folks‐lore 05/15



527


大きなあくびをしながら、通学路を歩く。


…眠い。


ここ最近はあまり夜更かしはしなかったから、久しぶりの感覚だった。俺は目を瞬かせる。朝日がまぶしい。


昨日、遅くまで起きていたせいだ。こうなることがわかっていても、ついつい夜更かしをしてしまった。


学校から持ち帰った木片でヒトデの彫刻を作ったというのが大きい。


あと、テスト勉強も少しくらいはやってみたりもした。この忙しい時にテストまであるというのが辛いところだが、さすがに追試や補習は避けたいところだ。


椋が勉強を教えてくれると言っていたから、それまでにはせめてわからないところくらいはわかっておきたいところだ。


それに、暗記科目は覚えるしかない。これも日によってノートを取ってあったりなかったりで、最終的には借りるしかなさそうだ。ひとまず、テスト範囲の教科 書はざっと読んでみたが、驚くほど授業の内容を覚えていなかった。俺は授業中、一体何を聞いていたんだろうか、などと途方に暮れるしかない。自分の知識量 の確認作業をしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。


…とはいえ、正直、知識を詰め込むというのは前ほどには苦ではなかったような気もする。もちろん数学や英語といった積み重ねタイプの教科は除くが。


大人になると逆に勉強したくなる、というやつだろうか。


勉強が好きになったわけでもないから、うちに金があっても、大学進学してまで勉強をしようという気にはならない。


そう考えて、そのまま思考が将来に飛んでいく。


(そういえば…)


俺が渚と共に過ごした未来。その記憶は、きちんと自分の中にある。だが、先日俺が新たに知った別の未来を思うと、それらの記憶ははある部分までで途切れて いる。


卒業後の自分の姿までは、記憶にない。きっちりと色濃く記憶に残っているのは春の頃の記憶。その先の記憶は徐々におぼろげになっている。


将来自分がどんな職業に就いたとか、そういう部分はわからない。


あの不思議な少女は、何か言っていたっけ?


「…」


考えてみる。


だが、この疑問に答えるような言葉は浮かんでこなかった。今度会うことがあったら問い詰めてやりたい。


…彼女にまた会うことは、あるのだろうか?


全然予測がつかないな。見守っているとは言っていたけど。


わからないことなのだから、今はこれについて考えるのはよしておこう。


別の世界の記憶について再び思いを馳せる。


多くの世界で、自分の将来などはわからないままだ。


ただ、智代の世界。そこでは廃品回収屋をやることになっていた。自分で探した仕事は全部話が進まず、最初から提示されていたその仕事だけが後に残ったの だ。なぜかその世界だけは、冬まで記憶がある。


勝平と友人になった世界もずっと先の未来が記憶にあるものの、記憶は局地的だ。


しかし、廃品回収ねぇ…。


自分にはその仕事をした記憶がないから、楽しいのか辛いのかも想像ができない。だがそれは、俺が選び取ることのできる未来の一つではある。


今の自分の身からしたら、うまく想像できない世界だ。


その世界の俺は、智代に迷惑かけていないだろうか、などと他人事ながら気にかかる。自分のことだから他人事じゃないのだが、ともかく。


…なんとなく。


意外に元気にやっているような気もするな。


愛してるぞっ! とか言いまくっているような気もする。自分に意外にそういう性格があるのは自覚しているところだ。


そんな想像につい失笑してしまう。


「おはよう、岡崎」


「うおっ」


いきなり後ろから話しかけられる。


「女の子に声をかけられて、ずいぶんな反応だな」


振り返ると、憮然とした表情の智代がいた。


「あぁ…悪い。ちょうど、おまえのこと考えてて。そしたら、本物が来たから」


「私のことを?」


その表情が、驚いた様子に変わる。なんだか、恥ずかしいことを口走ってしまった。


「そ、そうか。なら、いい」


智代は照れた様子だったが、ごまかすように言葉を重ねた。


「邪魔じゃなければ、一緒に登校していいか?」


「ああ、構わない」


「そうか」


智代はにこりと微笑んだ。


そのまま、俺の横に並んで歩く。少しの間、ぱたぱたと、ふたりのだけが響いた。


誰かと肩を並べて歩いていると、やはり風子のことを思い出した。今頃、何をしているのだろうか。


「そういや、智代。おまえ、今日は結構遅い時間なんだな」


今の時間は、遅刻ギリギリというほどでもないものの、結構遅い。ここ最近は坂の下で俺たちを待つ時間さえない様子だったが、今日は朝から予定が詰まってい るわけではないようだった。


