205
五時間目が終わった、休み時間。
俺、渚、杏、椋は四人連れ立って校舎を出て、植物園へと向かう。春原は敗者だし、いても邪魔になると杏に一蹴され、教室で留守番。
「いよいよ、決戦ね」
杏はそう言って楽しそうに笑う。この戦いをお釣りがくるくらい楽しんでるよな、こいつ。
対して渚や椋は緊張した面持ちだった。
…杏の言うとおり、総力戦だ。
別に来てくれるはずの宮沢と杉坂を加えて、三ペアでの智代との戦い。
数でいえば圧倒的なんだけど、実際どうなんだろうか。
なかなか、勝てるビジョンというのが浮かんでこないのだが。
「でも、真っ向勝負なんて、らしいわよね」
「あぁ、まあな」
あそこまではっきり言われてしまうと、こちらはこちらで策を弄して迎撃しづらい。そもそもの人数が違うというのもこちらとしてはフェアじゃないように思えて、気が引けてしまうのだし。
「坂上さんって、すごく有名ですよね。運動神経も、いいみたいですし」
椋がおずおずとそう言う。
「はい、昨日の放課後とか、すごかったです」
「あぁ、話は聞きました」
渚に、苦笑いを向ける。荒事の話だから、あまり前のめりに話したい風でもない。
椋は昨日の喧嘩の場面を見ていないんだよな。あの時、智代と顔合わせだけはしているとは思うけど。
とはいえ、噂で彼女のキャパシティは知っているようだった。
…そういえば、彼女と智代、ほとんど顔を合わせたことはないんだよな。
「あ、見てください」
昇降口辺りに来た時、渚が声を上げる。
彼女の示す方を見てみると…生徒会長選挙の、掲示板。
今のところまだ作成途中らしく、ポスターは張られているものの、看板や工具類が置きっぱなしになっている。
昼休みに作業をして、後は放課後に持ち越し、ということなのだろう。
ポスターの中の智代は、拳を握って腕を振り上げ、演説でもしそうな印象。なんだか、あまり彼女のそういう側面は見てこなかったこともあり、そういう生徒の代表みたいな格好をされても困る。
「ほら、椋、練習よっ。あのにくったらしい顔を撃ち抜くのよっ」
「えぇっ…?」
勢いよく智代のポスターを指差す杏に、椋は戸惑った声を上げた。
それを見て、俺と渚は笑ってしまう。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という感じだ。
だが…
「えぇと…えいっ」
椋は意を決したように、智代(のポスター)に銃口を向けて、引き金を引いた。
「そうよっ、その意気よっ」
「…」
なんだか、彼女が実の姉に洗脳され始めているような気がするのだが。
「…あのー」
そこへ、聞き慣れた少女の声が間に入った。
「なにを、やってるんでしょうか?」
「〜〜〜〜ッ」
苦笑い気味に登場した宮沢の姿に、椋は恥ずかしそうに顔を染めた。
「あの…っ、すごく先輩がたの闘志が伝わって、いいと思いますっ」
杉坂が慌ててフォロー。
「あ、ありがとうございます、杉坂さん…」
「あ、いえっ、坂上さん相手ですからね…。がんばりましょう」
「はいっ」
ふたり、笑い合う。なんだか珍しい組み合わせだが、意外に仲は悪くないのだろうか。
「ねぇ、宮沢さん、だっけ」
「はい?」
「さっきまでこいつのこと、狙ってたんでしょ? あんたのこと、信じていいの?」
杏は、くい、と首で俺を示して、だが視線は油断なく宮沢を見ていた。
…たしかに、先ほどまで宮沢は俺の首を間違いなく狙っていたのだ。
彼女彼女が俺に求めたらしき、「何か」。それは今となってはよくわからないが。
ただ、いくら彼女が策士とはいえ、味方として戦うと明言した前言を翻して敵につくというのは少し考えづらい。
俺は既に宮沢はもう味方なのだと考えているが、付き合いが短く、そもそも昼のやり取りを見ていない杏が彼女のことをいまだ疑っているのは当然という気もする。
「…はい、信じ切れないのも当然かもしれないですけど、わたしはみなさんの味方ですよ」
「あのっ、宮沢さんを信じてあげてくださいっ」
「ああ、もし宮沢を信じれないなら、こいつを信じる俺を信じてくれ」
俺と渚が、畳み掛けるように宮沢の言葉の継ぎ穂をつむぐ。
