folks‐lore 4/15


020


B組の中を覗く。


渚は……いた。


教科書を詰めた鞄を机に置いて、座っていた。


まだ放課直後で、教室には生徒も多い。進学校でお上品な校風ながらも、やはりこの時間は活気に満ちている。仲のいいやつらで固まって、話をしている。だけど渚の姿だけ、そんな情景から浮いていた。


俺が卒業した後の、渚の学園生活を思う。


それがどんな生活だったのか、俺は詳しくは聞いていない。


でもそれはきっと、こんな…


「岡崎」


名前を呼ばれて、我にかえる。目の前に男子生徒が立っていた。入り口の辺りで固まってしまっていた。


「久しぶりだな。誰かに用か? 呼んできてもいいけど」


「ああ、いや、悪い。自分で行く」


「そうか、じゃあな」


すれ違って、男子生徒は教室を出て行く。去年とか一昨年のクラスメートだろうか。顔すら覚えていない。


…俺の学園生活だって、それなりにさんさんたるものだったな、そういえば。


「渚」


「岡崎さん」


何をするでもなく座っているのは、苦痛だったのだろう。俺を見るとほっとした表情を見せる。


周囲の生徒が不思議そうにこっちを見ている気配があった。それはわかる。片や不良で、片や世にも珍しい高校での留年生だ。普通の組み合わせではない。


「行くぞ」


「はい」


だが、視線なんて気にしないことにする。気にしても、無視しても、それは大した問題ではないのだ。


これが、今の状況だ。それを否定からはじめることはできない。


連れ立って、旧校舎に向かう。


…。


放課後の旧校舎は、それなりに人の気配がする。文化部の部室は大体がここの空き教室で充てられているはずだ。どこかから、吹奏楽部の切れ切れの演奏が聞こえた。


三階へ上がる。


「一番端が、演劇部の部室だ」


「そうなんですか」


落ち着かない様子だった。


それはそうかもしれない。渚は、これから演劇部員と初顔合わせをすると思っているのだ。


「渚」


「はい」


歩きながら、話しかける。斜め後ろあたりを歩く渚から、視線を感じる。前を向いたまま、話を続ける。


「ごめん」


「はい?」


「謝らないといけないことがあるんだ」


「はぁ…」


「言ってないことがあって、それで」


もう部室はすぐ近くだ。


昨日風子の姿のあった空き教室の前を通る。横目に中を見るが、人の姿はない。


「演劇部は、」


部室のドアの前に立つ。


「部員が足りなくなって、今は、」


恐いくらいに静かだった。


本当は、部員の声が聞こえてくるはずの場所だ。


「廃部になってる」


ドアを開けた。


後ろで、息をのむ気配がする。俺は振り返ることができない。







021


積もった埃を手ではらい、それぞれに椅子に座る。渚は何か考え込む様子だった。


「わたし…」


しばらく経って、彼女が口を開いた。


「演劇部がなくなって、しまって、どうすればいいか」


「作り直せばいい」


「え?」


「楽しいことを見つけるんだろ? 一から、はじめればいい」


「ですけど…」


「俺がいる」


立ち上がって、渚の肩を掴む。


「え」


「俺も協力する」


かなり恥ずかしいことを言ってしまったことに気付き、訂正する。


渚はしばらくの間、なんとも言えない表情をしていた。照れているような、放心しているような、訝しんでいるような、とにかくほとんど見たことがないような顔だった。そりゃ、こんな意味不明なこと言われるなんて、そうあるものではないが。


「岡崎さん」


「ああ」


「岡崎さんは、演劇部が廃部になっていること、知っていたんですか?」


「…」


言葉に棘はなかった。ただ、聞きたかった、という口調。


「ごめん、知ってた」


「そうですか…」


「ただ、あの場面で、演劇部はダメだから他の案を出せ、とまでは言えなかったんだ。ごめん」


「いえ、いいんです」


渚は、ちょっと笑う。


「それで、一緒に来てくれたんですね」


「…」


それから、お互い口をつぐむ。


外は、まだ明るい。


俺は目を細めて、心に刻めというほどに、空の青さを眺めていた。


…。


「わたし…」


どれくらい経ったろうか、口を開く。


「がんばってみます」


そう言ってくれた。彼女の中に、どんな葛藤があったのか。それはわからない。


だが、俺は嬉しくなる。今、こうして頷いてくれたことを。


「よし」


俺はそう言って、辺りを見渡した。


乱雑に積み上げられた段ボール。埃にまみれた椅子机。


今は、ここがスタートラインだ。寂しくて、みすぼらしくて、俺と渚しかいないこの場所が。


だけど、いつか、ここに笑顔が溢れ、大切な場所になってくれれば、いい。そう思った。


今、演劇部はまた、生まれ直したのだ。


「ここが始まりだ」


「はい」


渚も、笑っていた。俺も笑っている。


幸せな気持ちだった。満ち足りた気持ちだった。それは、こんな気持ちだったのだ。長い間、こんな感情を忘れていた。世界には、悲しみばかりがあると思っていた。


「まずは、ここを片付けよう。それで、明日から部員をさがさないとな」


「部員、ですか」


「ああ。部として認められるには、最低三人の部員と、顧問がいるんだ」


「そうなんですか」


「勧誘するのは、渚の役目だ」


「え?」


「俺は協力する。だけど、部長はおまえだ」


「…ええっ」


途端に困惑顔になる。


「俺は協力するけど、演劇部の再建に協力するってことだ。俺が引っ張っていくわけじゃない。部長は、渚がやるんだ」


「ま、待ってくださいっ」


慌てて、口を挟む。


「わたし、そういうリーダーとか、部長とか、全然やったことないですっ。わたしなんかより、岡崎さんがやった方がいいと思います。わたしが部長なんて、きっと、誰もついてきてくれないです」


