folks‐lore 04/28



248


「三井? ああ、A組の?」


始業前にE組に赴き、杏にさっきの女生徒を誰何すると、なんの障害もなく彼女の出自が知れた。


「えぇと、髪は肩くらいで、眼鏡をかけてて」


「それじゃ間違いないわね。A組の委員長よ」


あっけなくわかって、拍子抜けする。さすが、顔が広い奴だった。


「そうか。悪いな、杏」


「別にいいわよ、それくらい」


彼女はそう言うと、俺に右手を差し出した。


「…?」


俺は彼女の白い掌を見て、杏の笑顔を見て…


ぽん、と、その上に手を重ねてみた。


「あんたは犬かっ」


ものすごい勢いで振りほどかれる。


「いや、わけがわからない」


「お礼よ、お礼。それくらいわかりなさい」


「…」


さもしい奴だった。


「なにがほしいんだよ」


「そうね、それじゃ…」


杏は一瞬、いたずらっぽい顔をしたが、やがてそれは邪悪な笑みになった。


嫌な予感がする。


「あんたの時間を、よこしなさい」


「…」


「今日の放課後の時間」


そうして、俺はその時間を、彼女に捧げることになったのだった。





249


一時間目が終わった休み時間、俺は風子を伴ってA組を訪ねた。


手には、ハンドタオル。


教室の中を覗いて視線をめぐらすと、他の何人もの生徒と同様、席について自習している三井の姿が見えた。


「そういや、あいつとはどれくらいの知り合いなんだ?」


傍らの風子に聞く。


「入学式の時に、少しお話をしました。席が隣だったので」


「ふぅん」


「…」


沈黙。


「…おい、まさか、それだけか?」


「はい」


俺はずるーっ、とその場で滑る。


「どうしましたか?」


「いや…」


想像以上に薄い関係のようだった。これでは向こうは、風子のことは覚えてないし、覚えていてもほとんど他人だ。


「あいつがおまえと仲いいなら、協力してくれるかもって思ったけど…」


「協力?」


「ああ、ヒトデ配りをさ」


俺はことみに答える。


「…?」


「朋也くん、おはようございます」


いつの間にか、傍らにことみもいた。


「風子ちゃんも、おはようございます」


「はい、おはようございます」


「そういや、おまえもA組だったな…」


忘れてた、と呟くと、ことみはぶわっと涙目になった。


「朋也くん、ひどい」


「あぁいや、嘘嘘。いつも図書室で会ってたからさ。教室で会うの、新鮮だな」


慌ててフォローする。


「ことみ。あの三井って奴と普段話する?」


「えぇと…」


俺の問いに、ことみは困ったように顔を伏せる。言いづらい否定の時の表情。


そういえば、あまりクラスメートとの付き合いがないというようなことをどこかで聞いたような気がする。見た感じ、話をする間柄でもないらしい。


もしことみが三井とそれなりに親しくて、いい感じに紹介してくれるなら楽だったんだが。


いい感じの紹介…?



