folks‐lore 05/09



416


俺と宮沢は、山を降りる。


交わす言葉は少ない。不ぞろいな足音が、ざくざくと聞こえる。


結構長い時間を展望台で過ごしていて、時間はそろそろ放課後になるというところだろう。


あの後。俺が宮沢の申し出を断った後。


俺たちはしばらく言葉も交わさずに山から町並みを見ていた。


やがて空を覆っていた雲も晴れて、俺たちは少しずつ言葉を交わし始める。


ぎこちない会話だった。


宮沢は俺の事情や考えていることなどを鑑みて、それでも力になりたいと言った。


そして、俺は。


それでも、彼女に事情は話せないと拒絶した。


…そうしてしまっていいのだろうか、という問いは何度も何度も頭の中に沸いてくる。


それでも、その度、俺はそうするしかないと思えてならなかった。


それは何故なのだろうか。


俺はこの時間にやってきて、はっきりとやるべきことを見出せていないせいなのかもしれない。


未だに俺は、過去の世界に戸惑い続けているばかりなのだ。


だがいつか。


きちんと、こんな話を誰かに話せる日が来るのだろうか。


俺はしばらく、そんなことを考えていた。


そして今も。


宮沢と一緒に高台のあの広場を離れて町に下りている今も、その問いは変わらず頭の中にある。



…。



「宮沢、ほら」


「…ありがとうございます」


山道というよりは、ハイキングコース。ロクに舗装もされていない場所だから、ところどころ大きな段差もある。


俺は先に飛び降りて、宮沢に手を差し出した。


宮沢も素直にその手をとって、身軽に段差を降りる。結構、こいつも運動神経はいいのだろう。


俺はそれを見て手を離そうとして、だが、離せないことに気付く。


宮沢が、ぎゅっと俺の手を握り締めていた。


「宮沢…?」


「朋也さん」


戸惑う俺の瞳。意を決した彼女の瞳。


「ゾリオンの時の話なんですが」


「は?」


唐突な話に、目を丸くする。


「もし自分が優勝したら…わたしは、はじめ、朋也さんにさっきのことを聞こうって思っていました。でも、途中でやめました」


「ああ…」


あの日の昼休みに宮沢と話をして、彼女は意見を翻した。


「その後に、新しく考えた、もし自分が優勝した時のお願いなんですが…」


宮沢はまた手に力を込めて、ぎゅっと俺の手を包んで、瞳の奥を覗き込む。


「わたしがもし勝ったらお願いしようとしていたことは、それは…朋也さんに、わたしのことを名前で呼んでもらおう、ということなんです」


「え…?」


「ね、朋也さん。わたしのことは、名前で呼んではくれないんですか?」


宮沢が、俺を見上げた。


彼女の頬が、恥ずかしそうに赤くなっていた。


俺は渚を渚と呼んで、風子を風子と呼んで、杏を杏と呼んで、椋を椋と呼んで、ことみをことみと呼んで、智代を智代と呼んだ。


そして、宮沢を宮沢と呼んだ。


別に、彼女を差別していたわけではない。


ただ、いつの間にか、そうなっていただけだ。


だが、彼女はそれを気にしていたらしい。


「…」


俺はぼんやりとそれを考える。


ああ…。


それは、なんと、可愛らしいお願いなのか。


先ほど彼女を拒絶した罪悪感などはなくても、そんな願いはむしろ大歓迎だ。


「…さっさと行くぞ、有紀寧」


俺は彼女から顔を背けてそう言う。なんだか、恥ずかしい。


「…はいっ」


だが、彼女と繋ぐ手に感じる温かさが、たしかなものに思えた。







417


学校に着くと、ちょうど放課後になったくらい。


坂を登って行く俺と有紀寧の姿を、下校していく生徒たちが不思議そうに見ていた。


だが、すれ違う生徒の姿は思いのほか少ない。


おそらく、塾でもある生徒は帰っているものの、他のやつらはまだ学校に残って明後日に迫った創立者祭の準備に勤しんでいるのだろう。


そうだ、本番はもう近い。


校内に入ると、お祭りの気配は更に濃くなる。


明日の授業を終えればもっと飾りつけなどもしていいことになっている。


どこに何を飾る、というようなポストイットが廊下のあちこちに先に貼り付けられているのが見える。


生徒たちが下駄箱の辺りを見て何か話しているのは、おそらく飾り付けの作業なのだろう。


