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225
部室に戻ると、ちょうど外していたタイミングに部室に来ていた芽衣ちゃんが待っていた。
俺たちは先ほどの話をする。
…。
「て、停学ーーーーーっ!?」
春原の話を聞いていた芽衣ちゃんが、幸村に三日の停学を言い渡された話になった時には、声を上げてふらふらっと後ずさる。
「…おっと」
そのまま倒れてしまいそうだったので、彼女の体を支える。
小さな姿は、すっぽりと俺の胸に収まった。
「あっ、わっ、すみませんっ」
顔を赤くして俺を見上げて、ぱっと離れる。
「ああ、いや…」
「なあ芽衣。停学っていってもさ、大したことないよ、実際。別に初めてじゃないし」
「停学の回数くらいしか人に誇れるものないしな、おまえ」
「誇れることじゃないでしょ」
俺が茶々を入れて、杏がツッコミ。
「ああもう…わたし、明日帰ろうと思ってたのに、これじゃおにいちゃんが心配で帰れないよ…」
「いや、別にいいよ。帰れよさっさと」
「そういうわけにもいかないのっ」
兄弟喧嘩が始まった。
「やれやれ…」
俺は肩をすくめる。放っておいたほうがよさそうだった。
「渚、今日はあと部活、どうする?」
「えぇと…」
渚は戸惑ったように答えて、時計に視線をやった。午後三時くらい。下校時刻までは間があるが、今日の目標の発表会自体は終わっている。
根をつめて反省会を開いてもいいし、解散でもいい。
「…今日は、もう帰ろうかと思うんですが」
窺うように、俺を見た。
「ああ」
たしかに、色々あって疲れてるし、それがいいかもしれない。
何より渚は劇を演じていて、部員じゃ一番消耗しているはずだった。
以前も、劇のあとなんかは結構疲れた様子だったことを思い出す。俺は裏方だったりするから、役者が一幕演じてどんな気分になるか、よくわからない。
むしろこちらから帰ることを提案すればよかったな、とも思う。
「そうですね、渚さんも疲れたでしょうし」
宮沢はにっこり笑ってそう言う。こいつなんかは、俺の百倍くらいは渚の疲労を把握してくれているような気がする。
「発表会がありましたし、私もそれがいいと思います…」
「実際、あたしたちこのあと用事があったからその方がちょうどいいわね」
「あぁ、クラスのほう?」
「そうよ。あんたも、そろそろこっちでも働いてもらうわよ」
「ああ、わかったよ」
藤林姉妹は、かなりタイトなスケジュールで動いているようだった。学内か、外か、どこかで別作業が進行しているのだろう。
しかし思うと、なんだかんだ、クラスのほうはあまり手を出していないような気がするな。
ここのところ、部活が結構色々あったから、勘弁してくれていたのだろうか。さすがにずっと放っておいてはくれないだろうが。
「ことみは、今日はどうするんだ?」
「ええと…」
声をかけると、ことみはぼんやりと視線を宙に向けて…やがて、ぽん、と手を合わせてこちらに目を向ける。
「今日は、家に帰ってご本を読むの」
「いつも通りだな」
「うん」
聞くまでもなかった。
というか…
「おまえ、本を読む以外なにしてるんだ?」
「お料理とか、お掃除とか…」
「いや、そうじゃなくてさ」
「?」
「ほら、あるだろ、色々」
「お洗濯?」
「家事じゃない」
「??」
頭の上に、ハテナマークが浮かんでいた。
「趣味みたいなもんだよ。ショッピングとか…ああいや、おまえの場合の買い物だと本ばっかだよな…」
「あと、お料理の材料」
やはり、服とか雑貨を買おう、などという余暇ではないらしい。
ことみは何気にすげぇ家庭的だよな。
「映画とか、見に行かないのか?」
「…」
ふるふる、と首を振った。
一人でいると、どうやら家にこもりっきりのようだった。
「しょうがないな…。んじゃ、今度行ってみるか」
「うん」
