folks‐lore 05/01



289


「よう、宮沢」


「あ、朋也さん。いらっしゃいませ」


資料室の扉を開けると、本を読んでいた宮沢が顔を上げて笑った。


手元の本をテーブルに置く。


「珍しいですね、休み時間にいらっしゃるなんて」


「まあ、たまにはな」


最近は、ほとんど授業をサボることがない。


とはいえ、それで授業に付いていくことなどできるはずもなく、寝ているかぼんやりしているかというところだ。まあ、いるだけマシだろう。


「風子は?」


いつもは、ここでヒトデを彫っていると聞いていたが、見てみるとその姿はない。


「美術準備室に行っているみたいですよ。そろそろ、材料がなくなってしまうらしいので」


「ふぅん」


そういや、昨日はなんだかんだで材料を取りに行っていなかった。途中でサッカー部の部長に会ってしまって、結局行きそびれていた。


ま、あいつが自分で行っているならそれで構わないだろうけど。


「コーヒーを飲みますか?」


「それじゃ、頼むよ」


「はいっ。少し、待っていてくださいね」


宮沢が席を立って、コーヒーの用意を始める。


俺は席について、その様子を眺めた。


「時々ですけど、ことみさんがくる時もありますよ」


手馴れた様子で手を動かしながら、ちょっと俺を振り返る宮沢。


「ここに?」


「はい。すごい集中力ですね。お友達がきていた時もあるんですけど、全然それにも気付いていないみたいでした」


「ああ。本を読んでいるあいつに話しかけるのはコツがいるんだ」


「そうなんですか」


「ちゃん付けで呼ぶと、こっちに気が付く…けど」


だが、そこまで言ってふと思い出す。


少し前、杏が同じようにことみをちゃん付けで呼んでみたけど、あの時は反応がなかったな。


「…朋也さん、どうしましたか?」


「ああ、いや」


急に黙り込んだ俺を見て、宮沢が首をかしげる。


「ちゃん付けで呼ぶと気が付くんだけどさ、なんでかそれは俺だけなんだよな」


杏が話しかけても反応がなかった話をする。


「それは、不思議ですね」


「ああ」


「ことみさんにとって、朋也さんは特別な人みたいですから、それでなのかもしれないですね」


「…特別な人って?」


「ええと…」


宮沢は少し困った顔をした。


「わたしにも、よくわからないですけど…見ていて、なんとなく、です」


彼女自身、そこまで確固たる印象を持っているわけではないのだろう。


まあ、俺もことみの少し含んだような態度が気になるところではある。傍から見ても、それはよくわかることのようだった。


だが実際、未だにさっぱり心当たりがない。本当は、知り合い同士なのだろうか。


俺はことみがあまり自分のことを話そうとしないのには気付いていた。昨日話しかけてきた男のこともある。結局、ことみとあの人との関係も不明瞭なままだ。


この学校の異端の天才児。だが、結局俺が知っているのは彼女の上辺だけでしかないのかもしれないな。


「昨日、あいつに話しかけた人は、誰なんだろうな」


何度となく風子や芽衣ちゃんと話したことではある。


だが、それでも、ふと口をついてその疑問が出る。


「悪い人だとは、思えないです。ことみさんとは顔見知りみたいでしたし」


「だよな」


まあ、宮沢が「悪人です、きっと!」なんて言うとも思えないが。


というか、そんなこと言われたらかなり驚く。


「…あ、お湯沸きました。もうちょっと待ってくださいね」


「悪いな、いつも」


「いえいえ。こちらこそ、お世話になっていますから」


宮沢は沸騰したやかんを手に取るとコーヒーを淹れはじめる。


「…ふぁ」


ドリッパーに湯を注ぎながら、こっそり小さくあくびをした。


「やっぱり、疲れているのか?」


「あ…失礼しました」


朝に引き続いて、だから気になる。


宮沢は苦笑した。


「心配ご無用ですよ」


言いながら、俺の目の前にコーヒーが差し出される。


「ありがと」


「昨日あのお店でコーヒー豆を買ったんです。さっきの休み時間に挽いたばかりですから、きっと鮮度抜群ですよ」


「期待しよう」


コーヒーをすする。


…うまい。


だが、いつもとどう違うかといわれると、それは説明できない。というか、いつもうまい。


「うまいよ」


「それはよかったです」


ぽん、と手を合わせてにっこり笑う。


「…なぁ、お礼と言っては何だけどさ、なんか元気が出るおまじないとかあれば、やってみてもいいぜ」


俺はさっき宮沢が手元に置いた本の表紙を見る。


それは、もはや見慣れたおまじない百科だった。


恐るべき的中率を誇るそのおまじないの本ならば、少し疲れた様子の彼女も元気になるだろう。


