folks‐lore 4/15



017


中庭にはそれほど人はいない。


ベンチとか石段の縁などで食事はできるが、教室や食堂ですませる生徒が圧倒的に多い。


昼休みの喧騒は聞こえるが、遠くの出来事にも思える。


渚は、植木の段になった縁に座ったところだった。


「よお」


「あ…」


ぽかんと俺を見上げた。


「岡崎さん」


ビニールから昼食を出した状態で手が止まっている。


あんパンと牛乳。


「お昼、食べないんですか?」


「え?」


言われて気付く。そういえば、自分の昼食の準備がなかった。


「あー、ちょっと買ってくる」


「え?」


「先に食ってていいから」


「あ…はい」


「じゃあな」


学食でパンでも買うしかないか。今の時間だと総菜パンはほとんど売れてしまっているだろう。甘いものはそれほど好きではないし、食事っぽくもないが、仕方がない。


しかしそういえば、俺は当然のように食事に同席すると言ってしまったが、渚からすればかなり唐突な話だったかもしれない。はじめ意味がわかっていないようだったし。


こういう地味なところから、きちんとしないといけないはずなのだ。馴れ馴れしい男みたいになってしまう。


購買は空いていたが、その分品揃えはもうすでに貧弱になっていた。不人気のB級総菜パンを適当に見繕い、中庭に戻る。


はたして渚はちゃんとパンをほおばっていた。遠目に見るその姿は、しかしそれは、孤独を感じる情景だった。


近づくと、渚はぱっと俺を見る。彼女の隣に座る。がさごそと袋からパンを取り出して、食べる。大したパンではないが、大した問題でもない。


渚はなんだか、一生懸命にパンを食べている。なぜか、そう思えるような感じの食べ方だった。


無言。


だがそれも、俺はあまり不快ではなかった。だけど渚はどうなのだろうか、と不安になる。


彼女にとって俺は、『岡崎さん』なのだ。いやむしろ、それ以上に遠い存在でもある。


やがて、お互いに食事も終わった。


「あの、岡崎さん」


渚が切り出す。


「わたしのこと、どうして気にしてくれるんですか?」


「俺が?」


「はい。朝の時も、今も、ですけど」


「…この学校で、遅刻する奴なんて滅多にいない」


「はい?」


「みんな真面目でまともなんだよ。それからはみ出すなんて、そう大勢がやる事じゃない。同じような奴が、いるなって思ってさ」


遅刻する。留年する。片や授業をサボって木を彫り、図書室にこもって本を読み、資料室に通って人と交わる。少しずつ、この学校のルールからはみ出している。彼女らも、渚も、俺もそうだ。今説明できる理由としては、これくらいしか思いつかない。


俺たちは、似ているのだ。決定的な違和感や差異感に戸惑いながら、迎合しながら、この学校に関わっていかなくてはならない。


「…岡崎さん」


手ににぎった牛乳パックがぽこりと小さく音を立てる。春の匂いを日が照らす。


「この学校は、好きですか?」


昨日の朝と、同じ問いだった。


「…」


俺はなんと答えればいいのか。


この学校であったこと、出会った人たち。


決して、楽しいことばかりではなかった。失望することだって、多くあった。


思い出。様々なものが渾然一体となって、交じり合っていた。それは、財産と呼べるかもしれない。


だが、それらは不意には出てこない。記憶の根幹に、へらかなにかで塗りつけられてしまっている。たしかにその思い出は俺を形作っている。だけどそれを個別に取り出す事はもうできない。