ことみはこっくりと頷いた。
「…原田さん、見た?」
「見た。デートのお誘いだった」
「すっごい自然だったね…」
「うん。自然だった」
杉坂と原田がぼそぼそとなにやら話している。
「おまえらは今日はどうするんだ?」
下級生たちに聞く。
「そうですね…杉坂さん、今日これから暇なの?」
「あ、うん。部活が夕方まであると思ってたから、なにもないけど」
「それじゃ、行こうって言ってたあのお店、行こうよ。原田さんも」
「今日ならちょうどいいわね」
「うん、私もそれじゃ一緒に行くね」
きゃいきゃいと話している。こいつらも結構仲良いよな。
「宮沢は?」
「わたしは、お友達のところに遊びに行こうかと思います」
「ああ、気をつけてな」
「あ、はい。ありがとうございます」
宮沢はこっくり頷く。不良どものお友達だろう。
「渚は真っ直ぐ帰る?」
「はい。少しだけ、疲れちゃいました」
「いや、しょうがないよ。人前で発表なんて初めてだったしな」
「ありがとうございますっ」
渚は少し嬉しそうに笑う。
彼女にとっても、劇は割といい形で終わらせることができた、という手ごたえがあるのだろう。
その後呼び出されてごたごたがあったが、当の春原が涼しい顔をしているので、そこまで悲愴な事態だとは受け止めなかったようだった。もっとも、さっき出てくるのを待っている時なんかは、かなり深刻な表情だったけど。
でも、当人は妹といちゃついているし。
話しながら、各々鞄を手に持つ。
「風子、行くぞ」
「はい」
ぱぱっと意外に手際よく身の回りのヒトデをトートバッグにしまいこみ、さっと隣に並ぶ。
「春原。芽衣ちゃんも、行こうぜ」
他の部員たちはもう部室の外に出ていた。
「あぁ、うん」
「はーいっ、今いきまーす」
あれこれと話をしていたふたりに声をかけると、鞄を持って歩いてくる。
ひとかたまりになってぞろぞろと、俺たちは放課後の廊下を歩いた。
226
「岡崎さん、岡崎さん」
帰り道、芽衣ちゃんがすすす、と近付いて声をかける。
「あの、わたし、今日はちょっとおにいちゃんの家に寄っていきますね」
「ああ、わかった。ご飯はどうする?」
「おにいちゃんと一緒に食べようと思います。色々、話したいこともあるし」
「そうか」
今後のこと。家族の中で話し合わなければいかないタイプの話というのも、あるものなのだろう。
俺の、友達という立場からであれば、バカみたいに笑っていられるが、そんな視点だけじゃいけないというのもわかる。
だが…
「…なあ芽衣ちゃん、あんまりあいつを怒らないでくれよ」
「えっ?」
「あいつは暴力を振るったけど、それはあいつがバカだからじゃない」
「…くすくすっ」
俺が春原の弁護をすると、芽衣ちゃんは楽しそうに笑った。
「はい、わかっています」
楽しそうに笑って、嬉しそうな、表情だった。
芽衣ちゃんは輝くばかりの笑顔で俺を見上げている。
「おにいちゃんが、自分のためじゃなくて、みんなのためにああしてくれたって、わたしも話し、聞きましたから」
「そっか…」
「よかったです。おにいちゃんはやっぱり、全然、変わってなかったです。あんまり人に自慢はできないけど、本当に大変な時には助けてくれる、そういうところが、昔からわたし、好きだったんです」
好きって言っても、変な意味じゃないですよ、と付け加える。
俺は少し笑った。
春原も、芽衣ちゃんも、歌劇部を通じて少しずつ、分かり合えるように…幸せに、なってくれているのならばそれでいい。
時が流れれば関係は少しずつ変わり、人の心も変わってしまう。
だが問題は、そんな表面的なものだけではない。
変わっていくものがある。それはとても大切なことだ。
だが…。変わらずに、ずっと残っていく物だってあるのだ。
そのふたつは、それでひとつなのだ。
片割れのみを観察していても、大切なものにたどり着くことはできない。
