folks‐lore 4/16


034


「こんな所に呼び出して、何の用だ」


旧校舎の一階。一番奥に智代は待ちかまえていた。というか、資料室の目の前じゃん…。


「何の用だ、じゃないだろ」


不敵に笑う春原。本人はかっこつけているつもりかもしれないが、見た感じ小悪党って感じだ。


「さっきはよくもやってくれたな」


「やったもなにも、そっちからふっかけてきたんだろう」


「僕は、おまえのその演技を暴いてやろうとしたんだよ」


「こいつはなにを言っているんだ?」


困惑した顔がこちらに向けられた。


「俺、そいつとは無関係なんだ」


「思いっきり関係者でしょっ!」


「何のことかは知らないが、これでも忙しいんだ。もういいか?」


「ああ」


「よくないっ」


春原はこっちを向いたり智代を見たり、忙しそうだった。


「要するに、今からおまえを倒す!」


「なんでそうなるか、わけがわからないぞ…」


ひとつため息をつく。そして、目を細めて春原を見た。


「だが、気が済むのなら、相手してやろう」


徹底的にな。言外に、そんな意味がにじまれる。


「へっ…やっとその気になったか」


春原は構える。


「一応、正当防衛にしたいからな。かかってこい」


「いいともっ」


お昼の番組!?


本人たちは至って真面目だったせいで、笑いを堪える。





と、そんな時に。


がらがらー。


緊張感のない音。資料室の扉が半分ほど開いて、宮沢がちょこんと顔をのぞかせていた。


「宮沢?」


「先輩?」


ぽかんと、顔を合わせる。


「どうかしたんですか?」


にこっと笑って、俺たちを見る。結構緊迫した場面なんだが、全然頓着ない。


どうしたといわれても…


「どうもこうも」


「どうもこうも?」


「岡崎、また下級生の知り合い?」


「ああ、まあ…」


春原も智代も、気が抜けたようだった。


智代はふっと息をつくと、新校舎へ戻っていく。春原もそれを止めようとしなかった。


「命拾いしたな…」


春原は智代の後ろ姿を見ながら言って、肩をすくめて歩き出した。ここは突き当たりだから歩き去る方向は同じなのだが、特に後ろから奇襲もするつもりはないようだ。


今日はここまで、というところか。


「…あの、お邪魔でしたか?」


「いや、タイミング的にはベストだった」


また明日も春原は智代に絡むだろうが…。


「少し、寄っていきますか?」


「ああ…」


俺はこれから部活だ。だが…


「宮沢、今中に誰かいるか?」


「いえ」


「それなら、ちょっとこいつを見ててくれ」


風子の肩をぽんとたたく。


「お友達ですか?」


「違います」


「違うが、おまえも即答するなよ」


「そこをはっきりしておかないと、岡崎さんに勘違いをさせてしまいますから」


「しねぇよ…」


がっくりと息をついた。


「もっと近い関係なんですか?」


「なわけあるかっ」


「最悪ですっ」


俺と風子の言葉が重なって、宮沢は笑った。


気を取り直す。


「自己紹介だ」


風子の頭をぽんとたたき、宮沢に促す。


「風子がですか?」


「ああ」


「…」


風子は戸惑ったように宮沢を見つめていた。なんて切り出せばいいのかわからないようだった。


「名前」


「風子は、風子です」


「宮沢有紀寧です」


「…ええと、挨拶」


「なにがですか?」


「いや、だから、趣味とか好きなものとか…」


「風子はヒトデが好きです」


「ヒトデ?」


宮沢が首をかしげる。


「海にいる、ヒトデですか?」


「はい。とてもかわいいと思いませんか?」


会ったばかりの人間に、ものすごい無茶振りをする。


「はいっ。そうですね」


笑顔で即答してみせた!?


