folks‐lore 05/17



552


目が覚めても、まだ、夢でも見ているような気分だった。


眠り足りないから、などというわけではない。気分はすっきりしている。


ただ、夢と現実の感覚が曖昧になっているだけだ。


昨日のことを振り返る。


渚を探した後のこと…。


不思議な場所に迷い込み、不思議な少女と再会した。


過去の世界に紛れ込み、倒れた渚を介抱した。


光に包まれた坂の下で、渚と汐に別れを告げた。


あの出来事は、そしてそれに感じた俺の思いは。


夢ではない。


あれは夢なんかではない。


だが、まるで夢のような出来事だった。


何が起こったのか、全てがわかるわけではない。


それでも。


全てを受け入れるしかないのだろう。そうして、その先に答えを求めればいい。


自分自身をこの現実になじませるかのように、俺はしばらくの間ぼうっとしていた。


やがて、体を起こす。


外を見てみると、今日はずいぶんと天気がよさそうだ。


昼にもなれば、汗ばむくらいの陽気になりそうだ。


春も盛りを終えて、そろそろ季節も移り変わり始めているのかもしれない。


俺は体を起こした。


新しい一日が始まる。







553


親父と顔を突き合わせて、朝食を食べる。


毎朝の光景だ。会話が弾むわけでもない。今は日常に閉塞感を感じているわけでもないから、これが苦痛というわけでもなかった。


俺はぼんやりと昨日のことや、これからのことを考えながら朝食を口に運ぶ。


飯くらいもっと味わって食うべきものなのかもしれないが、おそらく、まだまだ昨日自分に起こった様々な出来事の衝撃から抜け出せていないのだろう。


「…朋也」


「何?」


親父はしばらく俺のことを不思議そうに眺めていたが、やがて意を決したかのように声をかける。


「いや、なんだか今日は機嫌がよさそうに見えたからね。何か、いいことでもあったのかい?」


「機嫌がよさそう?」


いきなりの親父の言葉に、驚く。


別によくはない。普通だ。むしろ、ボーっとしていただけだ。


ただ、昨日までと違うといえば、それは自分の心のありようが変わったことくらいだろう。


それがもしかしたら、表情にも出ていたのかもしれない。面構えが変わったとでも言うべきなのかもしれないが、自分のことなのでそもそも実感などは沸かな い。


「さあ、どうかな」


非現実的な話だし、自分の心中のことを吹聴して回る趣味はない。ごまかすことにする。


「ほら、今日は味噌汁の味付けがうまくできたから、それでじゃないか」


「はは、それは、家庭的だね」


言うほどのことじゃないという言外の意味を汲み取ったのか、本当にそう思ったのかはわからないが、親父は俺の返事に顔をほころばせた。


「うん、うまいよ」


味噌汁をすすって、褒められる。


「そりゃ、ありがと」


「…」


「…」


会話が終わる。


だが、それでも親父はまだ俺をうかがうような目で見ていた。どうやら、他にも何か言いたいことがあるようだった。


「なあ、親父。何か言いたいことがあったら言ってくれ」


「ああ、すまないね…」


親父はさすがに苦笑する。


「実はな、朋也」


「ああ」


「今日、学校が終わった後でいいんだが…一緒に、あいつの墓参りに行かないか?」


「あいつって…母さんの?」


「ああ」


以前、親父とその話をしたことがあった。だが、その時は詳しく日取りが決まらなかったはずだ。