剣幕に押されてか、杏は目を開いて俺たちを交互に見た。
「…はぁ」
そして、呆れたようにため息をついて、苦笑い。
「なんだか、これで信じられないとか言ったら、あたしが悪者じゃない…」
いや、もともと悪者系のキャラだと思うが。
「あんた、なにか失礼なこと考えてない?」
目を細めて杏が俺を見た。
「いや、なんも」
冷や汗かきながら否定する。勘、鋭すぎだろ、こいつ。
「それでは、植物園に行きましょうか。あまり、時間もないですし」
杉坂に促され、俺たちは再び歩き出す。
俺と渚。
杏と椋。
宮沢と杉坂。
智代を打倒するために、心強い仲間が揃ったわけだ。
結局、智代とは正面衝突になりそうだった。
できれば搦め手で戦いたいところだったが、あちらが真剣勝負を望んでいるのだ、それに答えざるをえない。なにせ、人数ではこちらが圧倒的に多いのだから。
だがそれでも、勝算が高いとはいえない。
俺たちは、道中作戦を練りながら、歩いていく。
206
「待っていたぞ」
植物園は、放課後ともなればぶらぶら歩きながら暇を潰す生徒とか園芸部などの文化系の部活が活動していたり、広場になったところだと運動部が筋トレや素振りを行ったりと賑やかな空間なのだが、それより前の時間だとあまり人が立ち入る空間ではない。
中央部、噴水広場に智代は待っていた。
腕を組み、目を閉じていたが、俺たちの気配を感じてか目を開く。彼女の手にはまだ銃も持っていない。対して俺、椋、宮沢は銃を持ち、トリガーに指を引っ掛けて臨戦態勢。
「随分、大人数だな」
「悪いけど、観念してもらうわよ」
「いや、そうもいかない」
智代は俺たちを見回す。
「今残っているチームは、全員揃っているんだな。これに勝てば、優勝というわけか」
たしかに、シンプルな考え方だ。
…正確にはまだオッサンがいるのだが、智代の口ぶりからすると、春原の説明が不十分だったのだろうか。
いや、そもそも校内に侵入しては来ないだろうし、あの人のことはまた後で考えればいいだろう。
「そう簡単には、いかないけどね」
「ああ、そうだろうな」
杏と智代が、不適に笑い合う。
そして。
智代が、銃を引き抜く。
…!
示し合わせていた通り、俺、宮沢、椋が前に出た。胸にブザーを持つ相棒をそれぞれが庇う形。
作戦と言っても、大層なものではない。
ペアであることを最大限に利用して、とにかく相棒を庇いながら動くこと。
そして、できることならば前後から囲んで、挟撃。
…そう、うまくいけばいいけれど。
俺たちは智代に向かって、盲滅法に引き金を引く。
だが智代は、すばやく体を翻し、すぐそばの植木の陰に隠れた。
宮沢が、すぐさま回りこむように植え込みの隙間を縫って移動する。
ここまでも、計画通り。宮沢の相棒の杉坂は、彼女の後を追って回り込んだりはせず、ぱっと俺の後ろ、さらに渚の後ろに下がる。
「えいっ、えいっ」
椋が必死に引き金を引くが、植木の陰に篭った智代には効果がない。
宮沢が後ろから攻め立ててくれるのを、待つ。
だが、智代もそうやすやすと作戦にのせられはしない。
宮沢が脇から迫るのを見るや、走る。
俺たちは銃口を彼女に向けるが…速すぎて追いつかない。
智代は宮沢のいる方向を避けるように、駆ける。
くそっ。
ただ走っているのになんでこんなに狙いづらいんだ? 気付かないまでも、フェイントがはいっているのだろうか。
宮沢も智代に銃口を向けるが、途方に暮れたようにすぐに銃先をおろした。あの場所からだと、距離がありすぎてブザーを狙えない。
「渚っ、後ろにっ」
「は、はいっ」
渚が慌てて後ろに来て、背中にくっつく。
「椋、撃って撃って!」
「う、うん、でも…っ」
同じく椋の背中に張り付いた杏が妹を鼓舞するが…たしかに、狙いがつかない。
智代が、突っ込むようにこちらに走る。
俺は智代の場数を痛感する。
運動神経からしても違う。
一歩、二歩、驚異的な俊足で別の植木のそばに来て…智代は、ばっと勢いよく腕を振るった。
銃を握った右手。
ほとんど、おもむろに振るっただけのような動き。狙いも何もないような。
その中、カチ、と引き金を引いた音が、わずかに届いた。
びぃぃぃぃーーーーーっ!