宮沢は俺が及びつかないほどのスキルを持っているようだ…。


「で、話戻るけど、ちょっと預かっててもらえるか?」


「資料室で、ということですか?」


「ああ。また迎えに来るから」


「ええ、わかりました」


「岡崎さんは、どこに行くんですか?」


「部活」


「…部活を、やっているんですか?」


口を挟む宮沢。


「ああ。まだ始まったばかりで、体裁もとれてないくらいだけど」


「ああ、それで」


心得た、というようにうなずく。


「なにがだ?」


「朝に、部活のお話をしたの、それでなんですね」


「ああ。ちょっと色々忙しい時期でさ」


「そうなんですか」


「じゃあ、こいつを頼むな」


「ええと…」


宮沢は、戸惑うように風子を見る。


疑問に思って、俺も風子を見てみると…


ぷいっ、とそっぽを向いていた。


「…」


「…」


「なんなんだよ」


「風子はとても忙しいんです。岡崎さんを待っている意味もわかりません」


「ああ…」


たしかに、拘束する理由は説明していない。


「ちょっと待っててくれ」


「ええ」


宮沢に一言言って、風子を少し離れたところへ連れて行く。


「おまえ、さすがに家には帰れないだろ」


「はい」


「昨日までは夜どうしてたんだよ?」


「覚えてないです」


「じゃあ、今日の夜はどうするんだ?」


「えっと…」


「行くとこないんだろ?」


「はい…」


考えてみて、ちょっとショックを受けたようだった。こっくりと頷く。


「とりあえず今日は、うちに泊めてやるから、迎えに行くまで待ってろって事だ」


渚の実家を頼ろうとも一瞬考える。包み隠さず話せば渚も素直に風子の事情も飲み込んでくれる気もするし、彼女の家に泊めてくれるだろうが、今の段階では正直風子の失言が恐い。


さしあたって今日は、俺の実家以外に選択肢が思い浮かばない。


そんな、俺なりに考えた説だったのだが…


「なんで泣きそうな顔なんだよっ」


「岡崎さん…風子を連れ込んで、なにをするつもりですかっ」


「…は?」


「たしかに風子は大人の女ですが…やっていいことと悪いことがありますっ。最悪ですっ」


「言っとくが、おまえが横でガーガー寝てても、まったく手も触れないからな」


「…それは、大切にしてくれている、ということでしょうか」


「違う」


がっくり。


「ですが、風子、一人でも大丈夫な気がします。きっと、ずっとそうでしたから」


「…」


一人で…学校に泊まるとでもいうのだろうか。


風子の、大して気に病んでもないような言葉の調子に、俺は思う。


彼女が高校に入ったはじめの日。


たくさんの期待と、たくさんの不安を思う。この学校への、憧憬を思う。


その夢が事故によって一瞬で壊され、ひとり、世界から切り離されて、過ごしてきた風子を思う。


一人きり、切り離されること。まともに動く世界に、どうしようもなく距離を感じること。それは俺の身の上とも重ねられた。


風子は当たり前のように、自分を人の輪から離して物を考える。


こんな状況なのだ、誰かを頼ればいいのだ。


「いや…」


「?」


「一人じゃ、嫌だろ」


「…」


「一人のほうがいい、なんてことはないだろ。だから、俺が戻るまで少し待ってろ。きっと宮沢が茶か何か出してくれる。ちょっと待ってろ」


風子を一人にさせたくなかった。


妹を心配そうに見守る公子さんの姿が、脳裏に浮かんだ。風子をひとりにさせたくない。俺は、彼女を安心させてあげたかった。この気持ちが、どうにかしてか、まだ見ぬ彼女に届けばいいと。