祭りが始まる気配が満ちている。


その中を、俺たちは歩いていく。


二人の間には、どうしようもない奇妙なしこりのようなものがある。俺は彼女を拒絶したのだ。


それなのに、俺が彼女の名を呼ぶようになって、おかしな甘酸っぱさのようなものもある。


変な距離感だ。


だが、二人の間に値踏みするような奇妙な間合いがあるわけではない。


俺は言えないことは言えないと言って、有紀寧は知っていることを知っていると言った。


一応は、互いに手の内をさらしているとでも言うか。


清々しくないが、ひとつの手落ちを迎えてさっぱりした気持ちはある。そういう意味では、互いにあの話をしたことは、悪いことばかりでもないだろう。


「もう、部活は始まっていそうですね」


「そうだな…。おまえは、クラスの方はいいのか?」


「部活動があるから、放課後は空けていただいていますので。でも、もしかしたら明日はお手伝いにいかないといけないかもしれませんねぇ」


「そっちも、準備は遅れているんだな」


「はは、そうみたいですね」


言葉を交わしながら、旧校舎に入る。


入ってすぐのところで、会いたくない人物が目に入った。


生徒会長…いや、前会長の男だった。


壁に向かって何か作業をしていたようだが、俺の姿を見ると嫌そうな顔をする。


一瞬、視線が交錯する。


相手は何も言わず、作業に戻った。


俺も何も言わず、その後ろを通り過ぎる。


俺たちには、もはや言葉を交わすほどの関係すらない。


…と、思ったら。


「岡崎」


「なんだよ」


声をかけられて、足を止める。


「そっちの階段は今は通行止めだ。飾り付けの作業中だからな」


「…本当に?」


「嘘をついてどうする」


アドバイスを与えられて、俺は訝しげな顔になってしまうが…相手はそれに対して、不快そうに顔をしかめた。


今までロクな関係を築いていない相手なだけに、驚いた。


「その話は、昇降口の掲示板にも出していたはずだ」


「…あっそ」


馬鹿にするような口調に、俺は肩をすくめてやり過ごしてみる。


「有紀寧、それじゃこっちだな」


「はい」


俺の言葉に答えて、良妻のように、俺の後ろに付き従ってくる。なんだか照れる。


そして、歩き去る…その前になおもポスター貼りの作業をしている前会長の後姿を振り返る。


「悪いな」


「別に。会長としての職務だ」


「前会長だろ」


「うるさい奴だ」


「それじゃあな」


「…」


それだけ言葉を交わすと、また歩き始める。


…有紀寧がそんな姿を見て、くすくすと笑っていた。


「なんだか、おかしいです」


「なにがだよ」


「おふたりとも、なんだか仲がいいように見えますから」


「はあ? 最悪だ…」


肩を落として見せると、有紀寧はまた笑った。







418


部室に入ると、中にいるのは渚の他、ことみと春原。


杏と椋はいない。多分、クラスの方にかかりきりになっているのだろう。


正念場、というようなことを昼に言っていたから、仕方がないかもしれない。


「よぅ、岡崎に有紀寧ちゃん。遅かったねっ」


「ああ」


「お待たせしましたっ」


春原が手を上げて俺たちを呼ぶ。


渚がぺこりと一礼して、演技の練習を続けた。


ことみはじっとストップウォッチを見ている。通しでやって、時間でも計っているのだろうか。


「ふたりでどこ行ってたの? 意味深〜」


「はは、ちょっとお出かけをしていました」


下世話な春原に、有紀寧は笑って受け流す。


「ねぇねぇ、どこ?」


「うっせぇよ。放っておけ」


「いいじゃん。教えてよっ」


いい加減腹が立ってくる。


「お友達と一緒に、みんなでお出かけです」


有紀寧はぼかしてそう答えた。


そんな返事に、春原の顔は固まった。


「それって…つまり、集会ってこと?」


「ああ、大集合だったぞ」


「はは…そりゃ、大変だね」


「来たかったか?」


「はは…」


ビビッて、答えることすらできないらしい。どんだけヘタレなんだろうか。


「岡崎、おまえマジで命の綱渡りをしてるよ…」


「まあ、そうかもな…」


たしかに、あの連中と一緒にいて、しかも有紀寧に懐かれている感じもするし、身の振り方によっては天誅が下るかもしれない。


