folks‐lore 05/05



346


電車が隣町に着く。


大きな町なので、大勢の乗客が俺たちと一緒にぞろぞろと降りた。


「あ、わっ」


渚あ人波に流されていく。あまりこういう混雑には慣れていないからな。


「大丈夫か?」


放っておくと離れ離れになってしまいそうで、俺は慌ててその手を取った。


ぎゅっと手を握ると、温かい手。柔らかい感触。


俺を安心させるぬくもりだった。


「あ、ありがとうございます…っ」


「ほら、こっち」


隣に引き寄せる。


「す、すみません、岡崎さんにはいつもご迷惑をおかけして」


恥ずかしそうにそう言いながら、きょろきょろ周囲を見回した。


落ち着かないような様子。


「いや、いいけど…」


むしろ、役得という感じだ。


俺も渚同様周囲を見ると、何人かの部員がこっちを見ていた。


目が合いそうになると、ふいと逸らされたが。


…いや、待て待て。不可抗力だぞ、おい。


まあ例えば人波に流されるのが渚ではなく杉坂だったりしたら、俺は特に気にしないだろうが。だがそれは杉坂ならギャグの範囲内で済むからで、なにも渚を特別扱いしているというわけじゃないぞ。


いや、してるか。そもそも、特別扱いしてなにが悪い? 嫁だぜ?


