folks-lore特別編 合唱部




「岡崎先輩、岡崎先輩」


放課後。


部活に行こうと旧校舎に向かっている途中、呼び止められる。見てみると、物陰から原田が手招きしていた。


俺は足を止める。


「なんだよ。部活行かないのか?」


創立者祭も無事終えてテストも終わって一段落した時期ではあるが、歌劇部の部活動は一応やっている。今のところは秋に何かやるか、どんなことをやるかということを ぼんやり探りつつの雑談、という程度だが。


俺の言葉に、原田は「後で行きましょう」とだけ言う。どうやら、部室では話せないような類の話のようだ。


「…」


なんとなく、しょうもない予感がした。少しだけ原田から距離をとると、慌てた様子で寄ってきた。隠れているように見えたが、出てきていいのだろうか。


「お、岡崎先輩っ。可愛い後輩が物陰から呼んでいるのに、その反応はひどくないですかっ」


「可愛い後輩?」


あたりを見回してみる。


「私です、私っ!」


原田はツッコミを入れた。


どうでもいいが、可愛い後輩はそれを自称しないと思う。


「で、なに?」


「あ、もっと人がいない所の方がいいので、こっちに来てください」


そそくさと、校舎の端の方へと誘導される。


「わかったわかった」


付いていく。


「可愛い女の子もいますよっ」


「おまえは客引きか」


下らないことを言いながら、新校舎の隅の空き教室へ。放課後でそれなりに賑わう時間ではあるが、さすがにこの辺りには部活で使う教室もないのでしんとしている。


がらがらー、と引き戸を開けると、中には杉坂がいた。窓際に立ってぼうっと外を見ていたが、俺と原田の姿を見ると表情をほころばせる。見回してみるが、同じ合唱の仁科の姿はないようだった。


「おまえだけ? 仁科はいないのか?」


「はい、私たちだけですよ」


「ふぅん…」


そこまで深刻そうな様子ではない。ちょっとした相談というところだろうか。


「ね、可愛い女の子が待っていたでしょう?」


「…」


まだそのネタを引っ張るのか。


俺は杉坂の顔をじっと見る。


「まあ、可愛いと思うけど」


「…な、なんですか、いきなり。やめてください」


俺の言葉に顔をしかめる杉坂。


だが、耳は赤くなっていた。…実は喜んでいるのだろうか。


ともかく、話を進めることにする。


空き教室の中は備品は一切なく、座る場所はない。


三人並んで窓側に寄りかかる。ぼうっと視線を外へと巡らせると、グラウンドで運動部が準備運動をしているのが見えた。最近、一気に気温も上がってきたし、これからが夏の大会に向けて大変な時期だろう。


