folks‐lore 4/16


031


俺は風子の顔を見つめていた。


冷静にこちらを見返している彼女。彼女の意図が、わからない。


「おまえ…」


言葉が、やけに空々しい。


「おまえ、も」


俺は、今なんと言うべきなのか、よくわからなかった。


「過去に戻ってきたのか?」


「…?」


俺の言葉に、だが、風子は不思議そうな顔をした。


「過去、ですか」


「ああ。今、高校生」


制服を手で示す。


「…」


風子はぽかんと俺を見て、それから自分の格好を確認した。


それから。


「わあぁぁーーーーっ!!」


飛び上がるほどに、叫び声を上げた。


めちゃめちゃ驚いている…。俺もビビる。


時間遡行。風子はまるで、今その事実に気付いたようだ。


さっきの、風子の、奇妙な沈黙を思い出す。


俺と出会った瞬間。目が合った瞬間に、全ては始まったのだろうか。


「…」


なんだ、そのドラマみたいな話は…。


だが、なんにせよ、事態は動いてしまったのだ。


止められないくらい、大きく早く。





…。


ひとしきり落ち着いた後で、俺たちは話しあう。


「風子、普段はクールなんですけど、さすがにすこし動揺してしまいました」


「思いっきり叫び狂ってたからな」


「それにしても、どういうことでしょう?」


「俺もよくわからないな。意識が遠のいた感じになって、気が付いたらきてたんだよ。おまえは?」


相手が風子というのが微妙だが、話し合える人間がいるというのはなんとも頼もしいことだった。


「よくわかりません」


「…」


やっぱり全然頼もしくなかった…。


頼もしいと感じさせてくれたのは二秒くらいだった。驚異的短さだ…。


「なんだか、夢を見ていたみたいです」


「どういうことだ?」


「ですから、岡崎さんや汐ちゃんのことが、夢みたいに感じるんです」


「…」


つまり風子は、記憶全部を持ってきたわけではない? あるいはショックで混乱してるだけか。


なんにせよ、彼女の気持ちはわからないでもない。誰だって、俺だって、混乱している。


「おまえ、なんというか、記憶のある最後の瞬間は、いつなんだ?」


言っていて、セリフの現実離れっぷりに恥ずかしくなってくる。口に出すと、なお一層だ。


しかしこれは根本的な疑問点だった。俺の意識は、雪の景色で途絶えた。


もはや遠い世界だった。遠い、時間のことだ。


だがそれでも疑問なのは、あっちの世界は、どうなってしまったのかということだった。あの、並行世界だ。


向こうで俺は行方不明なんだろうか。それとも、あっちはあっちで新しい「岡崎朋也」が暮らしているのだろうか。極論を言えば、俺が時を遡った瞬間に俺の生まれる瞬間まで時間が遡及して、新しい世界を再構築した…などと、小説の話みたいな案まで考えられる。


なんにせよ、向こうの世界では何かが起こった。そして、だから俺はここにいる。


聞きたいような、知りたくないような質問だった。


風子はしばらく考え込んでいたが、急にぽわーっと幸せそうな表情を浮かべた。なんだか、とても素敵なことを考えているようだった。


「…」


「…」


「……」


長い…。


俺は椅子をひくと、座り込んで外を眺めた。学校が丘の上にあり、ここはさらにその三階だ。見晴らしはなかなかいい。


しかし、状況を同じくする人間がいるというのは、それはひとつの好転だ。


「…」


ちらり、と彼女を見やる。まだほわほわしている。


ああ…まあ、風子なわけだが…。






…。


「…と、いうわけです」


「全然わからないからな」


言うと、風子はやれやれと言ったように息を吐いた。


「話はきちんと聞いてください」


言っていない。


「風子、おねぇちゃんといました」


「公子さんか」


「一緒にハンバーグを食べに行くところだったんです」


「もう脱線してないか?」


「してませんっ。話の腰を折らないでくださいっ」


今の腰だったの? などと思うが、それは言わないことにする。


「…」


「そうしたら、匂いがしたんです」


「…」


「とっても可愛い匂いです」


「いや、わけがわからない」


思わず口を挟む。


「岡崎さん、さっきから、なんなんですか。最悪です」


「可愛い匂いって何だ」


「かげば、わかります」


「そうか…」


「…」


「…」


「終わりです」


もう終わっていた!


