folks‐lore 04/28



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昼休みになると、授業で張り詰めていた空気がふっと和らぐ。


生徒たちは三々五々グループになって昼食を食べたり、連れ立って学食へ向かう。


さて。


普段なら、資料室へ向かって部員と一緒に飯を食べるのだが…。


「これが食品取り扱いの申請書ね。こっちが物品請求書。それでこれが…」


俺の前に座る杏が、ぽんぽんと書類を並べた。


「…なんだこれ」


「あんたの仕事」


「…」


俺は黙り込む。


どうして、こんなことになってしまったのだろうか。


俺は今、いつものD組の教室で、クラスメートの机をくっつけて弁当を広げていた。


俺、杏、椋、風子、ことみ。


席を立って教室を出ようとしたところ、杏に捕まってそのままクラス展示の手伝いに巻き込まれてしまっていた。


事前に渚には根回し済みで来られたので、拒否できなかった。杏の提案に、にっこり了解する彼女の姿が目に浮かぶ。まあ、クラス展示の手伝いはする約束なので拒否もするつもりはないが。


「…朋也くん、頑張って」


「いや、おまえも手伝ってくれよ」


「はい、これ、お弁当」


「…」


「今日は鶏肉の炒め物が、自信作なの」


聞いちゃいない。


…俺は隣の、同様に巻き込まれた様子のことみを見て、苦笑するしかなかった。


ことみは巻き込まれたことに不満を持っているようではないが。


「なるほど、とてもおいしそうですっ」


「いっぱいあるから、どんどん食べてね」


「はいっ、どんどん食べますっ」


そして逆の隣には、風子。


昼を教室で食べるとどこかで聞いたらしく、さっき俺を訪ねてきた。食に関しては嗅覚が鋭い。全くありがたくないスキルだ。


「ま、そうね。食べながら説明するから、後でこれ書きなさい」


杏も自分の弁当を広げつつ、にこやかに言う。こいつは俺を苦しめている時が一番楽しそうだ。


「そんな話聞きながらだと飯がまずくなる」


「ふぅん…」


口答えをすると、杏はにっこりと口元をゆがめて視線をことみに移した。


「ねぇことみ? こいつ、ちょっと仕事の話を聞くだけであんたの作ったお弁当がまずくなるって?」


「朋也くん…」


ぶわっ…。


「おまえは言葉尻をつついて攻撃するなっ。ことみ、大丈夫、うまいぞ、見ればわかる」


「…うん、がんばったの」


ことみは頬を染めて頷いた。しかしこれだけちゃんと作ってくれるなんて、普通じゃとてもできないよな。なんとなく甘えてしまっているが。


なんにせよ、窮地は脱したようで一安心。


「あの、岡崎くん、部活も色々あるのに無理言ってしまってすみません…」


杏の隣の椋がそう言ってくれる。


「いや、こっちも手伝うって約束だったから、いいよ。部活は今脚本止まってるし」


まあ、もう少し事前に話しておいてほしかったが…。だが、今ならちょうど気分転換みたいにこちらに労力を割いてもいいかもしれない。根つめるばかりが最短の解決策というわけではないだろう。


五人で机をくっつけて、昼食。それがなんだか、学生生活、という感じがした。かつての俺には舞い込まなかった青春。


ことみに礼を言って、弁当を食べ始める。


「そういや、クラスの方はどれくらい進んでるんだ?」


杏に尋ねる。ほとんどクラスの方には関わってこなかったので、進捗情況は全くわからない。


「衣装はもう作り始めているところね。看板もデザインは決まったって聞いたわ。料理は今日の放課後、知り合いの喫茶店に行ってコーヒーの淹れ方を教えてもらうことになってるわ」