夜道には気を付けたいところだった。



…。



部活を続けて、結構遅い時間になってから、杏と椋が部室にやってくる。


「随分遅れちゃったわね」


「すみません、向こうにかかりきりで…」


「いえ、今日はお忙しいと聞いていましたから」


渚はふたりの姿を見るとにっこりと笑う。


「杏ちゃん、椋ちゃん、準備の方はどうですか?」


その問いに、ふたりは少し誇らしげな感じに笑った。


杏はぐっと親指を上げて見せる。椋は恥ずかしげに笑う。


「物の準備はちゃんと終わったわ」


「あとは、明日の設営ですね」


「それは、とてもすごいですっ」


渚はふたりの活躍を我が事のように喜んだ。


ともあれ、クラスの方はこともなく進んでいるようだった。喜ばしい。


「岡崎くん、来ていたんですね」


椋は俺を見ると、にっこりと笑った。


「ああ」


「授業には、いなかったのに…」


「…」


どうしてだろう。


椋は笑顔で俺を見ているのに、背中が薄ら寒い。


俺はつい、顔を背けた。


と、そんなところに救いの手がさし伸ばされる。


「すみません、実はわたしがお願いして連れ出してしまったんです。どうしてもという用事がありまして…」


「そうなんですか…」


椋も、有紀寧がそう言うのを見て納得したようだった。


いつもきちんと真面目に過ごしている彼女がそんな行動をとる時点で、ほとんど非常事態のようなものであることはわかっているらしい。それ以上問い詰めることもない。


「悪いな、有紀寧」


「いえ…」


礼を言うと、ふるふると首を振る。


と…。


なぜか、視線が集まっていた。一同がじっとこちらを見る。変なものを見た、という顔だった。


それがどうしてかと思って…ああ、俺が彼女を名前で呼んだこと原因なのだろうか。


「なんだよ、おまえら」


「別に」


杏が不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせた。


「ただ、あんたたち、いつの間にか仲良くなったのかと思って」


「わたしと朋也さんは、いつでも仲良しですよ」


有紀寧は笑顔でそんなことを言う。


…どうしてだろう。


彼女はフォローをしてくれていたはずなのに、いつの間にか爆弾を周囲に投げつけ始めているような気がするのだが…。


いや、気のせいか。そうだよな。


俺はまた、救いの手がほしくなった。


そんな折。


がらがら、と部室の扉が開けられる。


現れたのは…


「風子、只今帰還しましたっ!」


びしっ、と敬礼をしながら風子が入ってくる。


風子かよ〜、という気分になる俺。


役に立たない援軍だった。


「みなさん、どうしたんですか? けろぴーみたいな顔をして」


「してないっ! つーかどんな顔だっ」


「もしお望みとあらば、風子、ここに描いてもいいです」


そんなことを言いつつ、風子は黒板に変なカエルの絵を描き始める。



…。



「これが、けろぴーですっ」


「とりあえず、そんな顔をしていないことは確かね」


「いえ、でも、とっても可愛いと思います」


よし、話がそれ始めた。


意外に助かる援軍だった。


そしてまた。


がらがら、とドアが開く。


「あ、まだいらっしゃったんですね」


「すみません、遅くなりました」


「ん…? なんだか修羅場のいい香りが少しするような?」


合唱の面々が入ってくる。隣の教室にもいなかったから、大方、クラスの手伝いでもしていたのだろう。


ロクな援軍ではなかった。だが、おかげで変な空気は更に解消される。


ちょうど俺たちはそろそろ帰るという段階だったので、そのまま一緒になって部室を出ることに。


「黒板に増えていたカエル、なんなんですか」


仁科が不思議そうに言う。


「あれはけろぴーです。そう、古くから伝わる守り神のようなものです…」


「はぁ…」


風子の妄言に、うまい相槌すらうてないようだった。


まあ、その気持ちはわかるが。


「これからあの部室は、けろぴー様が見ているので、もう安心です」


「…」


大いに不安になった。




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