folks‐lore 4/17


039


昨日、親父は帰ってこなかったようだ。風子のことをどう説明すればいいのか少し悩んでいたので、先延ばしにできたのは少し安心した。


起きて手早く身支度を整えると、風子の寝ている部屋へ向かう。


静かだったからと予想した通り、まだ熟睡中だった。


「おい、起きろ」


眠る風子の肩をゆする。


…起きない。


「朝だぞ〜」


「すぅー…」


案外寝相はよく、布団は全然しわもない。少し意外に思う。が、そんなことばかり言ってられなかった。


「風子」


反応なし。


「おーい」


頭をはたく。


「ん〜」


嫌がるが、起きそうにはない。


このままじゃ、埒が明かない。最初、起こそうとはした。もう多少強硬手段にでてもいいだろう。


「…朝だっ」


ばっ! と、布団を剥ぎ取る。ふわりと、少女の香りが鼻をついた。どきりとする。


「んんん〜」


きゅっと、体を縮める。俺のお下がりのトレーナーにハーフパンツという格好。やはり、ぶかぶか。


しばらくもぞもぞと熱を逃がさないような動きをしていたが、嫌々、といった感じで目を開けた。


「…最悪ですっ」


「開口一番それかよ」


「もっと、やさしく起こしてください」


ぶるっと体を震わせる。


「それじゃ、起きないだろうが」


「風子、すごく寝起きはいいです。岡崎さんの起こし方が下手なんです」


「いいから、顔洗ってこい。いや、また寝なおそうとするな」


風子がつかんだ掛け布団をしっかり確保。


「ほらほらっ」


無理やり立たせて、洗面所に押し込んだ。


…やれやれ。


また風子の部屋に戻り、布団をたたむ。気にしてもいない彼女のにおいに、いきなり妙にどぎまぎさせられる。


ちんちくりんだが、歳は同じなのだ。普段は見えないそういうものが、こんなときに顔をもたげる。


頭を振り、台所へ向かった。パンは昨日買っておいたし、あとはコーヒーでも入れるか。風子には、砂糖がたくさん必要だろう。


…。


居間で向かい合い、朝食。惣菜パンとコーヒーだけ。味気ないかもしれないが、何もないよりはましだろう。風子からも特に不満はないようだった。


「そういえば」


目の前、着替えも終わった制服の風子を見やる。


「タートルネック、昨日のまま?」


パンをほおばる風子の聞く。


「これしかないですから」


「臭わないのか?」


「風子は無臭です」


「いやいや…」


昨日は気にしなかったが、その辺の問題があった。


買い足す必要があるかもしれない。ブレザーやスカートは、休日にクリーニングにでも出せばいいだろう。


タートルは男のワイシャツと同じで、購買で買えるはずだ。そんな高くもないはず。


「靴下は?」


「…風子は無臭ですっ」


ぶんぶんと頭を振って、髪が揺れた。


買い足すものリストに追加。さすがに、女の子で同じ靴下を履き続けるのは辛いだろう。この調子だと、下着も買う必要がある。いろいろ買わないとな。生活するとは、物を増やすことでもあるのだ。


しかし、下着ねぇ。お徳用の何枚セットで納得してくれるだろうか?


かわいい下着を何セット、なんて予算が心配だが、いや風子は性格はガキだから別に大丈夫か、そもそも俺だって高校生であまり金はないからやっぱちゃんとしたのは無理だよな、などととりとめもなく経済的な心配が降っては消える。


なんにせよ、放課後はちょっと買い物に出ないといけないだろう。部活は今日はどうしようと悩む。


「岡崎さんは、デリカシーがなさすぎです」


「いや、ほっとくわけにはいかないだろ」


「こういう時は、気付かない振りをしていて、枕元にそっと置いておくべきです」


「…岡崎サンタクロース?」


「演出です」


風子は不機嫌そうにパンをかじる。おかしい風景だった。


だけど、こういう食卓は、嫌いではなかった。







040


朝食の片付けに少し時間がかかってしまった。昨日より少し遅れて、出発。


隣を歩く風子の歩幅に合わせる。始業まで、今日はぎりぎりになりそうだった。


しかし、渚は今日も坂の下にいるだろう。風子のことを、どう説明すればいいだろうか。


周りに同じ高校の生徒はいない。あるいは、早足に追い越されていくくらい。


「先にいってても、いいです」


「え?」


風子がぽつりと呟いた。特に感情をこめない目をして、風子は前を向いていた。


何拍か間を空け、俺のほうを見る。


「朝に間に合っても、風子は行くところがないですから、遅刻しても平気です」


「…」


行くところがない、という彼女は、そのことに特に感想もないようだった。昨日も感じた、風子の現状へのスタンス。風子は、自分は学校生活と、あるいは普通の暮らしと、切り離されていることに慣れていた。