「好きか嫌いかはわからないな」


渚をはじめとした、多くの出会い。だが、それによって学校が好きになったかというと、それはどうだろうか。学校に感謝しているわけではない。


「わたしはとても、好きです」


「…」


「ですけど、全部、変わらずにはいられないんです」


「…変わらずにはいられない、か」


身に染みる言葉だった。早い、早い時の流れだ。


「それで、この学校が好きになれなくなったのか?」


「そういうわけじゃないんです。ですけど…」


この学校に対する、信頼が揺れているのだろう。今、未来は深い霧に覆われているのだ。


「だったら」


昨日の言葉を思い出す。好きな事は、ひとつだけじゃない。生きていく糧は、ひとつきりじゃないのだ。


「好きになればいい。好きになれるように、なにかをすればいい」


「わたしが…ですか」


「なにかをやるんだ。好きな事をやって、色々な人と笑い合えれば、それでいい」


それでいい。それが、俺の願いだ。


「…」


「やりたいこと、なにかあるんじゃないのか?」


「わたしのやりたいこと、ですか」


「なんだっていいんだよ。部活とか」


さりげなく話を誘導する。演劇部は、俺にとってもまだまだ完成していない夢だった。


「部活はやってませんでしたけど…」


ちょっと口ごもる。


「でも、入りたいクラブはあります」


「よし、それはなんだ?」


「演劇部です」


「よし! それだっ!」


「…え?」


急にこっちのテンションがあがったからだろうが、ぽかんとされてしまった。


「…まあ、それ、それだろ。演劇部、いいんじゃないか」


取り繕う。


「ですけどわたし、演劇をやった事ないんです」


「俺だってやったことはない。誰だって、最初は初心者だろ」


「そうですけど、やっぱり、三年生で新入部員というのも、すごく迷惑な気がします」


渚は、演劇部が廃部になったことを知らないのだ。


俺はそれを指摘しそうになったが、ついと思いとどまる。


今言っていいものだろうか? 演劇部が活動していないと知ったら、それはそれで諦めてしまうのではないか? 廃部なら仕方がない、と考えてしまうのは普通の反応だ。


いや、だが…。


廃部でも、立ち向かいはしないまでも、折れずに立ち続けてくれるような気もした。


渚は、強い。俺よりも。


それならば、今廃部のことを伝えていいだろうか?


「…」


「…」


「よし」


「?」


「放課後、ちょっと付き合ってくれ」


「えぇと、はい」


「演劇部の部室に、連れてってやるよ」


「ええっ」


「なにかしなきゃ始まらないし、するなら、やってみたいことをした方がいいだろ」


「それは、そうかもしれないですけど」


「大丈夫だ」


断言する。


「やりたいって気持ちは、嘘じゃないんだろ」


「…」


渚は、悩むような、戸惑ったような表情。


彼女は、少しだけ悩んだ。


「はい。わたし、演劇部に入りたいです。もう、遅いかもしれないですけど、やってみたいです」


「…」


よく、言ってくれた。俺はうれしくなった。


迷いながら、悩みながら、目の前は霧中でも、それでも進むと決めてくれた。


「あの、放課後、よろしくお願いします」


それは、強さだった。







018


午後の授業中。頬杖をついて外を見ていると、二台のバイクが校門から入ってくるのが見えた。


二人は爆音を上げて、敷地の中を暴走し始めた。


この光景は、何度か見た覚えがある。犯人は隣の工業高校の嫌がらせだったらしいが。


進学校というだけでそんなつっかかってこなくてもいいのにな、と思う。


しかし、バイクの暴走ね…。


なにか、ひっかかる。たしか思い出があるような。


「おっ、なになに」


すかさず、隣の春原が身を乗り出してきた。


他の生徒もわっと窓に集中している。


よくよく見てみると、男が窓辺に集まって、女子は廊下側で集まってクールに肩をすくめている。笑えるくらいの温度差だ。


「すげえ、爆走じゃん」


春原は授業がつぶれたせいか、上機嫌だった。


「教師がでてくるだろ」


「あれを止めるって? ははっ、教師連中に、そんな度胸があるかねぇ」


「じゃあおまえいけよ」


「はっ、あいつら追っ払ったって、僕にはなんの得もないからね」


「できないしな」


「できるって」


突如、別の教室がわっと湧いた。


「今度はなんだっ」


「あれ、みろよ!」


男子生徒がすぐ下を指さす。


見てみると、ひとりの女生徒が長い髪をなびかせて、バイクに歩み寄っているところだった。


…そうか! 智代か!