だが実際、行くのならば早いに越したことはない。


だんだんとわかり合えるようになってきているのだ、その父と子の姿を母親に見せてやるのも親孝行かもしれない。


俺と親父は、揃ってその墓の前に立ったことはないはずだ。


「おまえがテスト前で忙しいのはわかっているんだが…」


「ああ、いや。テストは勉強はいいよ」


黙ってしまったので、気を悪くしたとでも思ったのかもしれない。


「もちろん、構わない」


断る理由などない。もちろん構わない。


その返事に、親父は安心したように表情をほころばせた。


「そうか。すまないね」


「そんなことはない。俺も、近いうちにそうすべきだとは思ってたから」


むしろ、今こそその時という気もする。俺は未来を見ると決めたのだ。


迷うこともなく、話は決まった。


それから、放課後に適当な場所で親父と待ち合わせて行くことになる。必要なものの準備などは、親父の方でやってくれるらしい。


「悪いな、準備させて」


「いや、誘ったのはこっちだからね。それこそ、もちろん、構わないさ」


そう言って穏やかに笑う親父の顔を見ていると、ずいぶん、俺たちの関係もマトモなものになったなと感じる。


今となっては、未来に見ていた閉塞感は、もはや懐かしいものに感じた。



…。



朝食を食べてしまって、家を出る。


「いってきます」


「ああ、いってらっしゃい」


言葉を交わした。


こんなとりとめのない会話さえ、俺たちは今まで失っていたのだ。








554


ぼんやりと考え事をしながら一人通学路を通り抜けて、坂の下にたどりつく。


曲がって伸びていく坂道。それを見ると、不思議な感懐が胸を満たした。


…昨日、俺はこの坂道を上ったのだ。


あの不思議な時間、不思議な場所で。


渚と一緒に。


そして…


汐と、一緒に。


家族で坂道を上ったのだ。


その思い出は、楔のように俺の心のある場所を、たしかにきちんと定めてくれていた。


朝、登校時間。


今はその思い出の景色とは違って、三々五々、生徒たちが坂道を上っていく。


その坂の下に、友人たちは待っていた。


どうやら、渚はまだ来ていないようだ。代わりに部員は大体揃っている。俺の姿を見ると、何人かが手を振った。


「渚は来れそう?」


挨拶を交わした後で、杏が聞く。


一瞬、俺はぽかんとしてしまう。だがすぐに気を取り直した。そういえば、昨日は渚の見舞いに行った後に色々なことがありすぎて、そのあたりのことをすっか り忘れていた。そうだ、渚は体調不良で早退していたのだ、そういえば。


俺は昨日の夜のことを思い出す。あの不思議な場所を潜り抜けて再びこの世界に戻ってきた時、俺の傍らには渚がいた。


渚の様子。


普段と変わらない、元気な様子だった。渚自身も、体調を崩したことが夢だったかのような調子だった。


「多分、大丈夫だ。昨日の感じだと、そこまでひどくはないと思う」


「なら、よかったわ」


俺の言葉に、少しくらいは安心してくれたような素振りだった。


だが実際、今日登校できるかどうかまではわからないな。よくよく考えてみれば、調子がよさそうでも大事を取って休ませるという選択肢もある。こんなことな らば、先に古河パンに寄って確認していけばよかったとも思うが、今さら遅い。遅刻ギリギリというわけでもないが、さすがに今来た道を戻るほどの時間などは ない。


