folks‐lore 4/17


052


がららら…と、引き戸を開ける。


「岡崎先輩」


にっこり笑った宮沢の表情が、続いてぞろぞろ入ってきた連中を見てぽかんとなる。そりゃ、そうだよな。


そもそも、そういえば押しかける形になってしまっていた。


昨日誘われて一緒に飯食ったからって、翌日からこれでは、普通の奴だったら気を悪くするだろうな。


後回しになってしまったのが少し申し訳ない。


「今日は、大勢なんですね」


しげしげとこちらを見つめる。俺、渚、風子、ことみ、藤林姉妹といきなりの六人だ。そこまで慌てた様子がないのは、外で話すのが聞こえていたからだろうか。いや、それくらいでは動じない神経なのかも。


「悪い、大人数で押しかけて」


「それって、あたしたちのことかしら?」


「あの、ご迷惑でしたら…」


姉妹それぞれ、正反対のことを言う。


「いえいえ、こんな大勢いらっしゃるのは、珍しいのでうれしいです」


人当たりよくにっこり笑う宮沢。その笑顔で救われる。


「コーヒーを淹れますね」


「頼む」


てくてくと棚まで歩いて、やかんやコンロを取り出す宮沢。


「それ…備品じゃ、ないわよね?」


「はい。わたしの私物ですね」


そう答え、風子に小さく手を振る。先輩を前にしても、変に焦らないところが彼女らしい。風子も嬉しそうに手を振り返している。


「缶コーヒー、というわけじゃないですよね?」


「ええ、ちょっとだけ、持ち込ませてもらっているんです」


それを聞いて、顔を見合わせる藤林姉妹。学校へそんな大きなものを持ち込むというのも、確かに突飛なことではある。俺なんかは、いまさら驚かないが。


「ええと、まず、自己紹介をしますね」


宮沢はそう言って、こちらに視線を向ける。それを受けて、俺も仲立ちということでそれぞれを紹介。


「二年生の、宮沢有紀寧だ。私物云々は、まあ見逃しといてやってくれ」


「初めまして」


そう言って、頭を下げる。


「で、だ」


渚を手で示す。


「三年の古河渚」


「古河渚です、よろしくお願いしますっ」


宮沢とことみに、ぺこぺこ頭を下げる。


「はじめまして」


「よろしくなの…」


礼を返す宮沢。本棚に気を取られていたことみも、向き直って頭を下げる。


今度はことみを手で示す。


「三年、一ノ瀬ことみ。俺も一昨日あったばっかだけど」


「初めまして。こんにちは」


綺麗なお辞儀をする。


「一ノ瀬ことみ…って、あの有名なド天才!?」


「わ、私、初めて見ました」


ぐりん、と目をむく杏と、ぽかんとする藤林。


視線にさらされて、ことみは決まり悪そうにもじもじする。


「なんであんたみたいな最底辺と知り合いなのよっ」


「…こいつそんな有名なのか?」


いきなりテンションが高くなった姉妹に、少し驚く。


「えぇと、すごく有名です。ずっと試験の順位が全教科一桁なんです。ほとんどは満点ですけど」


「マジかよっ」


アホではなさそうだと思ったが、まさかそれほどとは…。


「この学校でそれって、すげぇな」


「甘いわね。全国模試での話よ。校内では全部トップ」


「すげぇ!」


「わたしも、噂は聞いてますねー」


宮沢が、にこにこと口を挟む。


「すごい人だったんですねっ」


渚はきらきらした瞳をことみに向けた。


で、風子は宮沢にくっついて事態の推移を見守っていた。


「あの、岡崎くんとは…どういった知り合いなんですか?」


「サボりながら図書室に行ったらいたんだ」


いたんだ、というのも無茶苦茶な状況説明だが…。


「ああ…そういえば自習してるって聞いたことあるわ」


ことみをネタにして、ひとしきり盛り上がる俺たち。


今日会った時、彼女が図書室にこもっていても、成績に不安がないことに疑問を思ったが、腑に落ちた。


あの時、俺は無意識にそのことを知っていた。まあ、かなり有名な話みたいだし、どこかで聞いていたのだろう。いつか、どこかで、知ったのだ。


で、同じように風子と杏、藤林も紹介する。


ほとんどが初めて出会う組み合わせだ。当たり障りなく、挨拶だけ。


風子を親戚と紹介した時、宮沢はなにか言いたげに俺の顔を覗いたが、結局何も言わなかった。すごくありがたい。そういえば昨日、なんかまた別の、知り合いみたいな路線で話していた気が…。


