folks‐lore 4/21



119


三時間目が終わった。


「藤林」


「あ、はい」


藤林は首をかしげて、俺を見上げる。


「次、サボるから」


「あぁ、そうなんですか」


さっきの休み時間、結局帰ってきたからだろうか…。藤林は、さして驚いた様子もなく、笑っている。


「岡崎くん、いってらっしゃい」


「…」


くそ、なんか、また帰ってくるんですよね、的な態度だよな…。


「じゃあなっ」


絶対に次はサボってやる、と決意を固め、俺は教室を後にした。



…。



もし途中、また智代に会ってしまったら笑えない、などと思ったが、さすがにそんな恐ろしい偶然はない。



にぎわう廊下をすり抜けていく。


さきほど、風子がヒトデを配り始めているのを見た。もし目に付けば、そばに付いていてやろうかとも思うが…見当たらず。


図書室に行くつもりだが、途中ちらりと資料室に寄ってみる。


「よぉ」


「あ、朋也さん」


宮沢がひとり、本を読んでいた。


顔を上げると、にっこりと笑う。


「次の授業は、出るんですか?」


「…でねぇよ」


そう言うと、宮沢はくすくすと笑った。


「さすが、坂上さんですね。やっぱり、聞いていた通りの方です」


俺は彼女の手前のイスに座る。


「でも、宮沢が聞いてたような話だと、怖い感じもするだろ」


夜な夜な町を歩き、不良どもをなぎ倒していた。


半ば伝説とでもいうような話だ。


畏怖はされても、受け入れられることはないような、かつての智代の立場だ。


だが、宮沢の表情は変わらず笑っている。


「たしかに、すごく怖がってる方もいますね」


「大体そうだろ」


「まあ、そうかもしれませんけど…ですが、お話を聞くと、悪いことをすると懲らしめる、という風だったらしいので」


「ある意味、義賊みたいな感じか」


「はい、そうですね。きちんと筋が通った、素敵な方だと思います。同じ学校だったとは、知らなかったですけど」


「宮沢の周りで、面白いあいつの逸話とかないの?」


「そうですね…」


ちょっと顔を伏せて、考え込む。


柔らかな髪が、さらりとひと房、頬にかかった。


「私の聞いたお話ですと、足の一振りで滝を二つに割って、その全ての水滴を残らず蹴る、という修行をしていたらしいです」


「…」


あっという間に、人類を超えていた。


「あとは、本気になったら真空破をおこせるとか、ですね」


「完全にゲームとかの世界だよな…」


「まあ、噂なので」


「本人が聞いたら呆れそうだけどな…」


「生ける伝説、ですから」


「同じ立場には、なりたくねぇよな…」


「それはそれで、きっと楽しいですよっ」


宮沢はのんきだった。


「あ、そういえば、風子に昼のこと聞いた?」


「はい、部室へ、というお話ですよね?」


「そう。ここ、空けちゃっても大丈夫?」


「えぇと、はい。特に予定もないので」


言いながら、俺の瞳を覗き込む。


表情はすぐに、笑顔になった。


「ですが、一緒にお昼というのも、部活っぽくて楽しみです」


「そうだな…。俺は、ちょっと遅れるけどな。あ、そういう風に伝えといてくれる?」


「わかりました。なにか、用事があるんですか?」


「ああ。春原を呼びに行くことになりそうでさ」


「…春原、さん」


きょとんとした顔を俺に向けた。


それで、気付く。


そうか、宮沢はまだ春原と面識はないのか。そういえば、そうか。


「悪友みたいなもん」


「そうなんですか。朋也さんのお友達でしたら、きっといい方ですねっ」


…そんな言われ方をすると、照れてしまう。


「風子がさ、ヒトデ、配り始めてたよ」


気恥ずかしさから、無理やり話題を変えた。


「あ、ほんとですか」


「あの後、会ってさ。智代に渡してた」


「坂上さん、受け取ってくださいましたか?」


「ああ」


「それなら、よかったです」


にっこりと笑う。


俺は風子のヒトデのストック、どれくらいあったかな、と計算する。


全校生徒、七百個を作るなら、もっとペースアップしないといけないかもしれない。


一日何十個、という量産体制ができればいいんだけど、なかなかそんな暇はない。


宮沢とそんな話をしていると、休み時間は差し迫り、彼女と連れ立って教室を出た。


宮沢は、新校舎、教室へ。俺は階段を登る。





120


がらがらー、と引き戸を開ける。


毎日のように通っているので、もはや遠慮はなかった。


「おっす」


軽く挨拶しながら入っていくと…


「…」


「…」


ことみと、見知らぬ教師がこちらをぽかんと眺めていた。


「…」


俺も、ぽかんと見返してしまった。


…そしてすぐに、しまったと思う。


闖入者は、俺だ。場面からすると、明らかにことみを訪ねてきたように見えるだろう。


自分はまだしも、彼女の立場に影を落とすのは避けたかった。


「あなた、岡崎くんよね。D組の」


…ちっ。


心中で舌打ちする。俺のことは知っているようだ。逃げるわけには行かなくなった。


「…ああ」


「いつもここに来てるの?」


眉をひそめて、聞いた。


どう答えようかと考えていると…ととと、とことみが横に来る。


「朋也くん」


小声で、言う。


「悪い、邪魔しちゃったな」


「そんなこと、ないけど…」


ひそひそ話す俺たちを見て、教師は意外そうな顔をした。


「あなたたち、お友達なの?」


秀才と、不良。たしかに、おかしな組み合わせだろう。


「まあな」


「朋也くん」


くいくい、と袖を引っ張られる。