…などと心中考えるが、益体もない。


隣を見ると、渚は恥ずかしそうに縮こまっていた。


彼女の手をとるのは俺からすれば自然な動きではあるが、渚からすれば大胆な感じなのかもしれないな。


付き合っているわけでもないのだから、馴れ馴れしいというレベルかもしれない。


しかし改めて思うと、前回のこの時期は、俺はすでに渚の実家に身を寄せていたような気がするな。具体的に何日、というようなことは覚えていないが。


そう思うと、かつてとは全然違う道を歩んでいるな。


俺の将来、一体どうなってしまうんだろうか。


ぎゅうぎゅうと混雑する駅のホームで、俺は現実逃避するようにそんなことを考えた。







347


「すごい人だな…」


駅を出たところの広場。智代は周囲を見回して呟いた。


「ま、祝日だし」


「うん、そうだな。でも、みんな楽しそうだ」


俺はこんな光景を見るとげんなりしてしまうが、智代はこの人ごみも好意的に受け止めているようだった。


心が広い奴だ。


「おまえは休みの日、遊びに来たりするのか?」


「うん、クラスのみんなに誘われたりしたことがある」


「へぇ」


下級生の女子たちは智代のファンも多いから、連れ出されたりするのだろう。


「でも、同じような洋服屋をずっと回るのは、少し疲れたな」


「そりゃ、同感だ。でも、服をじっくり選ぶっていうのは、女の子っぽいんじゃないのか?」


「そうなのか? 岡崎も、じっくり服を選ぶような女の子が好きなのか?」


「いや、そういうわけじゃない。服選びに付き合うのって正直疲れるし、決めるならさっさと決めてくれたほうがありがたいくらいだな」


「そうか」


俺の答えに、智代は小さく鼻を鳴らして目を細めてこちらを見やる。


「岡崎は、女の子と一緒にデートをしたことがあるんだな」


「…」


墓穴を掘ったようだった。


「それで、どんな女の子とデートをしたんだ? 楽しかったか?」


「いや、違うって。一般論だ」


俺は慌ててそう言うしかない。


言訳をする俺を見て、智代は表情を綻ばせて、快活に笑った。


「冗談だ。気を悪くしないでくれ。ただ、もし岡崎とデートする子がいたなら、ちょっと羨ましいと思っただけだ」


「え…」


「さ、行こう。まずはケーキのお店に行くみたいだ。この人ごみだと、一度はぐれたらもう会えないかもしれない」


言うだけ言って、すたすたと歩き出す智代。


その先には、部員たちの後姿があった。


俺はしばし立って、それを見た。


人ごみの中の部員たち。


少し前を歩いた智代が肩越しに振り返り、早く来るように身振りをした。


俺は足を進めて、部員たちの背中を追った。


それにしても、この人出を見たら、きっと芽衣ちゃんは目を回してしまうな、などとどうでもいいことを考えながら。







348


最初の目的地は、ケーキ屋。


持ち帰りも出来るし喫茶店で食べていくことも出来る、というようなタイプの店だった。


店構えはクラシックな出で立ちで、シックな感じ。


男の俺にはまあオシャレな感じだな、というくらいでそこまで深い感懐はないが、女子部員たちはその小奇麗な外観に嬉しそうな様子だった。


横を見ると、春原もそこまで興味を持てないような馬鹿面をしている。俺たちはふと視線を合わせて、連帯感を確かめた。


まあ、こういう時に男の影が薄くなるのはどうしようもないような気もするが。


中に入ると、さすがに混んでいる。


当然総勢十二人で座るなどというのは不可能なので、四人席を三つということに。


しばらく待って、案内される。



…。



結局、俺のテーブルは他に春原、風子、宮沢という面子になった。


「ゆきちゃん、このケーキ見てくださいっ。上にヒトデが乗ってますっ!」


「とってもかわいいですねっ」


「はい、やばいくらいかわいいですっ」


「言っとくけど、多分それ、星だからな」


メニューを見ると、風子が載っている写真を見てはしゃぎ、宮沢がニコニコと笑っている。


「まあ、さすがにヒトデのケーキなんてないでしょ」


「いえ、きっとどこかにはあると思いますっ。ヒトデのバームクーヘンや、ケーキや、シュークリーム…想像しただけで風子大興奮ですっ」


ネーミングからして、ロクでもなさそうなんだが。


「それで、結局風子ちゃんはそれにするの?」


ぱらぱらと興味なさそうにメニューを見ながら春原が聞く。


「はい、このヒトデケーキにします」


そんな名前ではない。


「宮沢はどうする?」


「そうですね…たくさん種類があって、迷ってしまいます」


メニューから顔を上げて、苦笑する。その気持ちはわかる。


「朋也さんは、何を頼むんですか?」


「俺はコーヒーかな」


「ケーキ、いいんですか?」


「甘いもの、そんな好きってわけでもないし」


「男の方って、たしかにそうかもしれないですね。春原さんは、何を頼むんですか?」


「へへっ、僕もコーヒーかな。男の方だから、甘いものは苦手でね…」


「こいつはケーキを頼む金がないらしい」


「捏造するなよっ」


「おふたりの会話は、いつも漫才みたいで面白いですね」


馬鹿話を見て、宮沢はくすくす笑う。


「いや、キメ台詞のつもりだったんだけどね」


「決まってなかったけどな」


「そりゃ、岡崎が変なこと言うからだろ。あれがなければ有紀寧ちゃんの目がハートマークになってたんだけどね」


「すげぇ古い表現だな、それ…」


「ゆきちゃん、あんまりこの人たちの話を聞いていると、頭がヘンになってしまいます」


「はは、そうなんですか?」


「特にこいつの話は危険だな。アホすぎて、髪の毛が変色してるし」


「とても危険ですっ」


「染めてるだけだっ」


「ですけど、わたしのお友だちには緑色の髪の毛の方とかもいますよ」


