folks-lore特別編 合唱部





音楽室で吹奏楽部の指導をしていた音楽教師に練習場所の相談をすると、あっさりと音楽準備室を使っていいと許可が出た。


「音楽準備室?」


「大きな楽器とかをしまっているところよ。ほら、あそこの小部屋」


俺の問いに、音楽教師は音楽室の片隅にある扉を示す。


「物置みたいなところだからちゃんとはしていないけれど、大人数でなければ十分でしょう」


案内されて、音楽準備室に入る。


そこは教室の半分程度の広さの縦長の教室だ。覆いをかけられた太鼓や木琴、鉄琴などをかき分けて奥の方に残されているわずかなスペースを練習場所にすることにす る。幸いCDプレーヤーも備品としてあるようで、すぐにでも練習を始めることができそうだった。


「どう?」


「はい、広さもこれだけあれば問題ないです」


「先生、ありがとうございます」


「どういたしまして。それじゃ、がんばってね」


三人、出て行く音楽教師を見送る。


「なんか、あっさり決まったな」


「ラッキーですね」


「これも、私の日頃の行いがいいからだね」


「原田さん、ロクなことしてないでしょ」


「ええー…」


苦労するかと思っていた練習場所の確保があっという間に住んでしまって、拍子抜けしたように軽口も出る。


とはいえ、これから練習を始めなければならないのだ。こんなところからつまずいていられない。


「で、合唱の練習って、どうやってやるんだ?」


中学生の頃に合唱コンクールがあったものの、さすがにそんな昔のことはろくに覚えていない。そもそも真面目に練習もしていなかった。


杉坂と原田は顔を見合わせて、何から始めるかを相談し始める。


よくよく考えてみると、こいつらは合唱の経験者だが、俺は素人だ。最初から高望みされても困る。


「私たちがやった練習方法になりますけれど、まずは姿勢を整えて発声練習ですね」


「めんどくさ…」


予想していたことではあるが、やはり最初は地道な基礎練習らしい。


たしかに思い返してみると、演劇の練習をしている時に隣の教室から聞こえてくる歌声は、一曲通して歌うというよりはとぎれとぎれのものだった。


「先輩、りえちゃんの喜ぶ顔を思い浮かべてください。そうすれば、きっとがんばれますよ」


「はいはい…」


俺は気のない返事をしておいた。


「杉坂さん、でもそんな真面目にやることもないんじゃないかな。りえちゃんの喜んでもらうためなんだし、こっちも楽しむくらいでちょうどいいよ。…それで、岡崎先 輩にも合唱の面白さを知ってもらって、秋の文化祭では合唱サイドにゲット!」


「おまえら、そんなこと考えてたのか…?」


「いえ、原田さんが勝手に言っているだけです。そんなこと考えていませんよ? 本当に」


杉坂は涼しげにそう言ってから、気まずそうに顔をそらした。


「さあ、練習です」


そのまま言葉を続けて、話もそらした。






練習を終える。


音楽を履修しているわけでもないし、元々カラオケに行く習慣もあまりなかった。人前で歌声を披露するなど、なんだか気恥ずかしい感じもしたが、杉坂も原田もそれを 茶化すこともなかった。合唱に対する姿勢が真摯なのだろう。


基礎練習はぱっぱと済ませてくれたのは、さっきの原田の言葉があったからだろう。巧拙よりは、こちらも楽しもう、ということだ。とはいえそれでクオリティーを犠牲 にするというわけでもない。何度か通して歌ったり、どの場面で盛り上げるかなどを話し合ったり。


こいつらと一緒に練習する、というのがなんだか新鮮だった。練習している姿を見たことはあったが、一緒に活動してみると見えてくるものもある。合唱に興味はなかっ たが、なんとなく少し好きになれそうな気がした。


まだ隣室で練習を続けている吹奏楽部の演奏を聞きながらさっと教室を片付けて、音楽教師に鍵を返す。


渚とことみは残っているかと階段を上ってチラッと歌劇部室を覗いてみると、既に誰もいなかった。忙しく練習をするような時期ではないから、ふたりはきりのいいとこ ろで部活を終えて帰ったのだろう。


