196
さすがに、朝っぱらから他の奴からの襲撃はなかった。
俺のパートナー、渚は教室を訪れて、クラスメートと話をしていた。というか、藤林姉妹の話の輪に加わっている、という感じだが。
椋の友人連中と一緒に今回のゾリオンの話をしているようだった。たしかにさっき春原をめぐって大騒ぎをしたから、結構注目は浴びてしまっていたが。
しかし、渚がああして女子の輪に加わって話しているのは、正直初めて見た。
先ほど他のクラスメートとは自己紹介をしたばかりなのだから、まだ少し緊張した様子ではあるが、それでもすごく楽しそうな顔をしてくれていた。
…俺にとっては。
渚のその顔を見れただけで、もう優勝景品に求めるものなんてないような気がした。
渚はそこまで積極的に話している様子でもないが、クラスメートになにか話しかけられると、一生懸命に応えている。他の連中はそれを微笑ましそうに眺めている。
彼女らも、おそらく渚がひとつ上の学年だったことは知っているのだろう。有名な話なのだし、それに自己紹介の時にでもそれくらいは言っているだろう。
だが、彼女を囲む女子たちに、あまり忌避する様子はなかった。
…この進学校での留年だ。その負のイメージのせいで、なんとなく不良とか、とっつきにくい印象が先行してしまっているのだ。
だが実際、渚と話してみればそれは思い違いだということに誰でも気付くはずだ。ただ、体が弱くて長期欠席をせざるをえなかったのだ。
それにあまり年上という印象を与えるタイプではないし、一度話してみれば、無用な威圧感を与えることもないのだろう。
藤林姉妹という船頭を得て、着実に彼女がこのクラスに馴染み始めているのを、俺は感じていた。
「ねぇ、朋也」
頬杖をついてボーっとしていると、杏が傍らにやってくる。
「なんだよ」
「これからのこと、作戦会議をしておきましょ。誰を狙うか、ね」
たしかにそうかもしれない。
延々と遭遇戦をやっていく、というのではあまりに無計画だろう。各個撃破が望ましい。
俺は頭の中に敵戦力を数える。
宮沢・杉坂ペア。
仁科・原田ペア。
風子・ことみペア。
智代。
最後に、謎の男。というかオッサン(多分)。
「智代が一番の強敵だろうな」
「そうよね…。でも、後に残してもおきたいのよね。まずは確実なところから倒したいし」
「じゃ、風子とことみだな」
さして迷うこともなく、答える。あそこが一番火力が低いペアだろう。
下級生組は、結構注意深く作戦を練ってきそうな顔ぶれだしな…。
「そうね」
杏は腕を組んで頷く。同じことを考えていたのだろう。
「それじゃ、次の休み時間は図書室襲撃ね」
「ああ、わかった」
さすがに、今からというわけにもいかないだろう。もう休み時間も終わりそうだ。
俺たちは、次の休み時間を待つことにした。
197
授業が終わり、休み時間になるとチームメンバーがぞろぞろと集まってくる。
俺、渚、杏、椋、春原。
三人分の戦力だ。これならば、負ける気はしない。
意気揚々と、旧校舎へ出かけようとしたところで…
「あ、あの…っ」
心細そうな表情で、教室に入ってきたのは…仁科と原田。
チャ!
チャ!
チャ!