「また迎えにくる」


力強く、俺は言っていた。反射的に小さく頷いてしまう風子を宮沢に預ける。


宮沢は声こそ聞こえなかっただろうが、俺たちの様子をにっこり見ていて、風子を部屋に招いた。


で、俺は一度教室に戻って鞄を持って、また旧校舎へ、今度は演劇部室へと向かう。


足取りの中で思うこと、それは世界から切り離されること。


…まるで、あの演劇にでてくる少女のようだと思った。


そう考えて、悪寒が走る。なんなんだ、この感覚は。だけど。


世界と、俺と、風子と、少女。不気味な符合に体が震える。








035


「岡崎さん」


部室に入ると、渚はほっとしたように笑顔を見せた。


「よう」


「よろしくおねがいしますっ」


「ああ、はじめよう」


「このあたりの物は、どうしましょうか」


ダンボールを指差す。昨日の時点で雑多に積まれていたさまざまな小道具はまとめて入れて、演劇に関係なさそうな、どこかから迷い込んだガラクタは分けてある。


「焼却炉とか」


「ですけど、今の時間だともう掃除終わってますから、間に合わないと思います」


「じゃあ、保留でいいか?」


「はい」


スペースは無駄にある。隅に置いておけば邪魔ということもない。


荷物の選別を終わらして、掃き掃除と拭き掃除と…。


「なんだか、部活って感じがしないな」


「そうですか?」


渚は、なんだか楽しそうだった。


「ですけど、一緒にひとつのことをがんばるって、すごく楽しいです」


「掃除でも…?」


「はいっ」


そんないい笑顔で断言されると、面倒だと思い始めた自分が情けなくなる。


一人でやる掃除よりは、マシだけどな。




…。

「よし、大体きれいになったな」


「はい」


教室を見渡す。さしあたって必要なさそうな荷物と机を隅にやって、あとは掃いて拭いただけだが、それだけでも、やはり人の手が入った感じがしてずいぶん違う。


私物でも増えれば、もっと居心地はよくなるだろう。


掛け時計を見ると…もう一時間くらい掃除をしていたようだ。思ったよりも、時間がかかった。


風子を待たせてあるが、あと少しくらいはいいだろう。


「今日これくらいにして、明日からは勧誘だな」


手近なイスをひいて、座る。


「ほんとにわたしがやるんですか?」


「がんばれ」


「…無理ですっ」


ぶるぶると頭を振る。


「いや、大丈夫だって。渚、お前は気づいてないけど、充分人を惹きつける魅力があるって」


「岡崎さん、本当にそう思ってますか?」


いや、十分本気だったんだが。


「わたし、全然、人と話すの得意じゃないんです」


「いや、緊張する必要はない。こっちから、よさそうなやつを紹介するって言っただろ? 人選は任せとけ。フォローもするし」


「選ぶんだったら、岡崎さんが勧誘すればいいです」


…そう言われてしまうと、それはそれでひとつの正論だった。


あんまりぐいぐいと彼女を引っ張りすぎると、それはそれで俺の目論見から外れてしまう。


「でも、演劇部をまたつくりたいのは、渚だろ?」


「岡崎さんもそうじゃ、ないんですか?」


「…」


渚は助けを求めるように、言った。俺だって演劇部はまた作りたい。だがそれをそのまま口に出すのが間違いなのはわかっていた。


「俺は、入りたいとは思うよ」


考えながら、言葉を続ける。


「渚がつくった、演劇部なら」


「…」


渚はじっと、俺を見て、ぷるぷると首を振った。葛藤しているのだろうか。


「…あんパンっ」


そして、こらえきれずに、という感じでそう言った。


「…」


俺は妙に感動してしまう。なんだか、懐かしい言葉だった。


それは、がんばれる気のするおまじない。


それを聞いて、彼女を見ていて、言い争いをしているのだがすごく和んだ。


「あんパンが好きなのか?」


そのおまじない、わかるわかる、と言ったらさすがに怪しいので、普通に答える。


「いえ、取り立てては…。でも、嫌いというわけじゃないです。どちらかというと好きです」


回りくどい返答がきた…。


「まあ、詳しいことは、明日また話そうぜ。だめか?」


「いえ、わかりました」


そう答えるその表情は、少しだけ元気になっていた。


「それじゃ」


俺は息をつく。渚は首をかしげた。


「お疲れ様でしたっ」


言って、一礼すると、渚も急いで後に続く。


「あ…お疲れ様ですっ」


ぺっこりと頭を下げて、


「えへへ」


嬉しそうに笑った。








036


渚と別れ、資料室の扉を開ける。


「おい、風子」


「ふわふわ〜」


「あ、先輩」


宮沢は読んでいた本から顔を上げる。


「悪い、待たせたな」


「いえいえ」


「ほわほわ〜」


おまえはまともに返事をしろ。


「風子」


ぽんぽんと頭をたたく。


「…はっ」


帰ってきた。


「岡崎さんっ、この部屋、やばすぎますっ。めっちゃなごみますっ」


「そりゃよかったな…」


興奮する風子を抑える。


「もう帰るか?」


「そうですね…」


宮沢は外を見る。もうそろそろ暗くなり始めていた。


「途中まで、一緒に行こうぜ」


宮沢とは、山をぐるりと回る手前まで、下校の道は同じだったはずだ。


「家は、今朝会った、あのあたり?」


「はい。そこから、もう少し歩きますけど」


「そうなのか」


手分けして、食器を洗ったり、後片付け。


いざ帰るという段になり、宮沢が尋ねた。


「ふぅちゃん、鞄は教室ですか?」


「え?」


「う」


風子はぽかんと宮沢を見て、俺は汗だく。


「…いえ、今日は鞄を持ってきてないんです」


ありえない言い訳でかわしてみせた!?


