folks‐lore 4/16


024


高校生としての朝も、それなりにこなせるようになった。といっても、顔を洗って髪をセットして着替えて、それで終わりだが。


目覚まし時計が壊れていたから何もせずに寝てしまったが、ちゃんとした時間に目が覚めた。


働いていた頃よりは遅いが、睡眠時間はいつも通りといったところ。


準備が整って、出かけようと、居間を通り過ぎる。


…テレビの音が聞こえた。


親父が部屋の隅で丸くなって眠っていた。毛布も何もかけていない。


酔って帰ってきて、そのまま眠ってしまったのだろうか。四月の朝はまだ寒いというのに。


「…父さん」


肩を揺すったが、反応はない。


遠い潮騒のようなかすかないびきが聞こえる。


「父さん、眠るなら自分の部屋で寝た方がいい」


もう少し、強く揺する。


「ん…ああ…」


うっすらと目を開けた。


「父さん」


「ああ…朋也君か…」


「ここで眠ったら体に悪い」


俺はテレビの電源を切る。


「そうだね…。また、朋也君に迷惑をかけてしまったね…」


苦笑い。


「…父さん。体を大切にしろよ」


「ああ、そうだね…。よいしょ、それじゃ、部屋に行っているよ」


「俺、学校に行くから」


「ああ、いってらっしゃい」


「いってきます」


声を掛け合う。俺の話す言語を別の言語に翻訳し、それをまた日本語に翻訳し、その言葉が親父に届いているようだった。


俺たちの会話は、それぞれちぐはぐな場所から吐き出されていた。


これが岡崎家だった。


頭を抱えるような物憂い諦観。






025


山を回り込むように伸びる道を、学校へ向かう。


山を登っていくルートもあるのだが、道の整備も悪いし、ほとんど使ったことがない。


同じ地区に住んでいる生徒が、遅刻しそうな時に使うことがあるらしいが、単位が恐るべき低空飛行を続けている俺にとってはその意義は遠く、映画の中に降る雨のようにしか思えなかった。


散歩するにはいい道かもしれない。なんといっても、あの道は近く、なくなってしまうのだし…。


学校が近づくにつれて生徒数も増える。今は登校時間の、ちょうどピークだろう。


俺を見てひそひそと話す奴もいる。だがそもそも、たかだか学校の不良だ。噂する奴は、記憶ほどには多くない。全員が俺をあざ笑っているなどと考えていたが、被害妄想が入っていたんだろうな。


知り合いの姿を探してみたが、特に目に入ってこなかった。


やれやれ、と思って、歩く。


俺に声をかけるものもない。俺も声をかけない。


みんな同じ学校の生徒なのだ。おそらく同じような話題を持っていて、機会さえあれば仲良くなれるような連中が集まって、それなのにこんな距離感があるっていうのは、奇妙な気がした。


「おはようございます」


「え?」


後ろから声をかけられた。驚いて、振り返る。


「…宮沢?」


「いつもこの時間なんですか?」


頭ひとつ小さな姿が、ひょい、と自然に隣に並んだ。


「おはよ。まあ、今日はたまたまだけどさ」


「そうなんですか」


「宮沢は、いつもこの時間なのか?」


「もう少し早いことが多いですね。日によって違いますけど」


「ああ、たしかに結構早く登校するイメージあるな」


彼女はにっこり笑って、俺の目をのぞき込んだ。伺うような、甘えるような…そんな視線。


なんだか、変に、どぎまぎしてしまう。


「この間、探していた名簿は見つかったんですか?」


「いや、まだだけど」


そういえば、風子の件はまったく止まってしまっていた。まあ、同じ学校なんだからいつか会えるだろうという楽観もあるが…。


とはいっても、放っておいている間に彼女が事故にあって、意識不明、というのはさすがに避けたい。


まあ、在学中の時期に生徒が事故にあったなんてニュースは聞いたことがないし、大丈夫だろうけど。


おそらく事故にあうのは彼女の卒業後だろうという気がする。


「それは、放っておいて、なんとかなると思う」


「何を調べていたんですか?」


「知り合いが同じ学校にいそうだから、ちょっとクラスを調べたいなって思って」


「二年生でしょうか?」


「いや、一年っぽい」


「あぁ、そうなんですか…」


少し考え込む宮沢。


「連絡先、知らないんですか?」


「知らない、というか、連絡してもそいつは俺のこと知らないから」


「お知り合いじゃないんですか?」


「……」


「……」


「言葉のあやだ」


「そうですか」


うんうんと頷く宮沢。こっちは汗だくだった。彼女の喋りは、どことなくガードをゆるませるところがある。


「み、宮沢は朝も資料室にいるのか?」


「朝いることはあまりないですねー」


「そうなのか?」


少し意外だった。あらゆる空き時間を縫ってあそこにいるイメージがあったが。


「ですけど、そうですね、休み時間や放課後は、大体いますね」


「だよな。それならさ、部活って、入ってないだろ?」


演劇部の部員の勧誘に関して思いつく。宮沢なんか、かなりいい素材なんじゃないだろうか?