「私たちも、帰りましょうか」


「だな」


三人並んで、学校を出る。


坂道に延びる影は長い。そろそろ夕方近い時間だ。周囲には、暗くなる前に帰ろうとする生徒の姿もちらほらある。


「喉とか、調子はどうですか?」


「ああ、別に大丈夫だ」


しばらく歌っていたから多少疲労が溜まっている感じはするが、気になるほどではない。


俺の返事に、杉坂は小さく頷く。


「よかったです。本番の日にガラガラ声っていうわけにはいかないですからね」


「やばくなりそうだったら、休むことにするよ」


たしかに、練習をやりすぎて本番をふいにするのはもったいない。


仁科の性格を考えれば出来不出来など気にしないだろうが、やはりやるからにはきちんと歌い切りたい。


「飴舐めます?」


原田がのど飴をくれる。


「ああ、悪い」


甲斐甲斐しくて、気味が悪い。


「…あの、先輩? そんな不審げに飴見なくても、ヘンなものは入っていませんよ?」


どうやら、思っていることが顔に出ていたようだった。


「ああ、悪い」


「この信頼感のなさが辛いですね。絶望絶望、アンド絶望ですっ」


滅茶苦茶面倒くさい奴だった。


俺は苦笑する。


「はいはい」


泣き真似をする原田を、杉坂がそっけなくスルーした。


…騒がしい奴らだった。


だが、たまには、こんなのもいいかもしれないな。


普段こんな三人組でつるむことなどあまりない。なんだか、新鮮な気がした。







翌日。


放課後、用があるからと渚に声をかけて、音楽準備室に足を向ける。


その途中、行き交う生徒たちの中に見知った顔を見つけた。


二年生の女子だ。彼女は友達だろうか、女子生徒と笑って喋っている。話に夢中のようで、俺に気付いた様子もなくすれ違った。


顔は知っているような気がするのだが、誰だったか思い出せない。だが、しばらく考えて、やっと思い当たる。


彼女は、昨日の放課後に俺や杉坂に対して奇妙な視線を向けてきた少女だった。合唱の連中の、クラスメート。名前をたしか、藤森といったか。


あの時の印象が強くて、ああして笑い合う顔を見てもすぐにはピンとこなかった。


…彼女と杉坂には、なんとなく因縁でもありそうな感じがしていた。さらには、それが、俺に関係しているような気も。


とはいえ、全然見当がつかない。見ず知らずの人間に恨まれるようなことは、少なくとも最近はしていないと思うのだが。


原田も、微妙なリアクションをしていたし、事情は知っているのかもしれない。機会を見て、聞いてみることにしよう。


ぱたぱたぱたっ。


考え事をしながら歩いていると、後ろから足音。


「岡崎さんっ」


ひょいっと風子が横に並んで、俺を見上げた。


「おまえ、走るなよ。公子さんに怒られるぞ」


「全然平気です」


怒られるのが平気なのだろうか。走るのが平気なのだろうか。ともかく、自信満々な表情の風子だった。


「岡崎さん、今日は部活ですか?」


「いや、部活にはいかない。でも、学校に残る用事があって」


「何の用事ですか?」


「野暮用」


質問をふらりとかわすと、風子は不満そうに頬を膨らませた。


「どんな用事なんですか」


そんなに気になるのだろうか。


「なんでもいいだろ、んなもん」


突き放すと、ショックを受けたような表情になる。


「…風子と岡崎さんの間には、秘密なんてないと思っていました。風子、傷付きましたっ」


しゃくりあげるような仕草をする。


だが…。


「全然、涙目になってないから」


「はい。今度から、目薬を用意します」


「…」


どうでもいい。


わざとらしさ満々だから冗談なんだろうが、そういう言われ方をされると心臓に悪い。正直、こいつに対して秘密を抱えるというのは妙な罪悪感があるのだ。


相手に悪びれる様子すらなくて、ため息すら出ない。


「悪気があって秘密にしてるわけじゃない。キリがついたら、話すから。おまえは今日は病院だっただろ。さっさと帰れ」


「はい、そうします。それではっ」


「…」


「…」


そう言う風子に、去っていく素振りはない。


「あの、昇降口まで一緒に行きましょう」


「はいはい…」


世話の焼ける奴だった。







風子と別れて、旧校舎の音楽室へ。


杉坂と原田と合流して、昨日同様合唱の練習を始める。


俺は練習をしながらも、先ほど藤森という女生徒を見かけて昨日聞きそびれた疑問が気にかかっていた。


