folks‐lore 05/02



308


俺と、渚と、仁科。


三人で並んで廊下を歩く。足取りは重い。口数も少ない。


…それも、無理はない。


俺たちが目指している場所は、生徒会室。


幸村に促され、部長と副部長で談判に向かう道中だった。


足音が、少しだけ不揃い。


だけど、それもあまり気にはならない。


会長と、どんな顔して話せばいいのか。それを考えるので忙しい。


とはいえ、名案があるわけでもない。


明後日の部活の監督を頼みにいくだけ。ただ気が重いだけ。


このまま永遠に生徒会室へたどり着かなければいいのにな、などとも思うが、そんな時ほど道のりは短く感じる。


来るたびに嫌な思いをした場所。


俺たちは、再び生徒会室の前に立った。



…。



「はい、なんですか?」


渚がノックをすると、引き戸が開けられる。


相手は会長ではなく、生徒会役員の下級生だった。


生徒会役員は俺たちの姿を見ると得心したような表情になり、部屋の奥へと案内してくれた。無言で、それに続く。


足取りの向こうには、眉間に皺を寄せて書類を眺めている生徒会長の姿があった。


「あ、あの、こんにちは」


「…ああ」


渚が声をかけると、会長は今俺たちの来訪に気付いた、という様子で顔を上げた。


春原同様、会長も停学明けだ。


こんな優等生然とした人間が停学させられたのだから、俺たちのことを憎んでいるかとも思ったが、表情からはそこまでの印象はない。


むしろ、知らない奴が来た、というくらいの反応だ。ほとんど無表情。


突っかかってこられるよりはマシだが、その反応に少し戸惑う。


会長は手に持っていた書類を机に置くと、俺たちに向き直る。


「幸村先生から話は聞いている。明後日の部活の監督という話だな?」


「は、はい、そうです。お願いできないでしょうか?」


渚が慌てて頭を下げる。


他の生徒会役員は、仕事の手を止めて俺たちの様子を見ている。


少し間が空く。ぽっかりと穴のあいたような沈黙が一瞬、室内に満ちた。


「その日は僕は登校しているが、生徒会の方の仕事がある。ずっと部活の監督というのは無理だ」


「そ、そうですか…」


すげない様子で言われて、渚は肩を落とす。


とはいえ、これだけで諦めるわけにもいかないだろう。


俺が口を開こうとすると…会長が言葉を続けて、それを封じた。


「だが」


俺たちを見ていた視線がそらされる。


ずっと無表情だったが、忌々しげな表情に変わる。


「一時間とか二時間に一度とか、見回りのような感じでならば可能だ。幸村先生も、それならば構わないと言っていた」


続いた言葉は、だが、予想に反して色よいものだった。


俺は聞き間違いかと思って、会長の顔を見る。


だが相手は相変わらず、顔をそらして渋い表情のままだった。


…向こうからすれば、憎らしい相手の傍若無人な頼み事、というところだろう。


普通に考えて、快諾なんてありえない。


もしかしたら、幸村があらかじめ何か言い含めておいたのかもしれない。


こいつも、さすがに教師に対しては強気に出ることはできない。


頼みを聞いてくれるのも、幸村の顔を立ててのことなのだろうか。


正直、そのあたりのやり取りはわからないが。


俺は周囲を窺った。


渚も仁科も、こうもスムーズに話が付くとは思わなかったのだろう、ぽかんとした顔をしていた。


だが、生徒会役員の面々の表情には驚いた様子まではない気がする。知ってる奴もいないから、よくわからないが。


「あ、ありがとうございますっ」


ぼうっとしていた渚が、思い出したように頭を下げた。


仁科も慌てて礼を言って一礼する。


会長は興味もなさそうにそれを見ていた。


「幸村先生に頼まれただけだ」


すげなくそう言う。


それから、部活を始める時間などを話し合い、すぐに俺たちは生徒会室を辞する。


これも三度目の正直とでも言おうか、今回の訪問は、驚くほどにこちらの意図通りに事が進んだ。


幸村の後ろ添えももちろんあるようだが。


それでも、あれだけ揉めた生徒会長との犬猿の仲が、一気に消火された感がある。


「…」


いや。


それは楽天的すぎるな、と俺はその考えを打ち切った。


むしろ、ただ、心を閉ざしているのみといったほうがいいか。


俺はなんとなく、自分と親父の関係を思い起こす。


俺と親父。


中学の頃は、喧嘩ばかりしていた。高校になってからは、他人のように過ごしていた。


中学時代と、高校時代。それぞれの時代の、ふたりの距離。


そのどちらが致命的な関係かは、考えるまでもなく高校時代だ。


それは、喧嘩することすらできない関係。


それが悲しいものだということは、俺は既に知っている。


会長と俺たちも、同じような関係になりつつあるのだろうか。


