folks‐lore 05/14



523


昼休み。いつものように昼食を食べながら話していると、テストのことに話が及ぶ。


この学校は進学校だから、当然、テスト間近になるとほとんどの生徒が躍起になる。推薦を狙っている奴なんて、尚更だ。


「テストか…」


春原でさえも、げんなりした様子になる。


「おまえの場合、本番は追試だろ」


「それでも、やばいんだよ…」


「…」


かなり切迫した様子で言われた。どうやら追試すら危ういようだった。


「…大丈夫なんですか? 春原先輩もですけれど、岡崎先輩も」


仁科が聞く。勉強していないのは自業自得以外の何物でもないのだが、心配してくれている様子だった。


…というか、自分まで心配されるということは、俺の学力も地獄の釜のような有様だと思われているらしい。それは正解なのだが、そう思われているのはそれは それで癪に障る。


「俺は、たぶん大丈夫だ」


そう答える。


強がりではない。高校時代を思い返すと、たしか追試とか補習などという憂き目には遭ってなかった…と、思う。


だからおそらく、頑張ればなんとかなる水準…だと思いたい。


「こいつはダメかも」


春原を指さして言う。


「てめぇ、言いたい放題だね…」


「つーかさ、おまえ、三年になってから勉強したか?」


授業は出ていても寝ているし、そもそもあまり出ていない。家で自主勉をするような奴でもない。


もはや崖っぷちだ。いや、もう崖から落ちている最中かもしれない。


かなりヤバいという自覚はあるようで、春原は苦笑した。


「そりゃ…毎日が勉強さ。そう、人生という名のね…」


酸いも甘いも噛み締めた大人のような言いぶりだった。


「あぁ…ダメそうですね」


杉坂が切って捨てる。


「三年になれたのが驚きよ、ホント」


杏が呆れたように言う。


「もし留年していたら、同じ学年になれたんですけど」


有紀寧は笑顔でズレたことを言った。


「こいつ、ずっとギリギリ追試は受かってたからな」


「まあね。本気を出せば、こんなもんだよ」


なら最初のテストの時に本気を出せ。


「春原くん、勉強がんばってね」


ことみがにっこり笑う。


…全国レベルの天才少女にそんなこと言われても馬鹿にされたような気分になりそうだが。


「うんっ」


春原はかなり素直だった!


以前だったら、天才少女としてちやほやされていることみに反発でもしそうなものだが、全然そんな様子もない。ま、これだけ一緒に活動していて仲良くもなれ ばいちいち怒ったりもしなくなるだろう。


というか、ことみに怒ってもしょうがない、という感じがする。


「ていうかさ、ことみちゃん、よければ僕に勉強教えてよ。もしかしたら隠された才能が開花されて、僕も一気に天才になっちゃうかも」


無茶苦茶なことを言い出す。


「…くすくす」


冗談だと思ったのだろう、有紀寧が控えめに笑う。


「錯乱してますね」


「お薬出しておきますねー」


「ふ、ふたりとも…」


杉坂、原田は相変わらず急角度のツッコミだった。仁科は苦笑している。


「春原さん、頑張ってくださいっ」


渚は正直に信じていた!