杉坂に聞けるような雰囲気ではなかったから、尋ねるならば原田だろう。とはいえ、俺と原田がふたりになる機会というのはあまりない。


そんなことを考えていたが、その機会は思いの外早くやってきた。


三人でしばらく合唱の練習を続けた後、飲み物でも買いに行こうという話になった。


自販機があるのは学食のあたりだから、旧校舎からだと決してすぐ近くというわけではない。じゃんけんで買い出し役を決めようということになる。


「…はいはいわかりました。行ってきます」


一発で負けた杉坂が軽く悪態をつきながら音楽準備室を出ていった後、俺と原田だけが残された。杉坂の神がかったじゃんけんの弱さに感謝。


「なあ、原田」


とはいえ、ジュースを買いに行って戻るなど、大して時間のかかることでもない。手短に聞くことにする。


「なんですか? 愛の告白ですか?」


「それだけはさすがにない」


「えええ! さすがにその言いぐさは酷すぎませんか、先輩っ」


騒ぐ原田を余所に、俺は言葉を続ける。


「藤森って、どんな奴だ?」


「え? 藤森さんですか?」


「ああ。昨日見た時、気になって」


「どうって、いい子ですよ。明るくて、可愛いですし。同じグループです」


「杉坂とは喧嘩でもしてるのか?」


「喧嘩っていいますか…」


言いよどむ。やはり、事情があるようだった。


「俺も、なんか恨まれてたみたいだけど」


「別に恨んではないと思いますけど。つい睨んじゃったんじゃないですかね」


「…」


つい睨んじゃった…


原田は少し話すか逡巡した様子だったが、すぐに心は決めたのか、言葉を続ける。


「ほら、ちょっと前に、合唱部と演劇部で喧嘩してるって噂があった時、あったじゃないですか」


「ああ、あったな」


もう一ヶ月以上も昔の話だ。


顧問の取り合いで対立している、という噂があった。いや、事実、一時的にはたしかに対立関係にあったと言ってもいいかもしれない。だがそれから歌劇部として一緒に やっていくようになった。しかししばらくはその噂は尾を引いた。


「その時に、藤森さんが杉坂さんとりえちゃんのことを庇う感じで、演劇部のことを悪く言ったことがあったんです。そしたら、杉坂さんがそれに怒っちゃって、それ で、ちょっとぎくしゃくするようになっちゃったんですよね」


そういえば、以前にそんな話を聞いたような気がするな。


あの藤森という女生徒と、その時に言い合いになったのか。


藤森は厚意で演劇部を悪く言ったのだ。だがそれを、庇ったつもりの当の本人から非難される。頭にくるのは当然だろう。


「つーか、仲直りとかしてないのか?」


「うーん、グループ違うですし、なんとなくお互い謝らないまま終わっちゃった感じですね。ふたりとも、結構意地っ張りなので」


「ガキかよ…」


「受験生にもなって悪ぶっている先輩が言うと、重みがありますねっ」


「怒っていいか?」


拳を握る。


「…先輩のその悪さが最高!」


「…」


力が抜ける。


…しかし。


俺はかけている椅子の背に体重を預けて、ぼおっと天井を見上げた。


演劇部と合唱部。その二つの対立構造が出来上がった原因は、校内で評判が悪かった俺が原因だ。


だから、杉坂と藤森が対立してしまっているというならば、その責任の一端は俺が担っているということでもあるだろう。


無暗に顔を突っ込むのは憚られるが、少しは力になれることがあるだろうか。


…そんなことを考えていると、原田がにこにこと笑いながら俺の顔を見ているのに気付く。


「なんだよ?」


「先輩、今、なんとかしてふたりを仲直りさせてあげたいなって考えてましたか?」


「別に、考えてない」


…どうやら、こいつはエスパーのようだ。


俺は顔を背けてそう言うが、原田はそんな返事を気にした風もない。


「岡崎先輩って、意外に優しいですよね」


「…」


肩をすくめてみせる。


自分の不評が原因で問題が起こってしまい、その解決を考えるなどというのは優しさというほどのものではないだろう。


「でも、先輩。たしかに杉坂さんと藤森さんは喧嘩してますけど、悪いことばかりじゃないですよ」


原田が胸に手を当てて、俺を見る。


「杉坂さんが演劇部のことを庇って藤森さんに怒ったから、だから私は合唱部に興味を持ったんです。ふたりの喧嘩を肯定するわけじゃないですけど、そのおかげで私は こうやって入部したんです。…そう! 大型新人のこの私が!」


自画自賛だった!