逆に歌劇部の方は、先日の創立者祭で一山越えて今は閑散期という感じだが。


「で、何の用?」


本題に入る。


部活もさしてやることもないが、あまり遅れたくはない。


杉坂と原田を目配せをして、杉坂の方が話し始める。


「りえちゃんのことです」


そうだろうな、あいつがこの場にいないから。


この状況で杉坂から仁科以外の話題が出るとは思えない。


「実は、もうすぐりえちゃんの誕生日なんです」


「そりゃ、おめでとさん」


「ありがとうございます」


「…」


なぜか、原田が礼を言っていた。


杉坂は原田に向かって(ちょっと黙っててくれない?)という視線をちらりと向けたあと、話を続ける。


「で、いつなの?」


「はい、ちょうど今日から一週間後です」


「ふうん…」


そうなのか。そういえば、先日こいつらと商店街を歩いた時に、そろそろ誕生日だというようなことを言っていたな。


「…」


「…」


「…」


話が終わった。


…なんだか、冷たい目で見られているような気がする。


「なんだよ」


「先輩、他に何かこう、ないんですか?」


腕を組んで目を細めながら言う杉坂。


「何かって、何?」


「先輩先輩、プレゼントですよ。女の子の誕生日といったら、プレゼントですよ」


「ああ…」


原田に横から囁かれ、どんな用件かわかる。プレゼントをきちんと用意しておけ、ということだろうか。


まあ、なにか用意するべきかもしれないな。


「ことみ先輩には誕生日祝ったんですから、りえちゃんはなしっていうわけにはいかないですよね」


「ああ、なるほどな…」


というか、この話の流れだと俺は部員全員分誕生日プレゼントを買わないといけないのだろうか。いけないのだろうな。


「ちなみに私の誕生日は来月ですから、よろしくお願いしますね。リアルマネーでいいですから」


にっこり笑う原田。


「じゃあ十円やるよ」


「イェイ! 十円ゲットぉ♪」


「喜んじゃった!?」


杉坂が横でツッコミを入れた。


…全然話が進まない。


「とりあえず、わかった。考えとくよ」


この辺りで切り上げる。用件はわかった。たしかに、部室で仁科がいる場では話しづらいことだ。


だが。


「いえ、先輩、話はこれからなんです」


話は終わった、と思って歩き出そうとしたところで杉坂が呼び止める。


「おまえらの漫談はもう充分楽しませてもらったから」


「楽しまなくていいです助けてください」


杉坂はげんなりした様子で言った。


「そろそろ、真面目な話に移ろうか、杉坂さん」


「原田さんには言われたくない」


「実はですね、先輩。私たちに案があるんです」


杉坂は無視されていた。


「ロクでもない話じゃなければ、いいけど」


「あ、私たちのこと信頼してませんね?」


原田は可愛らしく頬を膨らませた。


「もちろんしてないぞ」


「えええ! 正直者!?」


原田が驚いていた。


「先輩、実はですね」


杉坂が疲れた様子で話を引き継ぐ。


「合唱をプレゼントしようかと思っているんです。私たちにとっては、やっぱり、歌が大切なものなので」


「なるほどな…」


話は分かる。俺を呼んだということは、歌のプレゼントに参加してくれということか。


「でも、だったら部員全員とかの方がいいんじゃないのか?」


「もちろん、それができればいいなとも思うのですが…受験勉強とかで忙しそうですので、あまり拘束するわけにもいきません」


杉坂がそう補足する。


「俺はいいのかよ」


「先輩、暇そうですし」


「…」


たしかに、暇だった。釈然としないものはあるが。


実際、最近も毎日きちんと部活に出ている面々というと、俺と渚くらいのものだ。


杏や椋は受験勉強がある。ことみは最近、あの紳士の研究室に通っているようだ。春原は大きな目標も終えてぷらぷら遊びに行ってしまうことも多い。新入部員の風子は復学したが、病院の検査が入ることも多い。


秋の発表の本番前ならいざ知らず、今の時期は全員揃うのは難しい。


「実は、宮沢さんに協力してくれるように頼んでいるんです」


「…有紀寧に?」


「はい。宮沢さんのお友達のお店の店員さんがひとり急病で、どうしても代役立てないといけないという話をりえちゃんにしてもらっていて…」


「ま、嘘なんですけどね」


「それで、りえちゃんはオーケーしてくれているんです」


「なるほどな…」


仁科の方はそんな理由をつけて拘束しているのか。


あいつもあいつでバイトをしてみたいと言っていたから、けっこう喜んでいるかもしれないが。


「りえちゃん、いい子ですからね。急な話なのにバイトなんて」


「なので、ここしばらくはりえちゃんは放課後忙しいんです。その隙に、練習しましょう」


「はい。段取りは立ててあります。あとは岡崎先輩が首を縦に振ってくれれば話は全部進むので、いいってことでいいですよね?」


強い圧で言ってくる原田。


「なんか、断りたくなってきた」


「原田さん、黙ってて?」


「はい…」


辛辣な言葉に、原田は縮こまった。その態度が三十秒くらい持てばいいが。


「準備は全部できてるってわけか…」


「すみません、先に話を進めてしまいまして。そういうわけで、サプライズで歌をうたうって予定なんです。原田さんも、りえちゃんにはまだ言ってないよね?」


「今日、りえちゃんに『一週間後に部室に来てください、本物の合唱をお見せしますよ』って言っちゃったんですけど」


「なにしちゃってるのっ!」


「じょ、冗談だから、お腹のお肉つねらないで!」


わあわあと騒ぐ二人を余所に、俺は少し考えてみる。


歌のプレゼント。


たしかに、それはいいかもしれない。


あいつにとって、歌は大切なもののはずだから。


仁科は単なる後輩という以上に気にはなっている。


バスケが続けられなくなった俺のように、あいつはヴァイオリンを満足に演奏できなくなった。


どこか自分と似たような境遇。そんな状況から救い出してくれたものが、あいつの場合は合唱だ。


きっと、喜んでくれるだろう。


そう思うと、心は決まる。


「おい」


声をかけると、喧嘩していた二人がこちらを向く。


「別に、俺は歌うまくないぞ」


その言葉に、ふたりは嬉しそうな笑みを見せた。


「うまい下手は問題じゃありません」


「はい、心の問題です」


まっすぐに俺のほうを向いて、きらきらと期待を持ったまなざしで、俺の目を見る。


杉坂は口を開いた。


「先輩。りえちゃんのために、私たちと一緒に歌ってくれませんか?」


「…」


杉坂も原田も、こんなセリフの時ばかりは真剣な表情だった。


なんだか、ずるいな。


そう思い、苦笑する。


「わかったよ」


俺はそう答えた。


「仁科への歌の誕生日プレゼント、協力するよ」


そう答えると、ふたりの表情がぱっと明るくなった。


「ありがとうございますっ」


「よろしくお願いしますっ」


「こっちこそ、よろしく頼む」


…こうして。


期せずして、俺は、しばらくこのふたりと活動を共にすることになった。


back  top next
inserted by FC2 system