「今日、来れるでしょうか?」


仁科が渚の姿を探すように、道路の先を見る。


「どうだろうな…。ま、少し待ってみようぜ。まだ時間はあるだろ」


「はい、そうですね」


始業時間はまだ少し先だ。


坂の下にたむろして、適当に話をしながら時間を潰す。


とりとめのない話だ。


テストのこと、部活のこと、その他のこと。


それは一年後には覚えていないだろう会話だ。


だが、今の俺にはそんな会話がどうしても愛おしく感じる。


それは未来を知っているからではない。過去をやり直しているからではない。


それは、今を丹念に生きなければならないと知ったからなのだ。



…。



やがて、遠くに渚の姿が見えた。


どうやら、一夜明けで病気がぶり返した、などということはなかったようだった。


悲観していたわけではないが、その姿を見ると俺はやはり胸をなでおろした。


足取りはしっかりしている。俺たちが待っているのを見ると、ぱたぱたと駆けてすぐそばまでやってきた。


「おはようございますっ。お待たせしてしまいましたっ」


朝から、元気な様子だった。


「渚ちゃん、病気は大丈夫?」


「ことみちゃん、ありがとうございます。もう、平気です」


にこにこと笑って答える。


無理している、などという様子はないな。それを見て、他の連中もほっとした気配を感じた。


「また倒れてずっと休むなんてなったらシャレにならないわよ」


「昨日は、ちょっと熱が出ただけですから、大丈夫です」


言葉を交わしながらも、坂を上り始める。


…しかし、そういや、渚が長期欠席をしていた過去自体は変わっていないのだな。会話の節々を聞きながら、そんなことを思う。


昨日、俺は幼い渚が致命的な状態に陥るのは助けた。だが、それは渚の一度目の休学には影響していないようだ。


あるいは、現在を揺さぶるような過去の改編などというのは本来できないのかもしれないな。


今は変わらずとも、未来を変えられたとは信じたいが。これから迎える未来なら、みんなで迎えるものがいい。


「昨日、放課後でもないのにいきなり朋也が看病に来たから、びっくりしたでしょ」


「え? そうなんですか?」


杏がいらないことを言って、渚はびっくりしたように俺を見た。


「まあ、そうだったかな」


「授業サボるのは、よくないと思います」


怒られた。


そんな様子を、杏は不思議そうに見ていた。


たしかに、病気で早退した渚とそれをすぐさま見舞いに行った俺が交わすにしては、おかしな会話だ。まあ、なにせ、帰宅した渚はすぐさま家を飛び出して、結 局俺とは顔を合わせていない。


「朋也、あんたまさか渚をお見舞いに行くって理由にかこつけて、堂々とサボりを…?」


「するかよ、んなもん…。色々、事情があったんだ」


肩をすくめてそれだけ言っておく。さすがに、きちんと説明するには込み入った事情すぎる。


「ふうん…?」


納得するはずもないが、根掘り葉掘り聞くつもりもないようだった。


今日はうさん臭そうに俺を見たが、それだけだ。突っ込んだ質問をされないのは助かる。なにせ、自分でも答えようがないのだ。


「岡崎さん」


「なんだよ」


そんな杏の様子を余所に、渚は少し恥ずかしそうに俺を見る。


「授業サボったのは、とてもいけないと思いますけど…お見舞いに来てくださって、ありがとうございました」


「別に、礼はいい」


「…えへへ」


正面から頭を下げられるのは気恥ずかしい。


俺はそっぽを向くが、渚はにこりと笑っていた。


こうして話をしながら渚と肩を並べて坂を上っていると、昨日のあの時のことを思い出すな。


もっとも、あの時は不思議な少女がいたけどな。


…でも、彼女は最後に見た時、それは汐の姿だった。


ふたつの姿を持つ少女。


彼女が何者なのか。どんな存在なのか。


俺は結局、それを知ることはなかった。


だが。


全ての謎に丁寧に答えが用意されているわけでもないだろう。


彼女は、俺のために力を尽くしてくれた。


その結果として、俺は再び渚と巡り合うことができ、未来を見つめる勇気を持てた。


ならば、それは、それでいい。


それだけの話だ。


部員たちと言葉を交わしながら、坂を上りきる。


そして、つい、俺は足を止めた。


昨日はこの場所で振り返り、終わる世界の只中で、渚と汐に別れを告げた。


その情景が、フラッシュバックする。


一瞬。


脳裏に蘇ったその情景に、俺は足を止めてぼんやりと坂の下を見下ろした。


今、自分がのぼってきた道のり。


ここから見下ろす坂道は、俺に手を振る渚と汐の姿を思い出させた。


だが…。


「岡崎さん?」


立ち止まった俺を見て、渚が不思議そうに声をかけた。


俺は振り返る。


いきなり何かに魅入られたかのように足を止めた俺を、部員たちが振り返り、不思議そうに眺めていた。


「ああ、いや。なんでもない」


俺はそう答える。足を進める。


坂道を上り、校門を過ぎたその先。


俺は早足に、部員たちの方へと歩きだした。





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