どうやら、歌劇部と生徒会長は、かなりまずい段階まで関係が落ち込んでいるようだった。






309


部室に戻り、部活の続き。


脚本については、幸村と渚に昨日完成したものを通して読んでもらい、若干の修正をすることになる。


大幅の修正は指示されず、ほっとした。これ以上話の筋を作り変えることは考えられなかった。


幾つか言い回しなどの修正だ。あとは、演出も組み込まないといけない。宮沢も加えてそのあたりを練り直す。


他の部員は背景の作成を進める。


「あの、古河先輩」


渚と脚本を吟味していると、仁科が傍らにやってくる。


「よろしければ、これを使ってください」


仁科の手には、カセットテープがあった。


ラベルが貼ってあって、『マ・メール・ロワ』とラベルが貼ってある。


「これ、りえちゃんが劇のためにピアノソロで編曲したんですよ」


杉坂が口を出す。


「譜面を書いて、ピアノがうまい人にひいてもらったんです。ね、りえちゃん」


「うん…」


「かけてみましょうか。ラジカセ持ってきますねっ」


杉坂は言うだけいうと、ラジカセを取りに離れていく。


相変わらず、仁科のマネージャーみたいな奴だった。


「仁科さん、わざわざありがとうございます」


「いえ、私たち、演劇の方はこれくらいでしかお手伝いできていないので…」


「それを言うなら、俺たちは合唱の手伝いは全然できてないぞ」


俺は苦笑してそう言うしかない。


手伝ったというと、曲選びの時に少しは意見を言ったことがあった。だが、それくらいだ。


「あと、先輩の衣装の案も作ったんですよ」


仁科の隣の原田がノートを見せてくる。


そういえば、渚の衣装についてもこいつらに頼んでいた。前は早苗さんが作ってくれたんだっけな。頼りきりで、頭が下がる。


案としては、シンプルなワンピースとケープを羽織った民族衣装っぽいものとふたつあるみたいだ。以前の演劇と衣装は違う。


それは当たり前だ。だが、衣装が変わるだけで演劇の印象が少し変わるな。


後者は、雰囲気が前回の衣装に似ている気がする。


「おまたせしました…って、衣装の話?」


戻ってきた杉坂もノートを覗き込む。


「うん。古河先輩に選んでもらおうと思って」


「どちらも素敵だと思いますっ」


渚は衣装のスケッチをじっと見て、下級生たちに頭を下げた。


「衣装としては、こっちが楽そうじゃが…舞台栄えはせんじゃろう」


幸村は真っ白なワンピースの案は否定する。


「俺も、じいさんと同じかな」


後者に同意。前回と雰囲気が近いほうが、舞台がイメージしやすい。


「そうですよね。作らなくても、その辺に売ってそうですし、世界観には馴染まないかもしれません」


「いえ、合唱の方がお忙しいなら無理しなくて全然構わないです」


「無理なんて、そんなことはないですよ。それじゃ、こちらの方で作ります。安心してください、先輩の魅力を最大限に引き出す衣装を作ってみせますから」


原田がぐっと拳を握って変態のような言葉を吐いた。


「ありがとうございますっ」


渚は素直に礼を言う。


「さ、それじゃ、音楽も聴いてみましょう」


杉坂がラジカセをセットする。


マ・メール・ロワ。


俺はクラシックについては詳しくないし、興味もないが、心落ち着かせる曲だった。


たしか、以前演劇をやったときもこの曲だったような気がする。


なんとなく懐かしいような気がするのは、そのせいだろうか。


「この間のCDは管楽器のものでしたので、印象が違うと思います。どうでしょうか?」


「とってもいいと思います。仁科さん、わざわざありがとうございますっ」


「いえ、お力になれたなら私もうれしいですから」


仁科も、にっこりと笑った。


「なあ、仁科」


「あ、岡崎先輩。この曲、ダメですか?」


俺が声をかけると、途端に心配そうな顔つきになった。


俺は苦笑する。別にそんなつもりで声をかけたのではなかったが。


「いや、いいと思うよ。ありがとな」


「そうですか…。よかったです」


「迷惑ついでに、もうひとつだけ頼まれてくれないか?」


「あ、はい。いいですけど、なんでしょうか」


こっちが何も言っていないのに了承する仁科はお人よしだと思う。


「もう一曲、劇の中で流したい曲が出てきてさ…」


そうして、俺は仁科に脚本を読ませて、この物語の新しいエンディングを詰める作業に入った。





310


やがて下校時間になる。


俺たちはそれぞれの作業を止めると、一度全員で集まって片付け。


背景の画板をしまい、絵の具類を片付ける。職員室の機械で訂正を入れた脚本のコピーを作りに行く。隣の部屋で合唱の練習をした下級生も戻ってくる。校舎内を駆け回っていた風子も同様だ。


