folks‐lore 05/13



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「朋也くん朋也くん朋也くんっ」


ホームルームが終わり、春原と下らない話をしていると、ことみがぱたぱたと駆けながら教室に入ってきた。


なんとなく普段あんまり走らない印象だけに、慌てた様子でやってきたことみを見るとクラスメートたちはびっくりした様子で彼女を見た。だが、ことみ自身は そんな周囲の反応など見向きもしない。


「大変なのっ」


はあはあと肩で息をしながら俺の机にとんと手を置く。


「なんだ、どうした」


尋常ではない様子に俺はつい腰を浮かしてしまうが…


すぐに、なんのことか気が付いた。


そうだ、今日がことみの誕生日。この日、彼女の元にたどり着いたものがあった。


…何年越しかの、誕生日プレゼントだ。


そうだ、そういえば、ことみの誕生日に渡されたものがあった。


「あの…あの人が来ているのっ」


「あの人」


その言葉で、予想が当たっているとわかる。


俺は紳士の姿を思い浮かべる。ことみの両親の友人であり、後見人。


俺の反応に、ことみは誰のことかわかっていないと思ったのだろう。身振り手振りで表現しようとするが、うまくいかない。


「あの人なの。あの、男の人」


「…」


全然表現できていない。俺はわかるが、傍から見ればわけわからない説明だぞ。


横で春原は呆然としている。きっと全く話についていけていないのだろう。


これまで、ことみはずっと紳士のことを『わるもの』と呼んでいた。だが、それは自らの身を守るための方便として呼んでいたようなものだ。


前よりもしっかりと過去を向き合うことができたけれど、それでもすぐには別の呼び方が思いつかないということだろう。


…というか、普通に名前で言えばいいのだが、多分名前もよく知らないんだろうな。ずっと、あの人のことを拒絶してきたから。


「わかるよ。こないだ商店街で話しかけてきた、コートの人だろ?」


「わ、うん、そう、そうなの」


目を丸くして、こくこく頷く。


「朋也くん、すごい」


「岡崎、おまえエスパー?」


春原もびっくりした様子だった。


「なんとなくな」


本当は知っていたからなのだが、まあ、そう言うしかない。


「これから、おまえのことエスパー岡崎って呼んであげるよ」


「なんか芸人みたいだぞ、それ…」


「あの、この間の人がまた来ているということなんですか?」


騒ぎを聞きつけて寄ってきていた椋が表情を曇らせて、口を挟む。


「ああ、あの変な奴だよね。学校まで来てるって、マジでストーカー?」


春原もいぶかしむような表情になった。


先日の出会いは、他の奴らには決していい印象はもたらさなかったようだ。まあ、ことみもわるものと呼んでいたし、あの場のみを考えてみると、好印象の与え ようがない。


「…よし、それなら僕がこの豪腕でとっちめてやるよっ」


「どんな豪腕だ。というか、荒事はやめろ」


「あ、あの、春原くん、そんなんじゃないのっ」


「へ? そうなの?」


「ことみちゃん、どういった知り合いなんですか?」


「ええと…」


ことみはふたりに尋ねられて、困ったように宙に視線をさまよわせる。


彼は、ことみの後見人だ。関係を言うならばその一言で足りる。だが、それを言ってしまうと、両親と死別していることや、こじれていた関係などの説明がくっ ついてきてしまい、一言では言い表せない。


