folks‐lore 05/01



285


今日から、五月だ。


四月。長かったような気がするし、色々なことがあった。だが、あっという間だった。


月が替わると、途端に創立者祭の当日が近くなったような気がした。


俺はベッドから出ると、さっさと身だしなみを整える。


今日は芽衣ちゃんが帰ってしまう日だ。


最終日くらい、煩わせないようにせいぜい注意しよう。





286


「そうかい…。寂しくなるね…」


芽衣ちゃんがいよいよ帰るという話をすると、親父が呟く。


もちろん今日帰る話は前から出ていたが、いざ当日となると感じるものがあるようだった。


それは、俺も同感だ。


なんだか、いつの間にか四人で食卓を囲むのが当たり前のような気がしていた。


俺、親父、風子、そして芽衣ちゃん。


明日からは、それが三人になる。


ひとり、家族が減る。


それが、どうしようもなく寂しい。


「そう言ってもらえると嬉しいです」


芽衣ちゃんはそう言って少し笑う。


「いつごろ、帰るんだい?」


「夕方です。夜行で帰るので」


「そうかい…」


「お父さんは今日はお仕事ですか?」


「ああ…。見送りができなくて、すまないね」


「親父。俺と風子が見送り行くよ」


「はい、任せてください」


「よろしく頼むよ、朋也くん」


「えぇっ、悪いですよっ。部活がありますしっ」


俺と親父の会話を聞いて、芽衣ちゃんが慌てたように言った。


「いや、これだけ世話になってるのに勝手に帰れってわけにもいかないぞ」


「はい。芽衣ちゃんはどーんと構えていてください」


「…ありがとうございますっ」


言って、ちょこんと頭を下げる。


「…そういえば、お土産みたいなものをあげないとね」


「いえ、さすがに悪いですよ。それにお土産なら、この間のみんなで撮った写真があるだけで大満足です」


「それだけというのは…」


親父はそう言って、考え込む素振り。


「…そうですね、それじゃ、代わりにひとつだけ、お願いを聞いてもらっていいですか?」


芽衣ちゃんはすぐにいたずらっぽい表情に変わった。


ニコッと笑って親父を見る。


「ああ。できることなら、なんだって構わないよ」


「そうですかっ」


芽衣ちゃんが身を乗り出す。


「それなら、岡崎さんのことをくん付けじゃなく呼んでください」


「え?」


「え?」


その言葉に、俺と親父は顔を見合わせた。


かつて。


親父は俺のことを、呼び捨てで呼んでいた。


そういえば、雑談の中で芽衣ちゃんとそんな話はしたかもしれない。


だが、彼女がこの家で俺たちを世話してくれた最後の願いが俺と親父の関係のため、というのはさすがに悪い。


「おい、芽衣ちゃん…」


「さっき、何でもするって言ってくれましたよね?」


「…」


こっちの様子、聞いちゃいない。


親父は…呆然とした様子で、芽衣ちゃんを見て、俺を見た。


何とかしてくれ、というような表情だった。


「さあ、呼んでみてくださいっ」


「これは、面白くなってきましたっ」


「…」


風子を一発殴ってやりたい。


親父はどう対応するのだろうか?


芽衣ちゃんの最後の頼みで、おいそれと断れる雰囲気ではない。


俺を、かつてのように朋也と呼ぶのだろうか。


俺自身も、つばを飲み込んで親父が口を開くのを待った。


「お父さん、頑張ってくださいっ」


「頑張ってくださいっ」


「…」


「がんばれがんばれっ」


「フレーッ、フレーッ」


「…」


なんだ、この状況?


俺と親父が向き合って、芽衣ちゃんと風子がそれを激励している。


なんだか、かなりシュールな光景だった。


「と…」


その空気に触発されたのかいたたまれなくなったのか、親父が口を開いた。


俺の名を、呼ぼうとする。


俺はなんだか緊張して、身構えた。


別に呼び方なんて、大したことではないと思わなくもない。だが、それはやはり、人間関係のひとつの姿を示しているとも思う。


俺をくん付けで呼ぶのをやめる。


そう、それは間違いなくひとつの変化になる。


親父が、俺の名を呼んだ。


「朋也…さん」


って距離が広がってるーーーーッ!?


