folks‐lore 4/26



221


俺と春原は、生徒会室の前に立つ。


「ねぇ岡崎。こんな呼び出し、ご丁寧に来なくてもよかったんじゃない?」


「バカか。そうしたら付きまとわれるだけだろ」


「突っかかってきたらきたで、返り討ちにすればいいよ」


「あのな、そうしたら部に迷惑がかかるだろ」


「また、部活かよ」


「悪いかよ」


呆れたような春原の口調に、俺は顔を上げて目を向ける。視線がかち合う。


これから生徒会になにを言われるかわからない焦燥感で、互いに気が短くなっている。


「べっつにー。でもさ、守るものがあるって、大変だよねぇ」


「守るものがないよりかは、マシだろ」


部活。守るもの、というと意味合いからは外れるかもしれない。だが春原の言いたいことはわかる。


どこかに属することは、そのしがらみを引き受けることだ。


だが俺は、引き受けるのはそういった苦労ばかりでないことを知っている。そして、春原も、それくらいのことはわかっているはずだった。


「…ま、そうかもね」


だからだろうか、あまり突っかかってこようとはしない。


「で、春原」


「なに?」


「ノック。おまえがしろよ」


顎で扉を示す。


「やだよ。なんで生徒会なんかにそんなことしなきゃいけないんだよ。蹴破りたいくらいだぜ? 岡崎がやれよ」


「ていうか俺ももともと生徒会とは揉めてるんだしな。俺だって蹴破りたいくらいだ」


「…」


「…」


話が硬直する。生徒会室に入ろうという意欲が湧かない。


「…」


「そういえば」


ずるずると中に入るのを引き延ばすように、話題をかえる。


「ん?」


「おまえ、劇見てどう思った?」


「どうって…感想なら、さっき言ったでしょ。期待してたよりは全然良かったよ。ああいう暗い話って好きじゃなかったけど、意外に面白かったよ」


「…」


暗い話…。


「でもまだ、完成してるわけじゃない」


「そうだろうね」


「劇のこともそうだし、部員も必要だ」


「…」


「春原」


「なんだよ」


呼びかけられて、春原は顔をしかめて俺を見た。表情は渋いが、それはどことなく作った表情のような気がする。ここのところの態度を見ていて、春原は歌劇部に対する嫌悪感は随分と収まってきたと思う。心の底からうざったく思っているわけではないだろう。なにせ、わざわざさっきのお披露目に付き合ってくれているのだから。


「おまえに部員になって欲しい」


「…」


「…」


「は…」


しばし顔を突き合わせていたが、春原は息を吐いて顔を背ける。


「岡崎も、随分熱血になっちゃったねぇ」


「…どうだかな」


熱血というと違う気もする。


正直言って、部活をやることで何かを目指しているというわけでもなかった。


俺はただ、俺たちの居場所が欲しいだけなのだ、おそらく。


渚の居場所をつくってやりたいと思い、それならば、ばらばらだった周囲の少女らと混じっていきたいと思い、何より、わけのわからないまま過去の世界に紛れ込んだ自分自身の居場所をつくりたいと思っていたのだ。


