folks-lore特別編 合唱部
話を終えた俺たちは旧校舎へと移動する。
午後の授業が終わってから少し経っているので、既に旧校舎からは吹奏楽部をはじめ、文化部の部室が活動している声や練習曲が切れ切れに聞こえてくる。どこも、今度
は夏の大会にでも向けて練習を始めているのだろう。開店休業状態の歌劇部とは大違いだった。
三階へと登り部室に入ると、中にいるのは渚とことみだった。ひとつの机に向かい合って座っている。のんびりと雑談でもしていた、とでもいうような雰囲気。
鞄もないし、他の連中は今日は休みということだろう。人数が多い時なんかは脚本についての話し合いなどをしているが、さすがにふたりでは練習のしようもない。
「あ、こんにちはです」
「みんな。こんにちはなの」
俺たちの姿を見ると、ふたりはぺこりと頭を下げた。
「よう」
声だけかけておく。だが、今日はここで活動することはできない。これから、仁科にプレゼントで歌う曲のことで杉坂や原田と共に他のところへ行くという話になってい
る。
用事があってもう行くというと、ちょっと残念そうなものの、引き留められるというほどではない。
夏休みくらいから本格始動しないといけないな、とは思うがそれもまだ先だ。先日オッサン謹製の脚本をもらって部員で回し読みもしていて、これでいいのでは、という
結論に落ち着いている。そこに手を入れて形にしていく予定…という感じか。
スケジュールくらいは立てておくべき時期かもしれないが、少なくとも今すぐというわけでもない。
挨拶だけ済ませて踵を返そうとしたが、ふと思い立って渚とことみの方を見る。
「…ちなみに、何してんの?」
ふたりは、机に向かって書き物をしているようだった。
「はいっ」
俺の問いに、よくぞ聞いてくれました、とでもいうような様子で渚が笑う。
「新入部員募集のポスターを作っていましたっ。秋の学園祭に向けて、です」
「渚ちゃんの、力作なの。とってもかわいいの」
ぐっと親指を立てることみだった。
「ことみちゃん、ありがとうございます」
「へぇ」
「確かにそうですよね。私たちも秋にやる予定の劇の脚本を見せてもらいましたけど、元の劇は結構大人数でやってたみたいですし、部員も数がいれば違いますからね」
「それを言えば、合唱の方だってそうなんですけどね」
夏までは部員集めをしようかという話も出ていた。それを進めようということらしい。ビラを貼るというと生徒会の横槍が入りそうな気がするが、今の会長は智代だ。事
前に話を通しておけば問題はないだろう。
「で、どんな感じなんだ…?」
俺は近づいてひょいとその力作とやらを覗いてみる。
簡素な画用紙に、色とりどりのマジックで彩られた部員募集のポスター。もうほとんど完成に近いというような状態だった。
そして、そのデザインは…。
「…」
俺はそっと目を逸らす。
…部員募集中という文字を囲むイラストは、だんご大家族だった。
「…がんばれよ」
「ありがとうございますっ」
弾ける笑顔に見送られ、部室を後にした。
…新入部員は、来ないかもしれない。そう思いながら。
俺たちは黙りこくって、しばらく歩く。
「…あの、岡崎先輩。古河先輩のポスターにツッコミは入れなくてよかったんですか?」
少しして、横を歩く杉坂がそんなことを言う。
「おまえがしろよ、んなもん」
「…なんだか、できませんでした」
「…ああ、俺もだ」
ふたり、遠い目をした。
「ですけど、渚先輩の人間性を表していると思いますよっ」
「原田…おまえは無茶苦茶失礼な奴だな」
「え、え、フォローしたつもりだったんですが…」
まあ、渚が好きなもの、というのでは間違いはないが、少なくとも新入部員を募る体裁ではない。
というか、少なくとも歌劇部ではない。だんご部の勧誘チラシだ。おまえはだんご部の部長になりたいのか。
…などと渚に言ったら、きっとすごく嬉しそうな顔をするのだろうな。『とても素敵な部です。いったい、どんな活動をするのでしょう』と笑顔で言う渚の顔がありあり
と脳裏に浮かんだ。頭が痛くなってくる。
「まあ、いいや。で、これからどこに行くんだ?」
歌劇部の今後について、とりあえず今は考えないことにする。
「まずは何を歌うか決めましょう。とはいえ、案があるんです」
杉坂ははっきりした足取りだった。
万事準備はできているようだ。こいつも結構実務的な性格だから、安心して任せられる。
「実は事前にやりたい曲は考えていまして、もう音楽室からCDも借りているんです。『TORCH』という歌なんですけど」
トーチ?
