folks‐lore 05/18



562


人気のない学校の中に入る。


風子の車椅子はいちいちタイヤを雑巾で拭かないといけないから、結構面倒だな。それに段差をいちいち乗り越えるのが大変だ。この学校はバリアフリーという わけでもないようだ。


「で、どうするんだ? おまえは親族で集まったりするのか?」


タイヤに付いた土ぼこりを拭い、再び車椅子の後ろに付いた持ち手を握る。


尋ねると、不思議そうに首をかしげた。


「いえ、そういうのは全然ナシです。始まる少し前に式場に行けばいいです」


「へぇ」


親族同士の顔合わせなどがあるかと思ったが、そういうわけでもないらしい。ずいぶんフランクな結婚式のようだった。学校を会場に選んでいる時点で、それは うかがえるが。


「式場はどこなんだ?」


「一階の、突き当りの教室です」


「ふぅん…」


俺はぼんやりと自分の記憶している公子さんの結婚式を思い返す。


あの時は、どこか二階か三階のクラスだったような気がする。公子さんがかつて教鞭をとった場所、ということだったはずだ。


だが今回は一階ということは…おそらく違いは、風子の存在。車椅子で上の階にのぼるのは難しいだろう。


「まだ、始まるまであと二時間くらいはあるな」


「はい」


風子はこくりと頷く。


「仕方がありません。どこかで、お話でもするのがいいと思いますっ」


「はいはい」


どうやら、はじめからそのつもりで呼んだようだ。


こっちも、こいつとは話したいことが色々あるから、ちょうどいい。


「学食でも行くか」


「学食は、パーティの準備があるので入れません」


「…パーティ?」


「はい、そうです」


「…そんなのあるのか?」


俺の知識にない展開だった。パーティ?


風子は俺の反応に少し不思議そうな顔をしたが、説明をしてくれる。


式が終わったら一度校舎前で写真撮影をして、その後披露宴に移るらしい。


ま、式の後に披露宴となれば自然な流れではある。考えてみれば、俺の記憶している別の世界でも、知らないところで実は披露宴をやっていたのかもしれない。


もっとも、写真撮影もその後の披露宴もそこまで形式ばったものでもなく、くだけた様式のようだが。


そんな話を聞きながら、車椅子を転がして行く。俺たちは旧校舎に足を踏み入れる。


風子は懐かしそうにきょろきょろと顔を動かした。


「そんな久しぶりってわけじゃないだろ」


「そうかもしれないですが、ずっと、早く学校に来たいって思っていましたから」


「ま、そうだな…」


一日千秋の思い、という感じだったのだろう。


俺は相変わらず、風子の後ろで車椅子を押す。


「もう、全然、創立者祭の感じがしないです」


「ああ。あの日のうちに片づけもほとんど終わったみたいだしな」


夢から覚めるように、あっという間に祭りの気配は拭い去られた。旧校舎の方はそれでも何日か備品がそこここに見えたが、さすがに一週間も経つと普段通り だ。


俺のすぐ前で風子の頭がくるくる周囲を見渡し、時折にこりと振り返る。見ているだけで飽きない。


「どうだ、久しぶりの学校は」


「最高ですっ」


打てば響くように、元気な返事。


「早くまた、岡崎さんと一緒に学校に通いたいです」


「あ、そ…」


なんだろう、たまに照れるようなことを言うな、こいつ。少しハイテンションになっているのかもしれない。


俺たちの足はそのまま、資料室に向いた。さすがに階段を上るというのは難しいから、必然的に行き先はそこしかない。


資料室の中に入ると、誰もいない。…それが当たり前なのだが、なんとなく有紀寧がにっこり笑顔で待っているような気さえしてしまう。資料室の精みたいな奴 だからな。こんな休日のこの時間にいるはずなのに、いてもおかしくないような気がしてしまうのがあいつの恐ろしい(?)ところだった。