片付けがひと段落して、部員たちがまとまる。


自然、幸村を囲むような形になった。


「ふむ…?」


「あの、先生、下校の準備ができました」


「うむ…」


渚の言葉に頷くと、幸村は俺たちを見回した。


「春原が今日入部して、やっと部員が十人、揃ったの」


求められるように話をはじめる。俺たちは黙ってそれを聞く。


「これで演劇と合唱の両方の発表ができるが、参加することだけが目的というわけではない。参加するならば、満足な発表ができるよう準備を進めないといけないの」


今までは幸村が最後までいてくれたことはなかったから、こうしてきちんと訓示を聞いたりということはなかった。


だが、こうして集会のようなことをしていると、部活をしている、というような気分になって胸がいっぱいになる。


歌劇部が全員揃って、本格的にすべてが動き出したのだと、そう思わせる。


「古河」


「はいっ」


「よくがんばったの」


「あ、ありがとうございます」


「仁科」


「はい」


「おぬしも、よぅがんばった」


「は、はい」


演劇部の代表と、合唱部の代表。二人は幸村に声を掛けられて、慌てて頷いた。


「ふたりとも、夢をかなえるとよい。他のみんなもそれを支えて、一緒にいい発表を作ってくれ」


声を掛けられて、俺たちも同意の言葉を口にする。


幸村は目を細めてそれを見る。


「…さて、明日の部活は、いつからにしようかの?」


「あ、えぇと…。幸村先生は、お孫さんと旅行に行かれるんですよね?」


「うむ、明後日からの」


一日ずらしてもらっているからな。本来は、明日からのはずだが。


「わたしは、早めに始めて早めに終わろうかと思っているんですが…」


そこまで言って、うかがうように部員の表情を見た。


たしかに、そのほうが幸村の予定としてもいいだろう。


俺に異論はなく、他の連中も同様だった。


部活の終了時間は折を見るとして、開始は朝の九時ということになる。


「うむ…。それでは、今日は終了としようかの」


話がまとまったのを見て、幸村が小さく頷く。


「それでは…」


そうして、渚を見た。


「はい、なんでしょうか?」


「…挨拶じゃ、挨拶」


「部活が終わる時も、実は挨拶をするんだよ」


「…ええっ?」


俺が付け加えた補足に、渚は戸惑ったような顔を向けた。


普段はわいわい話しながら帰っていて、特別なにか号令を、ということもなかったな、そういえば。


「ど、どうすればいいんでしょうか…?」


我らが部長は、困った顔で部員たちを見回して、最後にすがるように俺を見た。


…俺かよ。


やれやれと思うが、やっぱり嬉しい俺だった。


「ほら、お疲れ様でしたとか、ありがとうございましたとかさ」


フォローする。


「わ、わかりましたっ」


やってみます、と渚。


…なんだか、前も同じようなやり取りをしたような気がするな。


「それじゃ、こっちですよね」


「え? 並ぶの?」


「ああ、まぁな」


「わかりました…」


「ちょっと机、どけますね」


言い合いながら、俺たちは部室の廊下側に一列に並んだ。


歌劇部部室を眺め見る。


部室には絵の具の匂いがまだ残っている。雑然と色々な道具がしまわれたり、積み重ねられたりしている。


そっけないほど真っ黒だった黒板は、みんなが適当に落書きしていてごちゃごちゃしている。中央に大きく『創立者祭まであと9日!!』と描かれているのが見える。


人の温もりが部屋の中には満ちている。


ずっと前、最初にここを訪ねた時。


その時は、誰もいなくなって長い時がすぎた名残ばかりが残されていた。


だが、今は。


今はここに、たくさんの人が集っていた。


渚、風子、杏、ことみ、智代、春原、宮沢、椋、仁科、杉坂、原田、そして幸村。


しっかり詰めないと、壁際に一列になれない。


こんなたくさんの人間が、ここに集まっていた。


空は、優しい夕暮れ。


春の風に、雲がそっと押し流されているのが見える。


歌劇部、十人。


求めていた仲間は、ここに揃っているのだ。


「では…」


渚が、緊張した声を出す。


「ご唱和を、お願いしますっ」


笑ってしまうほど、かつても聞いた言葉だった。


だが、今はあの頃とは違うのだ。


「今日も、ありがとうございましたっ」




「ありがとうございましたっ」




渚の言葉に続いて、部員たちの声が重なった。


渚に続いて、礼。


そして顔を上げて、俺たちは笑い合った。


俺たちは、ここまでたどり着いたのだと。





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