「元気になるおまじないですか」


「ああ」


「見てみますね」


俺がコーヒーを飲んでいる間、宮沢はぱらぱらとおまじないの本をめくっていた。



…。



「どうだ、なにかあったか」


コーヒーも飲み終わり、俺は目の前の宮沢に尋ねる。


「えぇと、はい。今のわたしにぴったりなおまじないがありました」


「そうか。どんな恥ずかしいおまじないでもこい」


「それでは、隣に行ってもいいですか?」


「ああ」


宮沢は正面から俺の隣の席に移動する。


「イスを少し引いてください」


「…こうか?」


「はい。では、失礼します」


「はい?」


宮沢はそう言うと、ぽん、と俺の膝に頭を乗せた。


膝枕の体勢だ。


「…それで?」


「昔話をお願いします」


「…どんなのでもいいの?」


「はい」


望まれているようなので、やってみることにする。


これでも一応は子育てを経験している身。読み聞かせくらいはしたことがある。


まあ、読んで聞かせる本がないけど、それは経験でカバーだ。


「むかしむかし」


俺は語り始める。


とはいえ、レパートリーがあるわけでもないので、思いつくままに話すしかない。


「ある男がかさを売りに行った帰り、売れ残りのかさを地蔵にかぶせてやると、その晩若い女が訪ねてきました」


「かさ地蔵と鶴の恩返しが混じってますね」


「コラボってやつだ」


さっそく話しの筋がわからなくなって、破綻しているだけだが。


膝の上の宮沢がくすくすと笑い、くすぐったい。



…。



「そうして、男が女の正体を見てしまうと、女は元の姿の地蔵に戻り、空へ飛び立っていきました…」


語り終える。


「…地蔵が飛ぶかっ」


俺は自分で自分にツッコミを入れた。


宮沢を見ると、いつの間にか眠っているようだった。


「よくあんな話で眠れたな…」


どう考えても、無茶苦茶な話になっていたのだが…。


「おまえ、ずっと笑ってたよな…」


今は規則正しく、宮沢の肩が上下しているのが見える。


静かだった。


「…」


俺は膝上に心地よい重みを抱えながら、ぼんやりと外の景色を見る。


平和な光景だった。


授業開始のチャイムはさっき鳴ってしまっていた。


起こそうかとも思ったが、それも忍びない。


「…」


「ん?」


宮沢がなにか言ったような気がして、耳を澄ます。


だが、静かな寝息が聞こえるだけだった。


彼女の唇が、そっと呟く。


…おにいさん…


それは言葉にならない小さな呟き。


いつもいつも、いろんな奴に頼られていて、小さな体に大きな負担がかかっているのだろう。


「…たまには、いいかもな」


それは自分に向けたものか、宮沢に向けたものか。


そう呟くと、俺は笑った。





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授業の終わりが近付いていた。


昼休みになったら起こさないとな、などと思っていると宮沢が体をよじらせた。


「ん…」


目が覚めたようだった。


小さく声を漏らして、もぞもぞと頭を動かして、俺と目が合った。


「おはよ」


俺はさっきまで読んでいたおまじない百科を机に置いて、言う。


「お…」


宮沢はぼんやりした瞳で俺を見つめて、急に真っ赤になった。


恥ずかしそうに顔を背ける。


「おはようございます…」


慌てて顔を隠しながら、小さな声でそう言った。


照れているようだ。


微笑ましい姿に、俺はついつい笑ってしまう。


「すみません、こんな迷惑をかけるつもりじゃ、なかったんですけど…」


「いや、いいよ。どうだ、疲れは取れたか?」


今まで見ていたおまじない百科にこんなおまじないがなかったことは確認していたが、それについては突っ込まないことにする。


「は、はい、おかげさまで…」


やっぱり恥ずかしそうに、宮沢は起き上がった。


彼女の髪の香りがする。


「今度から、朋也さんには迷惑がかからないようにしますね」


「いや、別にいいけどさ」


もう昼休みだ。


もう少しすれば、部員たちがぞくぞくとやってくるだろう。


宮沢はぱたぱたとイスの並びを片付けたり、俺が飲んでいたカップを洗いに行ったりと仕事を始める。


昼下がりの情事でも片付けているような素振りだった。


まあ、昼下がりでも情事でもないけど、雰囲気がそんな感じ。


「…」


…い、いや、俺は渚一筋だけどな。


別に浮気とかそういうものじゃない。


宮沢が疲れているようだったから、元気付けようと思っただけだ。


本当だ。






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