folks‐lore 4/21



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昼休み、俺は教室に戻る。


「あ、お、岡崎くん…っ」


席につくと、藤林が慌ててやってきた。


「ほ、ほんとに帰ってこないなんて、ひどいです」


「だから、サボるって言ったじゃん」


「冗談だと思って、待ってました…」


「おまえって、バカ正直だよな…」


「岡崎っ」


そこに、智代が登場。


「あ、じゃぁ、私はこれで…」


藤林が後ずさって去っていく。


「あぁ、すまない、邪魔をしてしまったな」


三年の教室に、気負った様子もなくずんずん入ってくる。


「あいつは、まだ来ていないようだな」


「らしいな」


「それじゃ、行こう」


俺の手を掴む。


「ああ。ていうか、手を離せ」


「どうしてだ」


「どうしても」


「恥ずかしいのか?」


「そりゃな…」


「うん、そうか」


俺に笑顔を見せて、歩き出す。…掴んだ手はそのままに。


「おい、離せよっ」


「なんだか、おまえの困った顔が見たくなったんだ」


「なんだよ、そりゃ」


さっきと同じように、引っ張られるように連れられていく。


クラスメートは、なんだなんだ、などと言いながら阿呆な姿をぼうっと眺めていた。


…くそぅ。


俺たちは、廊下に出る。


「あっ」


「ん?」


「また、あんたっ」


…俺は天を仰ぐ。


今、再び。うちのクラスに入ろうとした杏と鉢合わせる。


「ああ、あなたはさっきの…」


「今度は、なんなのよ?」


目を細めて、俺たちを見比べる。


「春原を呼びにいくとこだ」


「あのバカを?」


「ああ。放っておけないからな」


「…朋也、この子、あいつとそんな関係なの?」


「おぞましいことを言わないでくれっ」


智代が全力で否定していて、俺は笑った。


「性格だろ。細かい奴なんだ」


「せめて、面倒見がいいと言ってくれ」


「ああ、そうだな。超面倒見がいいんだ」


「おまえ、馬鹿にしてるな…。せっかく、下級生の女子と歩けるんだ、もっと幸せそうな顔をしろ」


「もう十分幸せかみしめてるよ」


「そうは見えないがな…」


再び、歩き出す。


「ちょっと、待ちなさいよ」


杏が俺たちの背中に声をかけ…


「椋ーーー!! あたし、お昼あとで食べるからーーーっ!!」


教室の中に大声で言って、後についてきた。


「…え? おまえも来るの?」


「なによ、迷惑?」


「いや…」


妙なことになってしまったな。


「ていうか、その手を離しなさいよ」


「ああ、そうだな…」


智代はそう言い、握った手が離される。


「…」


杏はちらりとその様子を見て…


ぎゅ…っ。


「えっ」


離されたその手を、握ってきた。


「じゃ、行くわよっ」


智代とは違った、少しひんやりとした、柔らかい感覚…。


杏は輝くばかりの笑顔を智代に向けていた。


俺をダシにして対抗するのは止めてくれっ。


腕をぶんぶん振るが、がっちり固定されていて、なんか楽しそうに手を振っているような感じになってしまった。


「…」


智代は眉をひそめ…


ぎゅっ…。


空いているほうを、握った。


「おまえら、こんなので対抗するなよな…」


「でも、なんかこの子には負けたくないような気がするのよね…」


「だまし討ちは、卑怯だろう」


「作戦よ、作戦」


「いいから、さっさと行くぞ!」


微妙に、視線を浴びている。俺はさっさと歩き始めた。


自然、手は離され、俺は安堵する。



…。



職員室で外出の許可を取り、俺たちは校門を抜けて坂を下っていた。


申請は智代が全てやってくれて、俺と杏は立っていただけだったが。


「言っとくけど、陽平を起こしても、明日もまた寝坊よ」


「それなら、明日もまた起こせばいい」


「…ほんっと、細かいわね」


「だから、面倒見がいいと言ってくれ」


「はいはい」


ふたりの女生徒は、なんだかんだ息の合った会話をしていた。


彼女らの性格は、少し似ている。だからこそ反発もすれば、意気投合だって、する。


似たもの同士なのだ。それは、近くて遠い共通項。


俺は、空を見上げる。葉桜、そして空。


風は、暖かい。春の日の、よく晴れた空の、空気だった。


下りの坂道だから、リズムよく、とんとん、と足音が並んでいく。


昼下がりのこの時間、学校を抜け出して坂を下っているというのも、なかなか気分がよかった。






121


「なんだ、汚い部屋だな…」


「うっわ、男子の部屋って、どこもこうなの?」


春原の部屋に入ると、女子ふたりは顔をしかめて、珍しそうに辺りを見回す。


そんなに、汚いだろうか。男の俺は、そんな違和感は感じないが。そもそも、むしろこういう空間、落ち着くんだが、それは男だけが分かり合えるタイプの感情なのだろうか。