イスをどかして、風子を席につかせる。


で、自分はその向かいに座ろうとして…ぐっとブレザーの裾を掴まれる。


「なんだよ」


「あの、横、空いてますから」


当然空いているが。


風子を見ると、恥ずかしそうに顔をそらせた。


「…」


断る理由は、別にない。


俺は黙って横にかける。


息をついて、ガラス窓の外を見る。天気もいいし、風もあまりない。結婚式日和だな。


ともかく、これでやっと人心地がついた。


「それで、だ。風子」


「はい」


「色々と聞きたいことがある」


「はい、わかっています」


俺たちは互いに少し顔を引き締めて、向き合う。


「創立者祭の日の夜に、おまえは、どうなったんだ?」


一番聞きたかったことだ。


あの晩。俺は不思議な少女に導かれて、不思議な場所へと迷い込んだ。


途中、風子を置き去りにして。


そしてそれが、そのまま別れになってしまっていた。


俺はその時、別の世界の記憶を手に入れた。


そして、風子は…。


俺は隣の少女の方を見る。


風子はじっと考え込むような様子で机に視線を落としていた。


しばらくそうしていて、やがてゆっくりと口を開く。


「…よく、わかりません」


ぽつりとつぶやく。


「あの時、岡崎さんが行ってしまった後から、よく覚えていないんです」


「…」


「それで、気が付いたら、病院で目が覚めていました」


「そうか…」


俺は、自分がこの世界にやってきた時のことを思い出す。


冬の日。汐を抱きしめて雪に降り込められていたあの時。


意識が遠のき、気が付いた時、俺はこの世界で目覚めた。


その時のことに、よく似ていると思った。


「それから、お医者さんに言われて、いろいろ検査などをしたりしていました」


「そうか…」


突き詰めて言ってしまえば、ただ目が覚めた、というくらいのことか。


飛び出た意識が、体に戻った。


風子も俺と同じようにあの少女に会っているかとも思ったが、そんなことはないようだった。


「ただ…」


「ただ、何?」


「ひとつ、思い出したことがあります」


俺の方を見て、そう言う。


その瞳には、かすかな戸惑いがあった。


「あの、岡崎さんと風子は、未来で出会っていますよね?」


「そうだけど」


「その未来での、最後の思い出です」


「最後の思い出…?」


俺は思い返す。


過去を遡ったこの世界で、俺は風子と再び巡り合った。


共に手を取ってこの世界となんとかやっていこうと話し合って、互いの状況を伝え合った時があった。


その時、風子は公子さんと一緒に出掛けていたと言っていた。


可愛い匂いをかいだこと。それが最後の記憶であると。


「風子、おねぇちゃんと一緒に、病院に検査に向かっていました」


「ああ…」


「その時、誰かに呼ばれているような気がしたんです」


「そのあたりは、前にも聞いたな。たしか、可愛い匂いだろ」


「そう、それです。それは、風子を誘っているような感じでした」


樹液につられる昆虫のような女だ。


俺は先を促す。


「それで、そっちに行ってみたんです。新しくできたあの病院の傍で、ちょっと奥の、森みたいになっている方です」


「…」


森。


その言葉が、俺の胸を刺した。


あの場所は、やはり、特別な場所なのかもしれない。


「それで、そこに、行ってみたら…」


風子は目を閉じる。その時の情景を思い返すように。


俺はじっと、その横顔を眺めた。彼女の言葉を待った。


少しの間、資料室に沈黙が満ちる。


風子のまつ毛がかすかに揺れるのを、眺めて俺はじっと待つ。


そしてやがて、風子はそっと目を開けた。


「光が」


「…光?」


「はい」


風子はこくりと頷いた。


その視線は、戸惑うように揺れていた。


「行ってみたところがちょっと広場みたいになっていたんです。それで、そこに、光の粒みたいなものが浮いていました」


「…」


光の玉だ。


今は失われつつある、幸福の象徴。


「その光が、懐かしいような気がしました」


「…」


「それで…気が付いたら、ここにいたんです」


「そうか…」


俺は息をつく。


その光が、願いが、幸福が。


こいつをここに連れてきたのだろうか。


「なあ、風子。おまえは…」


おまえは、そこで、不思議な女の子に会わなかったか?


