folks‐lore 05/15



529


ホームルームが終わり、俺は席を立つ。


昨日、美術教師にヒトデの彫刻ができたら渡すという話をしていた。さっそく、それを持っていこうとしたが…。


改めて考えてみると、美術教師の名前も知らないに気付く。職員室に行けばそれでいいと考えていたが、さすがに名もわからなければ 呼び出しようがない。


「おい、春原」


隣で早速寝ようとしている春原に声をかける。


起きているのはホームルームくらいとは、こいつは何をしに学校に来ているのだろうか?


「ん? なに?」


顔を上げる。


「おまえ、テスト前なのに余裕だな」


「まあね。僕にとっては、本番は追試だから」


「…」


後ろ向きに前向きだった。


「あのさ、教師の名前で、聞きたいことがあるんだが…」


そういえば…。


いつだったか、こいつは担任の名前すら知らなかったからな…。


尋ねながら、希望がしぼむ。


「美術教師なんだけど」


「美術?」


春原は怪訝な顔をした。


俺たちは最上級生で、既に美術の履修はない。それなのに、どうしてそんな奴に用事があるのか、とでも言いたげな表情だった。


「ちょっと用事があるんだよ」


「ま、いいけどね。美術教師の名前か…」


腕を組む。


考え込む。


ダメそうだ。


「…じゃ、俺、行くから」


席を立つ。


「自分から聞いといて放置っスか!」


「いや、無理そうだから」


「うーん、ここまで来てるんだけどな」


言いながら、とんとんと喉に手をやる。


「そこにパンチしたら答えが飛び出るかもな」


俺は拳を構える。


「出てくるかっ」


春原はツッコミを入れた。


「…って、そうだ、思い出したよ。篠原だ」


「篠原?」


「うん。男の教師だろ?」


「ああ」


「なら、その名前で間違いないよ。僕と名字が一文字違いだから、それで覚えてたんだよね」


「おまえと名字が似てるって、嫌な繋がりだな」


「ほっといてください」


…話を続けていると、このまま休み時間が終わってしまいそうだった。


「助かった。じゃ、行ってくる」


言い捨てて、教室を出た。



…。



職員室の前までやって来る。


一時間目が始まる前だ、慌ただしく教師が行き来していた。


中に入ろうとするが、『生徒入室禁止』などと書かれた紙が貼ってある。テスト前だから、職員室には厳戒態勢が敷かれているらしい。


入り口近く、俺の他にも何人かの生徒が人待ち顔で立っていた。教師に用があるならば、ここで呼び止めろということらしい。


ドアの前に立って中の様子をうかがっている俺の姿を、何人もの教師が疑わしそうに一瞥するが、声まではかけてこない。授業の準備などで忙しいのだろう。小言を言われるよりはマシだ。