「それは…もしかしたら、とてもエコなんではないでしょうか?」


「そうかもしれませんっ」


ぽん、と手を合わせる宮沢。


「いや、そんなことはないと思うが…」


「そう、髪の色は性格を表す…つまり、黒髪の岡崎は暗い性格で、金髪の僕はお金持ちって寸法さ!」


「ケーキ買う金もないくせに、偉そう言うな」


「そこに話が戻った!?」


結局、馬鹿話が延々と続くだけだった。



…。



注文した商品が届く。


俺と春原は飲み物だけだからさして感動もないが、風子と宮沢はケーキを食べて楽しそうに話していた。


「んーっ、最高ですっ」


「はい、とてもおいしいですねっ」


一口食べて、ふたりは笑い合う。


「朋也さんも、よろしければ一口いかがですか?」


笑いながら、宮沢が俺に声をかける。


「いや、いいよ。それにフォーク一本しかないだろ」


「わたしは、構わないですけど…」


「有紀寧ちゃん、それなら僕に一口ちょうだいっ」


急に元気になる春原。


「おまえ、さっき甘いものは苦手とか言ってなかったか?」


「大好物ですっ」


返事よすぎだ。


「おまえ、スケベな」


「正直者なだけだねっ」


どれだけ自信満々なんだろうか。


「ゆきちゃん…悪いことは言わないので、やめたほうがいいと思います」


「そうですか? とてもおいしいですし、食べてもらいたいと思ったんですけど…」


「ヘンなばい菌が付きそうです」


「春原菌とかな」


「そのネタはもういいです」


「…それでは、残念ですけど、わたしだけで食べちゃいますね」


宮沢はそう言うとミルクレープを食べる。


それを、風子が隣からじっと見ていた。


「…ふぅちゃんも、食べますか?」


さすが宮沢、すぐそれに気が付く。


「はいっ」


「それでは、どうぞっ」


女子ふたり、仲良くケーキを分け合って食べている。


「有紀寧ちゃん、優しいねぇ」


それを見て、春原がしみじみと呟いた。


「いえ、そんなことはないですよ。わたしも、ふぅちゃんの食べてるケーキおいしそうだと思ってましたから」


「ははっ。有紀寧ちゃんみたいな子が彼女だったら、最高だろうねっ」


どさくさに紛れて告白している。


「そんなに褒められると、照れてしまいます。ですけど、春原さんにはもっといい方がいると思いますよっ」


「…」


普通に振られていた。


「残念だったな、春原」


「…へっ……別に、気にしてなんてないさ」


ぷるぷる震えながらそう返事をする。


めちゃめちゃ気にしているようだった。


「んーっ、こっちも最高においしいですっ」


そんな悲哀に気付きもせずに、風子は呑気に笑っていたが。








349


ケーキ屋を出て、その後はぶらぶらと買い物。


このあたりで一番大きなデパートに入ると、中の広場では子供向けのイベントをやっていた。


一緒に折り紙でかぶとを作ろう、とかそういったものだ。


他の連中は近くの服屋に入ってあれこれと話していた。俺はさすがに女向けの服屋に入る気にはならず、その輪から外れて、ベンチに座ってイベントの趨勢を見守った。要するに、暇だった。ちなみに春原は先の玩具屋を見に行っているみたいだ。


大して盛り上がるイベントではないが、休日で客が多いからか、それなりに盛況のようだった。


小さな子供たちが騒ぎながら作業をしたり、泣き出す子供もいる。


そんな姿を、両親が後ろに立って見守っていた。


それは、よくある風景かもしれない。どうということもない風景なのかもしれない。


だが俺は、そんな情景から目が離せなかった。


ささやかだけど、かけがえのない幸せ。そんな光景だった。


俺は改めて、かつての自分を思う。


…俺は。一度として汐とこういうイベントに参加することもなかったな。


そんなことを悶々と考え始めると、キリがなかった。


今となっては、取り返しのつかないことだ。


こんなささやかな幸せさえ、俺はわが子に与えてやれなかった。


「なに子供にガンつけてるのよ」


「…杏?」


「隣、いい?」


「ああ」


いつの間にか、杏が隣にいた。


俺の許可を取ると、とすんと横に座る。


「買い物はいいのか?」


「あたしの好きなタイプのお店じゃないから」


ちらりと向こうの服屋を見ると、中で部員たちが集団になっているのが見える。


「ふぅん」


俺はさして興味もなくそう言うと、ぼんやりとした視線を周囲にめぐらす。とはいえ、さして面白いものがあるわけでもなかった。


「こどもの日だから、かぶとを作ってるのね」


杏もぼんやりした口調で、向こうで開催しているイベントを見た。


…なんか、倦怠期のカップルのような会話だな。そういう経験はないけど、なんとなく。


「みたいだな」


「あんた、やけに一生懸命に見ていたけど、どうかしたの? …ひょっとして、実はロリコン?」


「違う」


…でも、一生懸命に子供の方を見ていると、傍目にはそう見えるのだろうか。


たしかに、もし汐と一緒に歩いていたとして、娘をじっと見つめる奴がいたら不気味だな。少し気をつけるようにしよう。


「ああいうイベントに出たことないなって思って」


先ほど考えていたことに、少し嘘を混ぜる。だが実際、俺自身も小さい頃こういう子供向けのイベントというのに参加したことはなかった。


親父は俺を育てるために仕事で忙しく、休みの日には連れ出すような元気もなく家で寝ていることが多かった。


「こういうイベントって、母親が連れ出すものでしょ。お父さんと、ってなるとたしかにね」


「まあ、そうだな…」


俺と汐も、そういう関係といえるかもしれない。


たしかに、男親はあまり子供を連れ出そうなどとは気が回らないところもある。


…ん?