そう聞こうとしたが、その言葉を飲み込んだ。


「岡崎さん?」


「いや…なんでもない」


風子は首をかしげたが、そこまで深く疑問に思うようなこともなかったようだった。


それから、しばらくは雑談。


風子は病院でのことを話して聞かせてくれた。


眠り続けていた少女が突然目覚め、病院が上を下への大騒ぎとなったこと。


一時は回復を待つために結婚式の日取りを改めようともしたものの、説得して今日の挙式を変えなかったこと。


わけのわからない検査や、うまく動かなくなってしまった体とリハビリ、それでもこの日があるから頑張ってこれたこと。


「病院は刃物が持ち込めなかったので、岡崎さんへのヒトデは昨日退院した後すぐに作り始めたんです」


「もう退院したのか?」


「いえ、本当はもっと入院してなきゃいけないって言われたんですが…」


「…」


無理矢理、出てきてしまったようだった。しょうがない奴だ。


ま、寝たきりになっていたのに異常に身体機能は低下していなかったらしいから、そのおかげというのもあるのかもしれない。


「おかげで、毎日病院に行かないといけません」


頬を膨らませる風子。


まだ色々な検査や、経過の観察などが残っているのだろう。


「そりゃ、がんばれ」


「岡崎さんも、暇な日はいっしょに来てください」


「俺も?」


「はい、付き添いです」


「暇なら、いいけど」


「…」


そう言うと、風子は無言で嬉しそうに笑った。


これまでの俺なら面倒くさいと言って終わりだろうが、久しぶりにこいつと会えたせいかつい同意してしまう。


だが、機嫌よく肩を揺らす姿を見ると、まあいいかという気分になってしまうから不思議だった。


「岡崎さんは、風子がいない間どうしてましたか?」


にこりと笑って、そう尋ねる。


「俺は…」


この一週間のことを、思い返してみる。


…無茶苦茶色々なことがありすぎて、どこから話せばいいのか見当がつかなかった。


そもそも…俺は別の世界、他の未来の記憶を手に入れた。そのことは、人に言うべきではないだろう。


「…あの後、汐ちゃんには、会えましたか?」


「…」


風子は、微笑んでいる。だがその頬にはかすかに緊張があった。


そうだ、そもそも俺たちが別れたあの瞬間、俺は汐の後を追った。


「会えたとも言えるし、会えなかったとも言える」


「ケムに巻こうとしていますっ」


「うまく説明ができないんだよ、正直」


「下手な説明でもいいです。風子、ずっと、すごく気になってました」


そりゃ、そうだ。風子にとっても汐は知らない人間ではない。あんな状況で未来の俺の娘が目の前に現れたのだ、俺が口を濁したからといって、言えないならば 仕方がないね、などと素直に納得されたらその方が驚く。


俺は黙ってひとつ頷いてみせる。


椅子の背に体重を預けて、ぼうっと天井を見上げてどう話したものか考えた。


幸いにして、挙式まではまだまだ時間がある。風子もじっと待ってくれる様子だった。


しばらく、沈黙の後。


「俺たちが見た時は汐の姿だった」


俺は言う。


「でも、追いかけて、追いついた時には別の姿になってた」


それは、偽りないことだった。未だに、あれがどういう理屈のことなのか、よくわからない。


「俺の知らない、女の子の姿だ。俺はその女の子の力でここに送り出されたって、その時に聞いたんだ。俺が別の未来を求めたから、この時間にまた戻ってきた んだってな」


「…風子も、そうなんでしょうか」


「かもしれない。おまえ、さっき最後に光の玉を見たって言っただろ。俺も、あの時、あの女の子を追いかけてった時、光の玉を見た」


「…」


「俺がまたこの時間に来たのは、その光の力みたいだ。それで、例えば俺は、渚と結婚しない未来を選ぶことだってありうるって。これから先のことは、まだ全 然わからないってことを知ったんだ」