俺は、なぜだか、胸が詰まるように感じた。


「俺は、いつも遅刻してるから大丈夫だ。おまえは、今日、どこにいるつもりだ? 資料室?」


「わかりません」


わかっていてくれ、それくらいは、と、強く強く、思った。


寄る辺のない風子の身の上、俺は何とかして、そこに関わってやりたいと思った。






041


学生寮の前をすぎる。玄関に掲げられた時計を見ると…まずいな。


   ぺっぺっぺっぺっぺ…


「少しだけ、急ぐか」


「はい」


  ぺっペっぺっぺっぺ…


早足になる。もう桜は見えている。渚は待っているだろうか。特に約束もしていないから、いない可能性もある。


そういえば、渚はいつまで、坂の下にいただろう? 正直さっぱり記憶になかった。明日から一人で登れる、ということを言われた記憶もないから、自然に登れるようになった…のか。わからない。


 ぺっぺっぺっぺっぺ…


いや、そもそも俺が古河パンにやっかいになって、そのままずっと、というパターンだった気もするな。じゃあ渚は体調崩して学校通えなくなるまで、ずっと俺と一緒に登校していたのか?


なんだか、ずっと彼女の隣にいたのだとも思うと、胸にじんとくる。


ぺっぺっぺっぺっぺ、



ガスン!!



「ぐあっ!?」


突然、背中になにかがぶつかった。一瞬息が止まって、ばったり倒れる。


「岡崎さんっ」


風子が駆け寄った。彼女の顔を見上げる。見上げる? いや、どうして俺は倒れているんだ、混乱。


いったい、何が…?


「あっ、ごめーん」


力を振り絞って顔を上げようとする先からは、能天気な声。


「杏…?」


真新しいスクーターと、それを駆る杏のはじける笑顔と。


急に思い出す。藤林杏と、彼女のバイク通学。


いや、そういえば、前も足蹴にされたことがあったような…。


「てめぇ、なにしやがるっ」


なんとか立ち上がって詰め寄る。


「いやー、じつはまだ免許取りたてで、運転全然慣れてないのよねぇ」


「っていうか、人身事故だろうがっ」


「だから、ごめんって言ったじゃない」


「ごめんで済む問題かっ」


「あははっ。それより、この子は?」


杏は視線を風子に移す。風子はさっと俺の後ろに隠れる。


そっと背中に手を触れられて激痛。痛い痛い。


正面に、能天気な顔をした杏。言いたいことがものすごくたくさんあった。が、このまま杏と言い合っていても不毛な結果になりそうな気がしたので、この話はこれ以上続けないことにする。