言いたくない、と言うよりは、今それを言うと話が長くなる、それどころじゃない、というような素振り。


「ことみ、それよりも、その人がなんだって?」


ともかく話題を戻す。


「あ、うん。緊急の要件があるから、会ってくれないかって」


ちょっと早口に言う。


「だから、朋也くんに会いに来たの」


「…」


だから、俺に会いに来たって…。


全然、話が繋がってないような気がするんだが…。


まあ、ことみらしいといえば、らしい。


「一ノ瀬さん…っ」


そんな場面に、女教師が入ってくる。ことみに続いて教師までも慌てた様子で登場し、クラスメートたちは見世物でもあるかのように遠巻きにこちらに注目して いる。


てめえらは勉強でもしてろ、などと悪態もつきたくなるが、正直自分が野次馬の立場でも趨勢を見守ってしまうだろうし、そこまで強くは怒れない。


「どうしたの、一体?」


女教師は困惑した表情でことみを見て、俺たちと見比べる。


「あ…ごめんなさい。でも、朋也くんも一緒にって思ったから」


「え…あぁ…ふぅん…」


ことみの言葉に教師の目が俺に向く。その視線は、すぐに生暖かいものになった。


「まあ、あなたがいいって言うなら、構わないわ」


「他のみんなも、一緒」


ことみは言葉を続けながら、椋と春原を交互に見る。


「ええ…?」


さすがに、それに教師は顔をしかめる。


「あのね、一ノ瀬さん。お話をしているうちに授業時間になってしまうでしょうし、他の子が授業に出れなくなってしまうのはよくないわ」


「俺だけならいいのか?」


「はは、岡崎は今更授業なんて出なくっても何も変わらないからねっ」


「おまえもだろ、馬鹿」


「ああ、そういうわけじゃなくて」


ちょっとした失言に気づいたのか、女教師は苦笑して頭を振る。


「ひとりくらい仲のいい友だちが一緒にいてくれる方が、落ち着いて話もできるというのもあるから」


「それなら、もっとたくさんの人がいたほうが、もっと、いいと思います。私も、ことみちゃんがいて欲しいっていうんなら、ぜひ一緒にいたいです。私も、こ とみちゃんのお友達ですから」


「椋ちゃん…」


「ことみちゃん…私も、一緒にいていいですか?」


「うん。ありがとう、椋ちゃん」


ふたりは手を取り合った。麗しい友情の姿。


そんな美しい姿を見て、女教師はやれやれというように肩を落とした。


その姿にほだされたというよりも、こんな雰囲気になって水を差すのも良くないと思っただけだろう。こちらとしては、都合がいい。


「わかったわ。乾先生には言っておくから、三人とも一緒にきてちょうだい」


「あ、先生」


「なに、一ノ瀬さん?」


「あと、渚ちゃんと杏ちゃんも呼んでいい?」


「…」


女教師の頬が、ヒクついた。


「…ことみちゃん、結構要求するね」


春原が感心したように耳打ちしてくる。


「だな…」


天然で言っているからタチが悪い。



…。



そろそろ一時間目が始まるくらいの時間、生徒たちの多くは自分の教室に戻ってくるところだが、そんな中、俺たちはその流れに逆らって旧校舎に向かってい た。


俺とことみ。春原、椋。そして新たに加わった渚と杏。


他の部員はいない。本当は渚たちが加わったあとでことみが有紀寧たち二年生組のことも口に出したのだが、いよいよ女教師の視線が剣呑なものになったので、 結局この六名となった。


女教師は、各担任に話でも通しに行っているのだろう。あと、あの紳士に歌劇部の部室に来てくれと伝えに行っているはずだ。


結局、紳士の話を聞く場所に部室を選んだ。かつてのあの時と一緒だ。あの部室が、今はことみにとって一番かけがえのない場所ということなのだろう。誰もい ない図書室ではなく、たくさんの人が集まるあの場所が。


