folks‐lore 4/22



145


「岡崎…岡崎」


「…なんだよ」


授業中…。


隣の席の春原が、シャーペンで俺の腕をつついた。


「ちょっと外見てよ」


「…?」


春原に促されて、外を見る。


青い空からは日差し。眼下の町からはちらちらと動く車。


いつもの風景だった。


「校門のとこだよ」


視線をもっと下へずらす。


校門のあたり…?


目を凝らして、見る。


校門の脇のところに、そわそわとうごめく影があった。


といっても、そこまで大きなものではない。


手に抱えられるくらいの大きさの…


(ボタンか…)


すぐに、その正体に思い当たった。


「見えた?」


「あぁ、まあな」


「あいつ、さっきからずっといるんだけどさ、犬とか猫じゃなさそうだよね。でも、なにかな?」


「…関わらないほうがいいと思うぞ」


「え? 岡崎は、あれがなにかわかる?」


「いや、なんとなく」


「でもさ、なんか、面白そうじゃん」


春原は楽しそうに笑った。


ちょうどよさそうな暇つぶしを見つけた、というような表情だった。


「授業が終わったら、見に行こうぜ」


「はぁ…わかったわかった」


本当に、春原は関わってもロクなことがないだろうに、と俺は思った。


なんというか…飼い主的に。



…。



チャイムが鳴って、授業が終わる。


「よっし、やっと終わったぜっ」


終了の礼をするとともに春原はこっちを向いて、担当教科の教員に睨まれたが、気付いてもいない。


「さ、岡崎、行こうぜっ」


「はいはい」


言いながら、俺はちらりと外を見やる。


校門のあたり…。


さっきまで見えていた小さな姿は、今はない。


「ん…? あれ? あいつ、いなくなっちゃった?」


春原も俺の視線を辿り、残念そうな声を出す。


「いや、そんな遠くには行ってないんじゃないか」


「そうだね…。そんな、機敏そうな感じはしなかったしね。でも、急いだほうがいいかな」


「かもな…」


くるりと振り返って、早足に歩き出す春原の背中を追いかける。



…。



俺と春原は、校門の辺りまでやってきた。


当然、あたりに人影はない。


「たしか、この辺だったんだけどね…」


「ああ…でも、いないな」


「そうだねぇ。やっぱり、どこか行っちゃったのかなぁ」


「かもしれないな…」


辺りを見渡すが…ボタンの小さな影はない。


おそらくまた、杏を求めてここまで来たというところだろう。


帰ったのだろうか?


だが、杏の姿も見ないで帰るというのは、なんとなくなさそうな気もするが。


すりすり…。


「ん…?」


「おい、岡崎…」


少し、ぼうっとしていると…足元に、やわらかい感触。


「ぷひ、ぷひっ」


すねの辺りに、ボタンが小さな体をすり寄せていた。


「うわ、なんだこいつは…」


春原は、じっとボタンを見つめて…


「岡崎…こいつ、かわいすぎるだろ…」


「あぁ、まぁな…。独特な魅力があるよな」


「さ、触ってもいいかな?」


「別に、敵意はないんじゃないか?」


擦り寄ってきてるくらいだし。


「そういえば、そうだねっ」


春原は嬉しそうに笑い、俺の足元のボタンにゆっくり手を伸ばす。


「ぷ…ぷひぷひ」


「逃げんなよー…」


ちょこちょこと逃げようとするボタンに、春原の手が触れようとしたその時。


「あ」


「え、どうしたの?」


「こらああぁぁぁぁーーーーーっ!!」


怒号。そして、目の前をなにかがものすごい速さで通り過ぎる。


衝撃波、というか、一拍遅れて風が俺の頬を打った。


…ベシンッ!!