「ちょっと待てっ! 何かきっかけみたいなのはなかったのかよ」


「だから、可愛い匂いです」


「それきっかけって言わないからな…」


当てにならないということはわかった。


まあ、この問題を話せる相手がいる、というくらいで考えておこう。


「風子」


「はい」


「俺はこっちに来て、三日目だ」


まだ、三日目だ。


「何でこうなったかわからないけど、事情が通じる奴なんていないし、協力してやっていこうぜ」


「はい」


頷く風子。敵意を持った奴が同様に逆行してきた、なんて状況ではないのがありがたい。


「このこと、人に言うなよ。さすがにありえない話だからな。未来にどんな影響があるかわからないしな」


釘をさしておく。俺もどうしても混乱して失言があるが、一応。


「もちろんです。風子、口は貝みたいにかたいです」


「ああ。特に渚とかに言うなよ。マジで人生変わるからな」


「…渚さんって、岡崎さんの奥さんですか?」


「ああ。同じ学校に通ってる。いつか会うと思うよ」


「汐ちゃんのお母さんですっ。ぜひ、一度あって挨拶したいですっ」


「…なんて」


「あなたの子供の汐ちゃんは、とても可愛い子です、と言いたいですっ。風子の妹にしたいですっ」


「だからそれをやめろって言ってるんだろうがっ」


かなり、不安だった。








032


とりとめなく話していたら、五時間目終了のチャイムが鳴った。そういえば、今は授業中だった。


「教室戻るか?」


席を立つ。俺はともかく、風子を付き合わせるのも悪い気がした。


「岡崎さん」


「なんだよ」


「風子、どうしてここにいるんでしょうか」


俺を見上げて、そう尋ねた。


「こっちが知りたいところだ」


「そうじゃないんです」


言葉の端に、焦りが見えた。俺はつい、彼女の瞳をじっとのぞき込んでしまう。


「風子は、どうして今学校にいるんでしょうか」


「…どういう意味だ?」


「風子は、ここにいるはずないんです」


どういう意図の発言なのか、よくわからなかった。いじめられてる、とかだと違うな。とはいっても、さっきから話していた時間遡行の話でもなさそうだ。


「はっきり言ってくれ。わけがわからない」


「風子は、事故にあって、入院してるんです」


その言葉を聞いて、ほっとした。多分風子は時系列をごっちゃにして考えているのだ。


「落ち着け。おまえ、事故ったのはいつだ?」


諭すように、言う。


「入学式の日です」


だが、返ってくる言葉は強烈だった。


「なんだって…?」


「学校に入った、最初の日です」


それは、半月も前だ。


「…」


わけがわからない。俺は風子の頭をぽんぽん叩く。


「わっ、わっ」


慌てて距離をとった。


「なんなんですかっ」


「いや、幽霊かなぁ、と」


「最悪ですっ」


「いや、おまえ事故に遭ってないんじゃないか?」


「…?」


「ほら、運命が変わったというか…」


「本当に、そうなんでしょうか」


「確認とってみればいい。一年だろ? 適当な奴捕まえて聞けばクラスわかるだろ」


今の話からして、自分のクラスは覚えてはいないだろう。


「授業が終わったら、一年のクラスをまわってみようぜ」


「そうですか」


呟くように言う。


「…ありがとうございます」


一拍おいて、おずおずと頭を下げた。こいつ、失礼なだけじゃないんだな…。


基本的な礼節を教える公子さんの姿が、頭に浮かんだ。







033


六時間目が終わり、帰りのHRが終わると、廊下は下校する生徒で溢れる。


「聞いてくるから、ちょっと離れてろ」


「はい」


一階の廊下だから、全体的に生徒の身長も低く、顔立ちも幼い気がする。三年生がうろうろしていると変に目立ちそうだ。


のんびり歩いている男子生徒に目をつけて、話しかけた。


「ちょっといいか」


「え…なんですか」


校章の色を見て、不安そうにこっちを見上げた。


「伊吹風子って奴、知ってるか」


「…知らないですけど」


「そうか、わかった。悪いな」


「いえ」


はずれだ。


「なあ」


「はい?」


他の生徒を捕まえる。


「伊吹風子って、クラスにいるか?」


「えっと…いませんけど」


「そうか…」


その後、何人かに聞いてみるが、成果はなし。