「大丈夫だって。自信を持てよ」


「無理ですっ」


かなり消極的だった。不安もあるし、混乱もあるのだろう。


話をそらす。


「とにかくまずは部員が必要なわけだ。まずは勧誘をやってみて、それから考えなって」


「勧誘、ですか」


「ああ。今の時期だと、ポスターとか呼び込みはもうできないから、目星を付けた奴に直に入部を頼むしかない。誰か、良さそうな奴を探しておくよ」


俺は、かつて生徒会から横槍が入ったことを思い出しながら、言う。同じようなビラ作戦はやはりうまくいかないだろう。


「それなら、岡崎さんが勧誘した方が」


「いやいやいや、それは俺の役目じゃない。とにかく、まずは掃除しようぜ」


話をそらす。


「ですけど、ほんとうに、そういうの向いてないんです」


「水拭きもした方がいいかな。まずは箒がけだなっ」


更にそらす。






022


「全部はできなかったかな…」


教室を見回す。


箒がけ以前に、元々置いてあった物品の整理をしなければならなかった。それに思いの外手間取ってしまい、あとはさっとはいただけ。


続きは明日にもちこしというところか。


「あの」


「ん?」


渚が、夕焼けを背に立っていた。俺は目を細める。逆光になって、表情はよく見えない。


「ありがとうございます」


「なんだよ、いきなり」


「手伝ってくれて、ありがとうございます。声、かけてくれて、ありがとうございます」


そう言って、笑う。


「えへへ」


「…」


胸にこみ上げてくる感情があった。


渚の顔がよく見えない。光に遮られてよく見えない。


俺が渚に声かけず、別の道を行くことだってできた。


俺が渚と出会わなければ、色々な悲しみを知らずに済んだ。


張り裂けるような悲しみも、底のないような絶望も、俺は知らずに生きられただろう。


だけど、俺は彼女に出会ってしまった。


知らなかった感情を知ってしまった。


あの後ろ姿に、声をかけなかった人生は、おそらくきっと、ありえない。


あの瞬間に繋がりを求め、求め続けたことを、俺は一生、後悔しないで、胸を張って、生き続けようと思った。


…俺はここにいるぞっ。


時を超えて、俺は、この気持ちを伝えたいと思っていた。


…渚っ!






023


「岡崎。この部屋には足りないものがある」


「おまえの存在意義?」


「いきなり全否定するなよっ」


「なんなんだよ」


夜。春原の部屋。


俺は読んでいたマンガから顔を上げる。


「女っ気か?」


「別に求めてないっ」


力強い言葉だった。


「言っとくが、足りないものの方が多いと思うぞこの部屋は」


「男の一人暮らしに贅沢言うなよ。金がないんだからしょうがないだろ。それよりもっ」


身を乗り出す。


「まずは、テレビがあった方がいいと思うんだ」


意外に普通の意見だった。


「あればいいけどな。でもどこに置くんだよ?」


「そこのラジカセ動かすか、あそこの服をどかすかするよ」


どかすとか動かすばかりで、片付けるという発想はないらしい。


「買うのか?」


「そんな金ないよ。だから誰かからもらおうかと思ってね」


「たかるのか? さすがにテレビは無理だろ」


「映るけど古い型でもういらないとか、そういうのが手に入らないかな?」


「それなら、バイトして買うか粗大ゴミとして出してあるのを拾って修理するかした方が早いぞ」


「バイトねぇ…」


「おまえなら体を張った仕事ができるだろ」


「体って、モデルとか?」


「いや、殴られ屋」


「やりませんからっ」


向いていると思うんだが。


「岡崎んちに、余ったテレビとかないの?」


「そんな都合よくあるわけないだろ。おまえこそ、実家にないのかよ」


「うちは居間にしかないよ」


「それを持ち出せ」


「あんたも無茶言いますねぇっ!」


春原はごろりとベッドに寝ころぶ。


「こんな時、あごで使える舎弟でもいれば、話は楽なんだけどねぇ」


「俺にとってのおまえみたいにな」


「舎弟じゃないから…って、そうだ」


ばっと体を起こした。


「坂上だよ」


「はあ?」


「あいつを倒して、僕らの舎弟にしようって話だよ。あいつを倒して、下級生どもに僕らの強さを知らせて、あいつはそれで仲間にしてくださいってなるわけだ」


「それでいいように使うってことか?」


「そうだね。ま、でかい顔したら、こうなるんだよって見せしめさ」


「まあ、やってみろ」


「やってみますねっ」


ニヤッと笑って息巻いている春原。


俺の脳裏には、蹴り上げられて空を舞う春原の勇姿が浮かんでいた…。



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