「うん。昨日までは朝に集まりがあったんだ。だから、今日は少しゆっくりさせてもらった」


「会長の仕事か。創立者祭も終わったのに大変だな」


「そんなことはない、好きでやっていることだからな。色々な人に応援もしてもらっているから、やりがいがあるぞ」


全く暗さを感じさせない微笑みだった。


「ところで、岡崎。それはなんなんだ?」


「ああ、これか」


智代が示したのは、鞄と一緒に持っているトートバッグ。中身は、昨日夜なべして作った結婚式のプレゼントだ。


ヒトデの彫刻をひとつ取り出してみせる。


「ああ…昨日の」


「美術室から木をもらってきて、作ったんだ」


大量生産というほどには作れていないが。ともかく、俺は風子の画策を引き継いでこれを人に配って回りたいと思っていた。


風子が十分生徒に配っているだろうから、俺が配る相手として考えているのはそれ以外の人間だった。


昨日の美術教師をはじめとした、教職員。あとはオッサンや早苗さん。


「おまえに、こんな特技があるなんて知らなかった。昨日のものよりも、ちゃんとできているぞ」


俺が取りだした彫刻を観察して、そう言う。昨日は風子が一番はじめに作ったものだから、さすがにあれよりはうまくできているだろう。


「手先は器用な方なんだ」


「意外な一面だな。岡崎が芸術に興味があるとは思わなかった」


ヒトデを返される。


「そういうつもりで作っているわけでもないんだけどな」


脈絡のない風子の画策を引き継いでいるだけだ。芸術とは違うだろう。ヒトデを彫り続けることで彫刻方面の才能が開花! などということもない。


…というか、ヒトデで目覚める才能って、なんだか嫌だ。


「智代、おまえが桜並木を守るために会長をやってるのと同じようなものだ。俺にも目的があって、そのためにこれを作ってる」


これ自体が目的ではない。このヒトデは布石だ。


俺に智代ほどの覚悟があるかはわからないが、互いにやっていること自体は重なるところも多いだろう。


「そうだったのか」


智代は俺の言葉を、感心したように聞いていた。


「やっぱり、おまえと私は似ているな」


「こっちは、おまえほど立派じゃない」


苦笑気味に返事をする。


というか、やっぱりってなんだ。そこまで似ている気はしない。


考えてみると…家族内の不和、荒れていたこと、そういった部分はたしかに似ているかもしれない。だが、俺は智代ほどきちんと将来を見据えていることができ ているとは思えない。


俺にとって、未来は。それはひとつの希望のために、他の希望を諦めることだ。


「なあ、智代」


「うん、なんだ」


だから。


俺は、ふと、聞いてみたくなった。


彼女が、どのように未来を見据えているのかを。


「おまえは、不安になったりしないか? 今頑張ってもそれがうまくいくかもわからない。もしかしたら、もう選択を間違えているかもしれない。そういう風に 考えることはないか?」


俺の問い。智代はそんな質問に不思議そうな顔をしたが、茶化すようなことはなかった。


歩きながら、ちょっと空を見上げながら、しばらく考え込んだ。


俺はその答えを、手の中でヒトデをもてあそんで待った。


「もちろん、不安に思うことはある」


言葉を探すように天を向いていた顔が、俺に向けられる。


「でも、それで今自分ががんばっていることをやめたり手を抜く理由にはならないと思う」


「…そう思えるなら、立派だよ」


「性分なんだ。やると決めたら、やろうと思ってしまう。もちろん途中で軌道修正が必要になったり、一度後戻りする必要が出てくる時もあるかもしれないが、 それを努力を諦める理由にはしたくない」


よどみない言葉だ。


智代は、もう、生き方の決意を済ませたのだろう。


離散しかけた家族がまとまった。その象徴である桜並木を守ろうと決めた時に、その決心は彼女の全生涯を照らした。


俺には、そんな経験がない。


「不器用なだけかもしれないな」


彼女はそう言うと苦笑した。


「岡崎は、どうしてそんなことを聞くんだ?」


「さあ、どうしてだろうな…」


俺も、先ほどの智代のように空を見上げる。気の利いた言葉でも降ってこないかと探るように。


だが、うまい言葉などは出てこない。


しばらく俺たちは無言で歩いた。周囲をかしましく笑い合う生徒たちが追い越していく。そうこうしていて、やがて、坂の下までたどり着く。


いつもより遅い時間だ、もう渚は待っていた。他にも何人か、部員たちがそこに集合して雑談でもしているようだった。


そんな光景を見て、俺はこの時間に舞い戻ってきた時のことを思い出す。ひと月ほど前に、何年も前に、あるいはいくつもの世界で、何度も何度も繰り返してい たひとつの情景を思い出す。