「はは…」


困ったように笑うのは、椋。


相変わらずというか、ヘンな集団だ。


ここに風子がいたら、あいつはどんなことを言うだろうか。俺は、つい、チラッとそんなことを考えてしまった。



…。



部活動は、テストが終わるまで休みだ。さすがにことみ以外はちゃんと勉強をしなければいけないだろう。


だが、放課後も部室に行くくらいなら構わない…というか、部室ではむしろ軽く勉強会をやるような流れだった。


下手に近づくと俺まで勉強させられそうだ。…もちろん、全くやらないというわけにもいかないだろうが。


「ねえ、有紀寧。テスト勉強で忙しい時期に悪いんだけど」


昼食も食べ終わって、雑談している中で杏と椋が有紀寧に声をかける。


「はい?」


「あの、実は、ひとつお願いがありまして…」


そう前置きをして、姉妹が来週末の打ち上げの話をする。渚やことみも打ち上げの話は聞いているようで、興味ありそうにその話に耳を傾ける。


「…なるほど、貸切パーティですか。とても素敵ですねっ」


話を聞き終わると、すぐさまにこっと笑顔を見せる。


「放課後にでも、お友達に聞いてみますね」


「ん、お願いね」


「ありがとうございます」


「なんだか、すごいですね」


横で聞いていた仁科は目を丸くしている。


「うちのクラスでもやりましたけど、そこまですごいものじゃなかったです。お友達の家に呼ばれてって感じだったので」


俺たちの場合は、人数が違うから単純に比較できないとは思うが。


仁科のクラスは店ではなく家で打ち上げをやったようだ。歌劇部は渚の実家で打ち上げをしたから、大体あんな感じだったのだろう。


「途中から誰が持ち込んだのか、お酒が出てきて…」


杉坂がやれやれという様子で言う。


「はは…やっぱり、最後は大騒ぎでした」


仁科は苦笑する。


…ま、打ち上げというと、なんとなくそうなってしまうというのもわかる。店でないとなると、特に。


「お店でやると、お酒は出せませんよ。すみませんが」


聞いていた有紀寧が苦笑して言う。


「もちろん、ナシでいいわよ。ていうか、見つけたらつまみ出すから」


…ま、うちの学校はそういうのは厳しいからな。


「ええーーっ!!」


ひとり不満そうな金髪がいた。


「なにかな? 陽平クン?」


「なんでもないっス!」


すぐさま、意見を翻していた。ヘタレだった。


「…はぁ、先にきっちり言っておかないと、持ち込む人もいるかもしれないわね」


杏はちらっと春原を見た。


「持ち物検査をするわけにもいかないですし…」


椋も苦笑する。


たしかに、そのあたりは予測がつかないところだ。


まあ、他の連中の酒癖はわからないけれど、渚なんかは割と絡み酒だからな…。


打ち上げの場に酒なんか出てきたらまずい。渚が自分から飲むこともないだろうが、騙されて飲むことは十分あり得る…。


「渚、打ち上げでは飲み物に口を付ける前に匂いをかげ、匂いを」


「は、はい」


俺の言葉に、こくこくと頷き…首をかしげる。


「あの、嬉しいですけど、どうしてわたしのことだけ心配しているんでしょう?」


「酒癖悪そうだから」


「…岡崎さん、ひどいですっ」


ぷるぷると頭を振った。


「渚ちゃんがお酒を飲んだ姿、ちょっと、見てみたいですけど」


くすくすと笑いながら、椋が言う。


「すみません…あと一年ちょっと、待っていただければ…」


渚は今一八歳だから、一年半強先には酒も飲めるようになる。


「でも、渚のお父さんはお酒飲むみたいだし、結構強いんじゃないの?」


杏が言う。


そういや、歌劇部の打ち上げの場にはオッサンもいて、ひとりで酒を飲んでいた。


「お父さんは強いですけど、お母さんは全然ダメなので」


「ふぅん…どっちかってことね」


事実は、普通に弱いが。


というか、ここにいる面々は見てみると、みんな結構酒は弱そうな気もする。とはいえ、実際に一緒に酒を飲んだ記憶もないし、よくわからないが。


「卒業したらさ、同窓会でもしようよ。その時のお楽しみでさ」


春原がへらへらと笑って言う。


同窓会か。そんなものに参加したことはないな。


「ああ、いいですね」


「楽しそうです」


…等々、それを聞くと部員たちは楽しそうな顔になった。


将来か。


自分がどんな気持ちで、この学校を卒業する日を迎えるのだろうか。俺の未来はどうなっているのか。


「そんな時は、僕も実家からこっちに出てくるよ」


「そういえば、春原さんは寮ですから…家が遠いんですよね?」


渚が言うとおり、こいつだけ実家が東北だ。この町にくるだけで一日がかりというくらいには遠い。


「うん、そうなんだよね」


「どこの動物園だったけ?」


「たしかアフリカじゃない?」


俺と杏でのワンツーコンボ。


「あんたら息合いすぎだよっ」


春原はツッコミを入れた。


…話がそれてしまった。


「まあ、春原のルーツは置いといて…」


「もうどうでもいいっす」


「あのさ。これ、見覚えあるか?」


俺はポケットからヒトデを取り出してみんなに見せる。朝、何人かに聞いたが見覚えはない様子だった。


テーブルの上に置かれたそれを、一同覗き込む。


「なに、コレ?」


「彫刻?」


杏とことみはピンとこない様子。


「とってもかわいいですね」


「これは、星ですか?」


「なんですか、これ」


有紀寧、仁科、杉坂も初めて見たという様子だった。


俺は嘆息する。


やはり、覚えていないか。たったひとりも、容赦なく。


「あの、そんなに大事なものなんですか?」


朝もこのヒトデを見せられた渚が、首をかしげて聞く。


「まあ、ちょっと」


口ごもる。さすがに、説明できない。


「謎の彫刻の営業でも始めたんですか? 幸運を呼ぶマジックアイテム、一個五千円とかで」


「…幸運を呼ぶんですか?」


椋が興味を示した!