彼女にはなにかしらのフォローを入れておいたほうがいいな。


それぞれ席につく。


俺、宮沢、渚。向かいにことみ、杏、藤林。俺とことみの間のお誕生日席に、風子。


「朋也くん、はい」


ことみは重箱を広げる。ちなみに、風子もご相伴ということはさっき許可を貰った。


「お茶を用意しますね」


やかんを手に資料室を出る宮沢。


「風子も手伝います」


「ふぅちゃん、ありがとう」


二人は仲良さげに資料室を出て行った。残された五人は、それぞれ席につく。


「朋也、下級生の知り合いなんていたのね」


宮沢が出て行くのを見届けて、杏が言う。


「ここでサボってたら、たまたま会った」


「この子と同じなのね」


「まぁな」


「…図書室でひとり、資料室でひとりねぇ。なんだか、現地妻みたいね」


「全然違うぞ」


「お昼ごはんを作ってもらって言うセリフ?」


目を細める。


「…」


俺は無言で、重箱の中身…小さく握られたおにぎりを食べる。もちろん、うまい。


「別にそういうのじゃない」


言ってみるが、たしかに説得力はないな…。


「渚とは、どういう関係なの? あたしも知らないし、三年になってから知り合ったのよね?」


「ああ、こないだ」


「はい」


俺と渚は一瞬視線を合わせる。


ふぅん、と鼻を鳴らす杏。


「あんたも、こいつとは会ったばっかなんでしょ? 何でわざわざご飯を作ってきてるの? 脅されてるなら、あたしが力になるわよ」


再び、ことみに水を向ける。


「お姉ちゃん、さすがにそれは…」


「えっと、えっと…」


ことみは慌てていたが、


「でも、朋也くんだから」


と、笑って言う。


「…」


今日、自己紹介したばかりなはずの少女、一ノ瀬ことみ。だけど彼女は、ごくごく自然に俺の名を呼び、当たり前のように昼食を用意する。


ただ偶然、出会っただけの相手ではない、そんなことはわかっている。わかっているのだが、彼女が何者か、俺の記憶の琴線にはほんの少しも触れもしない。


俺たちは出会っている。そして、きっと俺たちは出会っていた。


杏も俺と同様ことみの物言いは何か含むところを感じたようだった。怪訝そうに見つめる。


顎に手を当てて一瞬だけ、考え込むような仕草をして、すぐに小さくかぶりを振った。


「まあ、いいわ。ところでその煮物、何かと交換しましょ」


一瞬で心中に折り合いをつけたらしく、すぐに世間話を始めた。面倒見がいい奴だ。


「ほら、椋もなにか交換したらどう? 遠慮はいらないわよ」


「おまえは遠慮しなさすぎだからな」


「ぇと…じゃあ、その厚焼き玉子とか」


「あたしたちのお弁当からは、何がほしい?」


「ええと…」


「このお茶とか」


クイッと水筒を手に持つ杏。


それは、完璧に不平等条約だ!