「ぐあっ?!」


春原が吹っ飛ぶ。


金髪の頭にぶつかったなにかは、一度ふわりと空に浮き、ベシン、と地に落ちた。


見てみると、国語辞典…。


「いっててて…なんだよ、辞書? なんでこんなのが飛んでくるんだよ」


「春原、危ないぞ」


「もう遅いよ! 当たってから、そんなこと言われても…ぶべっ」


起き上がりかけた春原の背中を、足蹴にする女がいた。


「ほら、危ないって言っただろ」


「ほ、ほんとだね…」


「あんた、うちの子になにする気よっ」


風のように現れた杏が、春原にすごんだ。


「別に、何もしてないだろっ」


「ぷひ、ぷひ♪」


杏の足に、ボタンが体を擦り付ける。


「いててて…ていうか、なんだって? うちの子?」


「そ。あたしのペット」


「ぷひ♪」


「ウリボウのボタンだ」


「ウリボウ…?」


踏みつけられた足をどけられ、制服をはたきながら立ち上がった春原は、訝しげな表情をした。


「ウリンコよ」


「え? ウンコ?」


「殺すわよ?」


「ひぃぃっ」


「おまえ、すっげぇ情けないな…」


「岡崎だって、睨まれたらこうなるよ」


ならねぇよ。


「イノシシの子供よ」


「マジ? こんなちっこいのが?」


「そ。かーわいいでしょう」


「ああ、飼い主とは大違いだね」


「…」


バシッ!


「無言で殴るなよ!」


バシッ!


杏は、もう一発春原を殴る。


バシッ!


ついでに俺も、一発殴っておいた。


「岡崎は関係ないだろ!」


「いや、今はおまえを好きなだけ殴れるボーナスタイムかなって思って」


「そんなボーナスねぇよ! というか、僕には全然ボーナスじゃないですよねぇっ」


「いや、こういうの好きだろ?」


「あたしも、陽平にぴったりの役回りだと思うわ」


「あんたら、鬼だよっ」


俺と杏は、春原で遊んだ。



…。



「で、こいつどうすんだよ? まだ授業あるぜ」


「あとはロングホームルームだし、なんとかなるでしょ」


「おまえも適当だよな…」


また『ぬいぐるみ』で切り抜けようというのだろう。


というか、先日は見事あの方法でやりきったのだろうか。変な騒ぎにはなっていなかったようだが。


「今日は先生が付いてるわけじゃないし、大丈夫よ」


「マジ? 生徒だけでやるのか? というか、いいのか?」


「ま、自習の監督のほうが有意義ってことでしょ」


不満そうに、ふん、と鼻を鳴らす。


「なに? 何の話なの?」


「あれ、朋也、こいつにはまだ言ってないの?」


「悪い、忘れてた」


「はぁ…。陽平、あんた、次の授業は図書室だから」


「へ? どういうこと?」


「休み時間終わっちゃうから、歩きながら話すわ。ボタン、『ぬいぐるみ』よ」


「ぷひっ」


「さ、行くわよ」


杏が先頭切って歩き出す。俺と春原は、その後に続く。



…。



「ふぅん、喫茶店ねぇ…」


退屈そうに話を聞いていた春原は、聞き終わると鼻で笑うように息をつく。


そして、少し、顔をゆがめて笑った。


「そんな仲良しごっこ、どうして僕が参加…ぶべしっ」


言い切る前に、杏の拳が炸裂していた。というか、綺麗に顎にはいった。


「うぅ…」


春原、千鳥足になっている…。


「図書室、来るわよね?」


今日はにっこりと笑う。悪魔のような笑顔だった。


「だ、誰が行くかよ、そん…いででっ!」


春原は気持ちよくドツかれている。


「く、くそ、僕は…」


バシッ!


…バシッ!


