folks‐lore 05/08



395


昼休みになる。


春原と椋と一緒に教室を出て、資料室へと向かう。


歩きながら、椋は先ほど授業の後に教師から渡されたプリントに目を落としていた。


「なに読んでんの?」


それを見て、春原が聞く。


「はい、創立者祭のオープニングのことで」


椋は少し気恥ずかしそうにはにかむと、プリントを見せてくれた。俺たちはそれを覗き込む。


どうやら、明後日のリハーサルの予定と注意事項の紙のようだった。椋はクラス展の代表者だからこれを貰ったのだろう。


「リハーサル?」


春原が素っ頓狂な声を上げる。


「へぇ、そんなのやるんだ?」


「はい。オープニングでのクラス展PRのリハーサルです。部活動の発表もリハーサルがあるので、渚ちゃんもこの紙を貰っていると思います」


文化祭の発表でも、ちゃんとそういうのはあるらしい。


そういえば、以前も演劇部のリハーサルをやったな、などと懐かしく思い出される。具体的にどんなことをやったかは覚えていないが、そういうイベントがあったことくらいは記憶の片隅に残っている。


今、部活は渚の演技練習を中心にしてやっている。


だが照明係とかは体育館に行かないと練習も何もない。そこで実地で体験して覚えるしかない。


…ちなみに、照明は春原が担当することになっている。


「おまえ、ちゃんとリハーサルはこいよ」


不安になって、そう言ってしまった。まあ、春原は前回も自分の役はそつなくこなしていたから、心配しているというわけでもないが。


「さすがの僕もぶっつけ本番は嫌だし、ちゃんと行くよ。でも、そんな難しくないだろ?」


「ああ、多分」


動きが多い劇でもないから、素人でも大丈夫だろう。幸村もそんなことを言っていた。


基本的には、演者の渚が頑張るしかないというところだ。俺たち部員は、それを支えるのが一番の仕事だ。


「リハーサルとなると、もうすぐ本番という感じがしますね」


「だな…」


なんとなく、しみじみとしてしまう。


準備が大変だったから、それもひとしおだ。まあ、まだやることはあるけれど。


「そういや岡崎、芽衣のやつも今度来るってさ」


「ああ、俺もそう聞いた」


彼女が帰ってから大して時間も経っていないが、もう面影が懐かしい。


「夜行で来るって」


「へぇ…」


そうまでして来てもらえるとはありがたい。


「また芽衣ちゃんに会えるの、楽しみですね」


「だな…。芽衣ちゃん、おまえを心配してくるんだろうから、本番はちゃんとやれよ」


「ああ。僕のすげぇ照明さばきを見せてやるよっ」


「さばくなよ…」


照明係に複雑な操作は必要ないんだが…。


だが、屈託ない様子に安心する。


この学校で、サッカーを続けられなくなって腐っていた春原。


部員と共に部活の発表をしている姿を、早く芽衣ちゃんに見せてやりたいところだった。



…。



「あ、みなさん、こんにちは」


「渚ちゃん、こんにちは」


道中、ちょうど教室から出てきた渚に会う。


「春原さん、今朝は授業に間に合いましたか?」


朝、春原が坂の下に現れなかったのを心配していたからか、春原の姿を見るとそう聞いた。


春原は笑ってそれに答える。


「うん、間に合ったよ」


「それなら、よかったです」


渚はにっこりと笑った。


…春原が間に合ったのは二時間目の授業なんだけどな。


正直に言うと怒られるのをわかっていて、はぐらかしているのだろう。まあ、俺も一緒に一時間目をサボったことがばれてしまうので、黙っていてくれたほうがありがたい。


渚を加えて歩き始める。


「椋ちゃんは、今日もお弁当なんですね」


渚は、椋が手に持っている巾着をちらりと見て聞く。


「はい。渚ちゃんは購買ですか?」


「はい」


「それじゃ、渚ちゃん、僕と一緒に行こうよ。僕も今日は購買だからさ」


「わかりました。よろしくおねがいしますっ」


「渚、もう購買は慣れたのか?」


以前に購買の人ごみに怖じ気づいていた姿を思い出す。まあ、最近食べている渚の昼食のパンを見るに、少なくとも残り物みたいなものしか買えてないというわけではなさそうだが。


