俺は風子を支えていくつもりだった。
あいつは、一生懸命に頑張っている。
毎日ヒトデを彫って、生徒たちに声をかけて…
段々、学校の奴らに受け入れられ始めている。
俺はそんな姿を、一番傍から見ていた。
だから、思う。
彼女の気持ちが、報われないなんてことは、ありえるはずがないのだと。
その気持ちは、裏切られてはいけないのだと、俺は思っていた。