folks‐lore



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一面、白い世界…


………


雪…


そう、雪だ。


今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。


ああ…


僕はこんなところで何をしているのだろう…。


いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。


………。


雪に埋もれた…僕の手。


それが、何かを掴んでいた。


引き上げる。


真っ白な手。


女の子の手だった。


ああ、そうだった…。


僕はひとりきりじゃなかった。


彼女の顔を覆う雪を払う。


穏やかに眠る横顔が、現れた。


そう…


この子とふたりで…ずっと居たのだ。


この世界で。


この、誰もいない、もの悲しい世界で。


そして、ふたりきりで…


ここまで歩いてきたのだ。


この世界から、抜け出すため。


あの日から。


ずっと、歩いて…


彼女は不自由な体にむち打って…


歩いて、歩いて…


もう、戻れない場所まできて…


雪に足が埋まっても…


僕の体が埋まっても…


ふたりで助け合って…


先を目指して…


歩いてきた。


そして、僕らは…


ここで力つきた。


彼女は、もう一歩も動けなかった。


彼女の体を支えてきた僕の体も、もうボロボロだった。


体の半分を雪に埋めていた。


僕の小さな体では、彼女を担ぐこともできなかった。


彼女の頬に手を当てる。


温かいと思えたのは、そう記憶しているからなのか。


僕の手と同じ…冷えきっているはずだった。


こんなことになるなら、連れてこなければよかった…。


僕はただ、彼女を苦しめただけだ…。


もう、どこにも行けないのだろうか、僕らは…。


ここで、ずっと眠り続けるのだろうか、僕らは。


終わり続ける世界で。


僕は、空を見上げる。


黒い雲から、降りしきる雪。


冷たく、世界を染め上げる雪…。


僕は…


別の世界でも、こんな景色を見たことがある…。


空を舞うものを、こうやって見上げていたことがある…。


それは、とても大切な思い出だった。


温かい世界…。


温かい思い出…。


そうだ…。


僕は思い出す。


こんなに冷たい場所にいるからこそ。


こうやって、空を舞うもの…。


それは、花びらだった。


僕が求めていた、温かい場所。


その世界では、こんな冷たい雪ではなくて、きれいな花びらが舞っていた。


…きみは…


倒れ伏して、雪に埋もれた彼女がかすかに目を開けた。


…きみは…元の世界のことを思い出したの…?


いや。


僕は首をふる。


僕が思い出したのは、いつだったか、花びらが舞っているのを見たことがあるというだけだ…


それだけ…。


僕は彼女の手を掴む。


冷たい手…。


きみは、僕の声が聞こえるの?


…うん。


…きみの声、やっと聞けたね。


どうして?


…この世界が終わってしまいそうだから…。


…たくさんの世界が、全部、ここに集まってきているから。


…だから、色々なことがわかるの。


そうなんだ…。


でも、これでお話ができる。


たくさんできるね。


…うん。


…でもね、もう時間がないの。


…話を聞いてほしいの。


…聞いてくれる?


もちろん…。


…わたしも…昔は遠い世界にいた…。


…きみが居た世界と同じ世界に。


本当?


…うん…


じゃあ、やっぱりこの世界にいるべきじゃなかったんだ…。


帰ろう。


…うん…


…ありがとう。


どうして、お礼を言うの?


…本当は、わたしはこの世界に残らないといけなかったから。


…きみとお別れをしなければいけなかったから。


…でも、きみが願ってくれたから、わたしはわたしでいられるの。


…この世界の意志となっても。


この世界の意志?


…うん…


…ねえ、手を開いてみて。


うん…。


僕は彼女を掴んでいた手を離す。


両手を広げると、そこからふわりと、いくつもの光が浮かび上がった。


これは…。


光だ。


…そうだよ。


…きみが別の世界で集めた光。


…この世界の終わりを、変えるための光。


世界の終わりを変える…?


僕の手のひらの中にあったいくつもの光は、まわりをくるくると飛んで回っていた。


まるで、その光には意志があるみたいだった。


…別の世界での願いのおかげで、わたしたちはまだ先に進めるよ。


…ほら。


いつしか、まわりの雪景色は一変していた。


僕は、空を見上げる。


空から、たくさんの光が降ってきていた。


僕たちのまわりには、敷きつめられた光が輝いていた。雪が、光に変わった。


もう…冬の冷たさはそこにはなかった。


春の風が吹いた。


彼女はゆっくりと体を起こす。


…わたしたちは、これで、別の世界に行けるよ。


…だけど…


…そこで、わたしたちは離れ離れになってしまう。


そんなの嫌だ…。


せっかく、僕たちは新しいところに行けるのに。


…それなら。


…わたしを、見つけて。


…きみはこれから、新しい世界で目を覚ますの…。


…ここでのことは、覚えていられないけど…。


…だけど、きみがこの世界の終わりを幸せなものにしたいと思ってくれるなら…。


…わたしは、きっとまたきみと会えるよ。


うん…。


わかった。


僕は、きみを見つけるよ。


…よかった…


…それじゃあ、行こうか。


うん…。


僕たちは、手を取り合ってまた歩き出した。


光の中を。


暖かい、風の中を。


そうして…


不意に、壁を抜けた。


僕たちは、海辺に立っていた。


ここはどこ…?