「…はぁ」


それでも、ため息は出てしまうが。


「こいつは、伊吹風子」


体をずらして、風子を横に出す。


頭を持って礼させようとしたが抵抗されたので諦める。


風子はじっと、杏の顔を見ていた。


「一年生なのね。っていうか、いったいどんな関係?」


杏は眉をひそめて風子の顔を見た。


「親戚みたいな感じ」


適当に話を濁す。


「なんで一緒に登校してるの?」


「…ほら、まだ学校始まったばっかだからさ、親御さんから、一緒についててくれって頼まれてるんだ」


「……」


疑いの目が向けられている…。たしかに、妙な組み合わせに見えるかも。


まあ今のは苦しかったが、他にどう言えばいいんだよ、と俺は誰かにききたくなった。


更なる追撃か、杏が口を開きかけたところで…


「思い出しましたっ」


風子が声を上げた。


突然の言葉に、俺も杏も、驚いて風子に注目する。風子の口から、続いた言葉は…


「この人、前に見たことがありますっ。たしか幼稚園のせんせ」


「わああああぁぁぁーーーっ!!」


爆弾だった。


俺はあわてて風子の口をふさいだ。


「え? あたしのこと、知ってるの?」


くりっと目を丸くする杏。後半は聞こえなかったようだった。


俺が杏に見えないように風子の後頭部を拳でぐりぐりすると、風子も気付いたようだった。


はっ、と直立不動になる。


「いえ、間違えました。風子、この人知らないです」


「なんでいきなり意見が真逆になるのよっ」


「いえ、よく見たら違いました」


「なにと間違えたのよ」


俺は、内心汗だらだらである。


「よく似た顔の人がいたんです」


「ふぅん…もしかたしら、椋のことかしら」


うわ、物凄い方向から回避できた!