それだけだ。


「ま、僕も答えは決まっているよ」


「…」


「岡崎、僕はさ…」


「おぬしら、ドアの前でなにをしとる」


「…」


「…」


会話がぶった切られる。


俺と春原は黙り込んで…後ろからいつの間にか近付いてきていた幸村に顔を向ける。


「む…なんじゃ…?」


「いや…」


「ヨボジイかよ、こんな時に」


間の悪い爺さんだった。


「人が心配してきたのに、なんじゃその言い草は…」


放送を聞いてか、俺たちのことを心配してきてくれたらしい。この人にも迷惑をかけっぱなしだな。


「じいさん、悪いな」


「なんじゃ、岡崎。やけに素直だの…」


「うん。面倒になったら全部頼むぜ、ジジイっ」


「いや、俺はそういう意味で言ったわけじゃないけど」


「あ、そうなの?」


「やれやれ…。おまえたちは、どうして呼び出されたのかは聞いてはおらんか?」


「いや、知らない」


「ふむ…」


幸村は顎に手を当てて、じっと扉を見た。


「…それでは、本人に聞いてみるしかなかろう」


そう言うと、扉をノックした。







222


生徒会室。


その中で、俺と春原は会長と向かい合っていた。俺たちの後ろには幸村が控えている。


が、会長は憎々しげな視線を一瞬俺に向け、幸村に顔を向けた。


「幸村先生。すみませんが、僕たちだけで話し合いをさせていただけませんか?」


「ふむ…」


「お願いします」


「話の用件は、部活のことではないのかの?」


「いえ、その…少し、個人的な話なので」


会長は、動揺して視線を泳がせながら、そう言う。


「うむ…。それなら、わしは外したほうがいいかの」


「はい、すみません」


会長はあからさまにほっとした様子で、幸村が教室を出て行くのを見送った。


そして、俺たち三人だけになると途端、憎々しげにこちらを見た。


「出来損ないの不良でも、こんな時だけ教師を頼るんだな」


「あん?」


「そこで会っただけだ。それより、何の用だ?」


相手の蔑む言葉に反応した春原にかぶせるように、俺は会話を前に進めた。


会長はふん、と小さく鼻を鳴らす。椅子に深くもたれかかり、腕を組んで目を閉じて…口を開く。


「坂上さんのポスターに落書きをした犯人がわかった」


会長は吐き捨てるように言う。


「同じ候補者の一人だった」


「…」


やはり、そうか。


瞬間的に頭に浮かんだ感想は、そんなものだった。


智代はこの学校で恨みをかうようなことはしていないと思う。


だとしたら原因として考えられるのは、生徒会選挙で弊害となったから。


もしくは昔あいつに熨された本人・もしくは知り合いがやったという可能性もあったが…さすがにこの学校の人間でそういう奴はいないのだろう。


「犯人の生徒は、この間、おまえらが坂上さんと一緒になって喧嘩をしているのを見ていたらしい。それで、朝みたいな侮辱を書かれた」


「…」


会長もあの喧嘩は見ていたようだし、意外に多くの人間に見られていたようだ。


多くの人間が、実際に智代が喧嘩していて、普段も俺たちとつるんでいるのを見ている。


暴力女。…全く言われない噂だと撥ね退けるには、ちょっと状況証拠が揃いすぎている。


正当防衛だとはいえ、暴力であることに変わりはないだろう。まして俺たちの風評が、話題をネガティブな方向に大きく振っている。


「岡崎、僕は朝、坂上さんに近付かないように言ったはずだ。だが、話に聞くとあの後すぐに彼女の教室に来ていたみたいだが?」


「よくそんなこと知ってるね。ストーカーかよ」


「…」


春原が嘲るような茶々を入れて、会長は顔をしかめて春原を見た。


「犯人がわかった時に彼女の教室に行って、その時に彼女の友人たちが教えてくれた。それだけだ」


告げ口されたということか。俺と智代がつるむのが、不快と思う奴がいるようだ。


智代のクラスメートにとって、会長のほうが俺より断然信頼できる人間だということか。そう思うと、酸でも飲んだような気分になる。


だがそれでも、俺があの時彼女の様子を見にも行かないという選択肢はありえなかった。


「おまえたちのせいで、彼女に迷惑がかかっている」


「迷惑? おい、迷惑だって、あいつが言ったのかよ?」


春原が不快そうに言った。


「彼女がそんなことを言うはずがないだろう。だが、傍から見ているほうがよくわかることだってある」


「俺たちの存在は、邪魔になると?」


「ああ、そうだ」


「…」


俺は頭が痛くなる。


くだらない、と思いながらも、ずしりとした一撃となる言葉。