しかし、渚が他の生徒を押しのけてパンを買っている姿というのは想像できない。というか、想像するとギャグみたいな光景に思えてしまう。


俺のセリフに、渚も先日の購買を思い出したからか苦笑を浮かべる。


「あんなに混んでいた日はほとんどないので、大丈夫です。それに、クラスのみなさんが色々なコツを教えてくれました」


「そりゃ、よかった」


「まだ、人気のパンを買うことはできないですけど…」


「いつか買えるように、がんばれ」


「はいっ」


「困ったら春原を囮にしろ」


「はい…って、そんなことしないですっ」


慌てて、ぶんぶんと頭をふった。


「ははっ、渚ちゃんは優しいなぁ。岡崎とは大違いだよ」


「いえ、そんなことないです。岡崎さん、とっても優しいと思います」


嬉しいことを言ってくれる。


が、春原はそれを聞いて出来の悪い冗談を聞かされたような表情になった。


そしてそのまま、ははは、などと渇いた笑いをしてみせる。


「なんだよ、その笑いは」


「いや、渚ちゃん一流のジョークかなって」


まあ、俺自身、優しいなどと言われるとむずがゆさがあるのは事実。とはいえ、こんな失礼な反応をされたらさすがに腹が立つ。


「てめぇはさっさと購買にでも行ってろ」


春原の尻を軽く蹴る。


「はは、そうするよ。渚ちゃんもパンでしょ? 一緒に行こうよ」


「はいっ。それでは、また」


渚は春原に伴われて、早足に廊下を去っていった。毎度毎度、あの学食に行くのも大変だろう。


とはいえ、前は俺も学食とか購買に出向いていたのだが。


「…俺たちも行くか」


「そ、そうですね」


なんとなく取り残された気持ちになった俺は、椋と肩を並べて昼休みで多くの生徒が行き交う廊下を歩いていく。


今の時期だけ、と特別に認められているのだろう、二年生のクラス近辺の廊下にはカラフルで雑多なポスター、看板、衣装などが置かれているのが見える。準備も大詰め、という様子。


三年生のクラスの集まる三階ではあまり感じないが、他学年のそんな様子を見るといよいよ本番の近さが感じられる。


「こんな時期だと、購買も混んでそうだな」


「そうかもしれません。そういえば、当日は学食で特別メニューもあるみたいですよ」


「へぇ、そうなのか」


うちの学食、意外に色々やっているのだろうか。創立者祭にマトモに参加したことがほとんどないので、そういう情報には疎い。


まあ、つい先日竜太サンドなどという暴投もやってのけているわけだから、過度な期待はしないほうがよさそうだが。


しかし当日は、色々な出店のメニューや学食などと、目移りしてしまいそうだな。


劇の発表が昼過ぎからあるから、あまりのんびりと昼食を食べている時間もないかもしれないけれど。


俺たちは、間近に迫った創立者祭の日のことを話しながら、歩いていく。


「…ふあ」


「眠いのか?」


「あ…すみません」


ついつい、というように小さくあくびをした椋だが、すぐに恥ずかしそうな顔になる。


宮沢も、今朝は同じような様子だったな。


やはり、今の時期は誰も彼も忙しいのだろう。


「部活もやって、クラスの方も引っ張ってるから、大変だな」


「いえ、そんなことないです、ぜんぜんっ」


慌てて手を振る。


「ただ、昨日はバイトがあったので…」


「そりゃ、なおさら大変だろ」


その上バイトか。休みの日にでもやっているのかと思ったが、放課後にやっているようだ。


クラス展の準備を運営して、ことみのヴァイオリン練習を聞かされて、その上働くとは…。


「バイト、病院だっけ?」


「はい、そうです。あまり長い時間は働いていないんですけど」


「ふぅん」


高校生だから、深夜まで働かされることはないのだろう。しかしそれでも、働いているのは隣町の病院だから、家に帰る時間は結構遅くなるはずだった。


「この時期くらい、休んだりできないのか?」


「そんなことをすると、みんなに迷惑がかかってしまうので…」


献身的な奴だった。


とはいえ、一度社会人として働いていた俺にとっては、その気持ちはわかる。


誰かが欠けた穴は、誰かが埋めないといけない。それがない時には、誰かが割を食うハメになる。この間の芳野さんがひとりで作業をしていた時なんか、そういう事情なのだろう。