「放課後か」


「そ。あんたも付き合いなさい」


それが放課後時間をよこせと言った用件なのだろう。


「他にお店で出すケーキとかを試食して決めるの。ていうか、そこから機材とか借りるから。それは朋也の仕事だし」


「あぁ、そうだったな」


書類と機材、というのが自分の仕事であったことをぼんやりと思い出す。


まあ実際は、切り盛りしている杏のフォローというくらいのようだが。


「部活はどうするんだ」


「渚に言って遅れて行くか、今日は休むかするしかないわね。多分時間かかると思うし」


「そうか…」


まあ、仕方がないか。膠着状態になってしまっているのも事実だし。


「でもお姉ちゃん、私たちが全員いないと、演劇は何もできないよ」


「…それもそうね。それじゃ、あたし後で渚も誘ってみるわ」


「放課後に?」


「うん。一人くらい増えても平気でしょ?」


「うん、大丈夫だと思う…」


いつの間にか話が決まっていた。


「あ、そうそう。ことみも参加だから、よろしく」


「うん」


「…全然驚かないのね」


「おまえの行動パターンはわかりやすいんだよ。横暴という意味で」


「なんか言った?」


「いや、なんも」


俺はとぼけた。


「みんな、一緒だから」


俺と杏がバトルをしていると、ことみがぽつりと言った。


「ん?」


「はい、そうです…。もちろん風子も一緒です」


風子がそれにこくりと頷いて答える。


ことみも風子も、一人ぼっちの時間が長かったが、今では人と一緒に過ごすのも悪くないと思ってくれているようだった。この二人、実は仲がいいな。俺は嬉しくなる。


「いや、あんたは来てもこなくてもどっちもいいけど…」


「おにぃちゃんっ、この人とても失礼ですっ」


暖かな雰囲気は、杏の一言でぶち壊された。この二人、実は仲が悪いな…。俺はため息が出る。


「どうせ来ても、ケーキ食べるばっかでしょ。創立者祭、手伝ってくれるわけでもないみたいだし」


そういえばたしかに、風子がクラス展示を手伝うという話はないな。なんだかんだで手伝うものだと思っていたが、そういえば約束はしていない。


隣の風子は杏の連れていかない宣言に愕然としていたが…


「風子、とても忙しいですが、少しだけなら手伝ってあげてもいいです」


「それじゃ、ウェイトレスね」


「仕方がないです…」


「ねえ聞いた? この子も売り子するから」


言質をとった杏が、すぐさま後ろを振り返り、女子の集団(たしか衣装を作る係の生徒)に声を掛ける。


相手方もこちらの動向はチェックしていたようで、すぐさま了解の返事が来た。


「可愛いの作るからねーっ」


「よろしくーっ」


杏の奴、この展開を狙っていたな。


「……」


声を掛けられた風子は、どう反応すればいいのか分からない様子で俺を見上げた。


「手を振ってやれよ」


「…」


風子は機械仕掛けのようにぎこちなく彼女らに手を振った。片手は俺の服の裾をつまんでいる。


それを見て、相手の女子たちは口々に可愛いだの俺の妹分だとは思えないだの話す。余計なお世話だ。


「風子ちゃーんッ!!」


「うおおおぉぉ…! 超カワイイっ!!」


「…」


女生徒の黄色い声に混じって野太い声が聞こえてきたので、そちらの視線を移すと…


『風子ちゃん☆LOVE』と書かれたハチマキを巻いた男三人組(しかもクラスメート)がガッツポーズをしていた。変なのが増えている…。


俺は笑うしかなかった。


「あのハチマキの真ん中は、星ではなくてヒトデらしいです」


風子はクールにそう言った。大物だな、おまえ。


ともあれこうして、風子もクラス展示に手を貸すことになったようだ。


「では、放課後は風子も一緒に行きますので」


「まぁ、いいけど…。あのファンクラブみたいなの何なの? というか、冷静ね、あんた」


「風子の大人の魅力を考えると、仕方がないですから」


「大人の魅力(笑)」


「…やっぱり、とても失礼ですっ」


ぷすーっ、と笑う杏に風子はむくれる。


これはこれで、仲がいいのかもしれないな、などとも思った。



…。



杏から書類のことを一通り聞いた後は、放課後の話になる。


コーヒーの淹れ方を習う、というのがどれくらい時間がかかるのだろうか。


「でも、この前有紀寧ちゃんに教えてもらったの」


「そうね。あの時は考えてなかったけど、一回教えてもらったおかげで助かったわ」


「あったな、そんなこと…」


そういえば、たしかに以前資料室で宮沢が彼女らにコーヒーの淹れ方を教えている姿を見たことがある。


あれから随分時間が流れたような気がするが、実際は大して前でもない。


「あんたはやってなかったわよね?」


「風子、見ただけでもうマスターしました。バリスタばりです」


「その自信がどこから出てくるか、一度詳しく聞いてみたいわ…」


杏は呆れたように風子を見た。


まあ、俺も一度聞いてみたいが…。それは今後にとっておくことにする。


「しかし、こっちの準備は結構進んでるんだな…」


俺は背もたれに体重を預け、深々と考え込んでしまっている。


大まかな見通しは立っているようだし、今後の予定も決まっている感じだ。


部活の方とはえらい違いだよな。


「やり始めれば、そうなるわよ」


「部活はそうじゃないし」


「ああいう芸術的な方面は、時間がかかっても仕方がないと思います…」


椋がフォローを入れてくれる。


「ていうか、脚本が問題よね」


「まあな」


「朋也くん、なにかいいアイデアは、できたの?」


「…」


ことみに問われ、俺は黙ってしまう。


いいアイデア。


…できていない。


「ああ、今ちょうど…熟成中だ」


言葉を濁す。


「つまり、全く進んでないってことね」


俺の必死の隠蔽工作は、目の前の鬼が綺麗に取り払ってくれた。


「おまえは婉曲表現というものを知らないのか」


「婉曲表現とは、物事を遠まわしに言う表現なの。婉は穏やかという意味で、曲はそのまま、曲がるという意味なの。婉曲表現は古語にもあって…」


…ことばのコラムが始まった!