合点する。彼女との出会いも、この時期だったのだ。


「なんだ、あいつ。まさか説得でもする気じゃないのか?」


「さあな」


智代を前に、バイクは停止していた。なにか話している。


「智代さん、やっちまえ!」


階下の教室から、声援。


「やっちまうって、あの子が?」


そう思うのも、無理もない話だった。春原は、面白そうに笑う。


「ははっ、やられるっての」


智代が振り返った。遠く、小さく笑みを浮かべているのが見えた。


その表情は、こう語っているようだった。


…おもしろい、と。


…。


声援が飛び、喝采される中を、不良たちを引きずりながら戻ってくる智代。


「はは…なんだ、あれ」


「すげぇな」


「いや、女であんなに強いって、そんなバカな」


「そういう奴もいるだろ」


「おっしゃいません」


なぜか敬語だった。というか、使い方を間違えている。


「腕力だったら、男は女には負けるわけないよっ」


「杏はどうなんだ?」


「あん? 杏だって?」


春原は少し沈黙して…


「うわあああぁぁぁあぁーーっ!」


震えだした。


「おまえすっごい小物な…」


「いやいやいや、杏でも、腕力だったら負けないねっ! 多分!」


最後の付け足しの情けなさが、なんとも春原らしかった。


「って、おい、あの女、職員室の方に行ったみたいだ。見てこようぜ!」


「やめとく」


「ふぅん、まあいいや。それじゃちょっと偵察してくるよ!」


爽やかに片手を上げて、教室を出て行った。


「おいっ、春原! 授業中だぞ!」


教師の言葉が響いたが、春原はもう姿を消した後だった。


…。


授業が終わり、休み時間も終わる頃、春原が戻ってくる。


「僕は確信したね」


自信ありげな表情だった。


「あれはきっとサクラだよ、サクラ」


「ふぅん」


「あいつ、春からの転入生みたいなんだけどさ、多分目立ってやろうとか、そういうことを思ったんだろうね。それで、一芝居打ったってわけ」


「下でそんなこと言ってたのか?」


「雰囲気でわかるよ、それくらい。でも、下級生の中ではもうかなりの人気者みたいだねぇ。知らなかったよ」


「へぇ」


人気者。智代の性格からしたら、そうかもしれない。


「男だったらしばいてやるところだけどねぇ…。でもまあ、女でもあんまり目立つようだったら、放っておかないけどねっ」


段々と思い出してくる。春原が智代に因縁を付けて、それから顔見知りになったのだ。


それから、俺のことも、渚のことも、なんだかんだ結構気にしてもらった。できることなら知り合って、多少の恩返しくらいはしたいものだった。


「ま、悪い目立ち方じゃないなら、いいんじゃないか?」


「岡崎はあいつの味方なのか?」


「なにいきなり機嫌悪くなってるんだ?」


「だって、生意気じゃない? 高校生活の恐ろしさをわかってないね…」


「おまえの考える高校生活はどんなのなんだよ…」


「そりゃ、目が合えば死闘、食うか食われるか…支配するか、されるかさ…」


「まあ、おまえはされる側だよな」


「まさか。僕は王者…キングだよ」


「ストリーキングって感じ?」


「おっ、いいねそれ。そうそう。ストリーキング春原って呼んでくれよ」


「…変態がっ」


「なんでだよっ」


「春原」


いつの間にか入ってきていた教師が口を挟む。


「授業が始まるから席に着け」


見ると、他の生徒はもう着席していた。


「…ちっ」


舌打ちして、席に着く。


「岡崎、おまえもだ」


「はいはい…」







019


放課後になった。昼休みの間、渚に放課後に教室に行くと約束をしてある。


B組へ行こうと立ち上がったら、目の前に春原がいた。


「岡崎、行こうぜっ」


「行かない」


脇を通り過ぎる。


…春原がまた目の前に立ちはだかる。


「岡崎、行こうぜっ」


「行かない」


…脇を通り過ぎる。


「ちょっと待てって!」


裾をがっちりつかまれた。


「なんだよ、なんか用か?」


「これから、坂上と話しに行こうと思うんだよ」


「あぁ…」


春原の反応は、前回と同じだ。まあ、状況が同じだからな…。


「岡崎、おまえあの坂上って女が気にならない?」


「おまえ、そんな絡みたいのか?」


「面白そうじゃん。あいつを負かしてやって、僕らの恐ろしさを教えてやろうぜ」


こいつはどれだけ娯楽に飢えてるんだよ。


まあたしかに、面白そうな出来事ではあったが、正直今は渚のことのほうが大事だった。


「だから、あいつの教室に行って、さっきのこと問いただしてやろうよっ」


「またんな暇なことを…」


「この学校の連中はケンカなんて見慣れてないからころっと騙されてるんだよね。だからあのケンカだって遠いところでやってたんだよ。近くだとばれちゃうからね。それを暴くなんて楽しいだろ?」


「大した推理だが、俺はこれから用事があるから」


「そんな大事な用なの?」


「ああ」


「ふぅん、まあいいや。それなら、明日付き合えよな」


「わかったわかった」


「じゃあね」


春原は薄い鞄を脇に挟んで出て行った。


俺もゆっくりはしていられない。B組に向かった。





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