「…」


「それ以上のことは、俺にはわからない」


そう言って肩をすくめてみせる。


風子はしばらく黙って俺を見上げていたが、やがてこくりと頷いた。


「なるほど…話はわかりました。でも質問があります」


「はい、伊吹くん」


教師っぽく指名する。


「風子、女の子です」


「んなもん、見りゃわかる。で、なんだよ」


「今は、渚さんのことはどう思っているんですか」


「そりゃ、好きだ」


そこに疑念を挟む余地はない。


反射的にそう言うと、風子はかすかに目を伏せた。


「…でも」


俺はそう続けて、嘆息する。


でも。


俺は未来の別の可能性を知ってしまったのだ。


他の少女と共に歩んでいく未来。


あるいは、新しい可能性。また別の誰かと共に歩んでいく未来だって、俺は否定することはできない。


ただただ、俺にとっては全ての未来が愛おしい。


まだ、それらを一つに選ぶことはなどはできない。だから、きちんと悩んでいこうと決めたまでだ。


「別の未来っていうのを、あれからよく考えるよ」


それは事実だった。


「…そうなんですか?」


「まあな。昔に遡ってるんだから、普通、もっと早くから考えなきゃいけないのかもしれないけど」


「大変だったから、仕方ないです」


健気にそうフォローしてくれる。


今日は、なんだかしおらしいな。久しぶりに会ったから、ちょっと戸惑っているのだろうか。


俺は彼女に微笑んで、話を続けた。


折り返し地点となったあの日の夜のその先の話だ。


ことみが幼馴染だったことを思い出して、家を訪ねて過去を清算したこと。そして、その翌日の誕生日プレゼント。


風子がいなくなってしまったことに気付いて、右往左往したこと。


渚が両親の昔の夢を知ってしまい、家を飛び出してしまったこと。


そして、俺と親父が肩を並べて、母親の墓参りをしたこと。


そのどれもが、長い話だ。


風子はそれを、飽きもせずに聞いてくれた。楽しそうに、口の端を緩めて。


そうして時間は、穏やかに流れた。







563


いつの間にか、ずいぶんと話し込んでしまったようだった。


ふと壁の時計を見てみると、そろそろ式の受付の時間が迫っていた。


「もう、こんな時間か」


「なんだか、あっという間でした」


「だな…」


話をしているだけなのに、時間の流れが速く感じた。


お互い、積もる話もたくさんあったからな。


「行くか」


俺は席を立つ。


「はい」


車椅子の後ろに回って、持ち手を掴む。


「ありがとうございます」


風子ちょっと俺を振り返って、礼を言う。


「気にするな」


また、車椅子を転がしていく。


旧校舎から、新校舎へ。


一階の突き当り、式場となる教室の手前に受付が設営されていた。


「あら」


「ああ…どうも」


受付をしているのは、見知った教師だった。A組の担任の女性教師。薄い桃色の華やかなパーティドレスを着ていて、いつもと印象が違う。


公子さんの元同僚のよしみで手伝いをしているのかもしれない。


「伊吹先生から聞いていたけれど…不思議なご縁ね。式に参加するこの学校の生徒は、妹さんの他はあなただけよ」


「ああ、そうなんすか」


「ほとんど、ご親族の方なのよ。あとは、ごく身近な同僚ね。幸村先生とか」


「ふぅん…」


「岡崎さんは、特別ですから」


なぜか横で胸をそらせる風子。


ま、この式の準備のことで色々と舞台裏で噛んできたからな。挙式を見守ることができるのは、役得だろう。


「特別、ねえ」


女教師は、観察するように俺と風子を見比べた。


「…これから親族入りするっていう意味の特別?」


とんでもない勘違いだった!


