folks‐lore 4/18


073


「朋也くん、おかえりなさい。…あれ?」


俺の後に続く人影が風子でないことに気付き、春原の風体を見て、ことみの表情が曇った。


「へぇ、僕ら以外にもサボってる奴なんていたんだ。しかも、同じ三年生じゃん。知らなかったよ」


ことみの姿を見ると、春原は得心したように笑う。


「でも、こんな人気のないところで二人っきりなんて、意味深〜」


語尾を上げながら、ニヤッと笑う。


悪い癖だ。人の弱みを握ると鼻息が荒くなるところ。


ことみ見ると、萎縮してしまっているのがわかる。そして、それが春原を増長させ始めていることも。


「ね、君、名前はなんていうの?」


「……」


「名前だよ、な、ま、え」


「おい、春原…」


「なんだよ。名前聞いてるだけだろ」


楽しそうな顔を、俺に向ける。


「…」


ことみは冷凍されたように固まっていたが、ぎこちなく動き出す。


「ことみ。一ノ瀬、ことみ」


「は…」


その名を聞いて、緩んだ顔が、こわばった。そして、渋面になる。


「なるほどね…。あんたが噂の、一ノ瀬ことみか…」


一転して、不機嫌そうな声。


あぁ、俺にはその理由がわかった。


片や、落ちこぼれて授業についていくことも出来なくて、ふらふらさまよう、落伍者の俺や春原。


片や、授業はレベルが低すぎて、特権的にここにいることみ。


互いに、学校のレールから外れているのは同じだ。だが、外れ方は、両極にある。


春原にとっては、遥か高みの存在、忌まわしい学校のあり方の、いわば極端な存在。


「こんなガリ勉野郎とつるむなんて、岡崎も変わっちゃったね。勉強でも教わってたの?」


蔑むように言って、テーブルを見る。みっつ並んだ、巾着。


「いや、どうやら食事時だったみたいだね。あんたら二人と、もう一人は、もしかして僕かい? こんな時間にうろうろしてるかわいそうな奴が、もう一人いますよってか」


「この、お弁当は…」


「なんだよ」


「風子ちゃんの、なの」


精一杯、という様子でなんとか話すことみ。


「は…?」


春原が、怪訝な顔をした。


「風子って、あの、岡崎の妹だろ? 今関係あるの?」


そういえば、春原には風子を義理の妹と嘘を教えていた。まだ信じてるのか。


「その…」


ことみは困ったように視線をうろうろさせる。


「…」


そろそろ、限界だ。


俺は口を挟んで、春原を追い出そうとした。やはり、ろくなことにはならなかった。


「…!」


俺が口を開きかけた時、ことみの表情がぱっと輝いた。頭の辺りに、ピコーン! と閃きマークが浮かんだ感じ。


「関係、あるのっ」


力強く、言う。


「風子ちゃんは、私の、妹なのっ」


ええーーーーっ!!?


ことみの爆弾発言。


俺はかなり間抜けな顔をことみに向けたと思うのだが、ことみはやりきった笑顔を向けてきた。


いや…何もやりきってない!


つーか言い逃れする必要なかったし!


というか、妹とでも思えとさっき言ったけど、そういうノリで本人と話せって話だったぞ!