…。



「あの、古河さんのパンはどうですか?」


ことみの厚焼き玉子とウィンナーを交換した藤林が聞く。


「えぇと、これ、ですよね…」


渚は微妙な表情で、竜太サンドを食べている。


「食べかけですけど、よろしければ、どうぞ」


「えぇと、はいっ…」


藤林はちょっと顔を赤くして、パンを受け取りひと齧り。


「…」


…。


微妙な顔をした。


「なんなんだよ、竜太サンドっ」


俺はつい突っ込みを入れてしまう。


「あたしももらっていい?」


「あ、はい、どうぞ」


そうして杏も食べてみて…


「…」


「おまえもなにか言えよ」


「いや、なんていうか…」


ぐいっと、こっちに押し付ける。


「食べてみなさい」


「ああ…俺ももらっていいか?」


「あ、えぇと、はいっ、どうぞっ」


食べてみる。


…。


未知の食感…。


未知の味…。


…竜太って、一体。


俺は無言でことみに渡す。


「わ、わ…」


「いや、まずいわけじゃないんだよ」


「あたしもそれは思うわ」


「そうなんですけど…」


「これ、なんなんでしょうか?」


「さぁ…」


口々に言い合う俺たちを眺めつつ、ことみも一口。


「…」


そうだよな、やっぱり、無言になるよな。






053


「それで、あの風子って子はなんなの?」


会話の区切りの後、杏はこちらに目を向ける。いやに眼光が鋭いように思うのは、気のせいだろうか。


「あいつら遅いな」


「話そらさないの」


「そらしてねぇ」


本当に遅い。なにか、話をしているのかもしれないな。気になるというか、不安だ。


「あの…私も、あの子のこと、ちょっと気になります」


「とっても気になるの」


「知り合いの子じゃないんですか?」


おまえらもかよ。いや、渚だけは不思議そうだが。


なんて答えたものか、と考える。


「あぁ…そうだな、なんというか、妹みたいなもんだ。同じ学校だし、面倒見てくれって頼まれてるんだ」


「あんたに?」


訝しげな杏。というか、めちゃめちゃ失礼な物言いだぞそれはっ。


「ないよりましってとこだろ」


「そんなことないと思いますけど…」


ぽつり、と渚が呟く。杏が目を細めて彼女に目をやるのに気が付き、俺はどきどきする。


杏が口を開きかけたところで…


ぱたぱたと、外に足音。


「おまたせしましたー」


引き戸が開いて、風子と宮沢。


「おかえり。遅かったわね」


杏が立ち上がって二人を迎えて、三人でお茶を沸かす準備を始める。


「ふぅちゃんとお話してまして」


宮沢はにこにこ笑いながら、ガス台に缶を取り付ける。杏はその上にやかんをのせる。風子は重箱を突っつき始める。


「コンロまであるって、すごいわよね…」


「居心地がいい場所にしたいと思いまして」


「こんな持ち込みして、意外に思い切りあるのね」


「そうでしょうか」


ほのぼのした情景を眺めていると、宮沢と目が合った。


すっと、彼女の目が細められる。


笑ったように見えたが、顔をゆがめたようでもあった。違和感。


「うわ、インスタントじゃなくて豆なのっ?」


杏が口を挟む。


「はい、せっかくなので」


「わたし、こういうコーヒーを飲むの、初めてですっ」


「うまく作れれば、いいんですけど」


笑っている、宮沢。


いつもの雰囲気…。


宮沢は資料室の窓を大きく開ける。


柔らかな風と、穏やかな陽気…。



…。



「やばいくらいにおいしいですっ」


ことみの重箱弁当を突っつきながら、風子が感極まったように言う。


「よかった」


風子の表情に、ことみはほっとした様子。


「風子、正直、侮っていました…」


「ああ、ことみもいつも作ってるのか?」


「うん。お料理、好きだから」


「これなら毎日もらってもいいくらいです」


「お前はもう少し遠慮しろよ…」


「ううん、とってもとっても嬉しいの」


ほっこりと笑うことみ。


人見知りなふたりだが、意外にうまくいっている。まあ、風子が料理に釣られただけともいうのだが。


「これ、なんていう料理ですか?」


「えっと、これは…」


彼女らがそんな言葉を交わし、そこに他の奴らが口を挟み、笑いあっている。いい感じの雰囲気だ。



…。



火にくべたやかんが沸騰し、宮沢がドリッパーに粉を入れる。


表面にさっと湯をかけると、しばし、待つ。


やがて、豆が蒸されるにおいが資料室に広がる。コーヒーの粉が膨らんでいる。


「とってもとってもいいにおいなの」


「はい、まさか学校で本格的なコーヒーが飲めるとは思ってなかったです…」


ことみと藤林は興味深そうに彼女の手つきを眺めている。


粉が膨らみきったところで、ドリッパーの中央部へお湯を入れていく。ゆっくりと。


「全部搾り出すくらいにしないのが、おいしく作る秘訣らしいですよ」


言いながら、まだ水分を含んでいるドリッパーをさっとどかせて、フィルターをゴミ袋にしている購買のビニールに入れる。


一人分。手間暇かけて、深く濃い色のコーヒーが出来上がり。漆黒なのに、なぜか、すごく澄んでいるような気がする。


くるくるとコーヒーがカップの中で回っている。吸い込まれるような黒。優しく、包み込むような黒。


柔らかな六月の夜空みたいな感じ。などと言ったら詩的すぎるだろうか。