『まだ見ぬ未来からこの男は帰ってきた!!
 光坂高校の腐った林檎、岡崎朋也だァァァーーーーーーッッ!!!!』



…。



「…」


何この選手入場。


ともかく、実際、あそこまで図書室に入り浸っていたら親しい友人も作りづらいだろう。風子やことみを介して話しかける選択肢はなくなってしまったようだ。


だが、最初からそのどちらも期待していたわけではなかったのだと気を取り直して、俺はふたりに行ってくる、と声をかける。


…状況のわかっていないことみは、きょとんとしていたが。


「なあ」


集中して机に向かっていた彼女に声を掛ける。


「落し物を届けに来たんだが、いいか?」


逃げられないように(さすがにここから逃げることは考えづらいのだが)先に要件を告げる。


三井は自習をしていたが手を止めて、ぽかんと俺を見上げた。


「あっ……落し物、ですか?」


一瞬かなり驚いた様子だったが、ちゃんとこちらの言葉は聞いていたようで、さっきみたいに騒いだりはしない。


俺は安心した。話すら聞いてもらえなのでは野獣と同じだが、それよりはマシなようだった。


「ああ、これ、おまえのだろ?」


言って、彼女の前にハンドタオルを置いた。


「あ…。私の、です」


呟いて、ぱちぱちとまばたきをする。じっとタオルを見て、少し時間を置いて、俺を見上げた。


「すみません、朝も、このことだったんですか?」


「ああ」


「…すみません」


本当に申し訳なさそうに肩を縮こまらせて顔を伏せる。


…なんだか、また俺が苛めてるように見えないか? 結構視線を集めているのを感じる。


「気にしてないよ」


「…」


俺がそう言うと、彼女は窺うようにこちらを見た。


「ちゃんと手元に返せて、良かった」


わけのわからないくらい善人発言だが、あえてそんなセリフを言ってみる。


その言葉は彼女を安心させるだけの効果はあったらしい、ようやく少しだけ、少女の口の端がほころぶ。


「ありがとうございました」


「いや、いいよ」


「実は、いい人なんです」


「うん。朋也くんは、とっても優しいの」


いつの間にか傍らにいた風子とことみがそんな言葉を付け加えてくれる。


「えぇと、はい……」


戸惑ったように頷く三井。そしてじっと、ことみを見つめる。


「一ノ瀬さん…?」


俺と関連のある人間だとは思えないのだろう、交互に見る。


「ちょっとした知り合いなんだ」


「お友達」


「そうなんですか…」


よくわかっていないようだが、曖昧な様子で再度頷く。


なんだか少し、困った様子だ。


まあ、浮いてる人間たちがいきなり話しかけてきたのだから、落ち着かなくなるというのもわかる。


三井は俺やことみから視線を外して、その隣の風子を視界に入れると、何かに気付いたように小さく口を開けた。


その反応で、三井は風子のことを覚えているのだとわかる。


二年前、たった一日だけ言葉を交わした相手だ。よく覚えていると感心してしまうが、むしろその後長期欠席になってしまった相手ということで、むしろ衝撃的な印象になっているのかもしれない。


「伊吹…さん?」


「はい…」


ふたりは少しだけ、見詰め合う。だが積もる話があるわけでもなく、すっと視線はそらされる。


「あの、風子、またこの学校に通うことができるようになりました」


少しだけ空気は緊迫して、風子は一生懸命三井に話しかける。


「そうですか…。それは、よかったです」


対して三井の言葉は、そっけないものだった。それはそうかもしれない。風子のことを、よく知っているわけでもないのだ。顔見知り、もしかしたらそれ以下。名前だけでも覚えているだけ、むしろありがたいくらいだ。今はそれで、満足するしかない。


「こいつも、あんたのこと覚えててさ、それで名前がわかってタオルを返しに来れたんだ」


「それは、ありがとうございます」


「あぁ、ちなみにこいつ、親戚な」


三井はちょっと不思議そうな表情だったので、補足しておく。ま、嘘なんだけど。


「そうですか」


「あの、三井さん」


風子はそう言うと、彼女にヒトデを差し出した。


「もしよろしければ、これを貰ってくれないでしょうか」


「…これは?」


三井は戸惑った表情を向ける。風子はそれに対して、公子さんの結婚の話を始める。そして、その話を聞いているうちに、彼女の表情は険しくなっていった。


これはまずいな、と俺は思う。


そしてやはり。


「…伊吹さん、申し訳ありませんが、受け取ることはできません」


話を聞き終わった三井は冷たく、風子の申し出を拒否した。


「伊吹さんは、まだ一年生だから実感が無いかもしれませんが…私たちは三年生で、今は何より、勉強が第一ですから」


そう言うだろうな、というのは表情からわかっていた。それでも、実際にこう言われてしまうと胸が痛んだ。


…彼女の言い分は、わからないものでもない。余裕が無い答えではあるが、間違った答えとも思えない。


だがそれでも、俺は風子の味方なのだ。


「そんな、時間は取らせないだろ。それでもダメか?」


俺がそう言うと、三井は戸惑ったような視線を返した。


「…これを返しに来てもらったのは感謝しますけど」


「…」


それでも、意見を翻すつもりはないようだった。


「…あなたたちには、きっとわからないです。こんな気持ち」


進学について考えるにはまだ遠い風子。進学を考えても無い俺。進学先を自由に選べることみ。


たしかに、この学校の一般的な感性とはずれたメンバーだ。


それで、彼女を説得しようというのが無理があるのだろうか。


…結局、次の授業が迫っているので俺たちはA組を後にする。


三井は俺に対する警戒心は少しは和らいだようだった。そしてそれでも、俺たちの距離は限りなく遠い。





250


「おい、岡崎」


「…あん?」


三時間目の授業が終わった休み時間。話し相手の春原も今日はいないし、手持ち無沙汰に肘をついて外を眺めているとクラスの男から声をかけられる。


「おまえ、噂になってるぜ」


「…?」


首をかしげる。


噂?