「それで、大事な話っていうのはわかったけど、あの人、結局誰なの?」


歩きながら、杏が尋ねる。まだ俺以外はその辺りの事情は知らない。


「ええと…」


ことみはそれに対して、少し考え込むような素振り。


ちらり、と伺うように俺を見る。


ぺらぺら話すような身の上でもないが、少しは説明しておかないと事情を知らない彼らはさっぱりついていけないだろう。全く話しておかないというのも、不親 切だ。


俺はこくりと頷いた。秘密にしておくのはよくない、と意味を込めて。ことみはそれを正確に読み取ったようだ。


小さく頷き返す。


「あの人は、私の後見人なの」


「後見人?」


杏が不思議そうにその言葉を口にする。


後見人、などという言葉は日常生活ではそうそう使わない。渚も、椋も、春原も不思議そうな顔をしていた。


あまりに耳慣れない言葉で、すぐには意味が出てこない。


「うん」


だが、ことみは彼らの表情に構わず言葉を続けた。


「お父さんとお母さんがいないから、その代わり」


「あ…」


淡々と話すことみに、小さく漏れたのは誰の声だったか。


いつしか周囲には生徒の姿はなくなっていた。もうすぐ、一時間目が始まるのだ。


廊下を歩く。無言で歩く。


「ごめんね、ことみ」


「ううん、いいの」


詫びる杏に対して、ことみはちょっと笑って頭を振った。


「みんな、大切なお友達だから。私のこと、知ってほしかったから。だから、全然気にしてないの」


こんな話をしていても、穏やかな表情だ。一同は、少しほっとした様子になる。


「ことみちゃん、それで、どんな用件なの? もう聞いてる?」


春原が自然に話題を変える。


「それは、まだ聞いてないの。大切な用事で、今日じゃなきゃダメだって」


そう、これからことみに渡される誕生日プレゼント。


今日この日でなくてはいけないのだ。


「それだけ、大事な用なんですね」


「そうですね。なんだか、私まで緊張してきてしまいます…」


「あるいは、今日何が大事な日だったりしないの?」


杏が鋭いことを言う。


「あ」


ことみが小さく声を上げて、立ち止まった。


「なに、なに? なんかあるの?」


「え、ええとね…」


ことみは恥ずかしそうにしていて、何も言わない。


考えてみれば、自分で今日が自分の誕生日だと話すのもおかしな話だった。


「今日は、こいつの誕生日なんだ」


代わりに俺がそう言って、ぽん、とことみの頭に手を置く。


それに対して、一同しばらくぽかんとした。


「…はあッ? ことみ、ホントに?」


「う、うん」


杏に詰め寄られて、ことみはこくこくと頷く。


「あんたねぇ、そういうことは先に言っておきなさいよ。いきなり言われても、何も用意できないじゃない」


「あの、ことみちゃん、お誕生日おめでとうございます」


「はい、おめでとう、ことみちゃん」


「ありがとう、渚ちゃん、椋ちゃん」


「おめでと、ことみ」


「杏ちゃんも、ありがとう」


少女たちがにこにこと笑いながら言葉を交わす。ほほえましい光景だ。


「ことみの誕生日に関する話っているのも、あり得るのかしら。ていうか、朋也、あんたことみの誕生日知ってるなら先に言いなさいよ」


杏が剣呑な視線をこちらに向ける。恐ろしげな光景だ。


「昨日、急に思い出したんだ」


「ふぅん…?」


疑わしげな視線だった。俺はどれだけこいつに信頼されていないのだろうか。


「とってもとっても嬉しかったの。私のこと、思い出してくれて」


ことみは杏の視線も気にせずそう言う。


こうもはっきりと言われると、少し恥ずかしい。


しかも、俺はほとんど反則的に思い出しただけという感じもするしな…。


他の面々は、ことみの語り口に不思議そうな顔をしていた。


ただ誕生日を思い出しただけというには、ずいぶんと重い言い方。


「ことみのことを思い出したって、どういうことなの?」


「あ、ええとね、朋也くんとは小さい頃に会ったことがあったの」


「え?」


「本当ですか?」


「それじゃ、幼馴染なんですね」


「へ? そうなの? 初耳だけど」


四人とも、ぽかんと驚いた様子。


「ああ、昔に、ちょっとの間だけな」


「そのあとで、疎遠になっちゃったけど」


「まあな」


「でもさ、秘密にすることでもなかったじゃん。教えてくれればよかったのに」


「すっかり昔のことで、忘れてた」


「あんた、サイテーねぇ」


杏が目を細めて俺を見る。


「でも…なるほどねぇ」


顎に手を置いて、うんうんと頷いた。


「それを聞いて納得したわ。ことみの朋也への態度とか、幼馴染だったからなのね」


やっと腑に落ちた、という表情だった。


「小さい頃って、どれくらい前なんですか?」


椋が身を乗り出して聞く。


ずいぶん、興味ありそうだ。


「ええと、七八年前くらい」


「ま、それくらいだな」


小学生の頃のことだ。


「幼馴染の二人が会わないまま成長して、高校の同じ部活動で再会するなんて、なんだかドラマみたいです」


椋は夢見る乙女の顔で言う。


占い同様、恋愛ドラマも好きらしい。


同じ町で暮らしているのだから疎遠になっていてもどこかで再会する可能性はあるだろう。


だが、確かにそれは決して高い可能性ではない。


事実、俺はことみと図書室での一瞬の再会すらしなかった世界の記憶を持っている。俺とことみは、二度と出会わない可能性だってあったのだ。そう思うと、今 の状況が本当に不思議なめぐり合わせの上に立っているのだと実感する。たしかに、ドラマじみている面はある。


