folks‐lore 05/05



350


デパートを出て昼食をすまし、繁華街をぶらぶらと歩く。


昼下がり、休日の町は多くの人出で賑わっていた。


混雑しているし、俺たちが大人数ということもあり、歩みは遅々としたものだった。面白そうな店があればふらふらとそちらに寄ったり、適当に買い食いしたり。


一応海沿いの公園を目指しているが、予定があるわけでもないので急いでいるわけでもない。


人通りの多さには参ってしまうが、たまにはこういうのもいいだろう。


ふと見ると、近くの洋服屋のウィンドウを渚と椋が覗いている。


「渚ちゃん、ああいう服とっても似合いそうです」


「いえ、わたしなんかじゃ全然似合わないと思いますっ。服に着られる感じになってしまいそうです」


「そうですか? ああいうフリルがついた服、とっても似合うと思いますけど…」


「それなら、椋ちゃんもああいう服、似合うと思いますっ」


「わ、私ですかっ? 私もあんな可愛い服は服に負けちゃいそうです…」


後ろからその会話を聞いていた俺は、ふたりの頭を同時にチョップ。


「…おい、そこの自分に自信ないコンビ」


「岡崎さんっ」


「岡崎くんっ」


ふたり、同時に俺を振り返る。息ぴったりだった。


結構似ている二人だな、改めて見てみると。違う種類の小動物同士、という感じだ。


「おまえら、もっと自分に自信を持てよな。服に負けるなよ」


「ですけど…このブラウス、7980円ですっ」


「…」


少したじろいだ!


「それにこのスカート…8800円もしますっ」


「うっ…」


もっとたじろいだ!


