folks‐lore 05/03



311


体を揺すられて、意識が覚醒する。


「岡崎」


「岡崎さん」


「起きろ、岡崎」


「はい、早く起きてください」


「…」


俺は、目を開けると体を起こす。


聞き慣れた声がした。それも、ふたつ。そのうちひとつは、この家の住人ではない人間の声。


俺のベッドの傍らに、呆れた表情の風子と智代がいた。智代は、制服姿。


なぜか、智代がいた。


ええと…。


「…」


「やっと起きたか、岡崎。やはり、朝には弱いんだな」


「…」


「おはよう。どうした? まだ目が覚めていないのか?」


「いえ、見てください。目が開いています」


「そういう特技なのかもしれない。面白いな」


「いや、面白いっていうか…」


寝起きでぼんやりした頭が混乱する。


「なんで、智代がここにいる?」


「うん、朝ごはんを作りに来たんだ」


俺の戸惑った言葉。対して相手は、困惑を余所に涼しげにそんなことを言った。


「朝ごはんを作りにきてくれたみたいです。昨日みたいに、外でご飯を食べなくて大丈夫そうなので、一安心ですっ」


混乱している俺をよそに、風子が全く動じていない様子だったのが心憎い。






312


「…」


「…」


「…」


朝食の用意は智代が引き受けてくれて、ちゃぶ台にそれぞれが座る。


無言。テレビが伝える朝のニュースだけが白々しく部屋に満ちていた。


三人での食卓は、それぞれが互いをうかがうような気配が少しだけある。


…なんだよ、この緊張感は。


理由は単純で、芽衣ちゃんがいなくなった後の食卓だからだろう。


俺たちの間に立って、にぎやかしてくれた彼女の存在は大きい。空いた穴は、大きい。


昨日は三人で食卓を囲まなかったが、今朝こうしてまたこの面子に逆戻り。まあ、智代もいるけど。


俺は嘆息して、テレビを覗く親父を見た。落ち着かない気分もあるが、緊張感を感じてしまっているのは、俺だけなのだろうか。


芽衣ちゃんがいない食卓、というのは初めてだ。


「…朋也くんは、今日は学校に行くのかい?」


テレビを見ていた親父が顔を上げて、俺に声をかける。


「ああ。部活」


「そうかい…。毎日、大変だね」


「そうでもないよ。好きでやってることだし」


ぽつぽつと会話をする俺と親父。


そういえば、木下はあのあと親父と会ったりしたのだろうか。


親父の様子は、特に変わったものではない。いつも通りだ。


あの人が一緒に俺の母親の墓参りにでも行こうか、などと言っていたことを思い出す。


…墓参りは、行ったのだろうか。


でも、昨日の今日、というほどとんとん拍子で話が進むこともないだろうし、気長に待つとしよう。


親父とあの人が毎日顔を合わせているとも思わないしな。


「すまない、待たせてしまったな」


智代が登場。ちゃぶ台の上に朝食をのせていく。


薄ぼんやりした雰囲気の居間の中、味噌汁のにおいが流れる。


「すまないね。君は、坂上さん…だったかな」


「うん。今日は全部私が作ったから、お口に合えばいいですが」


とても高校二年生とは思えないような返事をする智代だった。いつものことだが。


しかし、こうしてみていると若奥様っぽさがあって俺は落ち着かない。


そう考えると、親父が舅で、なら風子は娘? いや、まだ実家を出ていない不出来な妹というところだろうか。


本当にこんな妹がいたら、大変だが。そう思うと公子さんは偉大である。


「…?」


風子が敏感に俺の失礼な想像を察知してか、こっちを見る。


慈愛顔を差し向けて、やり過ごしておいたが。


「なんだか、失礼なことを考えているような気がします」


「…」


やり過ごせていなかった。


「そんなことはないぞ」


俺はそう言って顔を背ける。


顔を背けたのその先で、親父と智代が和やかに話をしている。最近の陽気についての、とりとめない会話だった。


緊張感があるんだか、和やかな雰囲気なんだか。


俺はやれやれと息をつく。