「はい、わたしも、すごくドラマチックだと思いますっ。そういうの、ちょっとだけ、憧れてしまいます」


「そういうの?」


「はい」


聞き返すと、渚はこくこくと頷いた。


「昔出会っていた大切な人に、また再会するって、とっても素敵です」


渚もそういう話は結構好きだからな。少し興奮した様子でそう言って、ちらっと俺を見ると少しだけ顔を赤くした。


「…そういえば、わたしと岡崎さんの出会いも、ちょっと、ドラマチックかもしれませんっ」


「へ?」


思い出してみる。


もう一ヶ月も前のこと。


俺がこの世界に紛れ込んだ。渚を失ったあの世界から、またやり直せるこの場所へ、俺は奇妙な縁でたどりついた。


また、すべての始まる日に戻ってきた。


坂の下で渚の背中に出会った。


激情や感動に身を委ね、俺は始まりの場所で渚を強く、抱きしめていたのだ。


…などというとカッコいいかもしれないが、渚からすれば初対面の男にいきなり抱きつかれただけだ。


それをドラマチックなどといい方向に思ってくれているのはラッキーだった。というか、その後親しくなったから、その時の印象もそう悪いものにはならなかっ たみたいだ。


「え? そういえば、どういう風に会ったの?」


「はい、聞いたことがないです」


やばい、藤林姉妹が興味を示した。


もし渚が正直に言ってしまったら、俺がただの変態だと思われる。


あわてて口を挟もうとするが…


「それは、秘密です。えへへ」


渚は恥ずかしそうに笑って、やり過ごしてくれた。


胸をなでおろす。


まあ、言いふらすようなエピソードでもないからな。


「それを言うならさ、僕と岡崎の出会いだってドラマチックだったじゃん?」


春原もそんなことを言い始める。俺はどれだけドラマチックな出会いをしているのだろうか。


「そうだっけ?」


「ああ、懐かしいね」


「すまん、忘れた」


「あんた無茶苦茶薄情っすねっ」


春原はツッコミを入れた。


「あんたたち、一年の頃からつるんでたんだっけ?」


杏が口をはさむ。


「うん。一年の秋とか、それくらいからじゃない?」


「ああ、そうだっけ…?」


考えてみると、俺は高校生活の最初の半年近くは春原なしで過ごしていたのか。正直、春原とつるんでいない時期のことは全く記憶になかった。


特に親しい奴もいなかったし、楽しいこともなかったからな。


「なんだか、おふたりとも息ぴったりですから、小さい頃から一緒って感じがします」


渚はにこにこと笑っている。


「こいつと幼馴染とか、最悪だろ。アホがうつる」


「朋也」


「なんだよ、杏」


「もううつってる」


「マジかよ…」


「あんたら、言いたい放題ですね」


「どんな出会いだったの?」


ことみが首をかしげて聞く。


「ええと、たしか…俺が幸村に指導室に呼ばれてさ、ちょうど部屋から出てきた春原と会ったんだ。そしたら、こいつ、あまりにもアホ面だったから笑っちまっ た」


「今でもそうじゃない」


「ま、そうだけど」


俺と杏は朗らかに笑い合った。


考えてみれば、俺と春原の関係は最初の出会いから何も変わっちゃいないな。


「あの頃は、僕も荒れてたんだよ。それがさ、廊下で会って急にアホみたいに笑い出す奴がいてさ、それが岡崎だったわけ」


「おまえあの時サッカー部との喧嘩のあとで顔がボコボコだったじゃん。この学校にそんな馬鹿がいるんだなって思ってさ」


「ぶっちゃけ、喧嘩して退学になってやろうって思ってたからね。楽しいことなかったし」


「あの時、幸村もいたっけ?」


「そうそう。岡崎の馬鹿笑いを見てたら、僕も笑っちゃってさ。それを見てたあのじじいが、なんか部屋に連れてって茶とか出してさ」


「今思い出すと、あのじいさん、絶対俺たちを引き合わせるつもりだったぞ」


「だね。一人じゃ勝手に退学しちまうって思ったんだよ、きっと」