畳まずに積み上げられた服。部屋に片隅に溜まった埃。移動スペースだけが確保されて、後は物置のようなスペースになっている。


そして、その獣道の終着点、ベッドの上で、春原は幸せそうに惰眠を貪っていた。


「まったく、こいつは学生の自覚がないんだな」


智代はそれを見て、呆れた顔をする。


「春原だからな」


「あたしたちが授業受けている間、こんな顔して寝てたと思うと、一発殴ってやりたくなるわね…」


杏はほとんど苦笑いといった表情だ。


「昼休みがなくなっちまう。さっさと起こそうぜ」


「ああ、そうだな」


俺は春原の肩を揺する。


「おい、春原」


「うぅん…」


もぞもぞと体を動かし、逃げるように体を丸める。


「起きろっ」


背中の辺りを軽くパンチする。


「んだよ、おい…」


うざったそうに、春原は目を開けた。


「ん、岡崎…?」


顔をしかめて、俺を見た。


そして、その視線がついっと横に動く。


その先には、智代と杏。


「わっ!」


寝転んだまま、後ずさりした。


「なんだか、気に食わない起きかただな…」


「陽平、せっかく起こしに来てあげたのに、いい度胸ねぇ」


「ひぃっ」


目を見開いて、すがるように俺を見てきた。


「おはよう、春原、いい朝だな」


「どこをどう見れば、そうなるんだよっ」


「早く支度をしろ」


「あたしたち、昼も食べてないのよ」


「そんなの、僕が知るかよ…」


「陽平、なんか言った?」


国語辞典を振りかぶった杏が、笑顔で聞いた。


「超、いい目覚めッス! 最高ッス!」


春原は身の振り方がよくわかっているようだった。


「女の子に起こされるなんて、幸せだろう」


「ほんと、幸せッス!」


…なんだか哀れに思えてきた。


「無事でいたかったら、早く着替えたほうがいいぞ」


「ああ、そうだね…」


「ほら、お前らは外に出てろよ」


女子ふたりを、部屋の外に追い出す。


「はぁ…助かったよ」


ふたりが見えなくなると、安心したように息をついた。


「さっさと着替えないと、危ないぞ」


「なんでいきなり、あいつらが来てるんだよ」


だるそうに起き上がった春原が手近なシャツを取って、着る。


「智代が、ほっとけないって言ってたんだよ」


「はっ…」


春原が、不適に笑った。


「そうか、なるほどね…。ライバルと認めた男を、放っておくことはできないって訳か…」


「杏は、起こしに行くって言ったら付いてきたんだ」


「そうか、なるほどね…。僕の寝顔を、他の女に独占されたくないって訳か…」


「……おまえって、ほんとワンダフルだよな」


「まぁね。ワンダフルで、ソウルフルかなっ」


「ついでにジョイフルだな」


「はははっ、それ、レストランだよっ」


「…」


バキッ!


「って、なんで殴るんだよ!」


「いや、なんか腹立って…」


「めちゃめちゃ理不尽だな、おいっ」


などと話していると…ドアのほうから、ガンガンとノック。


「早くしなさいっ」


「ひぃっ」


春原は、壁越しの杏の叱咤にすらビビッていた。


「早くしないと、半殺しだな」


俺はちらりとベッド脇の時計に目をやる。まだ昼休みの前半だが、学校に戻って食事をするとなると、急がなければならない。


「さっさと着替えろよ」


「わかってるよ」


脱ぎ捨ててあったブレザーを着て、スラックスをはく。


「おまえ、なんで最後に下はくんだよ」


「そんなの、僕の勝手だろ。親みたいなこと言うなよ」


「おまえが息子だったら、俺、自殺してるな…」


「着る順番だけで大げさですねぇっ」


言いながら、同じくころがっていた鞄を持つ。


「おまたせ、行こうぜ」


「ああ」




部屋を出る。




「ああ、遅いっ」


さっそく、杏の言葉に迎えられる。


「あんた、顔は洗った?」


「いいよ、顔なんて」


「ほんとどうでもいいけどね」


「…もうちょっと、優しく言ってくれてもよくない?」


春原は、固まった笑顔を張り付かせて言った。


「ちょっと顔、洗ってくるよ。先に行っててよ」


ぶらり、洗面所のほうへ歩いていく。


「おい、智代は?」


廊下に待っているのは、杏だけだった。


「あの子、寮母に挨拶するってどこか行ったわよ。あ、来た」


玄関のほうから、智代が小走りにやってくる。俺たちも彼女のほうに歩き始める。


「すまない、待たせたな」


合流し、玄関のほうを手で示す。智代は手前で立ち止まり、隣に並んだ。


「いや、ちょうどよかったよ。というかおまえ、美佐枝さんと知り合い?」


「ああ、そうではないが、噂は聞いていたからな。挨拶だけしてきた」


「噂…?」


「朋也、ここの寮母さんってそんな有名なの?」


「…」


俺は、少し考え込む。


美佐枝さんの噂?