「…それ、原田の嘘だから」


ため息まじりにそう言っておく。


「ま、今はいいよ」


俺はポケットにヒトデを押し込んだ。


そうだ、今はいい。


大切なその日は、日曜日。公子さんの結婚式、その日だ。







524


「岡崎」


放課後、ホームルームが終わった直後、担任に呼ばれる。


机に肘をついてぼんやりと外を見ていたが…手招きしている。来いということだろう。


「おまえ、なにかしたの?」


「さあ…」


短く春原と言葉を交わし、教卓の方へ。


「なんすか?」


正直、手短に終わらせてほしいのだが。そんな様子を見て、担任は顔をしかめる。


「おまえ、その言葉遣いは何とかならんのか?」


「はあ、まあ」


「…まあいい」


というか、どうでもいい、という顔をする。


「おまえに客が来とる」


「客?」


「ああ…」


担任は、かすかに戸惑った表情だった。


というか、俺も同じような顔をしていることだろう。


俺に客? わざわざ学校にまで?


相手が誰か、想像もできない。


そう思いその客の名を聞いてみると、担任はその名を教えてくれる。


「おまえとは在学時期もずれてるし、どういう知り合いなのかは知らんがな…いらっしゃっているのは、伊吹公子先生だ」


「…」


俺は、ぽかんと口を開けてその言葉を聞いていた。


心を揺さぶれたようだった。


昨日あれだけ探していた人。


「…公子さんが?」


「ああ。職員室の傍に、応接室があるだろう。そこで待っているそうだ」


「…」


期せずして、いきなりに。


停滞していた事態が動き始める。



…。



逸る心を押さえつけ、廊下を歩く。


下校したり、部活に向かう生徒たちの間をすり抜ける。


混雑するクラス前を抜けて職員室の近くまで来ると、人の姿もまばらになった。


先程担任に言われた、応接室。


ここに足を踏み入れたことはない。生徒に来客があるなんてそうそうないし、あってもわざわざこんな場所を使うなんて稀だろう。


中からは、かすかに話し声。


ひとつ深呼吸して、応接室に入る。


「ああ、岡崎さん」


中は、広くはない。ソファとテーブル、棚にトロフィーが飾られている。壁には運動部がどこかの大会で撮ったような写真。


ソファに座り話し込んでいた公子さんが顔を上げた。その向かいに、幸村が座っている。中にいるのは、二人だけだ。


引き戸をしめると、外の物音も引いていった。放課後とはいえ、職員室の傍は旧校舎とは打って変ったように静かだ。


俺は公子さんの顔を見る。面会謝絶にさえなり、今、風子の身の上に何かが起こっている。そのことが公子さんの表情に何か影響をもたらしていないかとも探る が、よくわからない。


疲れているようにも見えるし、元気な様子にも思える。


…色々、彼女に聞きたいことがあった。だが、顔を見るとうまく言葉が出てこない。


「すみません、お呼びしてしまって」


「ああ、いえ…」


「ここに座るとよい」


幸村の隣…公子先生の向かいのソファを示されて、ふらふらとそこまで歩き、腰を下ろす。


俺は公子さんを見る。俺の視線を受けて、柔らかく微笑んだ。


幸村がテーブルの上のポットでティーバッグの茶をいれてくれた。


俺と公子さんは、出方でも伺うようにその様子をじっと見守った。しばらく、交わされる言葉はない。沈黙をかみしめるようにしばらくの無言。


湯呑みから細くたなびく湯気さえなければ、時間が静止しているようにも見えるだろう。


「創立者祭の日に会っているのに、なんだか久しぶりのような気がしますね」


少しして、公子さんがぽつりとつぶやいた。


「…」


俺はぼんやりと、頷く。


創立者祭。それはまだまだ、三日前。それなのに、もうずいぶん昔のことのような気がする。俺が、まだ何も知らなかった頃だ。ある意味では、無垢だったころ と言い換えてもいい。