「あっ」
ブザーの音が、響き渡った。
杉坂が胸元を押さえる。
…俺も渚も、藤林姉妹も…呆然と彼女に一瞥を投げた。
一瞬だった。そして的確で致命的だった。
智代はすでに隠れて植木の陰にわずかにしか姿が見えない。
彼女の表情はわからないが、ひとり倒したくらいでは微塵も浮かれてはいないだろうな、と思う。
こと戦闘に関して、彼女はそこまで能天気な奴ではないはずだ。悪いことに。
「…はは、負けちゃいましたね」
宮沢が、苦笑いでそばまで帰ってきた。
「うぅ、宮沢さん、ごめんね」
「いえいえ、仕方ないですから」
「でも、優勝したかったんだよね…?」
「いえ…」
宮沢は、かぶりを振った。ふるふると彼女の髪が柔らかく舞った。
「いいんです」
笑顔で、彼女は、そう言った。
「優勝して…自分で思うとおりにしようなんて、きっとよくないんだと思いますし。やってみたいことがあるなら、自分の力でやるべきなんですよ」
「…うん」
杉坂は、何度も頷く。
そして、二人の下級生は、ほのぼのとした笑顔をかわした。
「朋也さん」
宮沢が俺に顔を向ける。
「ああ」
「きっと、正面から戦うんじゃ、坂上さんは倒せないですよ」
小声で、そう続けた。
「…ああ」
それは今、痛感した。
根本的な身体能力が違う。
「作戦で、勝負です」
宮沢はにっこり笑う。
敵ともなれば恐ろしい彼女の軍師っぷりも、味方になれば頼もしかった。
…。
宮沢に策を授けられた俺と渚は、意を決して智代の眼前に進み出る。
後ろで、藤林姉妹と宮沢がなにやらこっそり相談しているのを感じる。
…そして杉坂は手持ち無沙汰に、手近なイスに座って俺たちを観戦していた。ある意味、あいつが一番能天気で幸せかもしれない。
智代が陰からそっと顔を出した。
「あの、坂上さんっ」
渚が緊張してかあっぷあっぷな表情で、智代に呼びかける。
「…?」
無防備に前に出てきたのを見て、智代が不思議そうに顔だけ出す。
なんだか春の熊みたいで、少し可愛い。
「坂上さんの、狙ってる、こんなものは…」
渚は言いながら、胸ポケットに手を差し込む。
「こうですっ」
そして、ぽーんと抜き取った物を空に投げる。
智代はほとんど反射的に、そちらに銃口を向ける。引き金を引く。
…だが、ブザーは鳴らない。
それもそのはず、投げたのは、同じくらいの大きさの生徒手帳だからな。
俺は手を上げて銃を向けるが、体をひねって胸は隠されていて、ブザーが狙えない。
これくらいじゃ、大した隙にもならない。第一作戦は失敗。
「…くっ」
まんまと騙されて少し顔をゆがめた智代がこちらに向き直り…目を開いた。
一瞬彼女が目を離した隙、杏と椋が臨戦態勢を整えていた。
「じゃ、いくわよ」
「が、がんばりましょうっ」
小声で、藤林姉妹が俺と渚に声をかけた。
「ああ」
「…はいっ」
俺はちらりと視線を後ろに向ける。
渚の両隣に並んだ杏と、椋。…俺には二人の見分けがほとんどつかなかった。
ふたりは同じ髪形をしていた。
椋はほとんど髪形が変わらないが、杏は長い髪を後ろでまとめて制服に入れ込んで、前から見る分には髪型はほとんど変わらないように見える。
双子なだけあって、顔のつくりはそっくりなのだ。それに加えて、智代は杏はともかくとして椋とはほとんど触れ合っていない。
それならば、細かな挙動の違いも、むしろ混乱させる元にしかならない。双子の入れ替わりはありがちなトリックだ。
「なるほどー…」
ぼんやりこちらを眺めていた外野(杉坂)が感心するように息をついた。
俺は前に進み出て、三人を庇うような形。
後ろで渚が心配そうに状況を見守っているのを感じる。
藤林姉妹は、俺と同様に銃を構えているはず。
「…三丁、だと」
智代が怪訝な顔をした。
…そう、三丁。
ブザーを胸にしまっている杏も、銃を持っていた。宮沢の銃だ。
「ああ。引き金は引けないけど、持ってる分にはルール範囲内だ」
…結構グレーゾーンかもしれないけれど、な。
「面白い…」
だが、智代は楽しそうに口の端を上げるのみ。相手がルールに突っ込んでこないなら、規則の範囲は拡張されるものだ。
智代は銃口を上げる。
眼前に俺たちを見据える。
宮沢・杉坂ペアを失って、二度目のぶつかり合い。
俺と椋が引き金を引く。杏も、同様に引き金を引く演技をする。
渚は俺の後ろに隠れて、藤林姉妹も胸を撃ち抜かれないように低木に身を隠しながらの応戦。
智代は守勢に回り陰から顔だけ出すが、いまだ戸惑った表情は抜けなかった。この戦況で活路が見出せないのだろうな。
…だが、すぐさま、彼女の表情は迷いないものになる。
意を決した、表情だった。
「…」
…坂上さんは、攻めに転じるしかなくなるはずです。
先ほど作戦を話し合った、宮沢の言葉が蘇った。
宮沢は…今は杉坂の横に座って一緒に俺たちを観戦している。
…そうしたら、狙われるのは渚さんです。杏さんと椋さんを第一に狙うのは、リスクが高すぎますから。
…その時の隙を狙って、倒すしかないと思います。
…チャンスは、一度だけです。それは、わたしたちにとっても、坂上さんにとっても、同じはずです。
チャンスは一度だけ、だ。
その瞬間のために、俺は意識を研ぎ澄ます。
そして、智代が、動いた。
身を翻す。眼前に姿を現す。
作戦通りだ…!