別に価格がすべてではないと思うが、それでも気にしないわけにはいかない。普段着る服との価格帯が違いすぎる。


だが、ここまで言って引き下がることはできない。


「全然負けてないだろ。たかが四桁、大した金額じゃない」


「へえ〜…」


そんな話をしていると、後ろからがしっと肩をつかまれる。


すごく嫌なプレッシャーを感じる。


「朋也〜、随分甲斐性のあること言ってくれるじゃない」


後ろに笑顔の杏がいた。


「てめぇ、まさかたかるつもりじゃないだろうな…」


「あははっ、たかるなんて酷い言い草ね〜。たかが四桁、大した金額じゃないじゃない」


「…」


しっかり聞かれていた。


「お、お姉ちゃん、岡崎くんに悪いよ…」


「椋、ちょっと待ってなさい。もうちょっとでこいつからお金を搾り取れるから」


「委員長がカツアゲするなよ…」


「あ、ことみ〜、ちょっときなさい。朋也が洋服買ってくれるって」


あげくにことみを呼ぶ始末。


なんだか、どんどん外堀が埋められているような気がする。


「お洋服?」


とことこと、傍によってくることみ。


「そ。プレゼントしてくれるって」


「言ってねぇよ、馬鹿」


「プレゼント…」


ことみはぼんやりと俺と杏のやり取りを見ている。


そして、ふい、と顔をそらせた。


「いらない」


普段見ることがないような、突き放すような様子だった。


ことみは言うだけ言うと、すっと他のところに行ってしまう。


「ちょっと、ことみっ」


杏が少し慌てたように、それを追って行った。残された俺たちは、ぽかんとそれを見送る。


「ど、どうしたんでしょうか、ことみちゃん」


「フリルのついた洋服に、嫌な思い出でもあるんじゃないのか」


「そんなことはないと思いますけど…」


俺たちは、首をかしげるしかなかった。







351


洋服屋の店先を離れて、合唱の下級生三人と一緒になる。


「洋服屋、いいのありましたか?」


「女物の店だぞ、あれ」


「いえ、プレゼントとか」


杉坂が軽い調子でそう言うが、俺はなんとなく先ほどのことみの挙動が思い起こされてしまう。


気にしすぎか。


「そんな金、ねぇよ」


とりあえず、そう言うしかない。


「甲斐性、ないですねぇ」


原田がしみじみとした様子で言った。放っておいてくれ。


「ポケットマネーでポン、という姿を見てみたいです」


「あはは、でもあそこのお店の服は高かったはずですよ」


仁科が笑いながらとりなす。


「でもりえちゃんみたいなお嬢様なら、あれくらいはぽぽぽぽーん、と買えそうだよね」


「うち、別に普通の家だよ」


「でもなんとなく、お嬢様オーラがあるからなぁ」


原田の言いたいことは、まあなんとなくはわかる。仁科は苦笑しているが。


「車で送迎されてもおかしくない感じ」


「うちの学校でそんな人、見たことないよ」


「雨の日限定とかで」


「なんかいきなり随分庶民的なレベルになったな…」


雨の日に車で送迎してもらっている生徒の姿はよく見る。


「うちは、親が忙しいから…」


「…あら、仁科さん?」


話をしていると、すぐ傍を通りかかった一人の女性が俺たちを振り返った。


声をかけられた仁科は、相手の顔を見て小さく口を開く。


「先生…」


小さく、言葉が漏れた。


俺は女性の顔を見るが、見覚えがない。


若い女性の先生となると、他意はなくともなんとなく記憶に残りそうではあるが、覚えはない。


うちの高校の先生ではないようだった。


女性は仁科にどう言葉をかけるか逡巡した様子だったが、周囲の俺たちに目をやって、言葉を続ける。


「久しぶりね。高校のお友達?」


「は、はい。あの…同じ部活の、みなさんです」


「部活?」


「はい。私、歌劇部に入って合唱をやっているんです」


「合唱…」


女性は仁科の言葉を繰り返す。それ以外に何も言えない、という様子だった。


「あの」


そんな彼女に、杉坂が声をかけた。


「もしかして、あなたはりえちゃんのヴァイオリンの先生ですか?」


「え、ええ…」


「そうですか…」


なるほど、その会話を聞いて合点がいく。


彼女が反射的に仁科に声をかけたこと、そして、それなのに言葉を濁してうまく会話をつなげない理由も。


仁科が、諦めた夢であるヴァイオリン。


彼女とこの女性とを繋いでいたその楽器を、もう仁科は満足に演奏することはできない。


「あの、私たち、一緒に合唱をやっているんです。ね、原田さん」


「はい。まだまだなところはあるんですけど、楽しく活動しています」


話をふられて、原田は戸惑う様子もなく言い切った。


そんなふたりを、仁科は交互に見た。その表情は、嬉しそうな、救われたような顔だった。


「そう…」


そんな様子を見て、女性は初めて、柔らかな笑みを見せた。


将来を期待されていたのに、事故にあってヴァイオリンを続けることができなくなった仁科。


そんな生徒を、さっさと忘れることはできないだろう。


夢破れた少女だと思っていたが、その子はきちんと、新たな夢を見つけていた。


ただただ、立ち止まり、立ち尽くしているだけではなかった。


「よかった。仁科さん、頑張ってね。私も、心から応援しているわ」


「はい…! ありがとうございますっ」


仁科は優しい言葉に嬉しそうに笑って、頭を下げた。


女性はそれを、にっこり笑って見守っていた。


「それじゃあね」


「はい」


仁科と女性は、手を振り合って別れる。