坂の下。舞う桜。曲がりながら伸びていく道のりを見上げて立ち尽くしていた渚がつぶやいた言葉を思い出す。


「大切なものが、全部」


俺はぽつりと言葉を紡ぐ。


ずっと横で待っていてくれた智代が、目じりを下げて俺を見る。


「全部、変わらずにはいられないって思ったんだ」


自分を取り巻く周囲の事情。すべてが、ずっと同じではいられない。


時は移る、すべては移ろう。俺は、そんな中で、自分だけは変われていないような気がしていた。置いてきぼりにされているような気がしていた。


俺の不安の一端は、つまり、そういうことなのかもしれない。


坂の下での渚の言葉。


俺はそれに、また大事なものを見つければいいと答えた。その気持ちは、嘘ではなかった。だが、それは俺にとっての正解ではない。


「なら…」


智代がにこりと笑う。


「大切に思う気持ちを、もっと信じてあげればいい。変わっていってしまうことも、全部含めて」


それは、俺とは違う意見だった。


だが、不思議とその言葉は腑に落ちる。


新しい大切なことを見つけること。


変わっていくことを込みでなお、その気持ちを持ち続けること。


その二つの意見は、並び立つものではないのかもしれない。それでも、俺はその二つともが大切なことに思えた。


たくさんの未来に圧倒されている俺にとって、それは道標にでもなるような言葉だった。


「そうか…」


その言葉だけで、迷いがすべて消えたわけではない。だがそれでも、なにかつかえがとれたような気分になる。


「そうかもしれないな…」


坂の下、部員たちがこちらに気付いて笑顔を見せたり、手を振った。彼女らに軽く手を上げてから、俺は智代の方を見る。


「なあ、智代」


「うん」


「あの桜並木、守れればいいな」


「ああ。もちろん、そのつもりだ」


春の光の空の下。


俺たちは秘密でも共有するかのように、こっそり視線を合わせて笑い合った。







528


集団になって、坂道を上る。


「ねえ、朋也」


渚と一緒に坂の下で待っていた杏が、横にやって来る。椋も一緒だ。


「放課後、ちょっと付き合ってくれない?」


「いいけど、なんでだ?」


「あの、昨日お話していた創立者祭の打ち上げのことで…」


「さっき有紀寧が、テスト明けの週末にお店の貸切の予約ができたって教えてくれたの。だから、予算とか詳しいことの話をしに行きたいの」


「よければ、岡崎くんも一緒にって」


「あの話か。わかった」


特に反対する理由もない。そもそも、この打ち上げの件を言い出したのは俺だから、多少なりとも事態を見守る義務はあるだろう。


「それで、話し合いが終わったら一緒にどこかで勉強をしましょう」


「…」


続く椋の言葉に、なんとなく黙ってしまう。


まあ、テスト勉強をしなくてはいけないのは事実だが、いざやるとなると面倒くさい。…教わる側がそんな態度なのもどうかと思うが、決して勉強が好きなわけ ではないのだから仕方がないだろう。


昨日の夜、自分が勉強に不向きなことは確認したばかりなのだ。


「…ま、お手柔らかに頼む」


「でも、それで赤点とかっていうわけにもいかないですし」


「朋也〜、容赦しないって」


ニヤニヤ笑いながら杏が茶々を入れる。


「そ、そんなつもりじゃないですっ。でも、せっかくやるならいい点を取れるようにって」


「ああ、わかってる。期待してるよ」


さすがに、そう言うしかなかった。教わる上に、文句を言うわけにもいかない。


椋はちょっとは安心した表情になった。


「…そういや、おまえって成績いいの?」


ふと思い立って、聞いてみる。


元々、自分の成績が絶望的だっただけに、他の奴のテスト成績などは気にしたことはなかった。


ま、ことみが学年トップということは知っている。渚は中の下くらいだったと思う。とはいえ、正直、この学校で中の下と言っても決してそれはそれで頭が悪い ということもない。


「椋は、結構いい方よね」


「そ、そうかな。そんなことないと思うけど」


照れたような素振り。この学校の中でも、そう悪い方ではないらしい。普段の授業も真面目に聞いているし、授業中さされた時もとちっている印象はない。


「ちなみに、杏はどうなんだ?」


「あたし? ま、普通くらいかしら」


「お姉ちゃんの場合、一夜漬けで点が取れるからすごいよ」


「へぇ、コツを教えてくれ」


「コツっていうか、普段の努力よ。テスト前にそれを再確認してるだけ」


「ああ、そう…」


俺とは違うレベルのようだった。


というか、こいつはそんな適当にやってきたのか。俺の記憶では、受験直前期には杏も他の生徒同様休み時間まで参考書を広げていたように記憶している。


まだ春先だし、そこまでカリカリしていないのかもしれない。


「あんたも、多分頭は悪くないんだから、ちゃんと勉強すれば大丈夫よ」


「そうだっけ?」


「赤点はほとんど取ったことないでしょ」


「そりゃ、そうだが」


水面ギリギリの低空飛行、という感じだ。自分のことながら、よくもまあ器用に乗り切ってきたと言える。


「平均点を取って、先生をびっくりさせるくらいの気持ちで頑張りましょう」


椋は励ますようにそう言ってくれる。


「…」


平均点を取って教師をびっくりさせる…。


俺、どれだけアホだと思われているのだろうか。だが、それが事実というのも情けない話だった。


だが、こんな風に話していると、忌々しく思っていただけのテスト勉強というものにさえ、ちょっとしたイベントめいた楽しみを感じるというのは不思議な感覚 だった。





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