杏はある程度は納得した様子だ。しげしげと風子を見ている。


俺はつい、安堵のため息を長々とついてしまった。





042


杏は訝しげではあったが、遅刻すれすれだし、また追求するわと言い残して先に行ってしまった。バイクをどこかに隠さないといけないのだろう。


まずそうだった時間が、さらに差し迫っていた。俺たちは小走りで坂下まで行く。


延びていく坂。


緑の混じった桜並木。


風に揺れる、渚の、後姿を見た。


俺と風子は肩を並べて、それぞれ、その後姿を見つめながら、言葉を交わした。


「昨日も言ったけど、未来のことは絶対言うなよ。どんな影響があるかわからないからな」


「あの人が、渚さん、ですか」


「ああ」


「…」


俺たちは、小さな背中に近づいた。


「…あっ」


先に、渚が気づいて振り返る。


「おはようございます」


「おはよう」


「おはようございます」


挨拶をする。


渚は…ああ、やっぱり風子を見てきょとんとしている。そりゃそうか。


「はじめまして」


風子が頭を下げた。


「伊吹風子です」


「はじめまして」


渚は、安心したように笑う。


「古河渚です」


自己紹介が終わったところで口を挟む。


「こいつは知り合いの子なんだ」


「そうなんですか」


渚はじっと風子を見つめる。そして、恐る恐る、といった具合に口を開く。


「あの…わたし、伊吹さんって知り合いの方がいるんですけど、公子さんの親戚でしょうか?」


…大失敗。


たしかに伊吹って、珍しい苗字だよな。


「…」


風子は、先ほどの杏との会話でのミスを覚えているからか、ちらりと俺を見る。


首を振って、答える。言うなよ、絶対言うなよ。


「よくわからないです」


うまく返した。肯定は不可、かといって否定するのは後々面倒になるかもしれないから、適当にぼかしてくれた。


「そうなんですか」


ちょっと肩を落とす渚。とはいっても、彼女からしてもちょっと気になった程度だったようで、そんな気にしたそぶりもないが。


「遅刻するぞ。さっさと行こうぜ」


言って、歩き出す。…というところで、後ろから視線を感じた。


「……」


振り返る。


杏がいた。そして、白い目で見ていた。


「また女の子が増えて、よかったわねぇ」


そう言って、笑った。いやいや…。


しかしいつの間にか追いついてくるとは、かなり手際よくバイク隠してきたのだな。手馴れている。


「ちょっとした知り合いだ」


大したことじゃない、というように肩をすくめてみせる。妻です、と言ったらおそらく阿鼻叫喚。


「早くしないと、遅刻だ」


「そうね。面白いものは見れたけど、これだけ急いで遅刻も嫌ね」


さっさと歩いて、先頭にたつ杏。急ぎ足に坂を上っていく。


「あなた、三年よね。名前は?」


「あ、わたし、B組の古河渚です」


前方で、渚と杏は話し始める。


なんだかんだ、杏は面倒見がいいし、人当たりもいい。このあたりの時期に渚と顔見知りになったのは、予想外とはいえ、悪いことではないかもしれない。


話がよどんでいる気配もないし、二人の後姿を眺めながら、少し後ろを風子と歩く。


ふと、先ほど感じた疑問がわいて、聞いてみる。


「風子は、杏のこと知ってるのか?」


「汐ちゃんと遊んでいるときに、一緒に写真を見てたことがあるんです」


「ああ、なるほど」


杏も写真に写っていて、この人は幼稚園の先生、とでも教えられたのだろう。


「あいつは、結構勘が鋭いだろうから、気をつけろよ。性格も凶暴だしな」


「なんか言った?」


杏が不審そうに振り返る。


「…なにか聞こえたか?」


「なんとなく、不穏な気配を感じたから」


「なるほど、岡崎さんの言うとおりです」


「あんたはなにを吹き込んだのよ?」


「お前と接する上での基本事項」


「ろくなものじゃなさそうね…」


「あの…」


俺と杏をまじまじと見ていた渚が、言う。


「お二人は、その、お友達ですか?」


「いや、クラスメート、二年の時の」と、俺。


「いいえ、保護者みたいなものよ」と、杏。


否定するのは同じだが、随分、言い分が違った。


「おい、いつおまえに保護されたんだよ? むしろかなり振り回されてた気がするぞ」


「なに言ってるのよ。あんたと陽平がしょっちゅう問題起こして、誰が尻拭いしてたと思ってるのよ」


「おまえは、鉄拳制裁してただけだろ。そもそも問題を起こしてたのは大体春原だ」


「実際、結構やばい時だってあったのよ。ほら、去年の暮れに春原がクリスマスプレゼントって言って…」


「あのっ、いえっ、そういうことではなくっ」


こじれつつあった会話に、渚がまた入り込む。しかし杏と話しているといつもこんな感じになるような気がするな。


それにしても、去年のクリスマスプレゼントというのは、いったいどんな事件だったのだ。色々やっていたせいで、もはや記憶にない。


「あの、お二人は、お付き合いしているんでしょうか?」


真剣気味な表情で、渚は言った。


「はあ?」


「え?」


俺と杏は、揃って阿呆な声を出した。


「あたしが朋也と?」


「すごく、仲よさそうに見えたので」


意外な方面の質問に、俺と杏はぽかんと顔を合わせる。


違うんでしたら、すみませんっ、と恥ずかしげにぷるぷる頭を振る渚。可愛い。


いや、それは違う…と言おうとしたところで、風子が口を挟む。


「岡崎さん…それって二股ということですかっ」


「あっばかっ」


渚と二股してるって勝手に勘違いしたみたいだった。先ほどの渚からの切り抜けはうまかったが、再び評価は落とすことにして…いや、そんな場合じゃない。


「ちょ、ちょっと待って! 朋也、あんた彼女いたの!?」


「いるんですかっ」


「いや、待て、違うんだ」


「いつから!?」


「…」


ものすごい剣幕で迫られる。落ち着かなければとも思うのだが、さすがに気ばかり焦る。


「誤解だって」


「まさか、相手はこの子なの?!」


杏は、ずびしっと風子を指差す。


「そう言われてみればそうよね…。あんたが何の理由もなく、ちゃんと登校するとは思えないし、せいぜい、彼女ができて一緒に登校したいがためにちゃんとこんな時間からここにこうしているんでしょうっ。それでも遅刻ぎりぎりだけどっ」


「…」


かなり興奮している…。


「あのっ、杏さん、落ち着いてくださいっ」


渚までフォローに回るほどだった。さすがに自分でも暴走気味なのに気付いて、杏ははっと我に返り、だが不満そうに口を尖らせた。


「でも、そんな話、全然聞いたことないわよっ。あんた、あたしの許可なく勝手に彼女なんてつくっていいと思ってんの?」


「つくってねぇ…つーか、おまえは俺の何なんだよ?」


「保護者」


ここでそれを持ち出してきた!


「…おまえが母親だったら、ぐれてるぞ」


「今もじゃない」


「昔、荒れてたと聞きました」


風子が口を挟む。それは未来の話だぞ。胃が痛くなってくる。


「現在進行形よ。悪名ばかり高くてもねぇ」


「今もなんですか?」


「カッコ悪いわよねぇ」


妙なところでだが、話はかみ合っていた。これは幸運だが、俺は心労で押しつぶされそうだぞ…。


「岡崎さん、悪名が高いんですか?」


渚、そんな無邪気に聞かないでくれよ。


「もう最悪。ツートップの片割れね」


「おい、あいつは正直一人でトップを走ってるだろ」


「同じようなもんよ」


「そうなんですか…えへへ」


渚はそんな話を聞きながら、にっこりと笑った。



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