だが実際、智代がいてくれるおかげで家庭の空気に乱れはなくて、俺は救われたような気分になった。






313


俺、風子、智代で家を出る。


「そういえば、なんでその格好なんだ?」


傍らを歩く智代に尋ねる。


「学校に行くのだから、制服を着るのは当然だろう?」


「何か用事でもあるのか?」


「ああ、おまえたちの部活を手伝おうと思ってな」


当然のように言う智代。


まあ、制服姿を見た時から、なんとなくそういうつもりなのだろうとは思っていたのだが。


随分、うちの部活のことを気にかけてくれているようだった。昨日もなんだかんだ、部活に参加してくれていたし。


「…なあ、おまえ、もう部員になったらどうだ?」


「来週になったらもう部活を手伝う余裕もないと思うから、部員になるつもりはないな」


「そうか」


予想通りの答えで、俺もすぐに引き下がることにする。


たしか、来週の半ばくらいに生徒会長の投票があったはずだ。


週が明ければ、ラストスパートの奔走することになるのだろう。そして、会長になったならすぐに創立者祭の補佐に回ることになる。


部活に関わっている余裕はないだろう。


「もう、創立者祭も近いからな」


「うん。伊吹は、プレゼントを配るのは順調か?」


智代は俺を挟んだ先を歩く風子に声をかける。


「はい。みなさん、喜んでもらっていってくれます」


それは言いすぎだと思う。


「無理矢理渡してるんじゃないのか?」


「そんなことないですっ。昨日も、『ちょうど切れかかってたんだよ』って言いながらもらっていってくれた方もいました」


「そいつはどんな禁断症状なんだよ」


俺は思わずツッコミを入れた。


「ヒトデ欠乏症です」


「俺には縁のなさそうな病気だな」


「岡崎さん、そう言ってられるのも今のうちです…。気付いた時には、もうヒトデなしではいられなくなっているでしょう…」


「…」


嫌な宣告をされた…。


「三年生は受験勉強で忙しいと思うが、それでももらってくれるのか?」


「えぇと…」


智代の言葉に、風子は言いよどむ。


「たしかに、まだヒトデの魅力に気付いていない人もいます」


「言っとくけど、一二年も多分ヒトデの魅力には気付いていないと思うぞ」


星だと思われているような気がする。


だが…やはり、三年にはなかなか浸透していないのか。


俺はA組の三井を思い出す。


彼女は、風子のプレゼントをはっきりと拒否した。


そんなものに関わっている余裕はない、と。


「余裕がないんだよな」


「いや、一生懸命なだけだと思うぞ」


非難するような口調の俺を、智代が諌める。


…どうなんだろうな。


三年生には、俺たちが遊んでいるように見えているのだろうか。


ヒトデを作ってプレゼントを配っていること。


それは、係わり合いになりたくな類のものなのだろうか。


…だが。


渚が作った歌劇部。杏と椋が作ったクラス展。


実際に活動しているこちらは、必死こいて頑張っているのだ。たとえ傍からどう見られても、真剣に取り組んでいることに偽りはない。


そして実際、それらは三年生も巻き込みながら徐々に広がっているのだ。


俺はそのことを思い出す。そして、まだまだやれると思いなおす。


お遊びだと思われて、そのままで終わってはいられないと思い直す。


「そうだな…」


三年生たちを非難し、理解しようとしないならばどこにもたどり着けない。


歩み寄ってほしいならば、こちらからまず歩み寄ってみるべきだった。今は、頑張っていることをわかってもらえるように、目の前のことに真剣に取り組むしかない。


「わかってもらえるように、頑張ってみるか」


「はい、もちろんです」


噛みしめるような俺の言葉。風子は当然というように頷いた。


風子は確かな目的を持っている。真っ直ぐそこを目指している。


俺はその姿を、眩しく見ていた。






314


部室に入ると、半分くらいの人数が揃っていた。


俺たちも早めに家を出たが、他の部員も律儀に早く来ているようだ。


口々に挨拶を交わす。