「ちょ、ちょっと待ってよ…」


春原も動揺している。俺の動揺に気付かないくらい。


「岡崎と義理の妹があの風子って子で、あんたがその姉? ということは…」


春原が、点になった目で俺とことみを見比べる。まあ、俺の目も点になっているのだが…。


「あ、えぇと……そうなのっ」


ことみは一瞬だけ迷ったが、高らかに宣言する。


たたた、と俺の傍らに来てくっつく。


「朋也くんは、私の、お兄ちゃんなのっ」


「「えええぇぇぇーーーーっ!!?」」


俺と春原の叫びが、静かな図書室に響いた。


春原は俺のハモッてる叫びにも気付いていなかった。


「まさか、そんな複雑な関係が…?」


春原はよろよろと後退して、いすに足を引っ掛けて転び、立ち上がる。


「複雑な家族関係って、そこまでだったんだね…。ごめんな、それじゃ、僕、待ち合わせがあるから!」


取ってつけたような言い訳を言って、図書室から逃げていった。きっと、自分では手に負えないと判断したんだろう。


俺の手にも負えない。


「…ことみ」


「お兄ちゃん…」


ぴたっとくっついたことみと、目を合わせて…


「なにを言ってんだ、おまえは〜〜〜っ!」


ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりっ。


「〜〜! 〜〜! 〜〜!!」


頭を、拳で挟んでぐりぐりの刑。声にならない叫びを上げていた。






074


「なるほど、風子に、新しくおねぇちゃんができた、ということですか…」


柔らかな風。穏やかな風。


静かな図書室で、風子を加えて三人で昼食。


「…わけがわかりませんっ」


「ああ…俺も、なにがなんだかわからなかった…」


言葉尻に乗るとか、虚を突くとか、そんなチャチなものじゃなかった…。


「ええと…」


ことみは、困ったように俺たちを見やる。取り繕うように、言う。


「一家団欒?」


「まだぐりぐりされたいようだな…」


「〜〜〜っ!」


涙目になって、ぷるぷると首を振った。


「お兄ちゃん、いじめっ子?」


「その呼び方は、もういい」


軽く脳天チョップ。


「春原が勘違いしてるだけだけど、まあ、あとは宮沢に相談だな…」


「ゆきちゃん、どんな顔するでしょうか」


「…」


彼女の、引きつった笑いが目に浮かんだ。申し訳なさすぎて、笑っちゃうくらいだった。


まあ、さっきは場が混沌として、妙に緊迫した空気が完全に吹き飛んだのは、よかったかもな…。


むしろ、それを狙ったのだろうか?


ちらりとことみに目をやると、首をかしげる。


…いや、天然で言ったのかな。


「朋也くん」


遠慮がちに、ことみ。


「昨日は親戚って言ってたけれど、本当は義理の兄妹なの…?」


「…」


ここに春原の言葉を信じてる奴がいます。


「なわけねぇよ。あいつの勘違い。ま、さっきも言ったけど、妹分みたいな感じ」


「むしろ岡崎さんが弟分です」


「姉貴分がいたとして、おまえみたいな奴だったらめちゃめちゃ苦労しそうだな…」


「いえ、きっと最高です」


「姉にはちょっと憧れるけどさ…」


「…」


俺は呟き、風子は少し、頬を染める。


「それじゃ、風子、岡崎さんの好みのタイプにど真ん中ですかっ」


「いやむしろ外野に向かって超暴投って感じだ」


「照れてますっ」


「照れてねぇっ」


「そっか、朋也くんはお姉さんが好きだったんだ…」


「しみじみ言うなっ」


「お誕生日、いつ?」


聞いちゃいねぇのな。


「十月三十」


「…私も、お姉ちゃんなの」


胸をそらせて言うことみ。


こいつ…調子に乗り始めてる!?


「…」


俺が拳を握ってかざすと、ことみは涙目で頭を押さえた。


「…妹でいいのっ」


「ああ」


一件落着だった。というわけでもないが、まあいいや。


「というか、俺を兄って言う設定だろうが」


風子に耳打ちする。


「そういえば…忘れてました」


まあ、明らかに風子は一年の制服だし、冗談だとことみは納得してるだろうが。


「風子。お前は誕生日いつ?」


「七月二十日です」


こいつ、俺よりも早生まれかよ…。


ちょっとショックを受ける、俺だった。


「風子ちゃん」


再び各自弁当を食べ始め、ことみは風子をじっと見ていた。


「はい、なんでしょう」


「授業は出なくて、大丈夫なの?」


「はい。問題なしです」


「それなら、ひと安心」


笑って言う。


俺は雑談のうちでサボってることは言ってある。ことみからは、特に非難する様子はなかったが。


風子が授業に出ない…というか、出ようがないのは説明しづらいが、突っ込んでこないのはありがたかった。


授業をサボって昼食会、擬似三人兄妹のごはんは進む。


「そういや、ことみ、ソンブレロって、どんな意味?」


「ソンブレロ?」


「ゆきちゃんのお店ですっ」


「あいつの友達の、だけどな」


「南米で使われるつばの広い帽子。カウボーイハットとも呼ばれて北米にも広まっているの。由来はスペイン語で『影』をあらわすソンブラで…」


「ストップストップ」


「?」


「もう、十分わかった」


「そうなの?」


「ああ」


こいつは生き字引か。


…しかし、影、ね。何かが心に引っかかる。


が、すぐにその思いも消えた。


「そういやことみ、昨日の昼はどうだった?」


「えぇと…」


「たまには、ああいうのもいいだろ?」


「うん…。みんな、いい人たち」


ぎこちなく、笑った。少し含みのある言い方だった。


楽しかったとしても、問答無用に彼女にとっては負担だったのかもしれない。


そりゃ、そうかもしれないな、と思う。


ずっと、ずっと…おそらく、入学してからこっち、彼女は一人で過ごしてきたのだろう。図書室の中で安寧と静寂、だがそれは無関心によって守られてきた不穏な平和だった。


昨日、俺はそこから引っ張り出してやりたいと思った。だがやはり、昨日の大人数はいけなかったかもしれない。そもそも、藤林姉妹の緊急参戦があったのだし。


小さな輪から、始めるべきかもしれないな、と思う。


そうして、俺は考える。


俺と、風子と、宮沢の。その輪にことみを加えるのは間違っていないだろうか、と。


風子について、協力者を作りたいという思いはある。そのとっかかりとして、ことみは悪い人選だろうか?