「知らないな」
肩をすくめる。
合唱曲についての造詣は全然ない。曲名からイメージも湧かない。
「ていうか、それ、どういう意味なんだ?」
俺の英語の成績では、どんな意味の単語なのか予測もできない。
その疑問に、原田がにこっと笑って答える。
「あ、それ、小物とかを入れる入れ物のことですよ」
「それはポーチだ」
「なら、スポーツとかで指導する人で…」
「先輩、原田さんの言う事を聞いていたら、話が進みません」
「そうだな…。で、トーチって、どんな意味なの?」
もう一度、杉坂に尋ねる。
「…」
恥ずかしそうに顔をそらされた。
「おい」
お前も意味を知らないのかよ。
「こ、今度調べておきます」
「…」
杉坂も意外にアホの子なのだろうか。
「生活指導室にCDプレーヤーがありますので、そこに行ってまず曲を聞いてみましょう。聞いてみて先輩がいいなら、その曲でいきます」
気を取り直すように、話を戻す。
創立者祭の練習で合唱三人娘はCDプレーヤーを使っていたが、どうやらあれは生活指導室の備品のようだ。創立者祭が終わったから、元の場所に返したのだろう。
「私と杉坂さんは一度聞いていて、これでいいねって話してあったんです」
「へぇ…」
こいつらが太鼓判を押しているならば、さして否定する理由はない。
よっぽど変な曲か難易度が高いなどというわけでもないければ大丈夫だろう。そもそも俺に、合唱曲の難易度などは判別もつかないが。
旧校舎から、再び新校舎へ。
テストも終わった時期なので、放課後に部活で残る生徒も多い。ま、すぐに期末テストもあるから、今は中休みという感じなのだろう。
途中たくさんの生徒とすれ違うが、あまりじろじろ見られることもない。見られても、かつてのような嫌悪感・忌避感とでもいうようものはなくなったような気がした。
未だにそれが、少し慣れない。もちろん嫌というわけでもないが。
生活指導室に着く。今は無人のようだった。
「あ、よかった。誰もいませんね」
中を覗いた杉坂が、安心したように言った。
「よかったって…おまえ、誰かいたら、どうしたんだ?」
「それは…ここで待つしかないですね」
「…」
手回しの良さは、杏などに比べればまだ未熟のようだった。ま、俺だって人にそんなこと言えるほど要領がいいわけでもないから、多くは言わない。
「先輩、先輩」
「ん?」
「結果よければ、全てよし!」
原田は自信満々にどうでもいいことを言った。
「入るか」
「そうですね」
「あのー、ちょっとー、コメントくださいー」
とりあえず、原田のことはスルーしておく。
ぞろぞろと中に入る。
生活指導室。
最近はここに来ることもないが、以前は何度もお世話になったことがある部屋だった。主に、問題を起こして説教されるためだ。
正直、あまり居心地がいいという感じはしない。
「座って、待っていてください」
杉坂はそう言うと、片隅に置いてあるCDプレーヤーの元へ。
俺と原田は、向き合って備え付けのソファに腰を落とした。
「今日、結構暑いな」
俺はシャツの裾をはためかせて涼む。歩いてきただけで運動したというわけでもないが、うっすらと汗をかいた。日によってまちまちだが、今日はけっこう暑いほうだ。
もう夏の気配を感じる。
「そろそろ夏ですからね。学校にもエアコンとか欲しいですよね」
「ま、そうだな…。でも、うちにもエアコンないし、そんな気にしてないけどな」
暑いは暑いが、もう慣れた。
実家にもないし、渚と暮らしたアパートにだってエアコンはなかった。普段の生活でエアコンを使わないのに慣れているので、そこまで苦痛ということはない。
「あ、そうなんですか。岡崎家はエアコン使わない主義なんですね」
「ていうか、ないけどな」
「え?」
「うち、貧乏だから」
「…先輩、ドンマイ!」
「…」
慰められて、腹が立った。
などと楽しい会話を交わしていると、プレーヤーの操作を終えた杉坂が原田の横に腰掛ける。
