494
ことみの家を出た俺は、商店街をぼんやりと歩いていた。
明日は、ことみの誕生日だ。何もしてやらないというわけにもいかないよな。
自分の記憶を鑑みる。あの時はことみの庭を綺麗に整えて、それが誕生日プレゼントみたいなものだった。だが、今回同じ手を使うということもできない。今からじゃ庭を整えるのも間に合わないからな。プレゼントとは別に綺麗にしたいところではあるが。
プレゼントか。何をあげようか。
かつて、杏たちはたしかヴァイオリンをプレゼントしようとしていたのだ。ことみが気に入っていた、練習用のヴァイオリン。ただ結局、不運な事故で破損してしまって、引き換え券みたいなのを渡していたんだっけな。
今、たしかあれは仁科が修理に出してしまっていたはず。そういえば、いつ修理が終わるのかも知らない。
もしもう直っているならば、それでプレゼントにできれば万々歳だが。
そのあたりの事情を仁科に聞きたいところだが、あいにく彼女の連絡先を知らないな。
いくつもの別世界の記憶を洗ってみる。すると、そもそも、あいつと仲良くなった記憶というものがないことに気が付く。これまではほとんど係わり合いのない人間だった。だが、実際、なんの因果か俺たちは仲良く協力し合うような関係になっている。交わらなかった運命が交わった。
未来。
それは少しの違いで、全然別の場所へと繋がっている。
思わず思考が再び昨晩のあの邂逅へと遡ってしまいそうになるが、俺は思考を押し留める。考えても、今は仕方がないのだ。
とはいえ、やれやれ。
どうしようか…などと思案していると、俺は向こうの方に見覚えのある三人組の姿を見つけた。
それはまさに、今求めている姿だった。
仁科、杉坂、原田の三人が笑い合いながら歩いてくる姿だった。
笑ってしまいたくなるほどの幸運だった。
「仁科っ」
彼女の名を呼んで、三人組の方へと近付く。相手も、すぐに俺に気付いたようだった。
「ちょうどよかった。おまえに会いたいと思ってたんだ」
「え…えっ、えっ?」
挨拶よりも前にそう声をかけると、仁科は慌てたように顔を赤くした。
彼女は助けを求めるように杉坂と原田の方を窺って、両者がニヤニヤとしているのを見るとかすかに肩を震わせて俺に向き直る。
「あ、あの…」
伺うように俺を見る。
「はい…」
か細い声で、それだけ相槌を打った。
挙動がおかしいような気がしたが、まあいい。俺は思っていたことを彼女に伝える。
「明日ことみの誕生日なんだ」
「はい。…はい?」
ぽかんと俺を見る仁科。
「それでさ、あいつのヴァイオリンの修理がどんな状況かって聞きたいんだが…?」
そこまで言ってから、横で杉坂と原田が白い目で俺を見ているのに気付く。
「あんな風に声をかけてきて別の女の話題って、なんて思わせぶりな男なんだろうね、原田さん」
「悪魔だよ」
「…」
なんだか、酷い言われようだ…。
とはいえ、たしかにナンパじみた声のかけ方だったかもしれない。
「悪い、いきなりだったな」
「い、いえ」
軽く詫びると、仁科は頬を染めてふるふると頭を振った。
「あの、ええと、明日、一ノ瀬先輩のお誕生日なんですねっ。そういえば、奇遇ですねっ。こんにちはっ」
仁科が言い繕う。
そして、こっそりと横を向いて、
「あ、熱い…」
と額を手でぬぐっていた。
いきなり迫ったみたいになって、混乱させてしまったようだった。
「ちょうどあいつのプレゼントを考えていた時におまえらがいたからさ。奇遇だな」
「はは、そうですね。今日はおひとりなんですか?」
少しは平静に戻った仁科がにっこりと笑う。
「ああ」
「先輩がひとりって、なんだか珍しいですね」
杉坂がそんなことを言う。言われてみれば、たしかにそうかもしれない。
以前は春原くらいしか話せる奴がいない状況だったのに、身の回りの状況もずいぶん変わったものだ。
「一ノ瀬先輩のお誕生日プレゼントを選びにきていたんですか?」
「ま、そうだな」
原田に頷く。
「でも、ヴァイオリンが用意できるならそれもありかなって」
そう付け加えると、彼女らは得心した表情になる。