だが今既に、俺の世界はひっくり返った。彩り鮮やかな未来が俺の将来を暗く照らした。


そんなこちらの様子を気にした風もなく、公子さんは話を続ける。


「今、幸村先生と、今度の結婚式の話し合いをしていたんです」


そう言うと、少しはにかむ。


たしかに、見てみるとテーブルの上には進行表みたいなものが乗っていた。他にも、書き込みがされた資料。


「岡崎さんがこの学校で結婚式にしないかって言ってくれて、それで色々と相談しまして…急な話ですけど、今度の日曜日に学校で結婚式を挙げることになった んです」


「え?」


俺はぽかんと公子さんの顔を見てしまうが、すぐに失態に気付く。


…そうか、俺は別の世界の記憶からこの週末に結婚式と知っていたものの、この世界ではまだ公子さんとはそこまで話を進めていなかったのか。


ごまかそうかともするが、公子さんはいぶかしむ様子もなかった。俺の反応に、少し笑うだけ。大方、唐突に直近の結婚式を聞かされて驚いているだけに見えた のだろう。それならば、それでいい。


「うむ…。わしも、スピーチを頼まれてしもうた。もう耄碌しとるから、うまくできるかわからんわい」


「もう、お元気そうなのにそんなことを言って。幸村先生にはこの学校で一番お世話になりましたから、ご迷惑でなければと思いまして」


「なに、迷惑なわけはない。光栄なことだからの」


着々と、準備を進めているようだった。


あまりにも準備時間が短いのだから、その忙しさもひとしおだろう。


「いきなりですので、やっぱりたくさんの人は呼べないんです。だから、家族や近しい人だけで、小ぢんまりと式を挙げようと思っているんです」


「そうですか…」


公子さんの口から出た、家族という言葉が俺の胸を締め付ける。


その身内の中に…彼女の妹は、風子は…いるのだろうか?


公子さんと芳野さんの結婚式を祝いたい気持ちもあるが、風子のことも気がかりで、うまく言葉を返すこともできない。


立ち上がって、無理矢理に話を変えて、風子のことはどうなったかと聞きたい衝動に駆られる。だがそれはあまりにも不躾だと、我慢した。


「岡崎さん」


やきもきする俺を余所に、公子さんはテーブルの上に一通の封筒を置いた。上質な紙でできた、桜色の封筒。


たどたどしい字で、そこには、『岡崎朋也様』と書かれていた。


俺はそれをまじまじと見た。顔を上げると、公子さんが微笑んでその視線を受け止めた。


「先ほども言いましたが、今回は急な話でしたので、結婚式の案内のお手紙は出していないんです。親しい身内に電話で話をして、予定を取り付けまして…。だ から、こういう書式でお渡しするのは、岡崎さんだけです」


「なんで…俺だけなんですか…?」


「もちろん、岡崎さんに結婚式に参列してほしいからですよ。私もそう思っていますし……あの子もです」


あの子。


「…」


きゅ、と、胸が締め付けられた。


俺は封筒に書かれた自分の名前を読む。筆で書かれた拙いその字を。


…それは明らかに、慣れない奴がごくごく個人的に書いた字だ。


この字を書いたのは公子さんではない。直感で、わかる。


あの子。


俺は封筒を裏返す。


下に、名前が書いてあった。


その名前は。


「…」


それは。


俺の周囲のすべての人の頭から失われた名前だった。


そして。


俺が探している名前でもあった。


「本当は、そこには私と相手の方の名前を書くべきなんですけれど、あの子がどうしてもって聞かなくて」


困ったようだけれど、楽しそうな口調だった。


「…」


伊吹、風子。


俺はその名を、じっと見つめていた。


「公子さん…」


「はい」


「あいつは…今…」


昨日わかった状況は、面会謝絶。


事態が好転したのかどうかもわからない状況だった。


だが。


「ふぅちゃんは、きっと今頃、検査を受けているんだと思いますよ」


公子さんはにっこりと笑う。


「結婚式に出席したいから、嫌な検査も我慢するって言っていました」


「…」


肩から、力が抜けた。


「それでも筋力が落ちてしまっていて…」


続く公子さんの話が、全然頭に入ってこない。


あいつは…いなくなってしまった可能性もあると、ずっと思っていた。


俺が不思議な場所で出会った、謎の女の子。


彼女の残した言葉…『世界の歪みを直す』という言葉。その言葉に不安を覚えていた。風子の意識だけが彷徨っているという異常な状況を消し去り、宙ぶらりん になった風子の肉体も死んでしまうという可能性を考えていた。