どうやら婚約者みたいな扱いで見られているようだった。…多分、冗談だろうが。


俺は息をついて、肩を落とした。もしかしたらこの人はこの人で、結婚式ということで浮かれているのかもしれない。なんだか新しい一面を見たような気がし た。


「からかわないでくれよ…。おい、風子も何か言ってやれ」


呆れてそう言い、風子の方に視線を移す。


「…」


だが、風子は赤くなって俯いていた。頬も赤ければ、耳まで赤かった。


俺たちの視線を受けて、ハッと顔を上げる。


慌てて何か言おうとしてそれもやめて、ぶんぶんと頭を振った。


…予想外の反応だった。


俺は風子の様子を見て、思う。


なんだ。


これじゃ、まるで、こいつが俺のことを…。


そう思うと、自分の顔まで熱くなった。


というか、そんな様子を慈愛顔で眺める女教師が憎たらしい。


「それじゃ、ここに記帳をしてね」


しかも放置して話を進めるときた。


「…はいはい」


ペンを手に取り、記帳をする。


岡崎朋也。伊吹風子。ふたつの名前が並んだ。


…なんだか受付だけでどっと疲れてしまったが、結婚式はこれからだ。


微笑ましげな顔をしている女教師から視線を逸らして、式場の中に入ろうとする…ところで、止められる。


「あ、先にこっちの教室で待っていてね。待合室なの。準備が整ったら、全員で式場に移動になるわ」


そういうものなのか。


なにせ結婚式に出るなど初めてのことなので、勝手がわからない。


ともかく、言われるがままに奥から二番目の教室に入る。


中は創立者祭の時のクラス展のように机がいくつか合わさってあって、腰かけて休めるようになっていた。


すでにそれなりの人数が揃っているようだった。ほとんどが中年以上の年齢層だ。同僚や、親戚などなのだろう。わずかに大学生くらいの人もいるが。


学生服というのも目立つからか、風子の車椅子も原因だからか、入ると結構注目を集めた。


すぐさま、親戚らしき何組かの夫婦が傍に寄って来て、風子に体調を尋ねてくる。こいつの昏睡沙汰は、当然ながら親戚中に知れていたのだろう。


目が覚めてよかったとか、今日はおめでとうとか、そんなことを風子に言う。


姉は結婚、妹は回復。親族にとってはめでたいことだろう、たしかに。


風子ははい、はいと頷いて返事をしている。親族とはいえそこまで顔を合わせているというわけでもないらしく、親しんだ様子でもない。もともとの人見知りも 原因だろうが。


ま、俺は親戚というのがどういうものかはよくわからないが、距離感というのは微妙なところなんだろう。


ぼおおっと馬鹿みたいに、そんな挨拶を横で聞く。彼らは介助役みたいに後ろにいる俺の方をちらっとは見るが、そこまで不躾に見ることもなく、風子と数往復 の会話を交わすとテーブルの方に戻っていった。


