folks‐lore 4/22



142


「岡崎」


「ああ、悪い、待ったか?」


「いや、私が少し早く来ていたからな。時間通りだ」


壁にもたれていたが、背筋を伸ばして俺に向き合う。


智代が薄く笑うと、それだけで、近くを通りかかる生徒が振り返った。


職員室のすぐ手前だから目立っているというのもあるだろうが。


「それじゃ、行こう」


「ああ」


職員室に入り、昨日と同じように外出許可を取る。


今日はそこまで時間に余裕があるというわけではなかった。俺たちは早足に歩いていく。



…。



「岡崎、明日の放課後は空いているか?」


すたすたと隣を歩きながら、智代がちらりとこちらを見る。


「空いてない」


「…岡崎、女の子にはもっと優しくしてくれてもいいだろう。少し傷ついたぞ」


「部活があるから、ちょっと無理だよ」


「ああ、そういえば、そうだな」


「なんだよ、一体」


「相楽さんに、話を聞いてみたいんだ。選挙活動が、今週末から始まるからな」


そういえば、さっき、美佐枝さんの橋渡しを頼まれていた。


「ああ、そうか…」


俺は考える。


やはり、時間をとるとなると放課後だろう。そして、選挙活動が始まる前のほうがいいだろうし。


しかし、明日の放課後は芽衣ちゃんがやってくるので、まず無理。


明後日以降じゃ、遅すぎるだろう。


となると、今日、か。


「わかったよ、それじゃ、今日の放課後とか」


「今日か…」


「都合悪いのか?」


「今日の放課後は生徒会立候補者への説明会があるんだ」


「じゃ、終わってからでいいよ。俺もどうせ部活だし」


「でも、いつ終わるかわからない」


「下校時間までには終わるだろ」


「ああ、そんなにはかからないと思うが…」


「なら、大丈夫だ」


「そうか、ありがとう」


智代は素直に笑みを見せた。


正面から目が合って、俺は少し、照れくさくなる。


さっさと歩くペースを速める。


「どうした、岡崎。照れているのか」


後ろから智代の声が追いかけてくる。


「意外に可愛いところもあるんだな」


俺はもっと、歩くペースを上げる。





143


「おい」


「ん〜…」


「おい、春原」


「ん…ぐぁ…」


ぐりぐりと足蹴にしてやるが、春原は起きる気配がなかった。


「こいつは自分が学生だという自覚があるのか?」


智代が呆れた顔で言った。


「多分、都合がいい時だけ学生面するだろうな」


「最悪だな…」


ため息をつく。


予想通りといえばその通りなのだが、春原は優雅に惰眠を貪っていた。


「春原」


足蹴を、踵落としに変える。


がん、がん。


「ぐ、う…」


がん、がん、がん。


「ぐ、ぐぇ…」


がん、がん、がん、がん。


「…って、死ぬわっ」


「おぉ、目が覚めた」


「なんで男の踵落としで目を覚まさなくちゃならないんだよ、最悪だっ」


ぱっと目を開いた春原が、勢いよく体を起こした。


「なら、女の子の踵落しならいいんだな?」


「な…坂上智代っ?」


ばっと身を翻して、へっぴり腰になる春原。


おそらく本人は構えているつもりなんだろうけど、傍から見るとすごく情けない格好だった。


「もう昼休みだぞ。いつまで寝ている」


智代は呆れたように腕を組む。とても年下には見えない。


「昨日もだけど、なんなんだよ、一体」


「おまえのその生活習慣を直してやろうとしているんだ。それに、年下の女の子に起こされているんだ。もっと嬉しそうな顔をしろ」


「寝起きから、そんなハイテンションじゃいられないよ…」


春原は伸びをして、外を見る。


夜から開かれたままになっているカーテン。外はもう真昼。


よくもまぁ、こんな眩しい中で寝ていられるな、と思う。まぁ、昔の俺もこの光の中でぐっすり寝ていたのだが…。


というか授業中は普通に寝てるときもあるけれど。


「早く準備をしろ。もう昼休みが終わるぞ」


「はいはい、わかってるよ。おまえは僕のおふくろかよ」


「おまえが私の息子だったら、勘当しているぞ」


「あんた、岡崎と同じくらい酷いこと言いますねぇっ。この、トモトモコンビがっ」


「そんなに踵落しを食らいたいのか?」


「準備するよっ。すればいいだろっ」


春原はベッドから這い出て、転がっている制服を手に取る。


「ああ、それでいい。準備が出来たら、玄関で待っていてくれ。岡崎、相楽さんのところへ行こう」


「ああ、わかった」



…。



「岡崎? と、昨日の坂上さん、だっけ。また春原を起こしにきたの?」


物好きねぇ、と呟きながら床のモップがけをしている。