そんなことをしていると、離れたところからひそひそ話が耳に入る。


「あの人、何の用で人捜ししてるのかしら…」


「あれって、有名な不良よ」


「わたしも知ってる。昼には二年生の女子にちょっかいだしてたみたいよ」


「今度は一年の女の子?」


「うわぁ…」


「……」


聞こえている。


「おい、岡崎」


不意に声をかけられた。野太い声。がっしりした体型の体育教師だった。


「おまえ、こんな所に何か用か」


「人を捜してるんだよ」


気は乗らないが、この際だから仕方がない。一年生よりは、生徒に詳しいだろう。


「伊吹風子って奴」


「伊吹…?」


眉をひそめる。困惑した表情だった。


「おまえ、知らんのか」


「なにをだよ」


「結構、話題にもなったんだが…、その女生徒は、事故にあって入院中だ」


「え…」


「一応、クラスはB組だが…もう二年も意識がないらしいからな…。それで、どうしてそんなこと聞くんだ」


「待ってくれ、二年も?」


「ああ、おまえと同級生だ。いや、元、といったほうがいいがな。それがどうかしたのか?」


「…いや、だったら、いい」


「まあいいが…揉め事は起こすなよ」


隣を過ぎ去る。


俺はしばし呆然とした。


…二年間も入院。教師の情報だ。間違いはないんだろう。


それならば。あの風子はなぜ、ここにいる。


とたとたっ…


傍らに立つ、小さな影。


「なにかわかりましたか?」


「…おまえは、事故って入院中だとさ」


「そうですか…それなら、風子は意識が飛び出て、ここにいるということです」


「なんでそんな冷静なんだ?」


「なんだか、そういう気がしていたので」


「どんな想像力だよ…」


たしかに、俺もタイムトラベルしたし、風子が生き霊で学校をさまよっていても不思議はないよねっ♪


「ってそんなわけあるかぁぁぁーーーっ!!」


「わっ…いきなり、なんですか」


「いや、つい…」


「岡崎さんは、やっぱり変な人です」


「おまえは存在が変な人だからな」


「おーい! 岡崎!」


そんなところに、駆け寄ってくる春原。すごいタイミングだった。


そういえば、智代のことで放課後付き合うと約束してあった。完全に忘れていた。


「帰ってこないから捜しちゃったよ…って、あれ、今お取り込み中…?」


春原と風子という組み合わせは見るのが初めてだった。


さて、風子の反応は…と思うと、いつの間にか俺の後ろに隠れていた。


「あれ、照れちゃってる? …って、なんかえらいちっこいね」


にやっと笑った顔を、俺に向けた。


「誰なの、この子? 岡崎の趣味ってこっち?」


「おまえな…」


「君、一年生? クラスどこ?」


「この人、ありえない髪の色をしてますっ」


「っていきなり超失礼!?」


「UFOにさらわれて、帰ってきたらこうなってたんだ」


「ものすごく危険ですっ」


「ちなみに怒ると赤くなる」


「明らかに改造されてますっ」


「岡崎も変なこと吹き込むなっ」


ああもう、と春原は髪の毛をばさばさとかく。


「せっかく鍛えてきたのに、水を差すなよ」


「この人、岡崎さんの知り合いですか?」


「ああ、こいつは春原陽平」


「すのはら…?」


「春の原っぱで、春原」


「それで名前が陽平ですか。すごく脳天気そうな名前です」


「初対面の人間にすんごく失礼なんだけど…。で、結局この子は誰だよ?」


「ああ…伊吹風子っていうんだ。ちょっとした知り合い」


「彼女?」


「全然違いますっ。第一、岡崎さんにはきちんと奥さんが…わぷっ」


「おまえ、いらないこというなっ」


小声でたしなめる。


「今なんだって?」


「なんでもないからな」


「ふぅん…」


疑わしそうに風子を見るが、そんな興味はないようだった。というより、智代との対決が気にかかっているのだろう。


「とにかく、行こうぜ。もう坂上の呼び出しはかけてあるんだ」


「はいはい…」


風子から手を離して、歩き出す。


「風子もこいよ」


本体(?)が入院しているなら、彼女は帰る家がないということだ。風子(霊体?)の身の振り方も考えなければならないし、放っておくと危なっかしい。


手を差し出すと、素直に握った。歩き出すと、すぐに離されたが。



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