懐かしい思い出だ。


そして、幸村には感謝をしてもし足りないくらいだな。おそらく、幸村のその読みは当たっている。


「そのお話、とっても素敵だと思いますっ」


渚は感動したように胸に手を当てる。


「うん。とってもとっても運命的なの」


ことみもにっこりと笑った。


「僕らの出会い、結構いい話でしょ。ま、偶然半分、運命半分ってとこかな」


「嫌な運命だな」


俺は苦笑するしかない。


「50パーセントを呪いにしておいてくれ」


「岡崎さん、そんなこと言っちゃダメです。すごく奇跡的だと思いますっ」


渚にはずいぶんいい話に聞こえたようで、そんなことを言う。


「じゃ、1パーセントくらいは奇跡ってことで」


「なんかやけにいい話な感じがするし、20パーセントくらい陽平の妄想にしておかない?」


「ああ。あとハンバーグでも入れとくか。5パーセントくらい」


「あの、幸村先生が間に立ってくれたみたいですし、幸村先生の協力も入れた方がいいと思います…10パーセントくらいは」


「わかった。米もほしいな、3パーセントは」


「朋也くん、野菜も取らなきゃだめだから、人参とじゃが芋とコーンがほしいの」


「じゃ、全部3パーセントずつで」


「おふたりの大切な出会いですから、明日への希望も入れてほしいです」


「それじゃ、残りは明日への希望にしておくか。ほら、春原、計算しなおせ」


「へ? ええと…」


春原は指を折って計算を始める。


「…よし、できた」


しばらくして、計算はまとまったようだ。


「それで、俺たちの出会いはどんな出会いだったんだ?」


「うん、それはね…」


春原は大きく息を吸う。


「50パーセントの呪いと20パーセントの僕の妄想と10パーセントの幸村の協力と…」


「…」


「5パーセントのハンバーグと3パーセントずつのライスと人参とじゃが芋とコーンと…」


「…」


「…そして、2パーセントの明日への希望と1パーセントの奇跡だよっ」


「うわはははーーーーっ!」


俺は腹を抱えて笑った。


「僕らの出会いの一部がハンバーグ定食になってるんですけどっ!」


「とても素敵な出会いだと思います」


「とってもとってもおいしそうなの」


渚とことみも楽しげに笑っている。


「ぜんぜん状況がわからないでしょっ。というか、希望と奇跡を足しても付け合わせと変わらないじゃんっ」


「概要はあってるからいいじゃない」


「お、お姉ちゃんまで…」


「いや、概要すら大体呪いと妄想になってるんですけど…」


春原はひとつ息をつく。


馬鹿話をしているうちに、部室に着いた。


中に入り、空いた席に着く。


「あたしたちは、そんな感動的な出会いじゃないわねぇ」


物思いにふけるような表情で、杏が言った。


「俺と最初に会った時か?」


「懐かしいね、なんか」


春原も感慨深い様子で言う。あの頃はもう二人でつるんでいて、杏がお目付け役のような立場にさせられて付き合いが始まったのだ。


あの頃は、まさか同じ部活に入るとは思ってもいなかったな。


「あんたたちがホームルームから抜け出そうとしてたのを捕まえたら、そのあと保護者みたいにさせられちゃったのよねえ」


「そういや、そうだねぇ。たしかそのあと雑用で新入生歓迎のなにか作らされたんだよね」


あの当時は嫌々備品作りをしていた春原も、今となってはいい思い出と考えているような表情。


「その監督をさせられて、こっちはいい迷惑だったけど」


話していて、昔のことが思い出されてくる。


「そういや、あの頃か。俺たちがくす玉作ったの」


しばらく前にくす玉を作った話をしたことがあったが、やっと今腑に落ちる。そういえば、そんなこともあった。


「そうそう、中にタライを仕込んでねっ」


春原もその時のことを思い出したからか、ニヤッと笑顔を見せた。


「たしか、新入生じゃなくって先輩が引っかかってた気がするな」