杏に続いて、俺も殴ってみる。


「って、岡崎も殴るなよ!」


「いや、ボーナスタイムは続いてるのかな、って思って」


「続いてねぇよっ。というか、そんなタイムねぇよっ」


春原はツッコミを入れた。


「で、あんたも参加するでしょ?」


「…参加させていただきます」


春原は暴力に屈したようだった。


こんな感じで部活にも取り込んでやろうか、とも思うが、そっちは正直、こんな冗談ではすまないだろうな。


「なら、決まりねっ。ほら、じゃんじゃん歩きなさいっ」


輝く笑顔の杏に尻を叩かれて、春原は午後の廊下を行く。





146


図書室の空気は、重く垂れ込めていた。


集まったクラスメートや、E組のクラスの生徒たち。俺と春原とことみは、彼らの輪から少し外れたあたりに腰掛けていた。


俺の右に春原。左にことみ。


ことみは警戒する様子で春原にちらちらと視線を送るし、春原はことみのことは無視しようと決めているらしい、そっぽ向いて事態の趨勢を眺めているだけだった。


他の生徒たちも、俺たちをちらちらと見る奴もいたりして、決して居心地は、よくない。


不良がここにいること。あるいは、天才児がここにいること。いや、決して交わらないようなこの両者が一緒にいるからかもしれない。


だが、そんな視線は、今は大した問題ではなかった。


今、直面している問題、それは。


「…十五人、か」


集まった人数を数えていた杏が、気落ちした感情を隠しきれない様子で呟いた。


各クラス、人数は四十人に届かないくらい。D組とE組の生徒を合わせると、大体七十五人くらい。


だから、参加表明をした生徒は、五人にひとり、ということだった。


それが多いかどうかは、聞くまでもない。


こんな人数だと準備も相当厳しいだろうし、そもそも当日、メンバーでシフトを組んで店を回す、なんてこともまずできないだろう。


「これだと、厳しいよなぁ…」


「うん、やっぱり無理かな…」


「教室戻って、勉強しないとヤバイかな…」


ぽつぽつと、そんなことを話している連中もいる。


杏が、物憂げに顔を伏せた。なにか言おうとして、言えなかった。手持ち無沙汰に、そっとボタンを撫でる。


彼女にとっても、思いのほか状況が悪かったのだろう。


藤林も心配そうに杏の顔を覗き込んでいる。


「ちっ…」


春原は小さく、不快そうに、舌打ちをした。


参加希望者を求む、という声に応えて集まったわりに、諦めるのが早すぎる、とは思う。


だが実際、思い悩みながら、でも、ここにきてくれた彼らは、重要な人材だった。


「あ、あの、話し合いを始めましょう…」


藤林が、おずおずと申し出る。


「でもさ…」


「うん…」


「この人数だとね…」


反応が非常に鈍い奴も、何人かいる。それは仕方がないだろう。


自分たちが圧倒的に少数派だと知れば、不安に思うその気持ちもよくわかる。


「…っ」


隣で、春原が、机の脚を蹴ろうという体勢をとる。


俺は、春原の肩に手を置く。


「…」


不満そうに、眉をしかめる。


「ちょっと待て」


「…ふん」


言いながら、再びイスに深く身を沈めた。


「話し合いをしようぜ」


俺が声を出すと、一堂の視線が集まった。


まさか、俺が耳目を集めるように出てくるとは、思っていなかったのだろう。


俺だって、そんなつもりはなかったが…。


さすがに、この状況を黙って見過ごすには、藤林姉妹への負担が大きすぎる。


「そうはいってもさ、この人数でどうしろっていうのよ?」


「面白いとは思うけど、あんまり時間をとられると、勉強が遅れちゃうし…」


「そりゃ、大丈夫だろ」


俺は、杏に視線を送った。


さっきから黙って、事態の趨勢を見つめていたその姿。


小さく唇をかんで、俯いていた表情は、俺の視線に向き合うと、戸惑うように揺れた。


「杏、この企画、最初はかなり少人数で始まったんだろ」


「え、えぇ、そうね…。ほんと内輪で、七、八人くらい」


「それが、今は十五人だろ。大躍進じゃん」


興味本位でここに来たであろう、戸惑い気味な連中に視線を送る。


「この調子でいけば、どんどん増えてくだろ。おまえらも、楽しそうだったからやってみたいと思ったんだろ」


「まあ、そうだけど…」


「うん、そりゃあね」


彼らは、まだ困惑した様子だった。


「でも、そうそううまく人数増えるとも思えないけど」


「増えるだろ」


俺は、断言する。


「だって、リーダーは、こいつだぜ?」


ぐい、と、親指で杏を指差した。はっと息を呑んで、一同、杏に目をやった。


再び、俺と杏の視線がかち合った。


一瞬だけ、ちらり、と揺れた瞳は、すぐに力を取り戻していた。


「…ええ。心配はないわよ」


不敵に笑って、立ち上がる。


たん、と、机に片手をついて、一同を見渡した。


「できるだけ無理のないスケジュールで準備ができるように、計画は立ててあるわ」


杏は、ちらりと藤林に目をやった。


「は、はいっ。事前に、準備チームのリーダーを選出してあります。それぞれのチームなんですが…」


緊張した面持ちで、説明を始める藤林。彼女らが予定していた話の流れに入ったことがわかった。


「ぷひ、ぷひっ♪」


ボタンが嬉しそうに鼻を鳴らす。


…って。


「ぬいぐるみが喋ったーーーーっ!!?」


そして図書室は阿鼻叫喚。



…。



ボタンがらみで大騒ぎになったが、幸いここに教師もいない。というか、ガラッと空気が変わった、という意味ではいいことだったのかも。


話し合いが始まった。


小道具は、当日までに女子の衣装の作成、そして男子の衣装の調達。男子用のタキシードは、チームリーダーにツテがあるらしく、既に解決済み。女子の衣装は、服飾デザイン部のサブリーダーが音頭をとって作成していく。


