folks‐lore 05/12



491


俺とことみは、居間で向かい合って座る。


目の前には、紅茶が用意され、湯気が細く伸びている。


お互い、機械的にティーカップに口を当てると、顔を見合わせた。


「朋也くん。昔のこと、どうして思い出したの?」


ことみは首をかしげてそう問う。


昔のことを、いきなり俺が思い出した。彼女にとっては唐突なことだったのだろう。至極当然の疑問だ。


「そりゃ…」


謎の少女が別の世界の記憶をくれたからです。


言えるか、そんなこと。


「どうしてだろうな。急に思い出したんだ」


そう言うしかない。


唐突に過去のことを思い出した、ということ自体は嘘ではない。ことみと共に人生を歩むようになった世界の記憶がくっついてはいるが。


「そっか…」


答えとしては納得いくものでもなかっただろうが、ことみはそれ以上深入りしたりはしなかった。


むしろ。


「あの…」


不安そうに、揺れる瞳を俺に向ける。


「朋也くんは…ぜんぶ、思い出したの?」


俺ことみはかつて出会い、楽しい時間をここで過ごした。


だが、ふたりの別れは唐突で、そして、悲しいことだった。


…俺が思い出したのは楽しい記憶か、辛い記憶か、両方か。


彼女に思い出した記憶を話したわけでないのだから、それを不安に思う気持ちはよくわかった。


そしてことみは、きっと…できることなら、辛い記憶のことなど今も忘れていたいと願っているのだろう。俺はそれを知っている。


…だが、きっとそのままではいられない。


悲しいことを、辛いことを、忘れてしまって蓋をして、隠せばすべてが終わるわけではない。


向き合い、咀嚼し、血肉としなければ前に進めないような問題もある。


「はじめ…」


俺は口を開く。


「はじめに俺がここに来るようになったのは、友達と遊んでいて、道に迷ったからだった」


「…うん」


「そうして、遊びに来るようになった…」


「…」


楽しい思い出。


一緒に本を読んだり、縁もなかった紅茶を飲んだり、古い映画を見たり、ヴァイオリンの演奏を聞いたり…。


だが、そんな日々は長く続かなかった。


「それから、ことみの誕生日のお祝いをしようって話になって、それで…」


「…」


ことみは、黙っている。


俺がすべてを思い出したのだと、理解したのだろう。彼女の深刻な表情から、その心中が察せられる。


だが、それでも。


俺たちが再び前を向くためには、悲しい過去を放り出してはいけない。


悲しくても、冷たくても、飲み込まなければならない記憶があるのだ。


ことみの両親が、飛行機事故に遭ってこの世を去ったこと。そしてそれに伴って起きたいくつもの悲しい出来事。


俺たちは、随分長い間それをどうにもしなかった。そして、未だに、その呪縛にとらわれ続けている。


「朋也くんは…知っているの? お父さんと、お母さんのこと」


「…ある程度は、知ってる。すごく立派な学者さんだったこと、この世界の成り立ちに関する、大切な研究をしていたこと…」


「うん」


ことみは俺の言葉に頷いた。


「なあ、ことみ。おまえが本から切り抜いていた記事。それは…」


「…」


ことみは黙って、頷いた。


ああ、俺は今彼女にひどいことを聞いている。だがそれを避けることはできない。


彼女はしばらく動きを止めていた。思い悩むような表情をしていた。


だが、やがて、意を決して立ち上がった。


「朋也くん…こっちにきて」


俺の手を取って、歩き出す。俺は導かれるままに彼女の後に続いた。


二人、居間を出る。


「最近、やっとわかるようになったの。お父さんのご本はとても難しくて、ずっと、よくわからなかったけど…」


歩きながら、ことみは言う。


彼女の背中、揺れる髪。


「お父さんとお母さんは、この世界のことを、いちばんきれいな言葉であらわそうとしてた。この世界には、普通では見えない隠された世界があるということを、いちばん最初に突き止めたの」


「隠された…世界? 普通では見えない世界?」


ことみの言葉が、ずしん、と…。


俺の胸にたしかな質量を持って、のしかかる。


息が苦しくなる。


「うん」


ことみは振り返りもせずに頷く。


「それは、どんな世界なんだ?」


俺は、思い出していた…。


昨晩。


俺がたどり着いたこの町の願いが叶う場所。


冷たい空気、深い森。


そこには俺とひとりの少女だけがいた。


…普通では見えない、隠された世界?


俺は一度…それを見ているのではないのか? そこに、迷い込んでいたのではないのか?