「そうだったっけ?」


春原は、そこまで詳しくは覚えていないようだった。ま、もっとアホなことをやらかしているから、これくらいの話では記憶に残らないかもしれない。


「たしか、そうだ。あの時、この学校にもアホな先輩がいるんだなって思ったから」


「…あの、岡崎さんっ」


唐突に。渚が口をはさむ。


「え?」


彼女の顔を見ると、なぜか険しい顔をしていた。というか…怒ってる?


「そんな言い方は、ひどいと思います」


ぐっとこぶしを握って、責めるように言う。


なんだか、迫力がある。


「でもさ」


つい弁解するような口調になってしまう。


「正門のところにくす玉を付けてあるって、明らかに怪しいじゃん。それにわざわざ引っかかるなんて相当能天気な奴だろ」


「の、能天気…」


なんでだろう、渚が落ち込んでいる。彼女のアホ毛も心なしかしおしおとしている気がする。


「あ」


そんな様子を見ていて、椋が小さく声を上げる。何かに気付いたようだった。


「渚ちゃん、まさか、その時の先輩って…」


「ああっ、椋ちゃん、それは秘密にしてくださいっ」


「は、はい…。そうですね、秘密ですよね…っ」


ふたり、こくこくと頷き合った。


わけがわからないやり取りだ。


「…なんなんだ、いったい」


「いえ、あの、秘密ですから…」


聞いても、はぐらかされる。


椋は焦った様子で視線をさまよわせて、ぱっと顔を上げた。


「あ、あの、そういえば、私と岡崎くんの最初に話をした時も、ちょっとドラマチックだったかもしれませんね…っ」


思いついたように、そんなことを言う。


話をそらそうとしているようだが。


「え?」


そうだったっけ?


俺はつい椋と最初に会った時のことを思い出そうとする。


だが正直、全然覚えていない。


同じクラスになって、杏の妹がいるんだなって思って、だんだん話すようになったくらいだったような。正直、出会いと言っていいようなものはなかったと思 う。


「はい、あの、球技大会の時に…って、あぁっ、これは秘密ですっ」


頭を振る。ひとりで自爆していた。忙しい奴だ。


球技大会?


そんなヒントが出てきても、椋の存在は結びついてこない。


球技大会は秋のイベントだから、一年か二年の頃に実はもう会っていたのか?


椋と付き合っている世界の記憶を考えてみる。思い当たらない。俺が彼氏になった場合でも、椋は出会いの話は秘密にしていたらしい。


「朋也、どんな出会いだったの、一体? ちょっと興味あるわ」


「いや、覚えてないけど」


「ホント、あんたサイテーね」


「い、いえ、岡崎くんが覚えてないのは、仕方がないからっ」


仕方がない?


そう言われると、逆に椋との出会いがどんなものだったのか気になってくるんだが。


「なんか面白そうじゃん。それ、聞かせてよ」


「とっても興味があるの」


「ああ、いえ、秘密ですっ」


椋からその話を引き出そうと騒いでいると、固いノックの音がした。


引き戸が開くと、そこにはことみの代理人…紳士の姿があった。


彼は部室の中を見回して、再び俺たちに向き直ると、柔和な笑顔を見せた。


「どうやら、お待たせしてしまったみたいだ」


待ち人がきたる。


和気あいあいとしていた俺たちの空気が、引き締まる。


そもそもここには大事な話ということで来ているのだ。ついついいつもの調子で騒いでいた。


…ことみにとっては、それくらいの方がリラックスできていいのかもしれなかったが。


紳士が部室に入ってくる。


彼のその手にトランクケースを持って。


俺はそれを見て静かに思う。


その中には誕生日プレゼントが入っている。


そして。


過去と未来が入っているのだ、と。





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