何度も何度も否定しながら、胸の奥にへばりついている迷いのようなものがゆっくりと顔をもたげる。


この男の言っていることを受け入れようとは思わない。


だが、完全に間違っているわけでもないとは、思う。


「僕たちは、おまえの言葉に従うなんて真っ平ごめんだね」


春原は一転、へらへらしたように男を見た。


「僕らが智代となにしてたって、口を挟む権利なんてないだろ。いくら会長だといってもさ。だから、そんな脅しなんて意味ないよ」


「脅しで言っているわけじゃない」


「あん?」


「この間揉めていたのは、工業高校の生徒のようだな」


会長は、淡々と言葉をつむぎながら、冷静な目でこちらを窺っていた。


「結局、部活の練習だという話になったようだが…」


「実際、部活の練習だ」


「そういうことにしておこう」


俺の言葉に、会長はせせら笑うように口を歪めた。


「だが、それなら、もう一度その不良たちを集めて、事情を聞いてみようか?」


「…」


「…」


俺と春原は、黙り込む。


繋がりのない相手を引っ張ってくることはできないし、ましてやそいつらと口裏を合わせようなんて無理だ。


なにより、会長は間違いなく嘘をついて言い逃れたことに気付いている。あんな張りぼてのような逃げ口上ではこれ以上役に立たない。


もし喧嘩していたなどとばれてしまえば、かなりまずい。


体裁として歌劇部を巻き込んでしまっているので、俺と春原だけの問題ではすまなくなってくる。


歌劇部が集団になって、他校の生徒と揉め事を起こした。そんな構図にパッケージされてしまったら、さすがに今度こそ名誉の失墜は避けられない。ただでさえ先週合唱部ともめていたのだ。


…会長は俺たちの首根っこを掴んでいる。それは間違いない、事実だった。


「やっぱり、脅しじゃねぇか」


「脅しではない」


視線が交錯する。


会長は冷めた目で、メガネをクイッと持ち上げた。


「取引だ」


「…」


「…」


取引?


俺は少しだけ混乱する。取引?


「おまえたちは坂上さんに近付かない。そして僕はそちらの部活には関わらない」



…。



静寂が、満ちる。


俺たちの心の中、様々な考えがぐるぐると渦巻いて巡っていた。


智代にもう近付かない? そうすれば部活を守れる?


それはいいことなのか?


智代はうまく選挙に勝てるのだろうか?


お互いに幸せになれるのだろうか?


この決断はどうすればいいのだろうか?


いや、だが、受け入れる以外にやりようはないのか?


事を荒立てるくらいなら、条件を呑んだほうがいいのか?


「おい、てめぇ」


沈黙を破ったのは、春原だった。


「てめぇが言った、取引は…智代は、知ってるのかよ?」


「いや、知らない。僕が好意でやっているだけだ」


「…好意?」


低く、春原の声が響く。


男はそれに気付かないように、教科書でも暗唱するような声音で話を続ける。


「そうだ。おまえらみたいな奴らと一緒にいると、彼女も同類だと思われるからな」


「…」


「よくもまあ、問題児ばかりを集めたものだな、おまえたちの部活は。せめて人を巻き込まないように活動してくれ」




…ガッシャアアアァァァァァァンッ!!




けたたましい音。


俺も会長も、電気を流されたようにはっとして体を震わせた。


春原が手近にあった机やイスを蹴散らした音だった。


「ふざけんなぁぁーーーーーーーーっ!!」


雄叫びを上げるように、春原は頭を振り回して、声を上げた。


静止の言葉すら喉に張り付いて俺はぼうっと立ち尽くしている。


春原は大股に会長に詰め寄って、胸倉を掴んで、無理矢理に立たせる。


「なっ…ぐっ」


男はなにか言おうとしたが、乱暴に襟元を掴まれていて、言葉が出ない。


「てめぇはっ、あいつがどんな気持ちかも知らないでっ、こっちがどんな気持ちかも知らないでっ、そんなこと言ってるのかよっ!!」


春原が空いた拳を握り締める。


肘が持ち上がる。拳が振るわれる…


そう思った瞬間。


「春原ーーーーッ!!」


後ろの扉が開いて、雷が落ちたかのような声が響いた。


喉の奥まで震えるような、声だった。


俺はビクッと体を伸ばしてしまう。


我を忘れて会長に殴りかかっていた春原も、気圧されて動きが固まった。


一瞬、硬直。


その一瞬、俺のすぐ横を足音荒く小さな姿が通り過ぎる。


姿は小さいのだが、まるで膨らんだかのようにいつもより大きく見えた。


幸村先生だった。


あの人が、あの声を出したのか?