「美佐枝さん、掃除とかも自分でしてるの?」


「そりゃ、そうよ。寮母だもの」


「いや、寮生にやらせてると思ってた。ラグビー部とか」


「あいつらが、真面目に働くわけないでしょ…」


「でも、美佐枝さんのこと大好きじゃん」


「ちょっと、そういう言い方はやめてよ。寒気がするでしょ」


顔をしかめて言うが、口元は少し笑っていて、気を悪くしたわけではないようだった。


「それで、美佐枝さん。こいつ、坂上智代っていうんだけどさ」


隣の智代を手で示す。


「昨日挨拶だけはしたわ。もしかして春原の彼女?」


「そんわけない」


「そりゃないだろ」


俺たちは揃って否定する。それを聞いて、美佐枝さんはにっこり笑う。


「それを聞いて安心したわ。あんなヘタレにこんな可愛い彼女がいたら世も末だしねぇ」


そう言ってのほほんと笑って…すぐに、さっと、表情が引き締まる。


「…じゃ、もしかして岡崎の彼女とか?」


目を細めて俺を見る。


「違うけど」


「岡崎とは、いい友人だ」


「いい友人、ねぇ…」


怪訝な表情のまま、俺たちを見比べた。


「ていうか、今はそんな話いいだろ」


「ま、そうね。昼休みももうあんまり残ってないわよ」


「相楽さん、実は頼みがあって伺ったんだ」


「ああ。今日の放課後、ちょっと時間をとってくれないか。こいつが相談したいことがあってさ」


「放課後って、何時くらい?」


少しだけ戸惑った視線が向けられる。


…そういえば先日、思いっきり食事の準備時に押しかけたことを思い出す。


俺は智代に目を向ける。


「五時くらいに、なると思うが」


「五時、だと厳しいわね。五時半過ぎならいいわよ」


夕飯の準備が、それくらいの時間に終わるのだろう。


「それでは、その時間でお願いしたい。礼を言う、ありがとう」


智代は頭を下げる。


「ま、いいわよ。どうでもいい話ってわけでもなさそうだしね」


「ごめん、ありがと」


「はいはい」


気にした風もなく、手をひらひらさせる。


「あんたたち、そろそろ急がないと、昼休み終わるわよ」


「ああ…」


「それでは、失礼する」


早足に、歩き出す。


美佐枝さんは、俺たちを珍しいものでも見るような表情で、見送っていた。



…。



不機嫌顔で玄関で待っていた春原を連れて、学生寮を出る。


外に出ると、眩しい日差しに顔をしかめる。


「うわ、今日もいい天気だね…」


「おまえはなんでそんな嫌そうな顔なんだ」


「僕は夜の男だからねぇ。こういう眩しい日差しは苦手なんだよっ」


なぜか自慢げに言う春原だった。


「よし、ゴキブリ野郎って呼んでやる」


「そのあだ名、最悪ッス!」


「相楽さんも、こんな奴の世話をしていて大変だな…」


俺たちの会話を聞いて、智代は呆れた表情で小さく息をついた。


「大丈夫だ、もう見捨ててるから」


「ああ、それならいいな」


にっこりと笑いあう俺たち。


「よくねぇだろっ」


春原はツッコミを入れる。


「それで、なんだよ一体。智代、お前明日からも僕を起こしにくるつもり?」


「ああ、そうだな…」


智代は考えるそぶりをして、視線を俺に向けた。


「岡崎、昼からこいつを起こしても、あまり効果はないように思う」


「ああ、そうかもな」


「だから、明日は朝に起こそうと思うんだが」


「…なるほど」


現状、昼に起こすばかりだと、学校には出てきているけれど生活パターンは手付かずだ。


朝に起こして、その日の生活習慣を矯正できれば、翌日以降もある程度摂生した生活にできるかもしれない。


「ま、いいんじゃないか」


「ああ。毎日こいつを起こすのは、大変だからな」


「おい、僕を置いて話を進めるなよ。絶対に、そんな真面目ちゃんにはならねぇよ」


「朝にちゃんと起きるのは、人として当然のことだろう」


「そんなの、知らないね」


「ああ。こいつ人じゃないからさ…」


「それフォローなのっ?」


「…おまえたちは、仲がいいな」


智代は呆れつつも笑みを浮かべて、俺たちを見た。


「岡崎はちゃんと登校しているんだ。おまえもできるだろう」


「ていうか、なんで岡崎はそんな真面目になったの?」


「風子の世話を頼まれてるからな」


「ああ、なるほどね…。身内が近くにいると、大変だよねぇ。って、あれ? そういえばさ、おまえの妹って、あの子の他にたしか一ノ瀬ことみも…」


…こいつはまだ信じていたのか。


というか、今まですっかり忘れていた、という感じかもしれないが。


「バカか、おまえは。あんなの嘘に決まってるだろ」


「えぇぇーーっ!?」


本気で驚いていた!