中を見てみても、篠原とかいう美術教師の姿はなかった。


ここにいないとなると、美術室の方にでもいるのだろうか。とてもじゃないが、今から旧校舎にまで行っている時間はないな。


あるいは、ここから見えない奥の方にでもいるのかもしれない。


そんなことを考えていると。


「あら、岡崎くん、どうしたの?」


女性教師に声をかけられる。


見てみると、いつか話したことのある教師。ことみの担任だった。


「ああ、どうも」


「このあいだは代理人の方とお話しするのに一ノ瀬さんに付き合ってくれてありがとう。あれから、あの子もちょっと変わったみたい」


にっこりと笑う。


「最近明るくなったというか、授業に出たりクラスの子と話すようになったのよ。あなたのおかげかしら」


そう言うといたずらっぽい視線を向ける。からかわれているようで、むずがゆい。


「さあ」


俺は肩をすくめてみせる。


「部活を始めたからじゃないの」


「そうかもしれないわ。最初はどうなるかと思ったけれど、本当によかったわ」


目じりを下げて、微笑む。


「…それで、こんなところでどうしたの? 誰かに用事かしら?」


そう言ってもらえるのは渡りに船だった。


「ああ、篠原って人に用があるんだけど…」


「…」


「美術教師の」


「篠原先生、ね」


「そう、篠原先生」


女教師は、とってつけたような俺の口調に苦笑して、だがそれ以上何も言わなかった。


ここで待つように言うと、職員室の中に入っていく。呼び出してくれるようだった。


再び、立ち尽くして待つ。


そこに、担任が通りかかった。


「ん? 岡崎、こんなところで何しとる?」


「げ…」


面倒な奴に見つかった。別に悪いことをしているわけでもないのに、そう思ってしまうのは染みついた習性かもしれない。


「岡崎、今お前、げ、って言ったな?」


半眼になって睨まれる。


不意に口をついて出た言葉のせいで、絡まれてしまった。というか、教師が不良みたいな絡み方をしないでほしい。


テスト前とかでピリピリしているのかもしれない。あるいは、テストでも盗み出そうとしているなどと疑われているとか。


「言ってないっす」


「たしかに、聞こえたが」


「そりゃ……ケエェェェーーーッ!」


「…」


担任がたじろいだ。


「…鳴き声っす」


「…そ、そうか。まあ、なんだ、困ったことがあったら相談しろよ?」


「…」


心配された。


担任が去っていくのを見送る。心なしか、周囲の生徒たちが珍獣でも見るような視線を向けているような気がした。


「何の用だ、岡崎」


そこに、待ち人がやって来る。


聞き覚えのない声に顔を上げると、鉄仮面のような顔をした大柄な男性教師が立っていた。


見下ろすように、俺を見ている。


「俺?」


「そうだ。用があると聞いたが」


「…」


「…」


「俺が用があるのは、篠原って先生だけど」


「私が篠原だ」


「…」


「…」



…。



クラスに戻る。走って戻る。走った勢いそのままで、机に突っ伏している春原の頭をひっぱたいた。


ぱしーーーん!


「ぐぇっ!? って岡崎、何すんだよっ!」


イスから転がり落ちた春原が慌てて立ち上がる。


「こっちのセリフだ馬鹿野郎っ! テメェ嘘教えやがったなっ」


「はあ?」


「篠原って教師、全然別の奴じゃねえかっ!」


「何言ってんだよ。篠原って、無表情でデカくてやたら怖い感じの美術教師だろ? 全然芸術っぽくない見た目の」


「いや、俺が探しているのはもっとナヨッとした男だぞ」


「はあ? そんな奴知らないよ」


吐き捨てるように言う春原。


全然、話がかみ合わなかった。


どういうことかと呆然としていると、こちらの様子をうかがっていたクラスメートから声がかかる。


「おい、岡崎。この学校って、美術教師は二人いるぞ」


「ああ。しかも両方男」


「片方がB組の担任の篠原で、もうひとりが、多分お前が言っている奴だぞ」


「…」


なるほど。


「と、いうことらしいぞ」


「いや、すんげえ納得いかないんですけど」


「悪いな、勘違いだ」


「はいはい。ま、いいけど」


疲れたように息をつき、春原は突っ伏して寝始める。


周囲の生徒も、こんな混乱いつものこと、というような様子で散っていった。


俺も肩を落として席に着く。無意味に疲れてしまった上に、結局目的は果たせていない。


休み時間に行くとしても、あまり時間がない。職員室にいるか美術室にいるかもわからないし、面倒だから昼休みにでも探しに行くことにしよう。


授業の始まるチャイムの音を聞きながら、そんなことを考えた。







530


昼休み、いつもならば部員たちと旧校舎に向かうところだが、今日は俺だけ先に教室を出る。


手にはヒトデを持って、職員室へ向かった。


だが、入り口で目的の美術教師の名を聞いても、不在のようだった。


「空き時間は大体美術準備室にいるはずだから、そっちに行ってみなさい」


教師にそう言われて、取って返して美術準備室へ。


昼休みが始まったばかりの時間だから、廊下は多くの生徒が行き交っている。中には、単語帳みたいなものを覗きながら歩いている生徒だっていた。


職員室には入れないし、生徒たちにもテスト前の雰囲気が漂っている。来週から、中間テストだ。


…んな直前に、公子さんの結婚式か。改めてそう考えてみると、そんな時期に結婚式に来てくれというのはかなり敷居が高いのだと気付く。


だが、それが難しいことならば諦めてもいい、というものではない。


俺は鼻を鳴らして手に持ったヒトデの彫刻を見てみた。


それだけで、やってやろうという気分になる。


ああ、まったく。


俺もそろそろ、ヒトデに毒されてきているのかもしれないな。



…。



「ん? 岡崎か。どうした」


ノックして美術準備室に入ると、探していた美術教師がひとり、本を広げながら昼食中だった。


「どうも」


「ああ」


かじっていたパンを袋に戻して、こちらを向く。


俺が手に持っているヒトデの彫刻に視線が向くと、得心した表情になった。


「昨日の今日で持ってくるとは思ってなかったな。早いね」


「ちょっと、芸術に目覚めたから」


言いながら、それを相手に差し出す。


「へえ、結構よくできてるな。意外な才能だ」


受け取ったプレゼントをしげしげと眺めながらそう言う。


俺の場合は才能などではない。数をこなしたから、必然的に技術が上がったというだけだ。


「あの、それで、なんだけど」


俺は話を切り出す。


「ひとつ頼みがあるんだけど」


自分が言おうとしているヘンな頼みを考えて、つい顔が熱くなる。


美術教師は訝しげに俺の言葉を待った。


「実は、結婚式に出てほしいんだ」


「は?」


「今度の日曜に学校で結婚式があるんだ」


ああ、言いながらなんて間抜けな姿なんだろうとため息をつきたくなる。荒唐無稽な頼み事。それをあいつは、全くくじけずにやり続けていたのか。


「学校で結婚式? ああ、そういえば、そんな話を小耳にはさんだ気がするけど…誰の結婚式?」


「俺の知り合いの姉」


「…」


今度ははっきりと、呆れた目で俺を見た。たしかに、結婚式への参加を誘うには縁遠い人間だ。


「ああ、でも、あんたも知ってる人だ」


慌てて言い繕う。


「伊吹公子さんだよ。同じ美術教師なんだから、知ってるだろ?」


「伊吹公子先生?」


在学生は、みんな公子さんのことは知らない。だが、教師陣であれば同僚だから知っているはずだ。同僚の結婚式に来てくれというのは、そこまで突飛な話というわけではないはず。