…ここは、わたしたちの世界だよ。


…新しい世界なの。


さっきの世界は、どうなってしまったの?


…あの世界は、もうなくなってしまった…


…ううん。


…この世界と、ひとつになったの。


そうなんだ…。


…行こうよ。


…もう、あまり時間はないけれど…


…一緒に歩こう。


うん。


僕たちは、歩き始める。


名も知らない海辺の、波打ち際を。


そして…


歩いていると、展望台にたどり着いた。


僕たちは、並んでそこから見える景色を眺めた。


こんなに美しい景色があるなんて、僕は知らなかった。


ここが、僕たちが求めていた世界だ。


…うん、そうだね。


…とっても、きれいだね。


うん。


すごく、きれいだ。


赤い太陽が海を照らしていた。


海が、彩りを変えながらきらきらと光っていた。


海が、歌っているみたいだ。


その輝き。


それを見ているうちに、だんだんと僕の意識がぼやけてくる。


あれ…?


…きみは、また、この世界に生まれ直すんだよ。


君とはもう、お別れなの?


…そんなことはないよ。


…最後まで、一緒にいてあげる。


…そして、わたしを見つけてね。


少女はそう言うと、小さく体を揺すらせて、口を小さく動かした。


唄を歌った。


僕を世界につなぎとめた唄。


それは、家族の唄だった。


…だんごっ…だんごっ…


僕も歌った。


ふたりで歌った。


歌い続けた。


彼女が笑う。


僕も笑う。


…そうしているうちにも、僕の意識はだんだんと薄れていった。


気が付くと、傍らには二つの影があった。


僕はおぼろげになった意識で彼らの姿を見上げた。


男の人と、女の人だ。


二人は手を取り合って、海を見つめていた。


僕と彼女と同じように。


ふと、僕の体が引っ張られる。


その二人の方に。


いや…そうじゃない。


女の人の方に、僕の体が引っ張られる。


彼女が僕の手を引いているわけではないのに。


その人は、僕のことに気付いてもいないのに。


それは、圧倒的な力だった。


抗うことはできなかった。


それを拒絶しようとする僕の体を、少女が腕を回してそっと抱きしめた。


そうだ…。


僕は、ひとりではないのだ…。


彼女がいる。


だから、きっと大丈夫だ。


僕の体が、浮き上がる。


機械の体が、目には見えない別のものになった。


温かくて、柔らかくて、ふわふわしたものだ。


別の何かに変わった僕は、女の人のお腹に飛び込む。


その直前、僕は夕日に照らされる男の人の顔をはっきりと見た。


僕は。


その人を知っている、と思った。




…父さん!




僕がそう叫んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。


そして…。


それからのことは、よく覚えていない。


僕の目の前に、色々な人が現れて、去っていった。


僕の目の前を、通り過ぎていった。


笑顔を向けてくれた人もいた。


一人、二人、三人…。


顔を背けていく人もいた。


ひとり、ふたり、さんにん…。


僕はずっと、彼女と共にいた。


一瞬、だけどそれは永遠に似ていた。


いつまでも、こうして彼女と手をつないでいられたらいいのに。


そう思っていた。


そう願っていた。


だけど…終わりの時がやってきた。


僕のたましいに、雪が降った。


いつの間にか、彼女の手を離してしまっていた。


僕は彼女を求めようとする。


まだ傍らに、彼女の存在を感じる。


だけど、手を伸ばしても、何も掴むことはできなかった。


僕の体が、消えていくような気がする。


ゆっくり、全てがかすんでいく。


…わたしは、もう行かなくちゃ。


どこからか、声がする。


彼女の声だ。


彼女は、もう、行ってしまうのだ。


僕は悲しくなる。


だけど、その悲しみを抑えて、僕はその言葉に答えた。


絶対に、僕はきみを見つけるよ。


約束だ。


そう答える。


…ありがとう。


…約束。


…約束だから…


…わたしを見つけてね…




…パパっ!




僕は思わず、手を伸ばした。


ぎぎぎ。


消えたはずの機械の体が、最後のきしみをあげた。


意識は、暗転。


世界は、変わった。


僕はこの世界での意識を閉じる…。


そして、目が覚めたら…。


僕は彼女を見つけよう。


全部忘れてしまっても…


それでも、僕は…。




……




意識がどこかへ飛んでいく。


様々な風景が見えた。だけどそれらは一瞬一瞬に過ぎ去り、よくは見えなかった。


長い距離を、長い時間を、跳躍した。



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