「ふう…」


「大変だな」


息をついた風子に、後ろから声をかける。


渚とは式を挙げなかったから、こういうのを見るのは新感覚だった。正直、面倒くさそうだ。だが結婚は家と家とのことでもあるし、これくらいのことはあるだ ろう。


でも、俺がもし渚と結婚式を挙げていたとしたら、渚はともかく俺の方は誰を呼べばいいかもわからなかったな。親戚など、親父の他には祖母しか知らない。


「全然、平気です。体のことを聞かれるのは、慣れましたから」


「あの人たち、全員どんな親戚とか覚えてるんだろ」


「はい、当然です」


「しょっちゅう会うわけでもないんだろ?」


「でも、たまに会いますから」


「ふぅん…」


父親の弟とか、そういうわけのわからない関係まで把握するなど、大変そうだ。


空いている席について一息つくと、また別の人がやってくる。


「風子、体はどう? 結婚式は大丈夫? ちゃんと出れそう?」


薄い緑色のドレスを着た、中年の女性だった。


「はい、平気です」


「そう」


目じりを和らげて、そのまま視線を俺に向けた。


「風子の母です。岡崎朋也さんですよね」


「ええ、どうも」


頭を下げて、また相手の顔をまじまじと見てみる。


…落ち着いている感じの人だった。とても風子の親とも思えないが、公子さんの親と考えればまあわかる。


「今日は、ありがとうございます。この子のわがままで、わざわざ出席していただいて」


「いや、俺もぜひ出たいって思ってたから、全然いいっす」


「ありがとうございます。公子も、きっと喜んでいます」


会話をするのを、風子は居心地悪そうに眺めている。


そういえば、風子から親の話を聞いたことはないな。


姉にべったりな分、両親とはそこまで仲良くないのかもしれない。


ま、渚と両親というくらいの関係はむしろ例外的だろうが。


風子の視線を感じてか、母親は困ったように笑う。


「この子も、ちょっとわがままなところもありますけれど、どうぞ仲良くしてくださいね。ほら、人見知りする子ですからなかなか友達ができなかったんですけ ど、岡崎さんのことを聞いて、とても嬉しかったんですよ」


「はぁ…」


ぐいぐい来るなぁ…。


「もぅ、お母さん、あっち行っててくださいっ」


迷惑そうに言う風子に、母親は苦笑した。


「それじゃ、岡崎さん、今後ともよろしくお願いしますね」


「はい」


母親が去っていく。


その後姿を見ながら、俺は首をかしげた。


…今後とも?


それって、一体、どういう意味なのだろうか。


「すみません」


恥ずかしそうに言う風子。


「ま、いいけど…」


そう言うしかない。


そもそも、俺の立場は微妙なところだ。新婦の妹の友人、というのは参列するには少し距離が遠すぎる。なんとなく、それで婚約者っぽい感じと脳内変換でもさ れているのかもしれない。風子がそう吹聴しているわけでもないだろうし。


ま、人にどう見られてもいい。


やれやれと息をついて、歓談している周囲に視線をめぐらす。


…お、工務店の親方とか、同僚がいるな。彼らの見慣れないスーツ姿に微笑ましい気分になる。


幸村のじいさんの姿もある。俺の姿に気付くと、しわくちゃの顔に柔和な表情を浮かべて小さく頷いてみせた。


それからもぱらぱらと人が集まり、三十人くらいは集まったというところか。


「それでは、皆様、式場の方へ移動をお願いします」


全員揃ったのだろう、案内されて式場に移る。


車椅子は結構かさばるので、出ていくのは一番最後だ。


ぼんやりと待っていると、またも風子の母親から声をかけられる。


「岡崎さん、どうもありがとうございます。この子のことよろしくお願いします」


「お母さん、しっ、しっ」


「はいはい」


愉快な親子だ。


一番最後に待合室を出て、移動する。


式場とはいえ、同じような教室だ。


中は中央がヴァージンロードとしてスペースが取られ、左右に机を並べ替えられている。中央には赤いカーペットも敷かれている。並んだ机の中央側は、白いリ ボンが連なっていて、いかにも祝祭的な雰囲気があった。


教室の前方には大きな花がしつらえられて、エレクトーンが運び込まれていた。


細々としたところが、結婚式仕様に作り変えられている。


これだけでも、結構変わるものだ。へぇ、と小さく息が出る。


参列者たちも中の様子を珍しそうに眺め、前方から詰めて座っていく。風子は車椅子なので、最後尾。俺も同じだ。


世の中の結婚式は、もっと派手にやることも多いだろう。金をかけることも多いだろう。


だが、こうやって思い出の場所でこじんまりと挙式をするというのも、なかなかいいことだと思えた。


一同席についたことを確認すると、手前のエレクトーンの前に女性が座る。見覚えがある。たしか、この学校の音楽教師だ。


ゆっくりと、演奏が始まった。ゆっくりしたトーンの、不思議な曲。多分、讃美歌か何かなのだろう。


いよいよ主役の登場という場面だ。参列者たちは黙ってその登場を待つ。


少しして、司会役を任されているらしい男性が新郎の入場を告げた。


待ちに待った、結婚式の始まりだ。


拍手。


まずは芳野さんが教室に足を踏み入れる。白いタキシード姿。上背もあって顔立ちも整っているから、かなり様になっている。かつてはアーティストとして活動 していたのだ、万雷の拍手を受けても動じた様子はなかった。周囲を見回して、にこりと微笑む。