胸の話だろうか? といっても、そういう文脈じゃないのは、智代の顔を見ればわかる。


それ以外だと…


…プロレス技だろうか。それくらいしか思い浮かばない。


だったら、智代が興味を持ってもおかしくない…かもしれない。


「ちょっとは有名だと思うぞ」


「へぇ、聞いたことないわね。なんで?」


「おまえと似たような方向性だよ」


「あ、そうなの。それじゃ、すっごく美人とか?」


「うん、まぁ…」


俺は言葉を濁して逃げた。


「あのバカはどうしたんだ?」


智代が辺りを見回し、俺のほうを見る。


「顔洗ってくるってさ。すぐ来るだろ」


「逃げたりしないか?」


「…おまえらから?」


「それ、どういう意味よ?」


「ああ、知りたいな」


ふたりに、睨まれた。


「…あ、ほら、来たぞっ」


向こうの廊下に、春原の姿が見えた。


「あんた、走りなさいっ」


ぶらぶら歩く姿に、杏が国語辞典を構えると、春原は弾かれたように全力ダッシュでやってくる。


なんか、いじらしいっつぅか、アホというか…。


「お、お、おまたせっ」


超ビビッていた。


「あんたたち、こいつを迎えに来るなんて物好きねぇ」


春原とは反対側から、美佐枝さんが歩いてきた。


もの珍しげな表情で女子生徒を見ている。


たしかに、こんな情景初めて見るのだとは思うが…。


「成り行きでさ」


「ま、頑張って授業でなさい」


にこっと笑いかけ、そのまま歩いていく。


俺たちは学生寮を出る。



…。



「なるほどね」


坂を登りながら、隣、杏が笑顔を見せる。


「なにがだよ」


「あの人、寮母でしょ。ちゃんと美人だったじゃない。だから、あたしに似てるわね。あんた、ああいう人がタイプとか?」


「そんなんじゃねぇよ」


「へぇ、どうかしらね」


「何の話?」


春原が、首を突っ込んでくる。


「朋也の好みのタイプ」


「あのな…」


「ああ、なるほどね。僕の見立てだと、岡崎のタイプはこう…しっかりしてて、けっこうはきはきしててさ、こいつあんま喋らないからその代わりに色々やってくれるような子じゃないかな。それに偉そうだから、自分を立ててくれるような年下の子でさ」


「あたしの考えと全然違うわね…」


俺は春原の言ったことを考えてみる。


年下で、しっかり者で、はきはきとあれこれやってくれるような甲斐甲斐しさ、ねぇ。


…なんとなくその条件に当てはまる人物像として芽衣ちゃんが浮かび、俺は春原をついつい凝視してしまう。


いや、別に、そんな含みはないよな。まさか、な。


「っていうか、おまえら、勝手なことばっか言ってるなよ。もうこの話はいいだろ」


「いや、私も気になる」


智代も割り込んでくる。


「おっ、これで一対三ですねぇ」


春原がニヤニヤと笑った。


「岡崎は、どういう人が好みなんだ?」


真正面から、智代が尋ねる。


「…」


俺は、しばし、沈黙。


嘘を言っても、勘が良さそうだからな…。


「初恋は、年上だったよ」


小学校の時、女性教師だっただろうか。よく覚えていないが。


「それで勘弁してくれ」


「年上…」


「年上か…」


「年上なのか…」


他の三人は、意外そうに呟いていた。すごく、恥ずかしくなってくる…。


気持ちを振り切るように、さっさと歩く。


後ろから、他の奴らが追いかけてくる足音が聞こえる。



.…。



校門を過ぎ、昼休みの喧騒が聞こえてくる。


「岡崎」


「なんだよ」


春原が隣を歩いていた。退屈そうに、校舎を見上げている。


「昨日の話だけど、おまえ、そんな部活をやる気なの?」


「ああ」


「ふぅん…」


「それが、なんだよ」


「なんでもないよ」


下らないことを聞いた、というように胡乱なまなざしのままの春原。


「僕には関係ないことだなって、そう思っただけだよ」


心の底からそう思う、とでもいうような、口調だった。





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