folks‐lore



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「暑い…」


「はい。そろそろ、夏ですから」


俺と風子は、肩を並べて歩いていた。


まだ蝉の鳴き声などが聞こえるような季節ではないが、日差しは容赦なく照り付けている。


俺と風子のふたりの影も、アスファルトに色濃く刻まれている。


「やっぱり、帰る」


俺は踵を返した。


その服の裾を、風子ががしっと掴んで止めた。


「待ってください最悪ですっ」


「でも、暑いし。家でアイスでも食ってる」


「岡崎さんは、風子とアイス、どっちが大切なんですか?」


「んー…」


俺は腕を組んで考え込む。


そんな様子を見て、風子が手近な家の石塀に手をついてうなだれた…と思ったら、すぐさま手を離した。きっと思いの外塀が熱かったのだろう。


「風子、傷付きました…もう傷物ですっ!」


半ばごまかすように、ぶんぶんと頭を振った。


「ヘンなことを言うなっ」


というか、おまえの方こそ散々俺とヒトデとウミウシを比べたりしていたような気がする。アイスと比べるなら可愛いものだと思うのだが。


風子が俺に向き直る。


「ですので、責任取ってください」


ちょっと頬を染めて、決意に満ちた顔でそう言われる。


「責任…?」


「はい、傷物にした責任です」


「わかったわかった。それじゃ、責任取って病院にちゃんと付き合うから」


「それは…ありがとうございます」


むすー、とした様子ながらも頷いた。どうやら、納得いかないようだった。


「ほら、さっさと行こうぜ」


「はい」


呼びかけると、素直についてくる。


風子は車椅子ではなく、もう、徒歩だ。


さすがに退院してしばらく経つので、もう車椅子を使う必要はない。


春の終わりに復学し、きちんと歩いたり運動することができるようになっても、経過を調べるためにたまに通院しなければならない。大変なものだ。


とはいえ、最近は体育の授業にも参加し始めているらしいし、経過は順調なのだろう。


たまには公子さんの代わりに通院の付き添いになるのは嫌ではない。


ま、迎えに行くたびに伊吹家総出で見送られるのはこそばゆい…というか、少し怖いが。


再び並んで、歩き出す。


だらだらと汗が流れるような暑さでもないが、じっとりと額に汗が浮かんだ。


「あちぃ…」


傍らの風子は、俺とは違って涼しげな様子。


というより、上機嫌だから暑さを感じさせないという感じか。


風子の薄い青色のワンピースが、風にはためいた。


「風子、あんまり夏は嫌いじゃありません」


「マジかよ。暑いだろ」


「夏ですから」


「そりゃ、そうだが…」


「お出かけとかたくさんできて、楽しいです」


「へぇ…」


海に行けばヒトデもいるし、ということなのだろうか。


「せっかく元気になったので、今年は旅行に行ってみたいです」


積極的に、夏を待ち望んでいるようだった。


「例えば、どこ?」


「ええと…」


俺の問いに、しばらく考え込む。


「風子、熊野参詣に行ってみたいです」


「なんでだよ」


「いえ…なぜか、とてつもなく熊野古道をPRしたい気分になりました」


「そうか…」


謎だ…。


とりあえず、気にしないことにする。


だが、たしかに夏休みは楽しみだ。部内では合宿にでも行こうかなどという話も出ていた。


「なんだか、こうして一緒に歩いていると、デートみたいです」


風子はカンカン帽を手で押さえながら、こちらを見上げる。


外見だけ見ると、よそ行きのお嬢さん風だった。


「行き先、病院だけど」


「それじゃ、病院デートです」


「無茶苦茶健康に悪そうなデートだな…」


とりあえず、そんなデートはしたくない。


「というか、すぐに部員と合流するのを忘れてないか?」


これから部員と待ち合わせて、一緒に隣町まで行く予定だ。


俺はただ単に、風子を家まで迎えに行っただけ。


長い眠りから覚めたが、いつまた不調になるかという不安もある。


夏休みまでは念のため、ということで登下校も誰かが付いているのが現状だ。たいていは公子さんだが、たまに俺にお鉢が回ってくる。


今日もそんな感じで、ひとりで外歩きさせないために迎えに行ったという側面が大きい。


「それは…忘れていました」


「酷い奴だな、おい」


「もちろん、冗談です。でも、みなさんまで病院に付き合わせてしまうのは、なんだか悪いです」


「大丈夫だ。おまえが検査してる間、みんなで遊んでるから」


「仲間はずれですっ!」


「そんな、気にするほどじゃないだろ…」


話していると、待ち合わせの場所が近付く。


そこには、部員たちが既に待っていた。


その姿を見ると、風子の表情がぱっと輝く。


「岡崎さんっ、行きましょうっ!」


あんなことを言っていたのに、彼らが待ってくれている姿を見たら我慢が出来なくなったようだった。


俺にそれだけ言うだけ言って、ぱっとすぐさま駆けだした。


「おまえ、病人だったこと忘れてるだろっ」


仕方がない奴だった。


慌てて、その後を追う。


部員たちも、俺たちのことを見つけたようだ。


こちらに向けて笑いかけたり、手を振った。


風子も彼らに手を振って、走って…後を追う俺を振り返る。


「岡崎さんっ」


笑いかける。


「さあっ、行きましょうっ」


そして、手を、差し伸べた。


差し伸べられた、その手を見つめる。


俺は笑う。


「…ああっ」


そう答えて、手を掴んだ。


俺たちは、自分の未来に向けて、進み始めた。



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