俺は男を見上げた。名前も覚えていないクラスメートだった。顔に見覚えはあるが。


噂というのだから、また俺を貶めるようなものなのだろうかとも思ったが、相手の顔を見て、様子が違うようだと感じた。


…そいつは少し、ニヤニヤしていた。嫌味なものではなく、くすぐったく同調しているような笑みだった。


「おまえと春原で、あの会長をコケにしてやったんだって?」


「あぁ、それ、俺も聞いたぜ」


近くにいた他の男が話に加わってくる。そいつも、悪意あるような様子ではない。


「会長とケンカしてさ、停学になったみたいだな」


「あぁ、まあな…」


俺は押し切られるように、相槌を打つ。


相手の男たちは結構テンション高い様子で、俺はどう反応すればいいのかよくわからなかった。


「あぁ、正直会長のことは好きじゃなかったし」


俺の表情を見てだろう、男子生徒の一人はそう付け加える。


「そうなのか?」


「あぁ。なんつーか、真面目一辺倒っていうよりも、あそこまでいくと神経症だよな」


「ま、粗探しが好きな感じではあるな」


「…会長、人気はないんだな」


「まあな」


「まあ仕事はやるけど、人柄としてはな」


たしかに、実務能力はあったとしても、人心掌握が得意というタイプではない。


「それで結構溜まってる奴らがいてさ、おまえたちが一矢報いてくれたってわけ」


「…報いたのは、俺じゃなくて春原だ」


俺は苦笑しながらそう言った。


実際、俺は呆然と立っていただけだった。俺は何も言えなかった。俺は、小賢しくなっていたのだ。


俺は本心からそう言ったが、相手はそれを謙遜として受け取ったようだった。


意外に謙虚なんだな、というような同情を含んだような視線が投げかけられて、俺はなんだか気まずいような気恥ずかしいような気分になる。


…しかし、意外なところから悪いイメージを払拭するような噂になっているようだった。まあ、実際問題を起こしているということで眉をひそめている生徒もいるのだろうが。


それでも、少しでも歩み寄ってくれる相手がいてくれるというのは幸いなことだった。


俺たちはそのまま、休み時間の間雑談を続けた。


こうして男の同級生と話をするというのも、懐かしいものだった。


高校生だった頃、確かに俺には春原以外に言葉を交わす相手はいた。だがそれでも、俺は最後までそいつらに心を開けなかった。


当時付き合いのあった、素行不良とまではいかない、垢抜けた男子生徒たち。彼らと言葉を交わすことはあった。


だけど今は、その時よりもずっとリラックスして会話をすることができた。


俺が大人になったということもあり、彼らが俺に興味を持ってくれたということもあるのだろう。


気持ちがかみ合う感じ。やっとまともな学生生活に触れ合えたような気がした。


「あぁ、そういえばな、岡崎」


不意に、ひとりが思い出したように言う。


「俺たちもこのクラスの創立者祭の手伝いをちょっとやることにしたんだよ」


それは、当初、お祭りを楽しもうとしていた時に向けた異端扱いの視線とは違った。


「やっぱり、勉強ばっかじゃなくて息抜きも必要なのかなって思ってさ」


「そうそう。受験戦争を生き抜くためには、息抜きも必要だってな」


「え?」


「いや、なんでもない」


「…」


「ごめん、聞かなかったことにして」


片方は、意外に愉快な男だった。


そして俺は彼らの言葉に嬉しくなった。


自然と礼を言って、相手もそれにまんざらでもない様子。


「ま、勉強は第一だけどな。でもそれだけじゃないからな」


…その通りだと、俺は頷く。


勉強も大事だと思う、俺もそれは否定するつもりは、今はない。


だけどそれだけではないのだ。


そう、そのためだけに今の時間を過ごしていてもしょうがないのだ。


俺は、先ほど冷たい視線を向けた少女…三井に、そう言ってやりたかった。




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