「始まりますよ。静かにしてくださいね」
馬鹿話を聞いていたのだろう、呆れたような言い方だった。
その言葉とほぼ同時、前奏が始まる。
そして、歌声。
…見つめていた 流れる雲を…
…感じていた 変わる空の色を…
その曲に、耳をすませた。
導入の雰囲気からして、いい曲だった。これを歌う曲にするのには全く異論はない。
「楽譜とか歌詞カードはないのか?」
きちんと歌詞を見てみたい気分になる。
「あ、楽譜なら用意してありますよ。どうぞ」
すぐさま、藁半紙に印刷された楽譜を渡される。準備がいい。
「ありがと」
「いえ」
俺は楽譜に視線を落として、そのまま、その曲に耳を澄ました。
…。
やがて、歌が終わる。
長い曲というわけでもない。曲自体も気に入った。
「いいと思うぞ」
こちらの様子をうかがっていた二人に返事をすると、その表情は安心したものに変わる。
「そうですか…」
「よかったです。いい曲ですもんね」
「ああ、気に入ったよ」
歌の難易度などはわからない。だけど、この歌ならばやってみたいし、仁科も喜んでくれるような気がした。
「それじゃ、早速始めましょうか」
気合が入った様子の杉坂。仁科はこいつにとって親友だし、今回の合唱のプレゼントの発起人でもあるのだ。やる気があって当然か。
「練習って、ここでやるのか?」
ここだと、特に防音設備もあるわけでもないし外は職員室も近い。本腰入れて練習する場所ではないだろう。
「いえ、さすがにここだとうるさいって先生方に怒られそうです」
「まあな」
「杉坂さん、どこか練習場所考えてるの?」
「えっと…」
杉坂の目が泳いだ。
…特に考えていないらしい。
「別に、お前らが練習してたあの空き教室でいいだろ」
歌劇部の部室の隣だ。あそこは迷惑になる隣人がいるわけでもないので、思う存分歌って騒げる。どこかからクレームが入るなんてことはないだろう。
「もっとバレなさそうなところがいいです」
「ま、いいけど…」
こっそりと準備を進めたいようだ。周到だな。
少し考えてみる。
誰かの家、などというのは騒がしいので論外。カラオケボックスなど金がかかるところも無理があるし、公園などというのもさすがに難しいだろう。
となればやはり校内か。
「屋上とか?」
あそこなら放課後、ほとんど訪れる生徒はない。歌声も、他の部活の練習音に紛れるだろう。
「あそこは今の季節だと、暑いですよ。暑いの苦手なんです、ダメなんです、耐えられないんです」
原田がそう反論する。
ま、そうだろうな。屋根になるものはないし、女子ならば日焼けとかも気になるのだろう。
「それに、あそこは施錠されるの早いので無理ですよ。たしかに人目はなくていいんですけど」
杉坂もそう言葉を添えた。
「ああ、そういう問題もあるのか」
なんにせよ、屋上案は無理ということか。
「旧校舎なら、適当な空き教室があるんじゃないのか?」
「うーん、吹奏楽部が結構使っているんですよね。空いてればいいかもしれないですけど」
「そういや、そうだな」
「歩いてみましょうか。使っていない、ちょうどいい教室があるかもしれません」
「そうだな」
いい案もないので、杉坂の提案に従うことにする。
連れ立って生活指導室を出る。
「改めて見てみると、新校舎も結構空き教室あるんですね」
放課後の校内をしばらくぶらついたあと、杉坂は意外そうな様子で言った。
「いずれ旧校舎も取り壊すだろうからな。その時になったら、特別教室とか部室で使うんだろ」
…そう遠くない未来、そうなることを俺は知っている。
だがそんな心中などはふたりとも気付くはずもなく、杉坂は「それもそうですね」などと頷くばかりだ。
「これで鍵がかかってなければ、中入れるんですけど」
「無用心すぎるだろ」
原田の言う通り、新校舎の空き教室はどこもちゃんと鍵がかかっていたので中には入れなかった。生徒の溜まり場にされないように、ということなのだろう。
「旧校舎の空き教室には入れたのになぁ」