芽衣ちゃんの言葉に、俺はそんなことを思った。
「おにいちゃん、はぐらかしてますけど、停学があけたら部員になってくれるみたいですね」
「あぁ、それも良かったよ」
「あはは、わたしも力になれてよかったです。やっぱり、お兄ちゃんは部活って好きだと思っていましたし…それに、一緒にいるのがみんな素敵な方だなってわかりましたから、本当によかったです」
よかったよかったと繰り返す芽衣ちゃん。
それを横目に見つつ、たしかに春原はまだ部員になると宣告はしていないな、と思う。
…折を見て簡単にでも挨拶させておこう。
春原の姿を見やる。
前のほうで、宮沢と楽しそうに話しながら歩いていた。なんとなく業腹。全くのんきな奴だ。
「そういえばさ、芽衣ちゃん、いつ向こう帰るんだ?」
ふと思いついて聞いてみる。
先ほど、明日帰る予定だった、などと言っていたはずだ。
「まだちゃんと考えてないんですけど、おにいちゃんが学校に行けるようになったらにします。ですので、木曜日ですね。…はぁ、きっとお母さんに怒られちゃいます」
「放って帰ってもいいのに」
「そういうわけにもいかないです。きっとわたしが見てないと、謹慎中なのに外に出歩いて先生に見つかったりして、また問題になっちゃいます」
随分信頼がない兄のようだった。あいつならば仕方がないが。
「親、怖いんだな」
愚痴っぽくなりそうだったので、話をそらす。
「そりゃもう、すごいです。今のぐうたらなおにいちゃんを見たら、きっともう喜んですごく怒ると思います」
「…」
喜んで怒る…?
なんにせよ、かなりエキセントリックな人のような気がしてきた。
「あ、でも、お父さんはどちらかというとだらしないです」
「へぇ。そりゃ遺伝だな。春原は親父さんに似たのか。芽衣ちゃんはその喜んで怒るお袋さんに似てるのかもな」
「もう、岡崎さん、わたしそんなにいつも怒ってばっかじゃないですよっ」
芽衣ちゃんがわざとらしく頬を膨らませて俺の背中をぱんぱんと叩く。
俺は笑って、とん、とんと二歩だけ前に押し出された。
それを見て、芽衣ちゃんも笑う。
穏やかに時間は流れていて、いまや部員は揃っていた。
周りを見渡す。
空、そろそろ夕方。
町、ほのぼのと歩く住人たち。
夕飯の支度らしき主婦や、放課後の学生。
そこここで、働く人たち。たとえば…電柱の上で作業している、若い男。
「あ…」
俺はつい、声を上げる。
一週間ぶりに、彼の姿を、見た。
それは芳野さんだった。
ちら、と彼がこちらに目をやったのがわかった。
たまたまか、あるいは俺たちが結構うるさいのかもしれないな。まあ、集団だからな…。
俺は軽く手を上げて挨拶。
芳野さんも一拍置いて、すっと手を上げた。それだけで随分様になっている。
この距離でも、俺だということはわかったようだった。それが少し嬉しい。
「お知り合いですか?」
芽衣ちゃんが聞く。
「あぁ、ちょっとな」
向こうは仕事中だし、さすがに言葉を交わすというほどのことはない。
芳野さんはすぐに仕事に戻り、俺たちはやがてそこを通り過ぎた。
227
「ただいま」
「おじゃまします」
風子とふたりで家に入る。
ここ数日は芽衣ちゃんがいたから、俺たちだけだと途端、口数は少なくなる。
俺はそこまで話すほうでもないし、風子だってそうだ。まあ、騒がしいときは騒がしいのだが。
俺は反射的に、さっと土間のところの靴を見る。親父は帰っていないようだった。
朝、あれからずっと帰っていないのだろうか。どこに行っているのだろう。
…だが、まさかこれくらいで探しにいくというわけにもいくまい。そもそも、親父がこんな時間から帰っているのは見たことがないのだし。
「今日の飯はなににするんだ?」
「…?」
ついつい俺はそう言って、視線の先で風子が不思議そうに首をかしげた。
「…」
「…」
そうか、今日は芽衣ちゃんは夕飯はいないのだった。