俺と芽衣ちゃんと風子は、予想外の展開に滑っていった。






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「おしかったです」


「いや、なんかもう、そういうレベルじゃなかったと思うんだが…」


もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。


風子と共に通学路を歩きながら、さっきの反省会をする。


「まだ性急だったんだろ」


「風子、いけると思いました」


「まあ、俺も少しな」


俺も親父が呼び方を変えるかと思ったくらいだ。


だが、そうそううまくはいかないらしい。



…。



「あ、奇遇ですね」


通学路でばったりと宮沢にでくわす。


「ああ、おはよ、宮沢」


「ゆきちゃん、おはようございます」


「はい、おはようございます。朋也さん、ふぅちゃん」


ぺこりと頭を下げる。


そのまま隣に並んで、歩き出す。


「…ふぁ」


小さく口を開けて、あくびをする。


「ゆきちゃん、眠いんですか?」


「はは、失礼しました」


「寝てないのか」


「いえ、そんなことはないですよ」


少し、疲れているのだろうか。


まあ、部活の他にクラス展、友達付き合いもある。


忙しい身だから、その負担も大きいのだろう。


「…昨日はありがとな。宮沢、あんまりゆっくり夕飯食えなかっただろ」


「いえ、そんなことはないですよ。芽衣ちゃんやことみさんが手伝ってくれましたから」


まあ、料理が大体出揃ってからは彼女の給仕の仕事は多くなかったが。


「それに、とても楽しかったです」


「まあ、な」


みんなで食卓を囲む、というのもいいものだ。普段は資料室でだけだが、場所が変わると空気も少しだけ変わる。


「あの店も、居心地よかったしな」


「はい、わたしもそう思います」


「風子も、とても気に入りました。でも、やっぱりゆきちゃんがいる資料室が一番ですっ」


「ありがとうございますっ」


風子がぎゅっと宮沢に抱きついて、宮沢は笑顔でそれを受け止める。


相変わらず、仲がいいやつらだ。






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教室に入ると、後ろの方で男子生徒たちが看板に色を塗っていた。


ぷんと、絵の具のにおいが鼻につく。なんとなく昨日の部活動を思い起こす。


「よう、岡崎」


「おう」


作業をしていた男子生徒が顔を上げる。軽く挨拶を交わす…というか、声を掛け合うといったほうが適切か。


他にも何人か、挨拶を交わしてくる奴がいる。


いつの間にか、クラスメートともこういう関係を築けている俺がいる。


「ちょっと手伝ってくれよ、朝のうちにこれ仕上げたいんだ」


「ああ、いいけど」


近くの奴に声を掛けられ、手伝いに参加する。断る理由はない。


「あ、あの…わたしも、お手伝いします」


「ん? あぁ、A組の…」


「古河です。よろしくお願いします」


「渚? どうしたんだ?」


いつも通り坂下から一緒に通学して、さっき別れたところの渚。いつの間にか教室の中にいた。鞄だけ置いてきたようだ。


「あの、A組にも、一緒にやりたいという方がいるみたいで…」


そう言って視線をずらすと、初めて見る奴らが準備をたどたどしく手伝っている様子が見えた。渚が喫茶店を手伝っているから、そのツテで手伝いに来てくれたのだろうか。


その中…。


「よう、岡崎」


「おまえ…」


バスケット部のキャプテンの男だった。


ニヤッと笑って、どこか気恥ずかしそうに手を上げる。


「放課後は無理だけど、朝は暇だからさ」


言い訳するようにそう言った。


「お手伝いをしてくれるって、言ってくれたんです」


渚がにっこり笑う。


「そうか。悪いな」


「別に、好きでやってるだけだ」


「それでもな」


それだけ言葉を交わすと、笑い合う。


「ほら、そこ。それじゃ、あんたはこっちね。朋也はそっち」


急に横から杏が出てきて、すぐさま指示出しをする。


こいつはゆっくりと話をする時間すら許さないのだろうか。


まあ、朝の時間が短いのは理解しているけど。


俺と渚は、近くのイラストを手伝い始める。


「…ありがたいなぁ、人が増えて」


男が周囲を見て呟く。


「まあな」


俺もそれに答えた。


結構な人員が手伝ってくれている。うちのクラスからだけではない。


「E組の方は、C組とかF組の奴が手伝いに行ってるらしいぜ」


また別の奴が言う。


「マジで? そんな増えたのか?」


「ああ。昨日の藤林の姉の方の格好を見て女子も結構入ってくれてるみたいだぜ」


「ふぅん」


他のクラスにも、順調に波及しているようだった。


「あの格好、いいよなぁ」


「ああ。メイドさん、最高だよな」


阿呆な会話を始める男たち。


全く、つくづく、こいつらは…。


俺は作業に手を貸しながら、苦笑する。


見ると、渚も同じようにくすくすと笑っていた。


力を合わせて、何かを成し遂げる。


看板作成というのも地味な仕事だが、それでも悪い気分ではない。


教室は喧騒に満ちている。


創立者祭は、もうそう遠くではないのだ。






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