俺と風子が並んでいるのを目にすると、ニヤッと親しげに口の端を緩めた。


「さすが、決まってるな」


「はい、カッコいいです」


俺たちは小声で会話する。


神父の先導に従って、カーペットの上を通り、その半ばで足を止める。振り返ると、教室の入り口を見た。


そしていよいよ、新婦の入場。


芳野さんの時以上の拍手。鳴り続ける讃美歌。世界中の祝福でも受けるかのように、花嫁が教室に入ってきた。


公子さんだ。


純白のウェディングドレス。白いヴェールの向こうで目を細める。


その隣で手を繋いでいる男性は、かなり緊張した面持ちだった。公子さんと風子の父親か。そういえば、さっきはいなかったな。きっと入場の準備があったのだ ろう。


公子さんは俺たちに気付くと、にこっと笑って小さく手を振った。


風子は感極まった様子で肩を揺らしながら手を振った。見ていて、微笑ましい。


横を歩く父親の方はそれどころでないようで、ロボットのような歩き方をしていた。娘を持った身として、気持ちはわかる。


「公子さん、きれいだな」


「はいっ。…でも、あんまり見とれないでください」


いきなり不機嫌になった。


「別に、そんなんじゃない」


言って、頭に手を置く。


「んん…」


途端、目を細めて安心した様子になった。


カーペットの途中で、父親は公子さんから手を離し、公子さんは芳野さんに並んだ。向かい合って、頭を下げる。父親はそのまま前方の席につき、新郎新婦は神 父の待つ黒板の前へと歩を進めた。


それから、神父の先導でつつがなく式が行われる。


わけのわからない賛美歌を歌わされることには閉口したが、指輪の交換や誓いのキス、証明書への記入など、見ていてなかなか目新しい。


いつの間にか繋いでいた風子の手の温かさが心地いい。俺たちは手を取り合って、結婚式の様子を見守った。


両家の親族に祝福されて、芳野さんと公子さんは夫婦になった。


結婚式というものを挙げてしまうと、なんだかそれでひとつの終わりというような感じがする。だがそれは、むしろ始まりなのだ。夫婦生活。楽しくも、大変 だ。しかし愛おしい日常の姿でもある。