普段のイメージとはかけ離れている。だけどあの人の声だった。


いつもと違った達者な居振る舞いで掴みかかった手を外した。


春原はぽかんとしていて、力の抜けた手は行き場もなく落ちる。


腕を外された会長が咳き込む。


静かな教室に、そんな耳障りな音が聞こえる。


春原と老教師が向かい合っている。沈黙。


幸村は背を向けていて表情はわからない。だが彼の顔を見る春原は、鬼でも見たような表情だった。


「おぬしら、なにをしておる…っ」


「あ…」


「せ、先生っ」


息を整えた会長が、慌てて幸村にすがる。


「今、見ましたかっ。こいつが僕にぼうりょ」


「少し黙っておれっ」


「…ッ」


幸村にどやしつけられ、会長は引き下がる。


「わしはすぐそこで待っておったから、会話は聞こえておる」


「じゃあ、こいつのほうが悪いってさ…」


「春原、おぬしも黙っておれ」


「…」


「岡崎」


幸村が半分、こちらに振り返る。


いつもは穏やかに細められている目が、眼光鋭く薄く開いている。


異様な、威圧感。


「あ、ああ」


俺は思わず、頷いていた。


「ふたりから話を聞く。おまえは、生徒指導の教師を呼んで来い。いなければ、学年主任でもよい」


「ああ、わかったよ…」


答えると、俺は慌てて教室を後にした。


最後に教室を振り返ると、幸村がふたりに乱れた机やイスを直させているのが目に入った。





223



廊下には、歌劇部の面々が待っていた。


全員…沈んだ表情で俺を見ていた。


「岡崎さん…」


「渚」


ドアを閉めると、ぱたぱたと渚が、続いて他の部員も近付いてくる。


「あの、なにがあったんですか? 春原さんは?」


「…中の話は、聞こえていたのか?」


「あ、いえ。幸村先生がドアの前にいたので、なんだか近寄りづらくて…そこのところで、待っていました」


階段の陰になっている辺りを示す。


「それで、見ていたら春原さんの声が聞こえて、先生が中に入っていって…」


言いながら、渚は泣きそうな表情になってきた。


不安が降り積もってしまっているのだろう。俺は彼女の頭をぽんぽんと撫でた。


「大丈夫だ」


「はい…」


「安心しろ」


「はい…」


言いながら、ぐす、と渚は鼻をすすった。


「春原は、俺たちのために怒ってくれた」


「え…?」


頭に俺の手を載せたまま、渚がぽかんと俺を見上げる。


「本当は、俺が怒るべき場面だったんだ。だけど、あいつは、俺の分まで…この部活の全員の分まで、怒ってくれた」


そう。


あの場で…


憤りを感じながらも、恭順を考えていた俺に代わって…


春原は、歌劇部全ての名誉を賭して、ひとりで相手に向かっていってくれたのだ。


…春原は。


もはやきっと、俺たちにとって、お客様などではないのだと思った。






224



生活指導の教師を呼んで、俺たちは生徒会室の出口のあたりで待った。


部員たちは中でのやり取りを質問してきたが、俺はそれに対して口を閉ざした。聞いても面白い話ではない。


長い間、各々壁に寄りかかって待つ。


まるでドラマかなにかで手術の結果を待っている役者のような構図だった。そしてそれはあながちとんちんかんな例えというわけでもない。



…。



唐突に扉が開く。


ぼんやりしていたが、はっと体を起こした。


「なんじゃ、待っておったか…」


先頭に出てきたのは、幸村。


俺たちを見ると穏やかな表情で全員の顔を見回した。さっき見た、静かに怒りが降り積もっているような鋭さはない。


「じいさん…」


「先生っ」


「幸村先生、春原さんは…」


「なにか処分とかあるんですか」


「まさか、退学とかじゃ…」


口々に、俺たちは言う。


幸村は小さく頭を振って…


「両者ともに、停学、三日」


「…」


停学…。


その言葉に、息を呑む。


…だが、最悪の退学という結果ではないようだった。


「岡崎はおるし、ちょうどいいかの…」


老教師はそう言うと、うなだれて後ろに続いた会長に視線を向けた。


会長も、停学だ。


随分長い間話をしていたようだったから、憔悴している。


疲れ切った表情で俯いていたが、生活指導の教師に促され、顔を上げると俺の前までやってきた。