「はい、どうぞ」


ソーサーにのせて、俺に渡してくれる。


「あぁ、さんきゅ」


「お砂糖は、いらないですよね」


言いながらコーヒーホワイトをひとつくれる。


「ああ」


「…こいつ、いつもこんな感じでくつろいでるの?」


呆れたような顔でこっちを見ている杏。


「いや、コーヒーは二回目だな」


「ですね」


「あんたはもう少し遠慮しなさいっ。馴染みすぎっ」


「はは、ですが、気に入ってくれてるなら嬉しいですから」


宮沢は杏に苦笑いを浮かべつつ、ちらりと視線を俺に、一瞬。


「…?」


「他の方の分も作るので、少しだけ待っていてくださいね」


「あなた、まだ自分のご飯食べてないでしょ。口出してくれればいいから、あたしがやるわよ」


「えぇと、ですけど」


「いいから、言うこと聞いておきなさい。出来が悪かったらまたバトンタッチするから」


「はい、ありがとうございます」


「えっと、まず粉の量は…」


「そのスプーンにすりきり一杯です」


「うん」


たどたどしく、宮沢に淹れかたを教わっている杏を眺めながら、コーヒーを一杯。


じわり、と芳醇な味わいが広がった。


平和な、春の日だ。



…。



全員分にコーヒーがいきわたる頃には、昼休みも終盤。


あれから、他の連中は自分のコーヒーは自分で淹れて回っていた。


風子がおっかなびっくりやろうとするのを渚が手助けしているのは、妙に胸にくるものがあった。


そうだ、彼女らは、出会っていたかもしれない。渚が、生きていれば…。


それは、仮定だ。夢だ。楽しくて、だから悲しい、想像だった。



…。



「宮沢さんは、なんでここで昼食べてるんですか?」


少し話して、段々と雰囲気がほぐれてきていた。最初はおっかなびっくりだった藤林も、穏やかな宮沢の人柄に緊張が解けてきたようだった。それは、渚も風子もことみも同様だったが。


「ここが、好きなんです。学校って、人がいっぱいいるんですけど、時々、穴があいたみたいに誰も来ない場所ってあるんです。そういう場所にいて、でも隣には誰かの息遣いが感じられるような、そういう感じが好きなんです」


「でも、一人でなにしてるの?」


「大体、本を読んでますねー」


「なんか、古いのばっかじゃない?」


確かに、読まれなくなった本が押し込められるように入っているのがほとんどだ。市史やらなにやら、郷土資料的なものなど。


「ええ。ですが、生徒のものだったらしい本もあるんです。そうですね…」


宮沢は、本棚まで行って、手ごろな本を一冊抜き取ってくる。


「とっておきのおまじない百科」


かわいらしい表紙を見せる。元は、生徒の私物だったのだろうか。


「おまじないですかっ」


藤林が身を乗り出す。


「ああ、椋、好きだもんね」


「カードを使ったものが、一番好きなんですけど」


だが、当たらないという。


「どういうおまじないなんですか?」


宮沢の手元を覗きながら、渚。


「見た感じ女の子用って感じだし、恋のおまじないとか?」


「ええと、これで今日からあなたもラッキーガール! らしいですね」


表題を見ながら宮沢。


「でも男性用のおまじないもありますね」


ぱらぱらと中身をめくる。


「自分の男の色気に気づかせて、惚れさせてしまう、というおまじないです」


「めちゃめちゃ都合がいいおまじないだな…」


「まあ、おまじないですので」


「そうだけど」


「ですけど、難易度は高いですね。意中の相手の前に立って、ズボンを下ろして、フェロモンホウシュツチュウ、と三回唱えると完成です」


「惚れさせるどころか通報されるぞそれはっ」


高速でツッコミを入れる。


他の女たちは、おかしそうに笑っていた…。






054


「それにしても、こんなとこがあったって、初めて知ったわ」


この学校のガイドブックを作るなら、ぜひ入れたいくらいね、とよくわからない例えをする杏。


「朋也は最初、ここにサボりに来たんでしょ?」


「え? あぁ…」


「探し物に来てたんですよ」


笑いながら、宮沢が答える。


「まあな…」


「岡崎さん、なにを探してたんですか?」


「大したものじゃないけどな」


「結局、あの時は見つかりませんでしたし」


「まぁな…」


「ふぅん、そういえば、渚は朋也とどういう経緯で知り合ったの?」


杏がそう聞く。


「ほら、こんなどうしようもない奴と知り合いになるって、そうそうないじゃない。ま、あたしとか椋は学級委員やってるから無理やり押し付けられたんだけど」


「あの、私はそんなこと…」


不良債権みたいな言い方をされる。まぁ、間違ってはいないが。


「えっと、あの、わたし…」


渚は、一瞬だけ気難しげに視線をさまよわせた。だが、すぐに視線を杏に戻す。その時にはもう、目には力が戻っていた。


「わたし、この学校が、また好きになれるか、わからなかったんです」


「…?」


少女らは、突然の言葉に、みな首をかしげた。


「長い間、学校を休んでいて、わたし、またここに戻ってくる自信が、なかったんです。その背中を、岡崎さんが押してくれました」


「…」


馴れ初めを語られていて、なんだかめちゃめちゃ俺は照れてくるな…。そりゃ、渚はそういう浮ついた意味で言ってるわけじゃないのだろうが、こっちはこっちの事情があって、恥ずかしい…。