俺たちは一斉に銃口を原田に向けた。
「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
慌てて仁科が軽く両手を挙げてホールドアップ。戦意がないことを示した。
「あの、実はお話がありまして、来たんです」
原田が言葉を続けた。
「…ふぅん、宣戦布告かしら」
「あのっ、ち、違うんですっ」
杏の言葉を慌てて否定する仁科。
というか、杏は杏で好戦的だ。
「岡崎さんと古河先輩に、お話がありまして」
仁科がうかがうように、俺に視線を向けた。
「…俺?」
「わ、わたしですかっ」
俺と渚は、彼女を見返す。
「はい」
ぎこちなく笑う仁科。
…向こうが先に仕掛けてくるとは。
しかもやはり、下級生組は真っ向勝負という手は取らないようだった。
考えられるのは、罠か、同盟か、というところだろう。判断がつかない。仁科は緊張した表情で、原田もきゅっと口を結んでいる。
「あたしたちは、蚊帳の外?」
「えぇと、その…といいますか、みなさんは、その…?」
仁科は俺たちの顔を見比べた。
「そ。チームになったの」
「ええっ?」
「ほんとですかっ?」
目を開いて、俺たちを見た。そして、少しだけ目配せをし合う。
…相手がどういう意図なのか、やはり判断がつかないな。
「だから、戦う気がないなら帰った帰った」
杏は冷たくあしらった。これ以上事態をややこしくするのは下策、ということか。
「…い、今は、岡崎さんたちとお話をしてるんですっ」
だが、仁科は強情にその意見を突っぱねる。
それを聞いて、杏は面白そうに笑った。
「ふぅん…。ね、朋也。あたしたちか、この子たちか、どっちを選ぶつもり?」
「え…」
「お、岡崎さん…」
「先輩っ」
仁科と原田が、捨てられた子犬みたいな目をして俺を見ている。
「岡崎くん…」
椋が心配そうに俺を見ている。
「岡崎…」
春原が…
「キモッ」
「ちょっと酷くないですかっ!」
「悪い、本音が」
「冗談だと言ってくれっ」
「で、どうするの? あたし? この子?」
「…」
俺は、言葉に詰まる。
「な…渚っ。おまえはどうだ?」
「ええ…っ!? わたしですかっ」
進退きわまった俺は、渚に水を向ける。
無茶振りされた彼女は困った顔になる。そりゃそうだろうが…。
「えぇと、ですね…」
「先輩っ」
「渚っ」
「あ、わ、わ…」
渚は、目を回して困っている…。
「あの…」
原田がそっと、渚の耳に顔を寄せる。
「…」
そして、何事か囁く。
「あ、えっと…」
渚はじっと、原田を見つめて…
「あ、あのっ」
そして、視線を俺に向けた。
「岡崎さん。わ、わたし…おふたりを信じたいです」
「え?」
「だから、その…お話を聞いてみたいと、思うんですが」
「…」
「…」
俺は杏と目配せをする。
…怪しい。
何を吹き込まれたのだろうか、いったい。
「あの、それでは、一緒にお願いしますっ」
仁科は話を切り上げて、扉に向かって歩き出す。
原田もこちらを促すように、振り返りながら歩き出した。渚も、続く。
「杏。どう思う?」
俺は席を立ちながら、傍らの杏に聞いた。
「怪しい、けど…。なんともいえないわね。もう後には引けないでしょ」
「ああ、まあな」
「朋也、気をつけてね。相手はバカじゃないわよ」
「わかってる」
ひらひらと手をかざして、俺も彼女らの後に続いた。
198
「渚」
「はい」
「さっき原田、なんて言ったんだ?」
「あ、はい。他の方がいるから大声では言えないけれど、わたしたちと協力したい、とおっしゃってました」
「…なるほどな」
その申し出が本当なら、半分以上のチームがこちらの味方、ということになる。たしかに魅力的な提案だった。本当ならば。
このゲーム、やるからには勝ちたいし、できれば労少なく勝ちたい。
こうも協力の申し出が多いのは、俺の人徳のおかげだろうか?
…。
案内された場所は、旧校舎、資料室。
中には、誰もいない。
「宮沢は?」
「今は、いないですよ」
仁科は言いながら、いつもの宮沢の座る席につく。原田は、その隣に。
「いない?」
「はい」
…胸の奥が、ちりちりする。
警鐘のように、どきどきする。
「先輩」
仁科がじっと、こちらを見る。
お互いの瞳が揺らいでいるのがわかる。彼女らの緊張が伝わり、雰囲気は張り詰めていく。
「どうぞ、席についてください」
「…」
俺と渚は、だが…そのまま、立ち尽くす。