俺は会長を見る。相手は目を逸らしながら、俺の前に立った。


「…さっきは、乱暴なことを、言い過ぎました…。すみません…」


「え? あ、あぁ…」


唐突に、謝罪。


俺は曖昧に頷く。


会長は目を合わせぬまま、指導教師に伴われて廊下を歩いていった。


「春原」


「…」


一番後ろに続いて、意外にあまり疲れた様子でもない春原は、声をかけられて幸村に胡乱な瞳を向ける。


「おぬしも今日はもう帰れ。反省文、忘れるな」


「わかってるよ…」


「岡崎」


「ああ…」


「心配するな、部活に影響はない。春原は、今は部員じゃないからの」


「…」


「復学したら、入部させればよい。のう、春原」


「…はいはい」


春原は肩をすくめて、そう答えた。


「え…」


その言葉に、俺も、他の部員たちも、顔を上げた。


「まったく、迷惑ばかりかける…」


老教師はそう言いながら、穏やかに笑いながら…背を向けて去っていく。


俺たちはその後姿を見送った。



…。



俺たちは少しの間、黙り込んでいた。


春原は、停学だ。


おそらく他の奴らは停学なんて想像がつかない事態すぎて、とっさに反応できないのだろう。


そんな空気の中で、春原がそっと顔を寄せた。にっ、といたずらっぽく瞳の奥が輝く。


「なあ、岡崎、見た?」


「なにをだよ」


「あの会長の顔だよ。僕らだけの時はあんなに威勢がよかったのにさ、教師が入ってきたらずっとあんななっちゃってたよ」


「…」


俺は先ほどの会長の顔を思い出す。


たしかに、随分な変わり身だった。


さっきの情けない顔を思い出して、俺は笑った。


始め小さく笑っていたが…段々と、なんだか、笑いが止まらなくなってくる。


胸の奥から、湧きあがってくる感情があった。


春原は…俺たちの味方になってくれたのだ。


俺はあの空気に呑まれて、首を縦に振りそうになっていた。


みんなが幸せになれのではないかと思わされ、全員が不幸になるような道を選びそうになっていた。


部員たちをバカにされた時も、とっさに反応ができなかった。


あの時俺には拳も牙もなかった。


俺はバカ正直な大人になってしまっていて、拳を振るうなんていう選択肢など、考えてもいなかった。


だが、春原はそうではなかった。


あいつはバカで最悪で、簡単に拳を振るって問題になって、停学を受けていて…だが、笑っている。


そうだ、バカな手段だったけど、結局俺たちと智代を繋ぐ糸は保たれたのだ。こんな事態になってしまえば、会長だって手が出しづらくなっている。


俺が見向きもしなかった正解を、春原は無造作に手繰り寄せていたのだ。


そしてそれは、春原が歌劇部のことを味方だと思ってくれたからこそ産まれたはずの行動。


春原が俺たちを守ろうとしてくれたからこその行動。


俺はそのことに気付く。


春原は、歌劇部のことを、守ろうとしてくれていたのだ。


そう思ったら、俺は笑いが止まらなくなった。


部活をしたくても、続けられなくなって…


この学校生活のそこにへばりついていた俺たち。


だけど今やっと、互いにそんなしがらみを抜け出せたのだ。


それはかつての高校生活ではどうしてもできなかった、一歩だった。


俺も春原も…お互いに、ゴミ屑みたいな生活をしているわけではないのだ。


笑っている俺の姿を見て、渚たちはぽかんとこちらを見ていた。


停学を受けて笑っているなんて、正気の沙汰ではないかもしれない。


春原も、最初はぽかんと俺を見ていたが…やがて、バカみたいに、笑った。


大きく口を開けて、全ての不幸をふるい落とすように、俺たちは笑いあった。


俺と春原。


最初の出会いが、思い出される。


俺たちの最初の出会いも…


お互いに、バカみたいに笑っていた。


周りから訝しげに見られながら、笑い続ける馬鹿二人。


俺と春原には…やはり、このふたりでしか共有できないようなたしかなものがあるのだと感じていた。


俺の心は今の瞬間、出会ったばかりのあの瑞々しさに立ち返っていた。


そして、今。


歌劇部部員は、全員揃ったのだ。


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