「あっちは、そもそも鍵が付いてないだろ」
「空いている教室があっても、旧校舎の方は管理している先生に話を通しておかないとあとで問題になります。実際、部室の横の空き教室も、幸村先生の許可を取って
使っていたものですし」
そのあたりは、きちんと了解をもらっていたらしい。マメな奴だ。
「新校舎なら、頼めば空き教室も使えるかな?」
「うーん、そうね…」
「でも、こんなところで練習なんてしたくないぞ」
俺は周囲を見渡す。
新校舎の空き教室は、通常の教室と同じ並びにある。教室に距離も近いし、放課後で生徒の数が少ないとはいえ合唱の練習はできないだろう。自習している生徒からうる
さいと言われておしまいだ。それに俺自身、あまり不特定多数に練習している歌声を聞かれるというのは恥ずかしい。
「ですね。私もここじゃ恥ずかしいです。トゥーシャイシャイガールですので」
「トゥーシャイシャイガール…」
杉坂が一瞬原田の方を見て困った顔をしたが、スルーすることにしたようだ。気を取り直して視線を外に向ける。
「中庭で練習するというのも何か言われそうですし、やっぱり旧校舎のどこか練習できるところを探すというところですね」
「資料室とか?」
あそこなら、部室からも遠いし人通りもない。練習するにはうってつけだろう。有紀寧も事情を知っている人間なので、その点から見ても問題ない。
「ああ、それはたしかにいいかもしれないですね」
「でも、管理する先生がいるっていうなら、もし私たちが練習していて勝手に使ってるのがバレるとよくないんじゃないの?」
…そう言われてみると、そうかもしれない。
改めて考えてみると、有紀寧は管理が行き届いていないのをいいことに勝手に資料室を占拠しているだけだからな…。
談笑している分にはそこまで問題はないかもしれないが、合唱の練習で使うとなると目立つし横槍が入る可能性もある。
あれこれと練習場所の相談をしながら歩いていると、杉坂が不意に足を止めた。
「あ…」
小さく口の中で呟いて、廊下の先を見る。
彼女の視線を追うと、その先には一人の女子生徒がいた。髪を横に結んだ、少し気の強そうな顔立ちをした少女。見覚えはない。胸元のワッペンは二年生だった。
「…」
その少女も、俺たちの存在には気付いているようだった。順々に俺達の顔を見て、困ったように眉をひそめ、固く唇を結んだ。
つい、と顔を背けると手近にあった階段を下りていってしまう。手にはジュースの紙パックがあった。買って教室に戻ってきたところだというのに今来た道を戻っていっ
た。
…どうやら、避けられているようだった。だが、それは、誰をだろうか?
視線をめぐらす。杉坂はばつの悪そうな表情で顔を背けていた。
「…今の奴、知り合いか?」
「クラスメートです」
俺の問いに答えたのは原田だった。
「藤森さんっていいます」
「ふぅん」
「ちなみに、あだ名は大統領です」
「…そんな情報、いらないんだが」
藤森大統領…。
「よっ、大統領! とかって言ってあげると、すごく嫌そうな顔をして楽しいですよ」
「クラスメートで遊ぶな…」
原田と軽口を交わすが、杉坂は会話に混じる様子もなくこわばった表情のままだった。
原田はそれを見て苦笑する。
「あ、そうだ。ねぇ杉坂さん、練習場所なんだけど、音楽の先生に頼んでみるっているのはどう? ほら、音楽室の端とか使わせてもらえるかもしれないし、余裕があれ
ば指導もお願いできるかも」
気を取り直してそう言って、話題を変えた。
「あ、うん。そうね。一回、聞いてみてもいいかもしれないわね」
杉坂は、こくこくと頷いた。言うなり、さっさと歩き始める。
俺と原田は顔を見合わせる。どういうことだと目で聞くと、原田は困ったように微笑んで唇に指をあてた。秘密ということなのか、今は黙っていろということなのか。
杉坂の後に続いて歩いていく原田の後ろ姿をしばらくぼおっと眺めてから、俺もその後を追った。