「えぇっと…」


杏は手を額に当てて、考え込む。


「よくわからないわね。別に、しばらく休んでてもそんな一気に状況変わるわけでもないでしょ。そりゃ、友達とかとちょっと微妙な空気になるかもしれないけど」


「あ…」


そう言っている杏の隣、藤林は腑に落ちた、という様子でぽかんと渚を見た。単純な驚きの表情。


ある程度は噂になっているはずの、留年した女生徒の話。今、それが、藤林の中でつながったのだろう。


「友達は、少しだけいましたけど…今年の春に、卒業してしまいました」


「…どれだけ、休んでたの?」


訝しげに目を細める、杏。


「九ヶ月です」


「…」


杏は口をつけていたコーヒーから顔を離して天井を見上げた。


空に漂う言葉でも探すような風に。


「…B組っていったっけ?」


「はい」


「あそこ、人間関係ガッチガチよねぇ…」


お前は人のクラスの人間関係にまで詳しいのかよ。


「…ま、いいわ」


だらしなく上向いていた顔が、再び渚に向けられた。


にっ、と、いたずらっぽく笑う。


「また縁があったら、一緒にご飯を食べましょ。ことみも、有紀寧も…あなたもね」


ふっと力を抜いた口の端、小さな微笑を風子にも向けた。






055


昼休みが終わる。


各々片づけをして資料室を出る。


「いつも教室で食べてたけど、すごくいい場所ね。通いたくなったわ」


「私もそう思います。コーヒーありがとう」


「とってもとってもおいしかったの」


「宮沢さん、ありがとうございましたっ」


「いえいえ、いつでもきてくださいね」


あんまり通いまくっても、不良たちと鉢合わせして藤林やことみあたりはビビりそうだけど。まあ、宮沢がうまいこと取り持ってくれるだろうが…。


図書室に行くことみと別れ、凡才たちが新校舎に出て、戻る道。


「…朋也、先輩」


小さな声で、宮沢が声をかける。


「ん?」


宮沢を向くと、彼女は前を歩く他の面々を注意深く見ていた。


「あの、放課後、資料室に来てもらえますか?」


「今日?」


「はい。ふぅちゃんと一緒に待ってます」


「…」


「二人で出ていた時、ふぅちゃんから、聞いたんです。そのことで、お話したいので」


ぞくりとする。俺は立ち止まった。宮沢も立ち止まる。


喧騒が、どこか空々しく聞こえる。昼も終わりの、騒がしい校舎の道が。


「聞いた…って」


風子から、聞いた。


何を聞いた? いや、それよりも、どこまで聞いた?


カーンと頭の奥底から警鐘が響いた。宮沢は、何かを知ったのだ。俺の秘密か、風子の秘密か、あるいはその両方か。


秘密はどれも、非現実的なもので、同時に俺たちに深く根ざしたものだった。少なくとも今は、誰にも言うべきではないだろう秘密。


「よろしくお願いします」


宮沢は笑った。だけど、その笑顔はいつもとは少し違った。


どことなくぎこちないような、違和感。俺はその裏に何が隠れているか、覗こうとした。


…だけど、何も見えなかった。笑顔の仮面が厚すぎる。普段接しているだけでは気付かないほどに、彼女の笑顔は堂に入っている。


有無を言わさない口調に、俺は頷いていた。


「それでは、お待ちしてますね」


ちょうど分かれ道。


「ふぅちゃん、こっち」


「はいっ」


宮沢は前を行く連中から風子を呼んで、他の女子に軽く挨拶すると、廊下の先へ歩いていく。残りの俺たちは、ここから階段。


風子は何の気負いもなく、自然に連れられていく。仲のいい、姉妹みたいだ。


俺はもう彼女らの後姿も見えなくなった、昼休み終わりの喧騒を見る。


宮沢の考えが、読めなかった。一掴みだけ情報を渡して、俺の反応を見ているような印象。そして実際、一瞬で俺はやきもきさせられていた。


彼女は何かを知っている…?


一瞬、呆然と立ち尽くしてしまっていた。だがすぐに、ぽかんとする俺を不思議そうに見る渚たちに気付き、彼女たちのほうに歩み始める。


それでも自然に、宮沢と風子の行ってしまった先を見やってしまう。


彼女の意図がわからない。


俺は、初めて…宮沢に異物感を感じていた。



彼女を、怖いと思った。


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