「本番の日に、夜バイトとかってことはないよな?」


「いえ、さすがに前日と当日はお休みしています…。迷惑はかけられないですから…」


「そうか。頑張ってるな」


「ありがとうございます。でも、自分でやりたいことですから」


椋はそう言うとふわりと笑う。その表情は、疲れなど感じさせないものだった。


こいつは、我が強いなどとは感じさせないような奴だが、それでも自分を持って前を向いている。


なかなか芯が強い奴だ。


この学校の生徒たちも、将来自分がどんな職業に就きたい、ということを現実的に考えている生徒というのは少数派だろう。


だが、椋は随分先まで、自分のことを考えている。


これでなかなか、早熟なのかもしれない。


俺はなんとなく、そんなことを思った。






396


資料室に入ると、いい匂いがする。


「あ、朋也さん、椋さん。こんにちは」


すでに宮沢が来ていて、持ち込んだ調理器具で料理を作っていた。俺の昼食だろう、頭が下がる思いがする。


「おう、岡崎、てめぇ、ゆきねぇに手料理を作らせるなんて、随分いい身分だなぁ」


「…」


中にいるのは宮沢ひとりではなく、傍らには一人の不良が立っていた。俺の姿を見ると忌々しげに顔をしかめて見せる。


が、攻撃性は感じられないし、そういうポーズなのだろう。…いつのまにか、そのあたりの判別知識がついている。


隣の椋はそんな謎スキルを身につけているわけでもなく、慌てたように俺の後ろに隠れるとそっと制服の裾をつかんだ。


「ちっ、しかも、女連れかよ」


「うちの部員だ」


二股かけてるとでも勘違いされても後が怖いので、釘をさしておく。


「そうですよ。それに、女の子を怖がらせちゃダメです」


「そ、そうだな。すまねぇ…」


宮沢に優しくたしなめられて、男は肩を落とす。なんとなく、宮沢が猛獣使いに見える。


男は俺の方に向き直ると、後ろに隠れている椋の方に合図をする。


「驚かせて悪かったな」


「いえ…」


「そろそろ、他の奴らも来るんだよな。俺は、そろそろ行くとするよ」


「はい。それでは、また明日、よろしくお願いします」


「おうっ。じゃあな、ゆきねぇっ。…岡崎、てめぇも明日、くるんだろ?」


「ああ」


一応、宮沢に呼ばれている。明日どこで何をするかは知らないが。


「せいぜい、和人さんに恥ずかしくないようなツラしてこいよなっ」


そう言うと、窓から出て行く。


声をかける暇すらない去り際だった。


和人…?


それは聞き覚えのある名前で、すぐに合点がいく。


宮沢、和人。


宮沢有紀寧の兄だ。


そいつに恥ずかしくないような?


…よくわからない。


宮沢の兄の誕生日だろうか。


そんなものに呼ばれたくない気持ちがかなりあるんだが…。


「はは、お騒がせしました」


宮沢が取り繕うように言う。


男の残して言った言葉を考えてしまったが、それ以上考えても意味がない。


「もう少しで出来上がりますから、座って待っていてくださいね」


「ああ。宮沢、ありがとな」


「いえいえ、わたしも好きでやっていますので」


相変わらずの、安心させるような微笑だった。






397


部員が全員揃って、昼食になる。


「今日、学食に行ったら創立者祭の日の特別メニューが張り出されていました」


学食の惣菜パンを手に持ちながら、渚が言う。


「そうそう。他のやつもそれを見ようとしてて、今日は結構混んでたよ」


「へぇ。で、そんなメニューだったんだ?」


そう聞くと、渚は微妙な顔になった。


「…?」


不思議に思い、俺は視線をずらせて春原を見る。


だが、春原も微妙な顔をしていた。


そんなおかしな質問だっただろうか?


「…今日出ていたメニューは」


意を決したように、渚が言う。


「竜太定食でした」


「…」


「…」


俺はしばらく前に食べた竜太パンのことを思い出す。


未知の食感…。


未知の味…。


…竜太って、一体。


俺もなんとなく黙ってしまう。


というか、なんなんだろうか。


この学校の食堂の、微妙な竜太押しは。



…。



座を囲んでの食事の話題は、今日の放課後のこと。ことみのヴァイオリンリサイタルだ。


その話になると、ことみの表情がぱっと明るくなって、一同の表情がさっと強張るのが見ていて面白い。


…まあ、俺の表情も強張っているのだろうが。


「場所については学校に話つけてあるから。前庭に集合ね」


あとは適当に目に付いた人を誘ったり引っ張ってきてね、などと続ける杏。


引っ張ってくるって…。連れてこられたやつは大惨事になると思うんだけど。俺にこの手を汚せというのか。


ともかく、放課後のことを考えると正直気が重い。


「うちの親も、ことみちゃんの発表の事を聞いて、楽しみだって言っていました」


ニコニコと笑う渚の顔を正面から見れない。


「ありがとう、みんな。私、せいいっぱいがんばるから」


それでも嬉しそうに頬を染めて胸に手を当てることみの姿を見ると、なんだか何も言えなくなってしまう。


ああ、まったく。


俺も存分に、ことみにほだされているのかもしれないな。





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