おれは銃口を合わせる。合わせようとする、
が、
「は…っ!?」
速い!
銃を向けた先には既に智代の姿はなかった。
いや、いつの間にか…すでにすぐそばまで迫っている!?
風のように、するりと流れるように、智代が俺の脇を通り過ぎる。
目だけが、なんとか追いついた。
…そして一瞬、智代と目が合ったような気がする。
悪いな、岡崎。
そう言われているような気がした。
体をひねろうとする。腕を振り上げようとする。
だが、気付いた時には既に、智代は完全に俺に背を向けていた。
「あ、わっ…」
渚は、もはや棒立ち。
無防備な姿に迫り、智代が銃を持つ手を振り上げる。
銃口がきらめく。
俺はなんとか、彼女らに向かって足を踏み出す。
わんわんと頭の中で警鐘が鳴り響く。
間に合わない、か…?
一瞬、諦めかけた、その時。
「…渚っ」
智代と渚の間に入る、影がひとつあった。
駆け寄った勢いで、無理矢理に制服に詰め込んでいた髪が何房か、飛び出す。
ふわ、と春の光の中に彼女の長い髪が舞う。
「杏っ!」
俺は彼女の名前を読んだ。
「…椋!」
だが彼女は、俺のほうは見向きもせずに、呼んだのは妹の名前だった。
そして…
びいいぃぃぃーーーーっ!!
ブザーの音が、空の下に響いた。
…そして、その音は、ふたつ重なっていた。
「なっ」
智代は驚いたように胸元に手を当てた。
杏は不適に笑って、だが少しだけ肩を落とした。腰に手を当てて、くい、と後ろを顎で示す。
…そこには、銃口を智代に向けたまま固まっている、椋の姿があった。
間にはいった杏の胸を、智代は正確に貫いていた。
だが、その隙を逃さずに、藤林も相手の胸を打ち抜いていたのだ。さすが杏の妹、決める時には決める奴だった。
「…まったく、やられたな」
それを見て、智代は、苦笑。
「あたしの妹を、甘く見ないでちょうだいよね」
「あ、わ、まさか当たっちゃうなんて…っ」
椋が、わたわたと慌てながら近寄ってくる。
俺も、少女らの下へ歩いていく。
「あぁ、すごいな…。うん、私もまだまだだな」
智代はそう言って、爽やかに笑った。
「…岡崎さんっ」
近付いた俺の元へ、渚はぱたぱたと駆け寄る。
「渚、悪い、役に立たなかったな、俺」
「いえ、そんなことないですっ」
「ていうか、あの距離からだとちょっと対応できないわよ、実際」
近すぎたわね、と杏。
「かもな…」
杏も脱落したのだが、やたらと爽やかに笑っている。
「あの、杏さん、ありがとうございましたっ」
渚は、杏に頭を下げた。
…あの場面、渚を犠牲にすれば彼女は漁夫の利的に生き残ることができたのだ。だが、その道を捨てて、渚を庇った。
「ああー、気にしないで。なんだか、体が勝手に動いちゃって」
気恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬をかいた。
そんな姿を見て…俺は、心が温かくなる。
杏は、何の含みも意図もなく、ただただ渚を守ってくれた。
その気持ちは、何よりも、真っ直ぐ心にしみてくるものだった。
渚はぎゅっと胸に手を当てて、本当に嬉しそうに目を細めて杏を見つめた。
「で、朋也。これであんたが優勝になるわね。残るのはあんたたちだけだし」
杏は話をそらすように俺に話題を振る。
「いや…」
俺は彼女のそんな様子に微笑ましく笑いながら、今一度気を引き締める。
「まだ終わっていない」
そうだ。
まだこの戦いは、終わっていないのだ。
学内の生徒の中で、俺と渚は勝ち残った。
だが、参加者はもうひとりだけ、いるのだ。
…オッサン。
まだ、あの人は、生き残っているのだ。
「この戦いを仕組んだ奴がいる。そいつを倒さなきゃ、俺たちは優勝じゃない」
俺と渚には…。
まだ、最後の戦いが、残っているのだ。