数日でなんだか作ってもらうメンタリティーになってしまっているよな。ずっといるわけでもあるまいに。
「岡崎さん、風子の手料理が食べたいなんて、百年早いです」
風子は不満そうに、ぷい、と顔を背けた。
そんな自信満々に拒否されても困るのだが。
「ていうか、百年経っても食べれる出来にはならないような気がするけど」
「いえ、そんなことないです。芽衣ちゃんとご飯の練習をしましたから、今なら一流の料理を作れると思います」
「手伝いだけですごい自信だな、おまえ…」
だがまあ、今日は俺が作ることになるんだろうな。まあ、別に嫌いというわけではない。
できれば人が作ってくれたもののほうが好き、というだけなのだ。
風子手製の食事なんて怖くて毒見役が欲しいところだし。
「適当に作るから、手伝いくらいはしてくれ」
そう言うと、風子はこくり、と頷いた。
…。
「あの、岡崎さん」
ふたり並んで野菜の皮をむいていると、風子が俺を見上げて声をかける。
「岡崎さんは、渚さんと結婚されたんですよね」
「ああ」
「学生の頃から、付き合っていると聞きました」
「そうだけど」
「いつ頃からだったんですか?」
「…」
俺は少し考えてみる。渚と付き合い始めたきっかけ。
えぇと、なんでだっけ?
たしか合唱部と喧嘩して、そのどさくさだった気がする。さすがに結構昔のことなので、詳しく覚えているというほどではない。
まあ、創立者祭のちょっと前、というくらいだから…
「ちょうど、今の時期くらいだな」
「そうですか」
風子は俺の答えを聞いて、もくもくとじゃがいもの皮むきに戻る。
俺は彼女の表情を窺う。
…特になにか思うところがあるという表情でもなかった。
疑問に思いながらも、多分大した質問でもなかったのだろうと思う。俺は自分の作業に戻る。たまねぎを切る。目にしみる。
「…岡崎さんは、渚さんと付き合わないんですか?」
「は?」
「告白したりとか、です」
風子が再び、俺を見上げていた。俺たちの視線がかち合う。
「…」
「…」
「付き合うって…」
そこまで言って、言葉は続かない。
俺が渚と付き合う。再びふたりで未来を見つめ。それは決してありえない選択ではないのだと思う。
…だが、そうしようという意思が、現状ないのも事実だった。
「今は、他の奴らも関わってきてるし、劇作りだって忙しいし、そういうわけにもいかないな。そんな暇ないっていうか」
「ですが、前はそうだったんですよね?」
「…」
今度こそ、俺は押し黙ってしまった。
たしかに、そういえば、渚と付き合おう、という選択肢はあまり考えていなかった。
それは、どうしてだろう。
少し考えてみるが、あまり明確な理由は思い浮かばない。
おぼろげな理由であれば、いくつでも浮かぶ。
以前と同じ道を歩むことばかりが大切なわけではない。今は多くの人たちが渚に関わっているから、そんな友情を優先してやりたい。
だがそれらの理由は、翻ってもおかしくはない、と思う。
今もうすでに、俺と渚が手と手を取り合っている、というのは全く勘違いな妄想というほどではないのだ。
…だが実際、そんなことはないし、そうなりそうな予感もない。
結局のところ、俺はまだ前と同じような道を歩むのを恐れているのだろうか。
考えてみても、よくわからない。
「よくわからないな」
俺は正直にそう言う。風子に体裁をつくろっても仕方がない。
「同じ失敗を繰り返しそうで、怖いのかもしれないな」
「…」
俺は独り言のようにそう言う。
風子は心を掘り返すような瞳で、俺を見ている。
…。
夕飯を済ませるとやがて芽衣ちゃんが帰ってきて、雑談したり、風子のヒトデ作りを手伝ったりしながら夜を過ごす。
明日は渚の家に行くのだ。
今自分が、自分たちが、どこに進んでいるのかはわからない。
だがそれは、間違いなく俺にとって何らかの一歩になるはずだった。