「おまえ、馬鹿だよな」


「あの、そんな、しみじみ言わないでくれますか? 私、結構ナイーブですよ?」


おずおずと座り直した原田が、恥ずかしそうに言った。






杉坂がジュースを買って戻ってくる。


女子の後輩をパシらせているとなると罪悪感でも覚えそうなものだが、杉坂だとそういう感じにもならないな。


…ともかく、休憩タイムになる。


「岡崎先輩、結構声量ありますよね。秋の文化祭、本当に一緒に合唱やりませんか?」


紙パックの紅茶を飲みながら、杉坂からそんな誘いを受ける。


「うん。男子のパートがあると、やっぱりやりやすいよね」


「ええ。幅は広がるわね」


「合唱ね…」


俺はジュースを飲みながら考えてみる。


まったく興味がないわけではない。こうやって練習をしているのは楽しくはあるが…。


「ま、演劇の方が忙しくなるだろうし、無理だろ」


自分が両方こなせるほど器用だとは思わない。だったら、演劇を優先したい気持ちが強かった。それに、舞台に上がって注目を浴びるなど、正直気が乗らない。


「そうですか…」


「まだ好感度が足りないみたいだね」


肩を落とす後輩二人。そんな姿を見るとついやると言いそうになるが、安請け合いして迷惑をかけるわけにもいかないだろう。


というか、好感度って何なんだ。


「おまえらこそ、他に部員は探さないのか? ずっと三人ってわけにもいかないだろ」


「たしかに、十人くらいはほしいですね。あとは、経験者とか」


杉坂はうんうん唸る。


「…他の部員なんてほしい? この超大型新人の私がいるのにっ」


「それじゃ、テノールとか出してみて」


「ごめんなさい無理です」


漫談が始まった。


「男手が必要なら、それこそ、クラスメートとかで暇そうな奴いないの?」


「二年で部活に入っていない人って、大体勉強第一で部活する気ない人ばかりですよ。そういう意味では、やっぱり春とかじゃないと新入部員はなかなか…」


俺の問いに、杉坂は憂鬱そうな顔をする。


春先、杉坂は仁科とふたりで合唱部の部員を探し回っていた。だが、見つからなかった。


その時の記憶は、未だに苦いものなのだろう。


「…新入部員かぁ」


原田は考え込むような様子で、外を見やった。雨は降っていないが、じめじめとした梅雨空。


さすがに、部活探しをする生徒がいるような時期ではない。


「演劇の方は、知り合いの伝手みたいな感じで部員になってもらったのが多いぞ。杏とか椋とか、ことみとか。あと、春原もな」


「私の友達、結構もう部活は入ってるんですよね。ああ、まあ、その時期だけ助っ人を頼むのもアリかもしれないですけど…」


そもそも、色よい返事がもらえるような状況ならば、春先の時点で部員になってくれているか。


創立者祭での発表を見て興味を持ってくれた生徒がいればいいのだが、今までのところ入部希望者は現れていない。待っているだけではなかなか部員も集まらないだろ う。


「このまま先輩たちが卒業しちゃったら、ずいぶん寂しくなっちゃいますからね。安心して卒業してもらえるようにしないと」


「杉坂、おまえ、別に無理する必要はないからな」


「そうですけど…」


「そうそう、大丈夫だよ。ていうか、岡崎先輩留年してくださいよ。そうすれば一緒にずっと活動できますよっ」


「笑顔で怖い提案をするな…」


そんな期待をされても困る。


「ですね」


原田は苦笑してジュースを飲みながら…不意に、何か思いついたような表情で顔を上げた。


「…そうだっ」


顔を杉坂の方に向ける。


「ねえ杉坂さん、藤森さんを部員に誘うのはどうかな?」


「えっ?」


その提案に、杉坂は戸惑った表情になった。


藤森。些細なことで喧嘩して、ずるずると仲直りもしていない彼女らのクラスメート。


「あの子、部活やってないし。今のところ塾通っているわけでもないから、放課後もそんな忙しいっていうこともないと思うよ」


「それ、本気で言ってるの?」


戸惑うように、ちらりと俺を見る。杉坂自身は、仲違いしていることを俺に知られたくはないのだろう。原田を諌めるような調子の声色だった。


だが、原田はそれを気にした様子もない。自信満々だ。


「本気も本気。いい案だと思うんだけどな。ね、先輩」


目配せしてくる。


「ああ、俺もそう思うぞ。部員が増えるなら、いいことだろ」


ひとまず、それに乗っておくことにした。部員に誘うのをきっかけにして仲直りをしてくれればいいという程度なのか、本当に部員として期待しているのかはわからな い。


だが、状況を変えるべく動いてみて損はないだろう。


杉坂はなおもぐちぐちと「合唱に興味があるかどうか…」とか「前に誘った時はダメだった」などと反論していたものの、原田が折れないので結局はその提案を呑むこと にしたようだった。


「誘ってみるだけだからね」


どこか、呆れたような、投げやりな調子の言葉だった。


「がんばれ」


「はぁ、まぁ」


そう声をかけると、曖昧な微笑みが返された。


…仁科へのサプライズプレゼントとしての合唱に加えて、部員加入に向けての再稼働。


にわかに合唱組の周辺が忙しくなってきたな。


そう思って、それは、悪い気分ではなかった。


時間が流れ、状況が変わること。それをどう捉えるかは、捉え方の問題。


期待を持って臨めるようになった分、俺も成長したということだろうか。


「明日からがんばろうね、杉坂さんっ」


「ええ…」


杉坂は気乗りしない表情でそう答えた後、目を閉じてうんうんと小さく頷いた。


「わかったわよ。がんばるわ」


そう言えるだけ、こいつは気乗りしない問題にも向き合う勇気がある。


「がんばれ。できることがあるなら、手伝うからさ」


「はい、やってみます。ありがとうございます」


もう一度同じ言葉を彼女にかけると、今度はちゃんとした微笑みが返ってきた。



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