嫌な予感がする。
「仁科」
「えっ、は、はいっ」
「席につく前に、ちょっと中を見させてもらうぞ」
「あ、はい…」
俺は仁科が銃を取り出さないよう警戒しつつ、資料室の中を検分。本棚の死角を見る。
…だが、誰の姿もない。この密室で、挟撃してくる、という危険を感じたが、思い過ごしだったようだ。
それでも、まだ、嫌な予感が消えてはくれない。ただ緊張しているだけなのかもしれないな。
「さっき渚から、一旦仲間になろうって話だと、聞いた」
安全確認を終えた俺は、下級生二人に向き直る。
「はい」
原田がにっこりと頷く。仁科も、表情は固く結び、首を縦に振る。
「いないってことは、宮沢と杉坂は違うのか?」
「いえ、そんなことはないです」
すぐさま、原田が否定した。
「はい、そうです。あの、集団で迎えたりすると、無理矢理仲間にいれるというか、その場で戦いになってしまいそうといいますか…」
…たしかに同じ危惧を持ち、今さっき俺は資料室の中を探っていた。
「ふぅん…」
筋はそれなりに通っている。だが、宮沢・杉坂ペアがいてもいなくても筋はそれなりに通せるだろうな、とも思う。
「それで、交渉役で、私たちが」
「なんだか、気を遣わせてしまったみたいで、すみません」
渚はぺこりと頭を下げる。
「いえ、そんな…」
仁科は慌てて手を振った。
「話は、わかったよ」
第三者から強襲されることはなさそうだった。
俺と渚は、ふたりの下級生の前に座る。
「えぇと、ですね」
仁科がふらふらと視線をさまよわせる。
「まず、私たちは宮沢さんと杉坂さんのチームと、協力して戦おうという話になってます」
それを見かねてか、原田が話をはじめる。
「ああ」
「杏先輩とか、坂上さん、春原先輩…私たちだけだと、どうしても対抗できないと思うんです」
まあ、春原は既に無力化されているのだが。だがそれをわざわざ宣伝することもない。
「ですので、できれば…そのお三方と同じくらい凄そうで、話を聞いてくれそうな岡崎先輩と一緒に戦えれば、と思ったんです」
「…」
原田が素直に俺を褒めている。怪しい。
というか、のせようとている?
「岡崎さん、凄いですから」
仁科もそう言う。なんか褒められてる。
「協力することについて、俺にメリットはあるのか? ていうか、見たと思うけど、もう杏とか春原は味方なんだけど」
「う…」
「それは…」
彼女らもさすがにそれは計算外だったのだろう、困ったように目配せしあう。
「えぇと、ですね…」
「たしかに、戦力としては強いかもしれません」
仁科がまごついている横で、原田が話を先に進めた。
「ですが、勝ち残ったその後、最後には敵になるんですよ?」
「う…」
俺が危惧していることをずばりと言ってくれる。
「それに、杏先輩に春原先輩。勝者の命令で、一体何をさせられるんでしょうか?」
「うぅ…」
「私たちは、そんな無茶なことは言いません。どちらが勝っても、それぞれの言い分を合わせようって話してるんです」
「…」
なかなか魅力的な提案だった。
たしかに、俺たちの集団は勝つまでの過程…というだけの同盟で、勝って、その後どうするかということにまで踏み込んだビジョンは持っていない。
というかもともと、その先は敵対、と明言すらしている。
「少し、考えてみてください」
仁科はそう言って、銃を取り出す。
俺は一瞬だけ驚くが、その手はトリガーにかかっているわけではない。
ぽん、と、テーブルの上にゾリオンが置かれる。
完全に、無防備な体勢だった。それが向こうの意見ということか。
俺は少しリラックスする。今ここで争い、という展開は考えなくてもよさそうだ。
「渚、どう思う?」
「えぇと、わたしはいいと思うんですが…」
そう言いつつ、難しい表情。
完全に納得、というわけでもないようだった。
だがそれも仕方がない。杏たちを裏切っている、ともとれるからな。
俺は少し考えて…
「半分受け入れよう」
そう答えていた。
「俺たちは、一人で智代と戦いたくはないからな。最初はあいつらと行動する。で、無事智代を倒したらおまえらと組む…というのはどうだ?」
まあ、こっちのいいとこ取りなのだが。
「わ、わかりましたっ」
だが、仁科はぱっと顔を輝かせて頷く。
「それでいいですっ」
「まあ、こちらはお願いしてる立場ですから…」
原田も悪い表情ではない。
「…それじゃ、あの、私たちもちょっと話し合いをしましょうか」