だが、事態はそうは転ばなかった。


俺は…あの時の、謎の少女の表情を思い出す。



彼女は、

…笑っていた。



彼女は、俺を見て、懐かしそうに笑っていたのだ。


きっと、あの子は、できることを俺にしてくれたのだ。あの少女が多くの鍵を握っているのだろう。そして彼女は、そんなに悪い奴でもなさそうだった。


「そうっすか…」


安堵の息をつく。


俺に手紙を書くくらいならば、風子はこの学校でプレゼントを渡して回った記憶も失っていないのだろう。


そんな様子を、公子さんはじっと観察していた。


そして、やがて、口元をほころばせる。


「あの子に岡崎さんみたいな方がいて、とてもよかったです」


そう言い置いて、公子さんは言葉を続けた。


それは、風子の話だった。


小さい頃からお姉ちゃんっ子で、公子さんにべったりだった。そしてそのせいか、外では友人らしい友人も作ることがなかった。


いつも周囲を警戒するように心を許さず…家族の他には笑顔も見せなかった。


そのまま、中学校を卒業した。一人の友人もつくらずに。


そんな妹の様子を見て、公子さんは心を決めた。


本当に大切な妹だけど…だからこそ、あえて彼女に冷たく接するようになった。


意識して、一緒にいる時間を減らした。


そうすれば、風子は寂しく思い…外に、誰かとのつながりを求めてくれると考えたのだ。


そんな公子さんの願いは風子に伝わった。


高校の始業式の日の朝。


風子は、頑張って友達をつくると言った。


気持ちのいい朝。


これからの未来を夢見て風子は高校への通学路を歩んでいった。


…、そして、そのまま事故に遭い帰ることはなかった。


「…」


俺は公子さんの話を聞きながら、思う。


どうやら彼女は、俺が風子と仲良くなったのは、高校一年の始業式の日だと考えているらしい。とはいえ、それは当然のことだ。普通に考えてみれば、俺があい つと知り合う機会は、その日にしかない。


たった一日だけの友人。周囲からすれば、それが俺と風子の関係なのか。


「すみません、いきなりこんな話をしてしまって」


公子さんが話すのをじっと聞いていると、退屈しているとでも思ったのか、苦笑しながら頭を下げる。


「ああ、いや…聞けて、よかったっす」


つい、ぼんやりしてしまっていた。


「あの…あいつ、何か言っていましたか?」


「ふぅちゃんですか?」


「はい」


公子さんは、困ったように笑った。


「あの子も、目が覚めてすごく混乱しているみたいで…。それも、無理もないかもしれないですね。目が覚めたら二年も経っていて、私の方はもうすぐ結婚する 話になっていて…。それでも、私の結婚を喜んでくれているみたいで、よかったです」


「そうすか…」


「岡崎さんへの伝言とかは預かっていませんが、きっと、あの子の気持ちはその案内状に一緒に書いてあるんじゃないでしょうか」


「…」


テーブルの上。風子から俺に宛てられた、公子さんの結婚式の案内状。


「ありがとうございました。話を聞けて、よかったです」


言って、封筒を手に取る。


「こちらこそ、ありがとうございます。また、日曜日、よろしくお願いします」


「はい、こちらこそ」


笑い合い、俺は席を立つ。


幸村と結婚式の予定を詰めているようだし、これ以上ここにいても邪魔なだけだろう。


軽く言葉を交わして、応接室を出た。







526


廊下を歩く。世界が輝いていた。


心に形があるならば、胸からそれを取り出して丹念に洗ったような気分だった。


容態もわからなかった風子だが、彼女は無事に目覚めたようだった。


憂いた物事が、いい方向に流れていた。


風子は消えた。この学校を走り回る彼女の姿はなくなって、その記憶はもはや残り香さえもないくらいにわずかに生徒たちの心に残るのみ。


だが、それは終わりではない。


それはきっと、始まりなのだ。


歩きながら、案内状の封を開ける。


中に書かれているのは簡素なメッセージのみ。


結婚式のお祝いのために、日曜日に学校に来て欲しいということ。


そして、待ち合わせの場所。


…風子の指定した待ち合わせ場所は、校門へと続く坂の下だった。


それ以外、個人的なメッセージはない。


多分、うまく文章では書けなかったのだろう。なんとなく、そんなことを思う。目覚めたあいつは、自分の身に起こったことをそのまま公子さんに言うのもヘン な話で、苦悩もあったのかもしれない。もしかしたら、目覚めた世界はまた別の世界で、そこでは俺と知り合ってもいないなどと考えてしまったのかもしれな い。だから、悩んで多くをしたためなかった可能性もある。


それでもこれだけで、俺は安心した。


再び会えるのは、結婚式の日。


日曜日が、待ち遠しい。


…そんな気持ちは、久しぶりだった。


先の見えない将来を、希望を持って見据えることなど。


そう思うと、口の端が緩んだ。




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