「まず、名字が違うだろ…」


「こいつ、本当にバカなんだな…」


「ああ、すげぇだろ」


「ああ…恐れ入るな…」


「やったな、春原。やっと智代に勝てる部分が見つかったぞ」


「それ、勝ってないからっ」


春原はツッコミを入れる。


「ま、言われてみれば、変な感じはしたけどね…。それに、あんなガリ勉野郎と岡崎が家族ってのも、信じられないしね」


「言っとくけど、ガリ勉ってすでに死語だからな」


「でも、それじゃあさ、どんな関係なの?」


「ああ、私も気になるな。昨日、友達とは聞いたが」


智代も話に乗ってくる。


「いや、授業サボったらたまたま会ってさ」


「…」


…智代のいるほうから冷気が漂ってきた。


「岡崎、真面目に登校しても、授業に出ないと意味がないぞ」


「わかってるよ…」


俺は素直に頷いておいた。


「でも、よくあんな奴とつるめるねぇ。話なんて合わないだろ」


「いや、けっこう面白い奴だぞ。というか、たしかに天才だが、勉強の話なんてしないし」


「ふぅん…」


春原は興味なさそうに相槌をうつ。


それは、自分には関係のないことだ、と言っているようにも見えた。






144


学校に着くと、ほとんど昼休みが終わろうという時間だった。


だが、普通に歩いても授業に遅刻するというほど差し迫ってもいない。時間ぴったり、というくらいだろう。


「…あのっ、春原さんっ」


上履きに履き替え、廊下に出ると、ひとり、渚が待っていた。


少し不安そうに、だけど、決意の見える表情で、立っていた。


「あぁ、あんた…部長の人だっけ?」


春原の表情が、訝しげに歪む。


俺も、ついしげしげと渚を見てしまった。なんで彼女がここにいるんだ?


「はい。わたし、古河渚といいます」


昨日も挨拶はしたのだが、ぺこりと頭を下げる。


「…古河さん。どうかしたのか」


二年の下駄箱のほうから智代が近づいてきて、俺たちと同様、目を丸くする。


「あ、坂上さん、こんにちは。その、春原さんに、お話がありまして」


「…なんなの、一体」


春原の呟きがかすかに聞こえた。


「そうか、そろそろ授業が始まるからな。歩きながらでもいいか」


「はい、もちろんです」


俺たちは歩き始める。


渚、春原、俺、智代と並ぶ。


春原は何か問いかけるような視線を俺に向ける。だが正直、俺もわけがわからないのだ。肩をすくめてみせる。


「…それで、なんの用?」


「はい、春原さんに、お願いがあります」


「昨日も言ってた、部活に入ってくれってこと? 言っとくけど…」


「いえ、そうではないです」


言いかけた春原の言葉を、渚がとめた。


「春原さんに、わたしたちのお芝居を、見て欲しいです」


「は…」


ぽかんと、渚を見る春原。


対して俺は、少し納得。その話、か。


そういえば、昼休みの最初、春原が来ているかを聞かれたな。なるほど、この話をするための待ち伏せか。


その割に、他の部員の姿はない。


渚の独断なのか、あるいは大人数というのも微妙だと思ったのか。


「見て、くれるだけでいいんです。お願いします」


「…」


昨日の反省からか、この場で勧誘はしなかった。


春原も、なんて答えたものか、戸惑った様子だった。


…少なくとも、荒事になる雰囲気ではなかった。


ちょうど階段を登りきり、智代は小声でじゃぁ、と言い、手を上げて去っていく。


渚と春原は互いに微妙な視線を交わしていて、俺は智代に応えて手を上げた。


「…ま、別に」


しばらく黙っていた春原が、呟いた。


「見るだけだったら、別に、いいんだけどさ」


「本当ですかっ」


渚の表情が、ぱっと輝いた。


「ありがとうございますっ」


にっこりと笑う。


「…えへへ」


眩しい笑顔が春原に向けられていて、俺の胸の奥がざわりと騒ぐが…こんなことでいちいち妬いていても仕方がない。気持ちを抑える。


渚はそのまま笑顔を俺にも向ける。


それに、頷いて応えた。


…まったく。嫉妬していてもしょうがない。


「あ、それじゃ、わたしはこれで失礼します」


三階に着いて、渚はB組の教室に入っていく。


「…なんなの、あの子?」


「うちの、部長だ」


春原は終始ぽかんとしていた。たしかに、いきなり現れて、風のように去って行ったような印象がしなくもない。


そう考えて、だが、そんな雰囲気は渚とは無縁なもので、俺はおかしくなった。


小さく笑ってしまう。


「…なんだか、わけわかんない子だねぇ」


「そりゃ、そうさ」


俺は答える。


「三年にもなって部活を立ち上げるんだ。そりゃ、普通の奴じゃないさ」


「…」


春原は黙り込む。


昼休みの終わりだ。最後、教室の手前のあたりで歓談している生徒が幾集団もある。


だが、悪い意味で名の知られた俺たちが通ると、忌避するように少し引っ込むのが、よくわかる。


それが、彼らの自然な反応だということも、よくわかった。


…だが、さっきまで、そんな俺たちの中に、渚はいたのだ。


気負いもてらいも嫌悪もなくて、ただ、いてくれたのだ。


「たしかにね…」


春原がそう呟いたのは、D組の教室に入る直前だった。


「普通の奴なら、僕のこと、勧誘したりはしないかもね…」


それは。


さっきまで見て取れた、嫌悪や困惑のない、素直な感想だった。


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