挙式のスケジュールがすべて終了し、夫婦の退場。


再度手を叩きながら、挙式を終えた夫婦を見送った。


その後姿は、新しい始まりを予感させてくれた。


未来。それは俺が願ったもの。そしてたくさんの人たちが願っているもの。







564


式は終わったが、今日のスケジュールはまだまだこれからだ。


これから校門の方で写真撮影をして、その後は食堂を使ってのパーティだ。


新郎新婦が退場したのち、俺と風子は大急ぎで式場を出た。


校門の外で一番にお祝いをしたいと思ったのだ。


「なあ風子」


「はいっ」


車椅子を転がして、誰もいない廊下を歩く。


俺たちは互いに少し高揚して、無意味に笑いながら言葉を交わした。


「いい式だったな」


豪華絢爛などというものではない。だが、手触りの温かさのようなものを感じた。


懐かしい場所、身内での挙式。


「…はいっ!」


風子は俺に、弾けるような笑顔を向けた。


「岡崎さん、ありがとうございますっ」


「なんだよ、いきなり」


「今日のために、一緒に、頑張ってくれましたから」


「…」


「風子が知ってる未来では、本当は、おねぇちゃんが結婚式を挙げられるのは、もっとずっと先でした」


そう。


公子さんは、風子が目覚めるのを、ずっと待っていたのだ。


「初めは、それで、諦めそうになりましたけど、岡崎さんががんばろうって言ってくれました」


そういえば、そんなこともあったか。


それはもう、ずいぶん昔のことのような気がした。


俺は黙って車椅子を押した。


俺の足音。かすかに車椅子のきしむ音。


楽しそうな風子の声と、他にかすかに聞こえる…。


「風子…」


休日の学校だ。今はテスト前で部活も休止期間中だ。生徒たちがいないからこそ、結婚式なんてものができたのだ。


それなのに、校外からかすかに聞こえる、それは…。


「一度はやめてしまおうとした、プレゼント作りをまた始めることができました」


風子は俺の言葉にも気付かないように、滔々と話を続ける。


幸福そうな彼女の表情。


歩を進めるにしたがって、しっかりと輪郭を帯び始める校外のざわめき。


「それからは、毎日が楽しいことの連続でした。本当に…楽しかったです」


「これからは、もっと、楽しくなるぞ」


「…はいっ」


笑顔を交わし、それ以上言葉を交わす必要はなかった。


そうして…。


昇降口にたどり着き、校門までの眺望がひらける。


そこには、たくさんの人が集まっていた。


たくさんの生徒。教師の姿も多くある。


俺たちは足を止めて、しばらく、そんな外の様子を眺めていた。


前庭から溢れんばかりの大人数。


今日は登校日などではない。どこの部活も、活動などはない。本来ならば、生徒は誰もあの坂道を上ってきたりはしない、そんな日なのに。


俺たちの目の前には、数えきれないほどたくさんの生徒がいた。


彼らは待ちわびるように、少し興奮した様子で近くの人と言葉を交わしていた。


「…」


「…」


ぽん、と俺は隣の風子の肩に手を置いた。


風子。


心の中で、思う。


届いたぞ…おまえの願い。


彼らは全員、その手に木彫りのヒトデを持っていた。


結婚式のお祝いに駆けつけてくれたのだ。


ここにいるほとんどの人にとって、新郎新婦は知らない人間だ。それでもここに来た理由はただひとつ。


一途な少女の願いに、心を動かされたからだ。


「一週間前…おまえが目を覚ました時、その代わりに、みんなからおまえの記憶がなくなったんだ」


「え…?」


「理由は、わからない。多分、色々なつじつまを合わせるためのものなんだと思う」


風子の横顔を見る。驚いた様子はない。


「…風子は、本当は、外を駆け回れるような状態じゃありませんでしたから。だから、そうなんだと思います」


「おまえ、信じられるのか? こんな話」


「はい。…創立者祭をする前から、時々、風子のことが見えない人がいました」


「ああ、そういや…」


公子さんや芳野さん。一部の教師もそうだ。


「そういう人たちは、多分、風子が入院していることを知っている人たちなんだと思います。それなのに風子のことが見えたらつじつまが合わないから、会うこ とができなかったんだと思います」


そして目覚めた今。


創立者祭の前に風子に会っていた人の記憶から、彼女のことは失われてしまった。そうしなければ、理屈に合わない。


…風子はおそらく、俺が言わなくてもそのことに気が付いていたようだった。目覚めてから、ずっとそんなことを考えていたのだろう。


あれだけ仲良くしていた部活の連中と、また自己紹介から始めなくてはならないのだ。


「…」


俺は黙り込む。親しい人が自分を覚えていない。それは孤独なことだった。


「…でもな、風子」


改めて、集まった人たちを見る。彼らの手にあるプレゼントを見る。


「残ってたんだぞ、おまえの気持ち。みんな、おまえのことが好きだから、今日ここに来てくれたんだ」


「…はい。信じられないです」


そう言うと、そっと俺の手を握った。


「すごく、よかったです…」


「ああ…」


俺たちは手を取り合って、しばしぼんやりとそんな光景を眺めていた。


「風子の気持ち、伝わって、よかったです…」


「ああ…」


「風子のことは忘れても、風子のお願いを覚えてくれていたなら、よかったです」


願いと努力は報われた。


「それに」


きゅ、と、握った手に力がこめられる。


横を見ると、風子がうるんだ瞳で俺を見上げていた。


「岡崎さんは、風子のこと、覚えていてくれてますから」


「…ああっ」


俺も握ったその手に力をこめる。


「世界がおまえを忘れても、俺はおまえを忘れない」


「…えへへ」


風子が笑って、俺も笑った。


笑って、そうして、前を見た。


たくさんの人。たくさんの思い、願い、そして夢。


今俺たちは、この世界に祝福されているような気がした。





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