それに、ことみをめぐる人の輪も、ゆっくり広げていってやりたいとも思う。


彼女の状況を見ている感じ、彼女はどうも友人どころか知人レベルで人間関係がほとんどなさそうだ。稀代の秀才という風評もあるが、彼女自身の性格も、引っ込み思案なところがある。それを、なんとかできないだろうかとも思う。


ことみが加わって、それはありえない組み合わせだろうか?


風子の秘密をぺらぺら喋ろうとも思わないが、注意深く輪を広げ、最後に多くの人がそのどうしようもない重みを分け合えれば、それはきっと不幸ではないはずだ。


風子の周りの小さな輪と、ことみの周りの小さな輪。それは、交わることのないものだろうか。


ふとした思い付きが、急速に形作られる。


俺はことみをじっと見つめていた。彼女は恥ずかしそうに、もじもじしている。


「…風子」


再び、こそっと彼女に耳を寄せる。


「ことみに、おまえのこと言うのって、ダメか?」


「え…」


戸惑いの表情、不審な表情…そして、逡巡の表情。


くるくると表情を変えながら、風子はちらりとことみを見た。


ことみは、無邪気に首をかしげる。


「それは…」


風子の声は戸惑ったように揺れている。


「岡崎さんに、お任せします」


俺に、委ねられる。


「そうか」


俺はそう答え、もう一度、考える。


俺たちは秘密を抱えている。


だが、ある種の秘密は人を疎遠にさせもするが、親密にさせもする。


ことみは、俺に、少し似ている。


彼女は、同じ場所に、留まり続けている。歩み始めなければならないのだ。足を出さなければ、結局、どこにも進めはしないのだ。


俺は、それを、知っているはずだ。


彼女のその手をとろうと思う。


一緒に進もうと言いたいと思う。


俺たちは、仲間なのだ。家族なのだ、と言いたいと思う。


「ことみ」


「…うん」


「聞いてほしいことがあるんだ」


図書室の中。細く開いた窓から、一陣の風が吹いた。


……。


…。


「そうなんだ」


一通りの説明をして、ことみの反応は、まずは一言。


「とってもとっても大変そうなの」


学年一位の天才の割には、薄い反応だよなぁ。というか、なんと言ったらいいかわからない、というのは仕方がないかもしれないが。


ことみは、そっと風子に手を伸ばす。


肩に触れ、ぽんぽんと触って、頭をなでる。


「幽霊じゃないですから、触れます」


「うん。あったかい」


「ひとまずは、誰にも広めないでくれよ。四人だけの秘密だ」


「秘密…」


ことみはぽかんと俺を見た。


「うん。わかったの」


胸の前まで持ち上げた、両手の拳をぐっと握る。視線は、真剣そのものだった。全く威圧感はないけれど。


「ことみ、なにか意見とかないのか?」


「風子ちゃんのこと?」


「ああ」


秀才の意見に期待する。


ことみは風子をじっと見つめて考え込む。


…考え込む、考え込む。


「一回、体を見てみたいの」


そう一言。


まずは、状況を確かめる。風子の「身体」が確かにあって、同時に傍らには風子の「体」がある。そういう意味の、状況把握を求めたいということか。


あるいは、医学的な見地から調べたいことがあるのかもしれない。


どういう意味だろうかと、聞こうとした。だが、俺がなにかを言う前に、喉まででかかったセリフは、ぴしゃりと打たれたように、押し戻された。


「やめてくださいっ」


大きな声ではない、だが、か細くも鋭い、拒絶の言葉だった。


俺とことみははっとして、風子を見た。小さな体は、なぜか、いつもよりも…


辛そうな顔の風子。数瞬、長い、沈黙があった。


カーテンは音もなく揺れ、時計は無音で時を刻み、全ての呼吸は死んでいた。


…、


「ごめんなさい」


「いえっ」


ことみが頭を下げ、風子は泣きそうな顔で、頭を振った。


「風子の方こそ…すみません」


風子自身、戸惑っているようだった。目元が、頼りなげに揺れている。なにかに弾かれるように言葉がついて出てしまったようだった。


「ま、病院で公子さんと鉢合わせる可能性もあるからな…」


「…公子さん?」


「風子の本当の姉さん」


「本当も何も、おねぇちゃんは一人だけです」


まあ、そうなんだけど。


「兄は?」


冗談で、聞いてみる。兄は岡崎さんです、などと言ってくれれば少し嬉しいかもしれない。少しは。


「いません」


「…」


だが、一刀両断だった。

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