大道具は、店内の内装の充実と、看板の作成が仕事だ。教室の三分の一程度を調理スペースにするため、スペースと客席を隔てる壁を作る。あと、校外に設置する立て看板、ビラ、サンドイッチマン用の看板など、宣伝関係をほとんど持っている。チームリーダーの他、サブリーダーが二人つく。チームとしては一番大きい。


料理は、当日までにメニューの作成、値段の設定、当日調理係へのレクチャーが仕事。チームリーダは杏。サブリーダーがことみ(杏の強制)。チームとしては小規模。


渉外は、各種調理機材、食器、食材の確保。あとは物品確保や書類など、学校側への申請は全て請け負う。また、創立者祭オープニングにおける、各出展のPRタイムも渉外で責任を負って内容を決めなければならない。チームリーダーは藤林。サブはなぜか俺。ヒラに春原。そしてフォローで杏が入り四人と一番少人数。ただし、仕事柄、権限は最大。


そして全体統括者は杏で、彼女にかなり負担がかかる体制ではあるが、発起人として、それは仕方がないかもしれない。


説明のあと、ひとまずは全体会議という形になり、各リーダーが方針と作業の予定を説明する。そして、その原案をたたき台にして、各々意見を言い合う。はじめ戸惑っていた連中も、熱を入れて議論に加わり始める。


自然、適当に座っていただけの陣形が円卓上になってくる。


さすがの杏だな、と俺は舌を巻いた。最初だけはとっかかりがなさすぎてどうしようもなかったかもしれないが、計画の緻密さと大雑把さをうまく使い分けていた。


自分で全てを背負い込まず、任せられる仕事は任せてしまう。きっとこいつは、将来仕事できる奴になるだろうな、と思わせる仕切りぶりだった。




「…なんか、一気に雰囲気が変わっちゃったね」


「ああ」


春原はその様子を見て、頬をかく。


「さすが、杏ってところだね」


「まぁな」


あの人身掌握術は恐ろしい。それに、口がとにかくうまい。


「ま、楽しそうだし、いいんじゃないか」


話し合いをしている生徒たちの表情は明るい。


「…ふん、そうだね。ま、楽しそうだとは思うけどさ」


はぁ、と呆れたようなそぶりでため息をつく。


彼らの対する不快さは、そこには感じられなかった。


「…でも、最初は、朋也くんのおかげ」


ことみが、にっこり笑ってそう言った。


「そうか? ていうか、どっちにしろ杏ならなんとかしたと思うけど」


「そうかもしれないけど…でも、今、みんな楽しそうなのは、やっぱり朋也くんが最初にああ言ってくれたからだと、思うから」


「どうかな…」


「実際、そうよ」


いつの間にか、すぐ後ろに杏がいた。


「なんだよ」


「最初は、もうどうしようもないかも、って思っちゃったのよね〜。でも、朋也が流れを戻してくれて、助かったわ」


「で、いけそうなのか?」


「うーん、どうかしら。でも、こんなノリでやっていけば、人は集まりそう。だって、楽しそうじゃない」


杏はうれしそうに、一同を見渡す。


「勉強してばっかより、よっぽどいいわ」


「でも、杏も進学志望だろ? そんなんでいいの?」


春原はちらりと杏を見る。


「そりゃ、いいに決まってるわよ。あたしたちは、勉強するためだけに、ここに通ってるわけじゃないわ。ちゃんと、楽しいことがあってもいいじゃない」


当然、というように杏は頷いた。自信にあふれる、姿だった。


「……楽しい、こと」


ことみが、わいわい騒ぐ生徒たちを見て、小さく呟く。


本の文字を追っている時のような、真剣なまなざしを、彼らに向けていた。


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