そんなことを思っていると、ふと杏のセリフの端に違和感。


それがなんなのかしばらく考えて…うちが父子家庭であることを知っているからだと気付く。


思い起こすが、杏に自分の家のことを話したことはない。というより、渚に話すまで誰にも家のことは話さなかった。春原にさえ、ちゃんと話してはいない。付き合いも長いから、あいつは予想は付いているだろうけど。


「おい、杏」


「なによ」


「おまえ、うちが母親いないってなんで知ってるんだ?」


「言っとくけど、あたしが裏で調べたとかってわけじゃないわよ」


「おまえだったら、正々堂々暴力で聞きだしそうだからな」


「何か言った?」


拳を握って笑顔を向ける。


「いや、なんも」


余計なことは言わないことにする。


杏は小さく息をつくと、視線を遠くに向けた。


「前のクラスの担任が教えてくれたのよ」


「…」


そりゃ、教師だったら家庭の事情は知っているだろうけど。


「あたし、あんたのお守りみたいに思われてたでしょ。それで、雑談みたいに聞かされたのよ」


つまり、高校二年の頃から、杏は俺の家庭の事情は知っていたのだ。


こいつとの付き合いを色々と思い返すが、そこに踏み込んできたり、知っていることを匂わすような素振りは一度としてなかった。


杏は、俺の抱える事情を知っていて、それでも遠慮せずにずっと付き合ってきてくれたのだ。


昔の自分だったら、勝手に自分の身の上を知られて、気分が悪くなるかもしれない。


だが、今の俺はまったく別の感想を持った。


黙っていてくれたと知って、それは杏が俺へと向ける優しさだったと思えた。


俺が他人に家庭の事情を知られたくないと思っていると汲み取り、余計なことも言わず俺と付き合ってきてくれたのだ。


家庭の事情にひいて避けるわけでもなく、同情してべたべたと構ってくるわけでもない。知って、それでいて自然体で接してくれていた。


それは、非常にありがたいことだった。


「そうか」


「…ねぇ、ごめんね。ずっと黙ってて」


杏は俺の反応を窺うように上目遣いに見て、声が小さくなる。


「いや、いい。こっちこそ、ありがとな」


「…」


俺の反応に、杏は初め意外そうな顔をして、そのあと少し口元を綻ばせた。


「朋也って、結構、大人ね」


「そりゃ、まあな」


なんてったって、おまえよりはな。


「あの、さ」


「なんだよ」


「あんた、お父さんと折り合い、悪いんでしょ」


「そんなことまで、知ってるのか」


「これは、芽衣ちゃんに聞いたんだけどね。朋也のことを頼むって言って」


「…」


芽衣ちゃん…。


それだけ色々な人に俺のことを頼まれるって、どれだけ信頼ないのだろうか。


なんだか、春原を心配してこの町にやってきて、俺を心配しながらこの町を去って行ったような気がする。


「もしかして、その話部員は全員知ってるんじゃないだろうな…」


「あたしと風子だけじゃない。そう言ってたし」


「ふぅん」


そう聞いて少し安心する。


こんな話を知られて、気を遣われるのはごめんだった。


「なに? 意中の子に知っていてほしかった?」


「別に。というか、人の家の話なんて聞かされても困るだろ」


「そう? あたしは、別に困らないけど」


杏は不思議そうに言う。


人の家の話なんて、他人からしたら面倒ごとに近い。もちろん、ごく親しい間柄なら、互いを知る一助にはなりそうだけど。


こういった話を素直に受け入れてくれるあたり、将来子供相手の仕事を選ぶ杏の人間性が表れているような気がする。


「ねぇ」


杏は少しだけ戸惑ったような様子で、震える瞳で俺を見る。


「迷惑かもしれないけど、あたしにできることがあるなら、言ってね」


「…」


俺は天を仰ぐ。


自分は人に迷惑をかけてばっかりだな、と思った。


そう思って、笑ってしまう。だがそれは、苦笑ではない。自嘲ではない。


ただただ、周囲を囲む彼らの存在が、ありがたかった。


そんな気持ちをかみしめる。その様子を、杏はじっと隣で眺めていた。


「…朋也?」


俺の反応の意図がつかめないのか、おずおずと名を呼ぶ。いつもとは、少し違った殊勝な物言い。


芽衣ちゃんに頼まれたとはいえ、人の家庭の事情に踏み込むのは気が引けているのだろう。


「ああ、悪い。ありがとな、杏」


「べっ、別に、頼まれたからよっ。それに、ちゃ〜んとお代はいただくことにするから」


「そりゃ、高くつきそうだな」


「そうね、一生かかっても払えないくらい」


俺たちは軽口を叩き合う。


折り合いの悪い家族の話。普段は話題に上らないような話題。


だからこそ、俺たちは努めていつものように言葉を交わした。


「今度、創立者祭に親父が来るんだよ。その時に、部活のこととか、フォローしてくれると助かる」


「ええ、任せといて」


随分、頼もしいことだ。


俺と親父の不揃いな関係。


その間に、何人もの人間が間に入り込む。


風子、芽衣ちゃん、智代、杏…。


彼女らは、緩衝材になって、潤滑油になって、俺と親父の岡崎家を繋ぎとめてくれている。





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