そう思ったが、相手の顔は腑に落ちない様子のままだった。


「この学校で、三年前まで美術を教えてた人だよ」


そこまで言って、やっと納得した顔になった。


「ああ…なるほど。どうりで僕が知らないわけだ」


「…知らない?」


「その人と入れ替わりで赴任してきたから。でも、話は聞いたことがあるよ。そうか、結婚するのか。おめでとう」


にっこり笑ってそう言って、それで終わりという様子。


最初に結婚式に出てくれと言ったのだが、唐突な申し出すぎて頭からは抜け落ちてしまっているようだった。正直、その気持ちはわかるが。


「じゃなくて。結婚式に出てほしいんだ」


「僕が?」


「そう」


「知り合いじゃないけど?」


「細かいことはいいじゃん」


「いやいやいや」


「ほら、そのプレゼント」


「え? これ? プレゼント?」


「もう受け取っただろ。だから出てくれ」


「おまえなあ…」


じゃあ返す、などと言って突っ返さないだけ優しい人だな。


とはいえ、困ったように笑っているが。


「あんた、日曜、忙しいのか」


「さすがに暇ってわけじゃない」


「でも、せっかくの機会だし」


何とか押そうと試みると、呆れた視線で俺を見る。


「というか、なんで僕に? 人を呼びたいなら、別の友達を呼べばいいよ。ほら、おまえ、部活やってるだろ? その部員のみんなとかさ」


「もう呼んだ」


「それじゃ、クラスメートとか」


「もう呼んだ」


「…」


「もう全校生徒呼んでるから」


「なん…だと…」


さすがに驚いているようだった。


…呼んだのは俺じゃないが。


「だから、今度は俺が教師にも声をかけようと思って。で、まずはあんただ。教材を使わせてもらった恩もあるし」


「ああ、なるほどね。プレゼントか。それで、あんなにいっぱい木を持ってったのか」


「ああ」


美術教師は少し、考えるような様子でヒトデの彫刻を眺めた。さっきよりもしっかりと、ためつすがめつしてみている。


お互い喋らず、しばらくしんとした空気。ドアの向こうから昼休みの喧騒が聞こえる。


俺は彼の答えをしばらく待つ。


彫刻のある風景。


想いのある情景。


しばらくして、美術教師は顔を上げると俺を見て、尋ねる。


「岡崎。どうして、そんなたくさんの人を結婚式に呼ぼうと思ったんだ?」


「そりゃ…」


問われて、考える。


俺自身の気持ちとして、公子さんの結婚式を祝ってほしいからだ。


だが現実問題として、俺と公子さんや芳野さんとの関係はそこまで濃いものではない。とりあえず、この世界では。


そう思うと、うまい説明の理由が出てこないな。


風子に勇気付けられた面が大きいから。ダメだ、あいつと俺の関係を話しても混乱させるだけだ。


それなら、


単純に。


「その方が、楽しいと思ったから」


口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。


そしてそれは、俺の本心だ。


日曜の学校。生徒たちがヒトデを持って結婚式に押しかけて、お祝いをする。


おめでとう、おめでとう、と、笑顔で。


彫刻のある風景。


幸福のある光景。


「俺もそうだけど、その方が、みんなが楽しいんじゃないかって思ったから」


「…」


その言葉に、美術教師は目を細めて口の端を緩めた。


「そうか」


かみしめるように。


「その方が楽しいから、か」


そう言うと、ポケットから手帳を取り出す。


「日曜日だね。何時に学校に来ればいい?」


「…いいのか?」


「ああ、もちろん」


全然、うまい誘い方をしたという自覚はない。


頼みの内容だって、唐突で無理矢理だ。うまい理由はなく、相手へのメリットを話したわけでもない。


だが、それでも、俺の気持ちはこの人に伝わったようだった。


…風子がそうやって、人の輪を広げていたみたいに。


俺が時間を告げると、教師はそれを手帳に書き込んだ。


「なあ、岡崎」


「ん?」


「よかったよ、おまえが学生生活を楽しんでくれてるならね」


「…」


どうやら、俺の普段の素行から心配されていたようだった。


「そりゃ、楽しんだ方がいいだろ」


「ああ、たしかにそうだ」


にっこりと笑う。


「それじゃ、日曜日、楽しみにしているよ」


「ああ」


日曜日を楽しみにしている。それは、俺自身もそうだった。


公子さんの結婚式。


幸福のある光景。


たくさんの笑顔と、ヒトデのある光景。


俺もそれを、待ち望んでいるのだ。





back  top  next

inserted by FC2 system