部員たちは智代がいることに驚いた様子もあったが、すぐに馴染む。昨日も一緒に部活をしたし、いても違和感がない。


そして、しばらくして全員が揃う。


春原が遅刻してきたから、全員集合は九時半くらいだったが。


今日も渚の号令で部活を始める挨拶。それも、段々いつもの感じというふうになってきている。


こういうのも、いいものだな。



…。



「あの、岡崎先輩」


「ん?」


号令をしてすぐ、仁科が声をかけてきた。後ろには杉坂と原田が控えている。


「これ、どうぞ」


カセットテープを渡される。


「なに、これ」


「ラブレターですよ、先輩」


「愛のメッセージが吹き込まれているらしいです」


「吹き込まれてないよ…」


後ろで適当なことを言う杉坂と原田に、仁科は肩を落としてツッコミを入れた。


「え、ええとですね」


顔を赤くして俺に向き直る。


「昨日頼まれた曲です。あのあと、ピアノひける方を訪ねて作ってもらったんです」


「りえちゃんが一晩でやってくれました」


「マジで?」


仕事速すぎだろ、仁科。


さすがにもっと時間がかかると思っていたので、かなり意外だった。


というか、そこまで優先してやってもらうほどに急いでいたわけではない。もちろん気持ちは嬉しいが。


「あとで、確認してみてください。それじゃ、私たちは隣の教室で練習していますね」


言い終わると、さっと教室を出て行ってしまった。恥ずかしそうな様子で、俺は呆然とそれを見送るしかない。


「りえちゃんが一生懸命作ってくれたものですから、心して使ってくださいね」


杉坂が念を押す。


「あぁ、もちろん」


「よろしくお願いします」


「杉坂さん、私たちも行こう?」


「うん。先輩、それじゃ、また」


「ああ。おまえらもがんばれよ」


「はいっ」


俺は出て行く杉坂と原田を見送って、今もらったカセットテープに視線を落とした。


昨日、仁科に頼んだ曲。


タイトルがラベルに貼られて書いてある。


その曲の名前を見て、俺は笑みを浮かべる。昨日思いついて、劇に使えると思った曲だ。


さて。


学園祭前の最後の連休だ。


気張って準備をすることにしよう。






315


幸村は渚の演技を見たり、合唱部の監督に向かったりと忙しそうだった。


杏と椋は部活が始まってすぐにクラスの方を見に行って、帰ってこない。


ことみと智代が渚の演技を見たり、背景作成の続きをしたりしている。


風子は、片隅でヒトデ作り。


で、俺と宮沢と春原で脚本の続き。というか、修正か。


「この話、岡崎が作ったの?」


「いや、作ったわけじゃない。元からあった話を、ちょっと変えただけだ」


「ふぅん」


春原は机の上に広げている脚本の文字を見る。


「おまえに、こんな才能があるなんて知らなかったよ」


「才能っていうほどの話じゃないけどな」


「わたしは、このお話、とっても好きですよ」


宮沢がフォローしてくれる。


「そりゃ、ありがとな」


「僕も嫌いじゃないよ」


「おまえに褒められてもうれしくない」


おれは真っ直ぐ春原を見て言った。


「目を見てんなこと言うなよ…」


春原はツッコミを入れる。


「おまえ、素直になにか褒めるタイプじゃないじゃん」


「まあ、それはそうだけどね。でも、妹にも色々言われて大人になることにしたんだよ」


こいつはこいつで、思うところもあるのだろうか。


「なぁ、春原。この話、何か感じるものがあるか?」


「は? 感じるもの?」


春原は不思議そうに俺を見る。


「ああ」


俺はそれに頷いた。


俺の心を揺さぶり続けているこの物語。


どうして他の奴は単なるお話として片付けられるのか、それが理解できない。


「なに? この話、なんか秘密でも隠されてんの?」


「…いや、なんでもない」


だが、春原も予想通り、大して感じるものはないようだった。


半ば予想していた反応だから、そこまでショックということもない。


この物語への懐かしさは、俺だけが感じているのだろうか。