「この前の時みたいに、お兄ちゃんって呼んだら、ごまかせるかもしれないの」


「…」


俺は、シミュレーションしてみる。


…変態高校生として、しょっ引かれる姿が、ありありと浮かんだ。


「同じ方法で切り抜けようと思うなよ?」


「そっか…」


ことみは納得したようだ。


正しい選択肢を選んで、俺は危険を回避したんだろうな…。


「それじゃ、もう行くわ。岡崎くん、あなたもよっ」


教師に、手を取られる。


「あっ」


ことみが、反射的に俺のもう片方の手をとった。


…期せずして、両方から引っ張られる体勢になった。


さっき智代と杏に引っ張られまくった記憶が蘇り、俺は青ざめる。


…が、すぐにことみの手はするりと離された。教師に反抗する気はないらしい。


「一ノ瀬さん…」


教師は、困ったようにことみを見た。困惑した瞳を、ちらりと俺にも向ける。


「さ、行くわよ」


「わかったよ、手は離してくれ」


「ええ」


教師が前を歩いていく。俺はことみに身振りで詫びて、その背中を追った。



…。



「驚いたわ」


旧校舎、階段を下りながら、教師は呟くように言う。


「一ノ瀬さんに、ちゃんと友達がいたのね。…それも、岡崎くんか」


「問題あるのかよ」


「全然タイプ違うのに、おかしいわね」


頬は少し緩んでいる。授業をサボろうとしたことの追求より、俺とことみの関係のほうに興味があるようだった。


「一ノ瀬さん、言葉は濁してたけど、あの子が持ってきてたお弁当のひとつは岡崎くんのなの?」


「まあ」


弁当を作ってもらう、というのも教師にばれるとかなり気まずい。


「でもよかったわ、あなたみたいな人がいるなら」


なんだかこの人、勘違いしているような気もする。その微笑ましいものを見るような表情がとても怪しい。


「…会ったのはつい最近だ」


「あ、そうなの。…なるほど」


うんうんと頷いて、俺を振り返る。


「今、一ノ瀬さんとお話してたのはね」


「…ああ」


急に、話が飛んだ。俺は訝しげに教師を見る。


だが彼女はもう、前を向いていた。


一歩一歩、ゆっくり階段を下りていく。不揃いな足音が、しんとした旧校舎に小さく響く。


「海外留学の話なの」


たん、と響いた足音が止まる。俺は立ち止まっていた。


少し、先を歩いた教師も、足を止めて俺を見る。


「…海外留学?」


「ええ。まだ、お話、というくらいだけど」


俺は困惑する。


あいつが海外に行く?


その言葉が頭の周りをぐるりぐるりと回る。だが、頭の中には入ってこない。


…海外?


呆然とする俺を見て、教師は少し笑った。


「…その話をさっきしたんだけど、断ってくれって言われたわ。少し前のあの子だったら、もう少し悩むかなと思ってたから、少し驚いたの」


「え」


「私も、あなたを見ていたらその方がいいような気がしてきたわ。ひとりっきりで、海外に行くのは、やっぱり寂しいでしょうし…」


「…」


「ずっとひとりじゃ、潰れちゃうでしょうからね…」


小さく、呟いた。その言葉、彼女の表情はわずかに憂鬱に沈んだような気がした。


「…それ、何の話だよ?」


「なんでもないわ」


首を振る。


俺はその後姿を見つめるが、これ以上その話をするつもりはなさそうだった。


「でも、そういう話って、学校の株を上げるチャンスじゃないのかよ」


「チャンスって、まあ、話題性はあるでしょうね」


教師は苦笑いをする。


「でも、選択肢を持っているのは、生徒よ。一ノ瀬さんは自分ではっきりここにいるって言っていたわ。それなら、それが一番よ」


「ふぅん」


「そんなすぐに断るとは思っていなかったから、驚いたわ。今まで、そういう意思表示はあまりしない子だったから…」


階段が終わる。廊下には、移動教室で旧校舎に来る生徒たち。


「だから、あの子を支えてあげてね。教師じゃ、どうしようもないことって、あるから」


「…ああ」


俺が言うと、安心したように笑った。


「あなた、噂で聞いてたような感じじゃないわね。ほっとしたわ」


新校舎に入る。


「ここまででいいよ」


「授業には、ちゃんと出なさいね」


「ああ」


教師も無理について行こうとはしない。


教師は、職員室のほうへ。


俺は、教室のほうへ。


歩き出す。



…。



俺は、教師の姿が見えなくなると、即効きびすを返して旧校舎に飛び込んだ。



…。



「あ」


「よう」


「おかえりなさい」


図書室に戻ってくると、ことみは嬉しそうに俺を迎えた。


俺がサボることに関しては、あまり興味がないようだった。


渚なんかだったら、付きっ切りで教室まで送り届けられていただろうが。


「飯にするか」


「でも、風子ちゃんがまだだから」


「あぁ、そうか…」


あいつはどこで何をしているんだろうか?


まだヒトデを配っているか? だが、もう授業も始まる。


などと思っていると…


図書室の引き戸が小さく開けられ、風子が顔を覗かせた。


「あ」


「おまえ、タイミングいいな」


「はい、おいしい気配を感じましたので」


「お弁当、あるから」


「はい。いただきましょう」


小走りに入ってくる。


ことみは巾着を取り出す。俺と風子は弁当を並べたり、水筒を出したりと準備して、すぐ、図書室は秘密の食堂に早変わり。


三人、テーブルを囲んだ。


「それでは、いただきましょう」


ことみが手を合わせた。


俺と風子もそれに習う。


「いただきます」


ふたり、言葉が重なった。




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