それで宮沢が納得するかよ、と思ったが…


「ああ、そうなんですね」


全然突っ込んではこなかった。できた奴である…。







037


夕暮れの町並みに、のびる影がみっつ。真ん中に風子で、左右に俺と宮沢。こうしてみると、風子が娘で、夫婦みたいな感じもする。


…ああ、汐を挟んで、渚と三人で、いつか歩いてみたかった。そうやって三人手をつないで歩けば、きっとどこへでも行けただろう。


そんな感傷的なことを考えてしまうのは、夕焼けのせいだろうか。


「…それじゃ、捜していた人って、ふぅちゃんなんですね」


「ああ。こいつの姉さんが知り合いでさ。公子さんっていって、あの学校で教師をやってたんだ。俺と、入れ違いだったみたいだけど」


公子さんの話をうまく使って、風子との関係はごまかせた気がする。朝に失敗したからな。


「というか、いつの間にか、そんな呼び方なんだな」


ふぅちゃん。


「ふぅちゃんが、そう言ってくれたので」


「はい。お友達ですから」


風子と宮沢は手を握っていた。女の子同士の友情を感じて、微笑ましくなる。


「ですけど、宮沢さんのうまい呼び方がなかなか決まらないんです」


「あだ名か」


「ゆきちゃん、というと、いかにも安直な気がするんです。風子、そういうところは、こだわりたいんです」


「お前のふぅちゃんも十分安直だと思うが」


「あれはお姉ちゃんが作ったんです。もぅ、すごく子供っぽいです」


いやぁ、ぴったりだと思うんだが。


「ミヤミヤなんてどうでしょうか?」


「すごくかわいいです」


「ユッキーナなんてどうですか?」


「なんだか芸能人みたいですね」


「もう、どれが一番なんですか。たしかに、風子のセンスは群を抜いていますから、どれも魅力的かもしれません」


「そうですね」


宮沢はにこにこ笑う。妹でも見るような目線だった。ちょっと公子さんっぽい。


「先輩はなにかいい案ありますか?」


笑いながら俺にも水を向ける。


「俺、そういうの苦手なんだけどな」


少し考えるが、特には浮かばない。浮かぶのは、周りを囲む不良どもに呼ばれる愛称…。


「ゆきねぇ、とか」


「あ、そういう風に呼ばれることありますよ」


「ああ、そうか?」


「なるほど、その呼び方は盲点でした…アリですっ」


風子はうんうんとまじめな顔で言う。


「それでは、これからはゆきちゃんと呼ぶことにします」


ずるぅーーっ! と、盛大に滑った。


「いやいや、ゆきねぇに賛成って流れじゃなかったのかよっ」


「アリですが、やはり、割とスタンダードなほうが、なじみやすいと思いまして」


「あっそ…」


肩をすくめる。ま、いいんだけど。






038


宮沢と別れ、二つの影が揺れる。


ふたり、言葉少なに歩いていく。俺たちは、傍からどう見えるのだろう。


過去へと迷い込んだおかしな二人組だ。


やがて、俺の家に着く。


「ここがうち」


「ここですか?」


「あのアパートはこれから住むことになるんだ。今はここがうち」


「なんだか、あまり立派じゃないです」


「うるせぇよ」


この時間なら、親父はいない。


風子を適当な部屋に連れて行って、押入れから客用布団を出す。


風子は珍しそうにきょろきょろしていた。あまり人の家に入ったことがないのだろう。


「あとで飯食いに行こうぜ」


言って、部屋を出ようとして、足を止める。


「暇なら俺の部屋来るか? 暇つぶせるものは本くらいしかないけど」


「…なんだか、言い方がエッチですっ」


「どこがだよっ」


言って損したような。出て行こうとすると…


「付いてくるのか?」


「やることないですから」


後ろにはちゃっかり風子がいた。苦笑する。




…。


「なんだか、ごちゃごちゃしています」


「男の部屋だから、そんなもんだ」


「エッチな本はベッドの下でしょうか?」


「荒らすなよ」


「違います。純粋な知的探究心です」


ずいぶん低俗な知的探究心だった。


俺はベッドに腰掛けて、風子は本棚を見始める。自分の部屋に彼女がいるというのが、なんだか妙な感じだった。


俺が風子と出会った時には、既にこの部屋はなかった。そういう時系列が頭の中で混在して、違和感になっているのかもしれない。


「夕飯、何を食いたい?」


背中に声をかける。


「ハンバーグが食べたいです」


「ハンバーグね」


となると、ファミレスか。さて、この時代、この町にあるファミレスだとどこが近いかな、と頭の中で計算する。


いやそもそも、と思って財布を開く。高三の春休み、そういえばバイトをしていたんだっけ、とりあえず二万円と、あとは預金か。といっても、せいぜい十万くらいだろう。


高校生だし、当面は大丈夫か。一安心。


「そういえば」


「ん」


「髪の長い女の人と、頭のおかしい人はなんだったんですか?」


「ああ、放課後の時か」


頭のおかしい男は、春原だろう。本人は髪の色のつもりで言ったのだろうが、うまい具合のダブルミーニングだった。


「別に大したことじゃない」


笑い混じりに説明する。


「春原がいちゃもんつけてるだけだよ」


春原が俺とつるんでいること、ごく最近智代に出会い、まだ名も知らない間柄であること、彼女が後に生徒会長にもなること。


風子はもの珍しそうに、ふんふん頷きながら話を聞いていた。


やがて日が沈み、ファミレスで夕飯を食べ(風子はデザートも食べた)、帰途に着く。


なんだか、娘に対しているみたいだな…。


風子に接しながらそう思い、少し、胸が痛む。




夜。おやすみを言って風子は一階、俺は二階。


目を閉じると、眠りはすぐに訪れた。


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