「あぁ、なるほど。でも、すみません。ヴァイオリンの修理は一昨日に出したんですけれど、すぐにはできないです。お店の人にどれくらいかかるかきちんと教えてもらったわけじゃないですけれど、多分早くてもあと半月くらいはかかると思います」
「そうか…」
たしかに、そんなあっという間にできるというわけでもないだろうな。言われてみればその通りだ。調弦するだけじゃなくて、細かな修理などもあるのだろう。
とすれば、やはりきちんとなにかプレゼントを見繕わなくてはならない。難しいな。
「あの、先輩」
仁科が恥ずかしそうに俺を見る。
「よければ、そのプレゼント探し、一緒に付き合ってもいいですか?」
「私たちも何をしているってわけじゃなかったですし、こっちも先輩には何かプレゼント用意したいですし」
「それに、女の子の意見があると違いますよ。選ぶのも楽になるし、一ノ瀬先輩も喜ぶし、悪いことなしですよ」
仁科の提案の後、杉坂と原田は敏腕営業のように言葉を付け足す。
まあ、実際その申し出はありがたい話だった。なにより、男ひとりじゃ足を踏み入れづらい店もある。
「ありがとな。それじゃ、頼むよ」
「はい」
「よろしくお願いします」
「お任せください」
そういうわけで、ことみの誕生日プレゼント探しの道中には、心強い味方ができた。
彼女らと肩を並べて歩き出す。
「何を買うっていう心当たりはあるんですか?」
「そんなのあれば、ヴァイオリンに期待はしてないよ」
杉坂の問いに答えると、相手は呆れたような顔になる。
「先輩、搾り出してプレゼントを選ぶようじゃダメですよ。あげたいものがたくさんあって、その中から相手が喜んでくれそうなものを選ぶ、というくらいじゃないと」
「あっそ…」
俺は杉坂の言葉を聞き流した。
「ですけど、難しいですよね。好きなものをあげれば喜んでくれるかな、という風にも思いますけど、逆に本当に好きなものだとこだわりがあるだろうなって思っちゃいますし」
「んー、あえてネタっぽいものにするのはどうですか?」
仁科と原田も明確にこれ、という案はないみたいだ。
「ま、色々見てみてそれっぽいのでも探すか」
「今日は平日ですし、どこもすいてそうですからちょうどいいですね」
俺たちは昨日の創立者祭の振り替え休日。とはいえ、世間は平日だ。
「そうだな…。そういえば、おまえらは今日行くところとかあったんじゃないのか?」
「いえ、私は特にどこというのは。杉坂さんは?」
「特に行きたいところがあるってわけじゃないわ。原田さんは、どこかある?」
「買いたいマンガがあるから本屋行きたいかも。でも、すぐにってほどじゃないし、なんか一ノ瀬先輩に会いそうな場所だから、あとで自分で行くよ」
それぞれ言葉を交わす下級生三人。
要するに、特になしというところだろう。なんとなくここに遊びにきたくらいのようだ。
ともかくこのまま商店街でも見て回ろうということに話は決まる。
「あの…先輩。ちょっと、疲れてますか?」
隣を歩く仁科が俺の顔を覗きこむとそう聞いた。
「俺? そんなことはないと思うけど」
「そうですか? 気のせいかな…」
ちょっと首を傾げてみせる。
「…」
彼女は、ずいぶん鋭い。
たしかに昨日の晩の出来事のせいで、精神的にどっと疲れているのはあるだろう。きっと、それが表情に出ているのだ。とはいえ、人に相談できる話でもないし、あまり心配もかけたくない。
仁科も確信があったわけではないようで、あまり深く聞くこともない。
「一段落ついたから、気が抜けただけだ。ま、今日ゆっくり休めば、多分元通りになるだろ」
「そうですね」
俺の言葉に、仁科はにっこりと笑った。
「先輩、がんばってましたから」
「おまえの方が、よくやってるだろ」
なんだか褒め合うような感じになってしまう。
「おまえらは、疲れてないのか?」
聞いてみると、彼女らは顔を見合わせる。
「私は、終わって逆に元気が出た感じです。一番末端で、元から気楽だったのもあるかもしれないですけど」
「私も、原田さんと同じ感じですね。やっぱり、りえちゃんが一番大変で、私たちはおまけみたいなものなので」
「でも、杉坂さんはクラスの方も大変だったじゃない。疲れてないの?」
「え…?」
杉坂が原田の方を見る。
そして…
「あああああ…」
頭を抱えてしまった!