「話し合い?」
「はいっ、あの、坂上さんを倒すのに、なにか協力しますよっ」
やけにぐいぐい食いついてくるな、仁科。舞い上がっている、というか。
「大して時間はないし、帰りながらでもいいんじゃない?」
時計を見つつ言う。
「いえ、もう少し時間、ありますし」
「…」
「岡崎さん。もう味方なんですから、銃をここにおいておいてください。信頼関係ですよ?」
仁科はそう言って、先ほど自分の前に置いた銃をずずっと遠くへずらせていく。簡単には取れない位置。
「…ああ、わかったよ」
微妙な違和感を感じつつ、俺は自分の目の前に銃を置いた。
そして…。
一瞬だけ、沈黙の帳。
「それでは…」
仁科が、少しだけ目を伏せて呟く。
きゅっと口を固く結び、少し前髪が揺れた。目元が危うげに揺れて、俺はいつだったかの雨降りの校門での会話を思い出した。
なんだか、泣き出しそうな、表情。
だがそれは一瞬だった。
ぱっと顔を上げた仁科は、俺たちを見た。
「……ごめんなさいっ!」
テーブルの下に見えなかった、右手を掲げる。
その手に握られるのは…
「なッ…!?」
俺は息を呑む。
仁科は銃を握っていた。
俺の前に一丁。仁科がテーブルの端へ追いやった一丁。そして今、彼女が持っている…あるはずのない、もう一丁。
仁科の持つゾリオンの銃口が、渚に、向く…。
俺にはそれが、スローモーションのように見えた。
「渚ッ!」
庇うように、仁科と渚の間に体を入れる。
「ッ!」
一瞬、こちらに向いていた銃口がふらりと乱れる。
一瞬。
それは好機だった。
原田が、俺の目の前の銃を奪おうと体を伸ばしている。
それを間一髪で銃を手に取る。
そしてほとんど無茶苦茶に、原田に向けて、トリガーを引いた。
…。
びぃぃぃーーーーっ!!
アラームが鳴った。
音源は…原田のアラーム。
「ああぁぁーーーっ」
原田が胸を押さえて、そのままテーブルの上にばったりと倒れた。
「あああ…」
仁科は腕をだらりと下げて、肩を落とす。
「おしかったね、りえちゃん…」
「うん、ごめん…」
下級生ふたりは、互いに苦笑い。
「あ、あの…」
「ん…?」
ふと我に返って、渚に覆いかぶさっていることに気付く。
「あぁ、悪い」
「い、いえ…」
渚は真っ赤になって、ぷるぷると頭を振った。
「あの、わたしこそ、ありがとうございます…」
俺は気恥ずかしくなって、ふいとそっぽ向いた。
「あの、岡崎さん…騙してしまって、すみません」
「あぁ、びびったよ、すげぇ」
…あぁやはり、彼女らは俺たちを罠にはめて倒そうとしていたのだ。
怪しいとは思っていたが、それなのにどんどん油断させられていた。武器を捨てた、と思わせてこちらの油断を誘い、隠し持ったもう一丁で攻撃、という作戦か。
最後の仁科の一瞬の逡巡がなければ、こちらがやられていただろうな。
「りえちゃん、挙動不審だったよ」
「うぅん、こういうの、苦手で…」
「おまえは、演劇の才能はないな」
俺が冗談でそう言うと、仁科は恥ずかしそうに笑った。
「わたし、すっかり信じてしまいました」
「ああ。まんまと騙されたよ」
そう褒めると二人の下級生は苦笑い。
「あ、いえ…私たちの作戦ではないので」
「え?」
「宮沢さんの作戦ですよ」
原田がそう言って、テーブルの隅に置いたままの銃を手に持った。手の中で、くるくるといじくる。
「はい、私たちは作戦をもらって、動いただけなので」
「…」
俺と渚は、顔を見合わせる。
そうだよな。銃が二丁あるということは、一時的に誰かのを借りたということなのだろう。
…宮沢。
俺は、のほほんとした彼女の笑顔を思い出す。
朝会った時から、この作戦は彼女の頭の中にあったのだろうか?
「私がこんなこと言うのもなんですけど、先輩。宮沢さんには、気を付けてください」
原田が神妙な顔で俺を見た。
「はい。朝、二年生で協力しようって話をしまして、その時いの一番に、岡崎さんを貶めるこの作戦の話になりましたし…」
「…」
俺は混乱する。
宮沢は…俺たちの首を狙っている?
俄かには、信じがたい話だった。だけど彼女らが嘘をついているとも思えない。
「なんで?」
「…それは、ちょっと」
「怒らせるようなこと、したんじゃないですか?」
怒らせるようなこと?
俺は考え込んでしまう。だが、正直思い浮かばない。
…なんにせよ、ひとつ、今わかった真理があった。
この戦い、宮沢有紀寧は、俺たちの敵だ。