そのことに、俺は少し孤独を感じている。


「僕としては、もっと面白い劇の方がいいんだけどね」


「コメディ、ということでしょうか」


「そうそう。やっぱ、見てる人が感動してるかどうかなんてよくわからないし、だったら笑わせたほうがわかりやすくない?」


「よしっ、上半身裸のおまえを俺が殴りまくるっていうのはどうだ? 大爆笑だぞ」


「笑うの岡崎だけでしょそれっ」


「…朋也さん」


宮沢が咎めるような目で俺を見た。


「ほら、有紀寧ちゃんも言ってやってよ〜」


思わぬ味方に、春原は気持ち悪く笑った。


「…なんだよ、宮沢」


「それだと、演劇じゃないですよ」


宮沢は天然だった!


「僕が殴られてることはスルーっスか!?」


ずるぅぅーーーっ、と春原が床を滑っていった。


「おぉ、滑ってく滑ってく」


それを見て、俺と宮沢は笑った。


「…しかし、笑いねぇ」


たしかに、全く考えたことのない方向性ではある。


これ、完全にシリアスな話だよな…。


中だるみを防ぐためにちょっと笑いを入れてみる、というのも一瞬考えたものの、大して長い劇だからそれも不要だと思い直す。


というか、コメディを入れるにしてもどういう風に作ればいいのかよくわからない。


「そういうシーン、いれるんですか?」


考え込んでしまった俺を見て、宮沢が聞いた。


「いや、そういうつもりはないけど」


「そうですね。最後にうたう歌で、十分面白いですし」


「…」


それは別にギャグシーンというわけでもないんだが…。


「あれはたしかに衝撃だったね」


春原が帰ってくる。


「あ、春原さん、おかえりなさいませ」


「滑ってったの、君のせいだけどね」


「すみません、それは失礼しました」


「いいさ、別に」


再び、春原は席につく。


「で、何の話?」


「全裸のおまえを俺が舞台上で殴りまくるって話だ」


「その話はもう終わりました」


「…くすくす」


阿呆な会話に、宮沢は笑う。


春原が加わって、話の脱線が増えまくった気がした。


「おまえがいると仕事が滞るぞ。どっかいけ」


「期待の新人をやぶ蚊みたいな扱いだね…。もしかして、おまえ有紀寧ちゃんとふたりっきりになりたいだけだったりして」


「朋也さん、そうなんですか?」


宮沢がニコニコ笑いながら俺を見る。


「おまえも乗るなよ…」


疲れたように言うと、宮沢は苦笑した。


「はは、失礼しました」


「でもさ、膝枕をするような仲なんでしょ? 意味深〜」


春原はニヤニヤ笑いながらこの話を続ける。


「お、おまじないですから」


「ああ、そうだな」


宮沢が恥ずかしそうに反論する。俺もとりあえず相槌を打っておく。


「ふーん、それじゃ、僕もそのおまじないをやってみようかなっ」


「おうっ、春原、俺の膝は空いてるぜっ」


「っておまえの膝枕かよっ。有紀寧ちゃんの膝をかせよっ」


「おまえの膝を乗せると変な菌が付きそうだから嫌らしいぞ」


「つくかっ」


「春原菌とかな」


「なんだよ、それは」


「ヘタレになる」


「へっ、そんなに僕に有紀寧ちゃんの膝を奪われたくないかよ、岡崎」


いや、俺は宮沢に膝枕をしてもらったことはないんだけどな。


「おまえが変態みたいなことをいってるから止めようとしてるだけだ」


「僕を止めることなんて、もう誰にもできないね…」


春原は言うなり、宮沢の膝に向かってダイブした。


…ガスン!


宮沢がさっと避けて、見事にイスに頭をぶつけていたが。


「…あ、すみませんっ。びっくりしてどいてしまいました」


…ガスン!


心配そうに宮沢が覗きこんだ春原の後頭部に、英和辞典が直撃していた。


「…クラスの方がひと段落したから戻ってみたら、なにセクハラしてんのよ」


教室の入口で、杏が振りかぶったままの体勢で呆れたように呟く。


「おい、春原、生きてるか?」


「し、死ぬわっ」


大丈夫のようだった。



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