気が利く性格だから、裏方としても頼れそうだし、渚とも気が合いそうだった。


「ええ、興味はあるんですけど、色々忙しくって…」


「ふぅん…」


微妙に、距離のある返答。


人材としては魅力的だが、たしかに簡単に時間を割いてくれるほど暇ではないか。


「部活、やってらっしゃるんですか?」


「ちょっと聞いてみただけ。なんでもない」


「…?」


小さく首をかしげるが、深くは聞いてこなかった。


やがて、校門に辿り着く。生徒が多い。俺は辺りを見渡す、坂下を見る。


渚の姿はなかった。


先に登っていったのだろうか。あるいは、まだ来ていないのだろうか。


登れたならば、それでいい。


だけどまだ、俺の力が必要で、それならば、一人残して先に行ってしまうわけにはいかない。


「悪い、ここで人と待ち合わせだ」


「そうなんですか。わかりました」


全て心得ました、という感じで頷く。頼れる限りだった。


「それでは、お先に失礼します」


「ああ。またな」


「また資料室にいらしてください。コーヒーをおいれしますから」


「ああ、頼む」


言葉を交わして、目があった。覗き込むようにして俺を見つめる彼女の瞳。


そして、にっこりと笑う。


「はいっ」


ぺこりとお辞儀をして、先に坂を登っていった。


俺はしばらくその後ろ姿を見送って、途切れなく現れる生徒たちの中から、渚を探した。






026


しばらくして、渚の小柄な姿が見えた。


俺の姿をみとめると、小走りに走り寄ってくる。


「おはようございますっ」


「おはよ。じゃ、行こうぜ」


「…あの、私を待っていてくれたんですか?」


「ひとりじゃ登れないんだろ?」


「ありがとうございますっ」


歩き出す。


とてとてっ…


後ろから、渚の足音がする。


「昨日は、どきどきしてなかなか眠れませんでした」


「すぐ慣れる。というか、すぐ楽しくなる」


「そう、なればいいんですけど」


「なるさ、きっと」


「そうですね…えへへ」


はにかんだように笑う。


派手ではないが、花の開いたような笑顔だった。どきりとする。


「…今日は、遅刻じゃないな、お互い」


「昨日も大丈夫でした」


「ああ、そういやそうか」


「ずっと遅刻してたら、先生に怒られてしまいます」


「そうだな…」


教師は、俺にはさっぱりなにも言わないが、やはり渚はなにか言われたりするのだろう。


「遅刻はいけないな」


「岡崎さん、すごく遅刻し慣れてる感じがしました」


「え?」


「昨日とか、全然焦ってませんでした」


「諦めがいいんだ。というか、渚だって遅刻してただろ」


「そうなんですけど…」


真面目な性格だから、ついつい突っ込んでしまうらしかった。


相変わらずだ。そして、だんだんと俺にも慣れているみたいだった。初めて会った頃のような、どう接すればいいのかわからないみたいな様子はない。まあ、それでも、岡崎さん、だけどな…。






027


チャイムが鳴った。一時間目の終わりだ。


むっくりと体を起こす。


春原はまだ来ていなかった。


「あっ」


「ん?」


教室の入り口。一人の女生徒と目があった。彼女はにっと口をゆがめると、大股にこちらに寄ってきた。


長い髪がばっと散って、また綺麗に流れた。それは、懐かしい姿…では、ない。


割と目にしていた。見慣れた未来の彼女より、ずっと幼い。


なんとなく、歳をとっても、顔立ちは全然変わっていないと思っていた。だが、年月は誰にだって平等に、雪が積もるように音もなく降重なっていくのだと思った(オッサンと早苗さんは例外だが)。


「めっずらしいわねー、あんたがこの時間からいるなんて」


なんの遠慮もなしにずかずかと来て、春原の席に手をついて、見下ろす。不遜な態度といえるのだが、彼女がやると、雰囲気はむしろ華やいだ。


「杏」


彼女の名前を呼ぶ。


「どういう風の吹き回し? 学校に泊まったとか?」


そんな可能性が浮かぶほど珍しいのか…?


「ちげぇよ。今日はたまたまだ。明日は遅刻するな」


「向上心のない宣言してんじゃないわよっ」


まったくもって、いつものペースの会話。


「つーか、なんでこの教室にきてんだよ?」


「椋に用事よ」


「お、お姉ちゃん…」


傍らに藤林が来ていた。


「あ、椋。はい、これ忘れ物」


ナプキンに包まれた…弁当箱だろうか。


「あ、これ…」


「テーブルの上に置きっぱなしになってたわよ」


「ごめんね、ありがとう」


「いいわよ」


「…なんで今になって渡すんだ? 同じ家だろ?」


「今日は別々に出たのよ」


「はい…毎日一緒に登校してるわけじゃないんです」


「ケンカでもしたのか?」


「あたしたちはいつでも仲良しよ」


「へぇぇ…」


「今日はお姉ちゃんが寝坊しちゃって…」


「寝起きが悪いのか?」


「あははは、こう言っちゃなんだけど、寝起きはめちゃくちゃ悪いのよね〜」


「たしかに暴れそうだな。むしろ昼でも十分…」


「なんか言った?」


睨まれた。


「なんも」


「あの、岡崎くん…今日は、ちゃんと朝来てくれましたね」


藤林がおずおずと声をかける。


そういえば、昨日遅刻しないでくれって言われたな…。別にそれを意識してちゃんと来たわけではないんだが。


「なに、あんた、椋に言われてちゃんと朝来たわけ?」


「いやいや」


にやり、と杏の口がゆがむ。


「ほぉー」


「いや、違うからな」


「へぇー」


「おい」


「ふぅん」


「聞いてんのかコラ」


「あんたってなんだかんだ、尻に敷かれるタイプよね」


「…」


なぜか、反論できなかった。




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