道を行く人は多い。その後姿は、すぐに人影に埋もれた。


だが、仁科は女性の向かった先を、ずっとずっと、眺めていた。


「よかったな」


「はい」


声をかけると、視線は外さず、小さく頷く。


先ほどの一瞬の邂逅を心の奥まで沁みこませるようにしばらく目を閉じて、それから俺を見た。


「よかったです。今の自分のこと、見てもらえて」


「ああ…」


仁科は、過去を受け入れている。そして、その上で、未来を見据えている。


強い姿だ。


そして。


美しい姿だった。








352


汐の匂いがした。


繁華街の端、臨海公園までたどり着く。


今日は公園でフリーマーケットをやっているようで、出店を冷やかしながら歩いていく。


そしてやがて、出店も尽きて視界が開けて海が見える。


少し強く風が流れ込み、波の音が胸をざわめかすように響いた。


この海岸は、遊泳禁止だ。


だが、それなりに周囲は整備されているので、あたりはやはり散策する人の姿がたくさんあった。もちろん、町中よりは少ないが。


「海だな」


「海です」


俺と風子は、短く会話する。


「ヒトデ、いるのか?」


「ヒトデはどこにでもいます」


「そうなのか…?」


きちんと整備されているとはいえないような、岩場の多い海岸だ。潮の流れも速いらしく、浅瀬もほとんどない。


「そう、みなさんの心の中に…」


「なんでいい話になってるんだよ、おい」


「本当のことなので」


「あっそ」


まあ、なんでもいいのだが。


俺は息を吸う。潮風が心地よかった。


風子とふたりで並んで歩き、公園に置いてあるよくわからない形のオブジェの脇に立つ。


ぼんやりとそれを見上げる。


「そういえば、おまえ、なんでヒトデが好きなんだ?」


「もちろん、可愛いからです」


「ええ…?」


「風子、可愛いものはなんでも好きです。なので、汐ちゃんも大好きですっ」


「俺の娘とヒトデを同列にするなよ」


「最高の褒め言葉なんですが」


「すげぇわかりづらいぞ。というか、ヒトデになんて負けてない」


「岡崎さん、親バカです」


「ほっとけ」


「バカ親です」


「腹立ってきた」


「冗談です」


「…」


俺たちはしばらく黙って海を臨む。


波の音が、沈黙をかき消した。


「汐ちゃんは、どうして汐ちゃんなんですか?」


「はあ?」


「やっぱり、渚さんの名前からとっているんですか?」


「ああ、由来な。あいつが、そういう名前がいいって言ったんだよ。俺は、別に反対じゃなかったし」


「そうなんですか…。さすが、渚さんのネーミングセンスです」


「まあな…」


岡崎汐。


たしかに、いい名前だ。…などと思っているのは、やはり親バカかもしれないな。


「この前…」


海を見ていた風子が、口を開く。


「岡崎さんが見た汐ちゃんは、汐ちゃんなんでしょうか?」


「…さあな。でも、俺はそう信じてる」


あの出会いを、見間違いとして済ませるつもりはなかった。


俺は確かに、夕暮れに汐の姿を見た。


幻影のような姿だったが、たしかにその姿を目の当たりにした。


それを疑うことはできない。


だが、人に信じてもらうには何の証拠もないのは事実だった。


「あの、風子も信じてますから」


「そりゃ、ありがとな」


「…風子も、汐ちゃんには会いたいですから」


「ああ…」


会いたい。


その気持ちがあったからこそ、俺はあの瞬間に汐の姿を目にしたのかもしれない。


妄想とか、そういう意味ではなく。


うまく言えないが、本当に信じたことは、きちんと叶えられるのではないだろうか。


それは非現実的というかもしれない。あるいは、奇跡というかもしれない。


だが、それでも、俺はそんな考えをぬぐうことはできなかった。


それから、俺たちは黙って海を見た。


潮風が、ふたりの間を通っていった。


風子も、不思議な奴だ。


どうして、この時間に紛れ込んだのは俺たちだったのだろうか。


俺はともかく、風子は体は意識を失っていて、心だけが出歩いている状態だ。


一体、俺たちの身には何が起こっているのか。


それを知る時はくるのだろうか。


「…あの、おふたりとも、どうかされたんですか?」


声をかけられて、びっくりして振り返る。


宮沢が戸惑ったような表情で、後ろの奇妙な形をしたオブジェの陰から顔を出していた。


「さっきから、黙って海を見ていましたけど…」


「いや、別に」


「はい、海を見ていただけです」


「そ、そうなんですか…」


釈然としない表情で宮沢は頷いた。そのあと、落ち着かない様子であたりを見る。


「他のみなさん、歩いていってしまってますよ」


「うぉ、マジか」


たしかに見てみると、海岸にそって延びる遊歩道のずっと向こうの方に部員たちっぽい集団が見える。


向こうの方に店っぽいのが見えるし、そっちを目指して行ってしまったのだろう。


「早く、行きましょうか。ふぅちゃんも」


「はい」


俺たちは風吹く道を歩き出す。


三人の影が伸びる。暖かな日差しに、くっきりと濃く。


俺と風子と、宮沢の影だ。


…そういえば。


風子と笑いながら何か話している宮沢の横顔をちらりと見て、思う。


そういえば。


宮沢は、いつから会話をしていた俺たちの後ろにいたのだろうか、と。





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