folks‐lore 05/01



291


「朋也、あんたさっきの授業サボったでしょっ」


資料室に入ってきた杏が、開口一番そう言った。


「あぁ、まぁな…。風に誘われて」


「カッコよく言っても、やってることはカッコ悪いわよ」


「前よりは真面目に出てるだろ。そう思えば進歩してる」


「まあ、そうだけど…って、サボってる時点で問題外よっ」


「ことみもサボってるし」


「あの子は別でしょ。あんたと陽平以外、サボってる生徒はいないわよ」


「…」


目の前で笑っている宮沢が冷や汗をかいている。


なんだか、期せずして言えない秘密を抱えてしまったようだった。


「そういえば、あなたも授業早く終わったのね。一番乗りだと思ったんだけど」


「は、はいっ。かなり早く終わりましたのでっ」


「ふぅん…?」


さすがに宮沢が授業サボったとまでは思わないようで、少し怪訝な顔つきになるがそれだけだった。


やれやれ。



…。



話しているうちに、他の部員たちもやってくる。


春原がいないのも今日までだ。


昨日と同じく、十人で食卓を囲む。


ちなみに今日の弁当は、ことみだ。


「はい、朋也くん」


ことみが弁当箱を俺の前に置いてくれる。昨日の別れ際の微妙な雰囲気は微塵も感じさせない。


あの男性との関係がどういうものなのかはわからない。相談でもしてくれればいいが、それは望みすぎかもしれないな。


どういう事情かわかっていないのにむやみに首を突っ込むのもことみを傷つけるような気もする。


「久しぶりだから、頑張って作ったの」


「ありがとな」


そんな久しぶりという感じもしないが。


だが、たしかにいつもよりも豪華な感じがする。全体的に手が込んでいるような料理が多かった。


舌鼓を打ちながら、話し合うのは今日の放課後のことだ。


芽衣ちゃんの見送り。


のんびりと部活をやってそれから、という時間の余裕はない。


放課後、さっさと駅に向かう必要がある。


「すみません、わたし、掃除当番です」


話していると、渚が申し訳なさそうに言った。


「そんなの、一言言って抜け出してくればいいじゃない」


「そういうわけにもいかないです。他の方に迷惑がかかってしまいます」


「…」


杏が呆れた、という顔をする。この間、掃除当番をひとり押し付けられたくせに、というような。


ちなみに、俺も同感だ。


サボることと用事があるから免除してもらうことは、さすがに別問題だと思う。


それにそもそも、渚にはそれくらいは主張する権利があるだろう。


やられたらやり返せ…とまではさすがに言わないが、従うばかりが必要ではない。


「だから、迷惑がかからないように先に言っておけばいいだろ」


「ですけど…」


それでも、まだ踏ん切りがつかないようだった。


「朋也」


「ああ。俺もついてってやるから、後で言おうぜ。放課後はデートがあるから無理だって」


「デートじゃないです」


冗談で言ったが、普通に否定されて、普通に少し傷つく。ま、いいんだけど。


「向こうだって、ちゃんと説明すれば納得するだろ」


「…わかりました。やってみます」


「ああ、やってみろ」


渚と、クラスメートの関係がどういうものかはよくわからない。


今朝も、渚のクラスメートは同じ教室にいるはずだったが、親しく会話をしているような感じではなかった。


やはりまだ、クラスの方では浮いているのだろうか。話す相手もいないのだろうか。


そんなことを思うと、やきもきする。


だが、そこまで首を突っ込むのもおかしい話だ。


それにそもそも、渚は、強い。俺はそれを知っているのだ。


彼女が一人でも立てることを、俺は知っているのだ。


それならば、俺は不必要なまでの干渉は迷惑になるだけだろう、と思った。






292


昼休みが終わる。


普段なら自分のクラスの帰るが、今日は渚に付いてB組へ。