どうやら、辛い記憶(河童役)を思い出しているようだった。
「大丈夫、杉坂さんっ。杉坂さんの河童役、すごかったよっ。ほら、またカッパーーーッて叫べば元気出るよっ」
「は、原田さん…」
「おまえ悪魔だ」
「あああああ…」
杉坂にはトラウマが生まれているようだった。
…。
「すみません、話が逸れましたね」
「おまえ、ノリノリで杉坂を攻撃してただろ」
「おかげで心は傷だらけよ…」
「あちゃー」
うなだれる杉坂を見て、原田は苦笑した。
「はは…」
仁科はそんな会話を、笑いながら眺めていた。
ともかく杉坂いじりも一区切り、どこに行くかに話は移る。
「雑貨とか、アクセサリーとか、どういうものを買うかは心当たりありますか?」
仁科にそう聞かれて、俺は思わず腕を組んでしまう。
「というか、何をあげれば喜んでもらえるかわからないな。仁科、おまえは貰ってうれしいものとかってあるか?」
「わ、私ですか?」
聞いてみると、難しい顔をしてしばらくうんうんと考え込む。やがて、ちょっと恥ずかしそうに向き直った。
「すみません、なんでもいいかもしれないです。選んでくれたんだなっていうのがわかれば、それで」
「そうか…」
「ぜんぜん、アドバイスになってないですね、はは」
ごまかすように笑った。
「先輩、先輩」
話していると、後ろをついてきていた杉坂に背中をつつかれる。
振り返ると、そっと左耳に顔を寄せた。
「ちなみにりえちゃんの誕生日は」
その言葉に続いて、空いた右耳に原田が耳打ちしてくる。
「割と近いんですよ」
「もちろんプレゼントするんでしょうね」
「今日のダブルデートでその辺を探っておいてくださいね」
「…」
なんだこの嫌なステレオ装置…。
両側からプレッシャーをかけるような言葉を聞かされてげんなりする。
というか原田、ダブルデートという言い方をするとおまえと杉坂がカップル状態になるんだが、いいのか。
「なに、なに?」
俺たちの様子を見て、仁科が笑いながら聞いてくる。
「なんでもないよ」
「ちょっと先輩に大事なお話をしていただけだよ」
杉坂と原田はにこやかにそう答えると、俺から離れた。
「…ま、手近なところから見ていこうぜ」
「はぁ…」
仁科は不思議そうに首をかしげた。
とりあえずは、ごまかせたようだった。
しかし。
俺はうちの部員たちの誕生日プレゼントを毎回用意しないといけないんだろうか?
…そのことは考えないようにしよう。
ともかく、今はことみのプレゼントだな。
俺たちはアクセサリーショップに入る。先日、部員たちで来た店だ。
勝手知ったる、というほどのものでもないが、どこに何があるかはわかる。
「アクセサリーか…」
センスが問われるから、難しいところだ。
「プレゼントの定番ですね。普段から身につけることが出来るのでもらった側からすればいつもプレゼントを付けていられるというのが利点。気に入ってもらえばすごく喜んでもらえますね。値段も色々ですが、特にサイズとかの採寸が必要なものだと下準備が必要なのがネックです」
「杉坂、おまえいつからデータキャラになったんだ…?」
「普通に、アドバイスです」
憮然とされた。
「あいつ、ヘアゴム付けてるな、そういや」
きちんとした装飾品は高校生にプレゼントするには敷居が高いような気もするし(自分の財布に不安もある)、ちょっとした髪留めなんかだったら現実的かもしれない。
「ああ、そういえばそうですね」
仁科が同意する。
「いつも同じのですよね。思い出の品だから逆に他の用意されても困るって可能性はあるかな?」
原田も真面目に考えてくれているようで、そう反論する。
その言葉に、ことみの髪留めに関する逸話を考えてみるが、全然記憶はない。
「それに、髪留めじゃ安すぎますよ。せっかくの誕生日プレゼントなんですから、ちゃんとしたものじゃないと」
「杉坂さん、でも、ほら、このあたりは、一個千円とかだよ」
「あ、それくらいならいいかも」
「いやいや、岡崎先輩の財力を考えたら、万いけるよ、万」
「原田、おまえは俺をセレブだと思っているのか…?」
無駄にハードル上げすぎだ。
「というか、そんな高いヘアゴムはないだろ」
見てみると、高くても千円くらいのようだ。二個買うとすれば、価格帯的にはちょうどいい。
よし、誕生日プレゼントはヘアゴムにしよう。
装飾品以外にいい案もないわけだし、さっさと決めてしまうことにした。
「プレゼント、これにするんですか?」
真剣に物色を始めた俺を見て、仁科が尋ねた。
「ああ、そうしてみる」
「まだ見始めたばかりですよ? 次の店でも、いいのあるかもしれませんし」
「いいのがなかったら、そうしてみるよ。おまえらも何かプレゼント買えば?」
「たしかに、そうですね。杉坂さん、何かいいのないかな?」
「うーん、一ノ瀬先輩の喜びそうなものかあ。というと…」
「まず、読書だよね」
考え込むふたりに、原田が口を挟む。
「あとは、料理」
「うん」
「そうね」
「そして、おっぱい」
「…」
「…」
「…」
俺たちは冷たい眼差しを原田に注いだ。
「あはは、冗談、冗談」
「ねぇりえちゃん、私たちで選ぶとして、ひとり一つ買うか、みんなでひとつ買うかにもよると思うわ」
「そ、そうだね…。別々に買ったほうが選ぶのは楽しそうだけど、いいのをひとつあげるのも喜んでくれそうな気もするし…」
「わあ…」
ナチュラルに仁科と杉坂に無視され、原田は呆然としていた…。
そんな様子に、俺は苦笑した。結構、息ぴったりだな。
「…原田さんは、何かいい案ある?」
ひとつ息をついた杉坂が、原田にも水を向けた。
無視されていた原田が、ぱっと表情を輝かせる。
「うん、ええとね…おっぱい」
懲りない奴だった!