「ことみ、お前には言ってない」


「そうなんだ」


残念そうに、肩を落とす。


「おまえだよ、杏」


「あっはっは〜、あたし、正直者だから」


「お姉ちゃん…」


椋は呆れたように苦笑いをするしかなかった。


「朋也はどうしようもない底辺クズです」


「バカにしてんのか、オラァ!」


「ほら、正直者だから」


全く悪びれる様子のない杏に、俺ももはや笑うしかなくなってしまった。


こうして杏と話していると、俺もいつしか毒気が抜かれて椋みたいになってしまいそうだ。


…というか、姉がこんだけ性格ぶっ飛んでいるから、椋は反動で静かな性格になったんだろうな。


だが、これだけ言われて黙っているのも癪なので、反撃の一計を案じる。


そういえば、こいつ、時々俺のこと好きっぽい素振りがあるんだよな。普段は全くそういう気配はない感じだけど。


そこを突っついてみたら、慌てたりするんじゃないだろうか?


「そんなこと言うって、逆にお前、俺のことが好きみたいだよな」


「えぇ…っ?」


一瞬、杏は俺の言葉を聞いて勢いよく顔を上げたが…すぐにすまし顔になって言葉を継いだ。


「ま、まぁ…そうね。好きよ」


「はあ?」


「…ええええぇぇぇぇっ??」


「そっか、杏ちゃんも、朋也くんのこと好きだったんだ…」


「す、すごい展開になってきました…! この感じですと、話の終盤でまず岡崎さんが殺されて、その後渚さんとこの髪の長いほうの人で決闘が始まるんでしょうかっ? 風子、すごくワクワクしてきましたっ」


「ワクワクするなよ…」


杏の爆弾発言。驚いたのは俺と椋だけだった…。


ことみはなんか納得した感じ? いや、こいつがびっくりする姿が想像できないし、この反応は普通か。


風子は…触れないでおこう。


「ていうか、マジ?」


俺は顔が熱くなるのを自覚しつつ、目の前の杏に顔を向けた。


うわ、マジで。え、ほんと?


でも改めてよく見ると、こいつ、普通に可愛いよな。性格以外は可愛いよな。性格以外は。


「お、お姉ちゃん…」


そんな俺たちの視線を集めた杏は、ふっと表情をほころばせた。


「ま、好きって言っても…そうね、この子と同じくらい、かしら」


「?」


手で示された、風子がきょとんと瞬きした。


「風子ですか?」


自分自分を指差して、杏に聞き返す。


「そうね」


「…」


風子は何故か、むっとしたような表情で杏を見返した。


「風子、おにぃちゃんのこと好きじゃありません」


「ふぅちゃん、本当?」


至極不思議そうに、ことみが聞いた。


「あ、いえ…好きというほどでもないと言いますか、嫌いとまではいかないと言うくらいの間柄でしょうか」


ことみの純粋な眼差しに押されてか、慌てて上方修正してくれる風子。少し嬉しい。


まあ、言っていることは全然よくわからないのだが。


…そんな俺たちの表情を察したのだろう。風子は呆れたようにかぶりを振った。


「仕方がないです。ここはわかりやすく図にしましょう」


そう言って、風子はどこからかスケッチブックを取り出して、きゅっきゅとマジックでなにやら書き込む…。


「さあっ、これでかなりわかりやすくなったはずですっ」


そういって、どん! と書いた図を俺たちに見せてくれた。


そこには、迷いのない筆跡で、こう書かれていた…。


ヒトデ>岡崎さん(←今ここ)>ウミウシ



…。



「…」


昼休みの喧騒が、一段と遠くなった気がした。


「今では、ウミウシより好きです」


「…ありがとう、杏」


ウミウシよりも、好きでいてくれて。


「いや、さすがに出会った時からウミウシよりは上だったわよ…」


「春原は?」


「今でも下ね」


「そうか…」


「…」


「…」


「…」


「余計にわかりづらくなったな」


「そうね…? もう少し面白くなるはずだったんだけど」


おかしいわねぇ…と首をかしげる杏だった。





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