教室の中を覗くと、生徒たちがグループになって雑談をしていた。席について参考書を広げている奴もいる。次の授業の予習でもしているのだろうか。


「掃除当番、一緒のグループの奴はいるか?」


「えぇと…」


渚は教室の中をぐるりと見渡す。


俺も一度、同じ掃除班の奴らの顔は見ている。


椋と一緒にサッカー部部長の告白を断りに行った時のことだ。ばったりと顔を合わせた。


他意のないいたずらではあると思うが、渚ひとりを残して掃除の仕事を放り出した。


結局、その後、あいつらと渚の間でなにか話はあったのだろうか。


ただ溝ができただけならば、あんまりな話だ。


教室の入口で立ち尽くす俺と渚。それを見て、何人かの生徒が窺うようにこちらをちらちらと見た。


留年生と、不良。


三年にもなって部活を立ち上げた奇特な人間。


受験生なのにクラス展を準備している変わり者。


ま、奇妙な目で見られる肩書きは枚挙に暇がないくらいだろうな。とりあえず、そういう視線は気にしないことにする。


「お話、してきます」


「ああ」


渚は一言そう言って、とことこと近くの女子のグループの方に歩いていく。


俺も付いていこうかと思ったが、渚が話しかけた女子生徒は険悪な雰囲気というわけでもなく、さすがにそこまででしゃばることはないと判断する。


「よう、岡崎、どうしたんだ?」


ぼんやり立っていると、いつの間にか傍らにひとりの男子生徒がやってきていた。


バスケ部の部長だった。


「古河のお守りか?」


「あいつ年上なのにお守りなんてするかよ」


「ま、そうだな」


ニヤッと笑う。この男は、珍しくなんの気負いもなく俺に話しかける数少ない生徒だった。


「なんの用だ?」


「渚が、用事あって今日は掃除当番ができないんだよ。それで先に言っておこうって話になってな」


「岡崎は、なんで?」


「付いてきただけだ」


「…おい、お守りじゃん、それ」


「いや、これだけ離れてるし、見守ってるだけだ」


「それをお守りっていうんだが…」


男は苦笑する。


「あれからさ、掃除当番は前みたいになったりしてはいないのか?」


「ハブにはしてないよ。一応、俺も言ってはみたし、あいつらもやりすぎたって思ってたみたいだからな」


「そうか…」


その言葉に、少し安心する。渚と会話する女子生徒の態度も傍から見ていてハラハラするものでもない。


心配のしすぎだったか。


「そういや、あんたも創立者祭手伝ってくれてるんだな」


「別に、大した手伝いはしてないけどな」


「それでも、ありがとな」


「…」


素直に礼を言うと、相手は不思議そうに俺を見る。


札付きの不良がこうも屈託なく話すと、傍から見るとおかしいのだろうか。


「好きでやってるだけだから、いいよ。他の手伝ってる奴もそうだからな」


「そういう奴、結構いるのか?」


「ああ。ま、藤林の姉の方の人徳も大きいけどな」


聞くと、杏は仲のいい女子生徒をツテに他のクラスにも協力を募ってみたらしい。それでどんどん規模が膨らんでいるようだ。


こいつも、そんな流れに乗ってみたということらしい。



…。



「岡崎、おまえ、少し落ち着いたな」


話をしていると、部長はぽつりと呟いた。


「はい?」


「いや、前はもっと話しかけづらかったよ。ま、しょうがないかもしれないけど」


「俺が、バスケを続けられなくなったから?」


「ああ。あんだけうまかったのに、できなくなったからな」


「…」


昔の、バスケに対する情熱は覚えている。体を動かして、チームメイトと笑い合うのはかけがえない楽しみだった、かつては。


だが今では、覚えてはいるが、それは完全に思い出としてだ。実感としての記憶ではない。


だから、部長にバスケの話を振られても、俺は特に動揺することもない。


「この学校に入ったばかりの時は、おまえと一緒にプレーできると思って嬉しかったよ。でも、すぐに怪我のことを聞いてな」


「ああ、まあな」


「話しかけても、無視するし」