「…」
「…」
「…」
「うーん、時間があれば、しおりとかを手作りというのもできるんだけど」
「りえちゃん、そういうの得意だもんね。私も、手先が器用だったらなあ」
「岡崎先輩がアクセサリーを選ぶなら、私たちは雑貨みたいなものの方がいいかな」
「そうね」
「あの、ちょっとちょっと」
もはやいない者扱いされた原田はさすがに焦った様子になった。
「おまえ、ちょっと春原に似てきたな」
「えぇ…? 死にます」
無茶苦茶失礼な奴だな。
「もう、原田さん、真面目に考えてよ」
呆れた様子の杉坂。
「ごめんごめん。私なりにしっかり考えたつもりだったんだけど」
「原田さんなりのしっかりは、アホっていうのよ」
おまえも無茶苦茶失礼だな、杉坂。
「…あはは」
そんなやり取りを、仁科はころころと笑いながら眺めていた。
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店で無事プレゼントのヘアゴムを見繕い、今度は合唱組のプレゼントを選ぼうと歩いていた時。
俺たちの目の前を、一人の女性がぱたぱたと横切った。両手に大きな買い物袋を掲げて、急いでいる様子だった。
「公子さん?」
驚いて、彼女の名を呼ぶ。
だが、その声は届かなかったようで、こちらに顔を向けることもなく早足に立ち去ってしまった。俺はぽかんとその後姿を見送る。
「あの人、昨日劇を見に来ていた…」
仁科も同様に小さくなる後姿を見て、小さくつぶやく。
「ああ」
「なんだか、急いでいましたね」
「だな…」
まあ、誰でも急ぐ時はあるだろう。
そう思ったが…
不意に、ぞくりとした寒気が背筋を走った。俺は体を震わせる。ずいぶん遠くになってしまった公子さんの背中をまた見る。
普段、慌てて駆けるような印象もない彼女の焦る様子。
なんだろう。この嫌な感じは。
なにか、良くないことが起こっているような気がする。
それは。
彼女を慌てさせるようなことといったら、それは…。
ああ、そうだ。
公子さんのあんな思いつめた表情を、俺はかつて見たことがある。
かつて、別の世界で。
彼女の言葉が切れ切れに、俺の脳裏に蘇る。
『あの子、三日前に容態が変わったんです…。二年間、変わらなかった容態です…』
そんな、言葉と、彼女の表情と。
俺はその時のことを思い出す。
ええと…。
あの子?
それは…
それは、と記憶が何かを掴もうとする。
脳裏に浮かぶ、おぼろげな姿。
春風のような女の子の姿、たんたんと、駆ける足音。
「先輩?」
「どうかしたんですか?」
だが、俺の思考は声をかけられて途切れた。
足を止めてしまった俺を、下級生たちが振り返ってこちらを見ている。
「いや…」
俺は視線を公子さんの去った方から引き剥がす。
「なんでもない」
なんでもないわけではないのだ。
なんでもないわけではないのだ、と思う。
だが、今さっき何を考えていたのかがふっと飛んでしまったことに気付く。俺は首をひねった。
気を取り直して歩き出す、俺の脳裏を昨夜の記憶が蘇る。
あの時、あの場所、あの少女の言葉。
ああ、そうだ、彼女は。
あの時、こう言ったのだ。
『この世界の歪みの全てを直す』、と。
その言葉。
胸の奥から湧き上がる不安。
吐き気のようにこみ上げる違和感。
焦燥感に焼かれた息をつく。
「プレゼント、なにがいいかなあ」
「まだまだ時間はあるから、大丈夫だよ」
「次、どこに行きましょうか」
「ああ、そうだな…」
それなのに、俺は下級生の少女らと言葉を交わしているうちに、嘘のようにその気持ちを流されてしまった。
…まるで、そんな気持ちなど初めから存在していないかのように。