「そうだっけ?」


「ま、それも仕方ないとは思ったけどさ。うまかったからな」


こいつは随分と俺のかつての実力を評価しているようだった。


俺にとっては随分昔で、あまり覚えてもない。


「もうプレーできないのか?」


「右肩が上がらないんだよ。パスはできるけど、シュートは無理」


「そうか…」


残念そうに苦笑する。


「おまえが嫌じゃないなら、一緒にプレーしてみたかったけどな」


「練習に付き合うくらいなら、別にいいけどな」


「お、マジで?」


「いや、もうおまえみたいにはできないぞ。中学レベル止まりで、しかもブランクあるし」


意外に相手が乗り気なので、俺は慌ててそう付け加える。


別にバスケをやるのが嫌なわけではないが、部長との実力差ははっきりしている。


なにせ、かつてバスケ部との対決をした時、レギュラーの選手との実力は天と地ほどの差があった。


毎日真面目に練習を積み重ねた人間との間には、れっきとした差がある。既に埋められないほどの。


「いや、俺がやってみたいだけだよ。おまえが動けないことくらい知ってるし」


「おい」


「冗談だよ」


部長はニヤッと笑う。


つられて、俺も笑ってしまった。


「演劇部だっけ。部活は忙しいのか?」


「歌劇部だよ。作ったばかりで創立者祭で出し物だから、割と忙しいな。そっちはインハイ予選だろ?」


「まあな。今度の連休が正念場だな」


「そっちの方が大変だろ」


「直前だし、今は練習は少な目になってる。四月は地獄だったぞ」


「ま、この学校の運動部はどこもそうだろうな」


…などと、ひとしきり部活の話で盛り上がる。


部活を拒絶していたかつての俺。その時の自分では、こんな光景はまず実現しなかっただろうな、と思う。


だが、相手の部長はかなり素直に俺を受け入れてくれているようだった。


それが、ありがたい。


俺が勝手に孤独を貪っていたかつての頃。だが、あんな時でも、曇りなく周りを見渡せば、味方になってくれる人間はたしかにいたのだ。部長もそうだろう、何人もの教師だってそうだろう、そして他の生徒たちも。


わけのわからないまま高校生活に舞い戻り、俺は失ったものを取り戻すことができるのだ、と改めて思った。



…。



「お、話し終わったみたいだな。じゃあな」


渚がこちらに戻ってくるのを見て、部長は他の男子生徒の方に話に行った。


「お友達、ですか?」


渚は部長の姿を見て、聞く。前にも何度か、あいつとは会話する姿を見られているからそう思ったのだろう。


「どうだろうな…」


俺は肩をすくめる。どうだろうな。


「掃除当番、なんだって?」


話を変える。


「はい、今日は皆さんでやってくれるそうです」


「そりゃ、よかったな」


「はい、よかったです。皆さん、とっても優しいです」


向こうには負い目もあったんだろうが、もちろん優しさというのもあるだろう。


「それじゃ、放課後は芽衣ちゃんの見送りができるな」


「はい。とてもお世話になったので、きちんとお別れできるのは嬉しいです」


「また創立者祭の日には会えるよ」


「はいっ。…えへへ」


渚は、嬉しそうに笑った。


クラスメートとの交渉が無事終わって、ほっとしているのだろう。


留年生と、現役生の溝はあるだろう、間違いなく。


だけど、きちんと話をして、少しでもそれを埋められるならばそれに越したことはないよな、と思う。


三度目の三年生を迎えて、卒業するためだけに学校に通っていた渚の姿が思い出される。


意志を持って、学校に通い続けた姿は美しい。


でもやはり、俺は渚が辛い思いで坂を登るのを見たくはなかった。


足取り軽く、楽しく笑い合える姿。部員とも、クラスメートとも。


そんな姿を見ることができるならば、それ以上を望むなんてもったいないくらいだった。






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