なぜか、俺はそんなことを思ってしまっていた。


ことみの両親が研究していたのは、多分もっと、学問的な話なはずだ。俺が経験しているようなマジカルな話ではないはずだ。


それなのに、不気味にふたつが呼応する。


俺の問いに、ことみはふるふると頭をふった。彼女の子供っぽい髪飾りが微かに揺れた。その髪飾りは、小さい頃からずっと変わっていないな。俺はぼんやりとそんなことを考える。


「わからないの。ごめんなさい」


「いや、悪い。こっちこそ」


ことみの言葉は泣きそうで、俺は慌ててそう言うしかなかった。


それから言葉は交わさずに、二階の奥の部屋へ行く。


ドアノブに手をかけると、一度、ことみはすがるように俺を見上げた。


俺は無言で、そっとその手の上に俺の手を重ねる。


ふたりの手で、その扉を開けた。


…その部屋の中は暗く、中がどうなっているのかはすぐにはわからない。


だが、部屋の奥に机がある。書斎か仕事部屋か…。


ことみが部屋の電気をつけると、中がはっきり見渡せるようになる。俺は目の前に現れた光景に、息を呑んだ。


大量の切抜き。床に散らばるものもあり、びっしりと壁に貼り付けられてもいる。


その光景を俺は知っていた。見るのは、二度目だ。そういえばかつての世界でもここを覗いたことがあった。


あの世界では、いつの間にかこの書斎は綺麗になっていた。ことみがひとりで片付けたのだろう。多分、俺が庭を蘇らせようとしていた時に。


知っていてもやはり衝撃的なものだった。あまりにも、病的すぎる。


痛いくらいに静かな空気。廊下の空気が流れたからか、新聞紙が揺れて乾いた音をたてる。


俺は身をかがめて、床に落ちている切抜きを手に取った。



『漁船が目撃 アラスカ沖に墜落』

『乗員乗客266名全員絶望』

『乗客名簿に一ノ瀬夫妻の名 物理学会に衝撃走る』

『発表間近の「超統一理論」幻に』

『ADE型孤立特異点を持つカラビ−ヤウ多様体については、近年整理された故一ノ瀬夫妻の遺稿により…』

『故一ノ瀬夫妻』



その全ては、ことみの両親の事故に関する記事だった。新聞の切り抜き、書籍や雑誌からの切抜き。


「ずっと、こういう記事を集めていたんだな」


「うん」


振り返ると、ことみは寂しそうに笑っていた。


「これくらしか、できることは思い付かなかったから」


「ご両親のために、か?」


「…ううん」


ことみは頭を振るう。


「多分…自分のため」


そう言うと、そっと胸に手を当てた。


「最後に…お父さんとお母さんに、ひどいことを言っちゃったの。本当は、とってもとっても大好きなのに…だいきらいって、言っちゃったの」


胸に当てた手。その手でぎゅ、と、服を掴む。


「もう罪滅ぼしはできないから…償うことはできないから…だから、その代わりに、いつの間にかお父さんとお母さんの記事を集めるようになったの。こうやって、事故のこと、研究のことに囲まれていると、私はいつでも、その時の間違いを忘れないでいられるから」


「ことみ」


俺は彼女の元へ行く。そっと胸に当てられていた手を取った。


あまりに強く握り締めて、彼女の服の胸の辺りに大きく皺がよってしまっている。それはそのまま、ことみの心の歪みのように思えた。


俺はそれを、悲しく思う。その歪みの一端を担っているのは、他ならぬ自分自身なのだ。


「おまえのことを悪く言う奴なんていない」


彼女は俯いてしまっている。だから、俺にその表情は見えない。子供っぽい髪飾りが照明の光をはじいて微かに揺れている。


「そんな奴がいたら、俺が許さない」


その言葉には一片の偽りさえもない。


ことみには人から非難されるようないわれはないのだ。


俺は彼女が事故のショックの後、衝動でこの書斎にあった封筒を燃やした。俺もその場に居合わせていた。


だが結局、それはことみへのプレゼントのパンフレットだった。ことみはその説明はされたはずだが、それでも自分自身を許すことはできなかった。両親の研究の結晶を消し去っても構わないと思ってしまった自分の気持ちを。


彼女は両親のことが大好きだった。彼らのことを愛していた。


…だからこそ、その別れに際し子供じみた喧嘩をしてしまっていた自分を、許すことはできなかった。


愛していたから。それ故に、失った悲しみは大きい。


それは当然なことだ。俺にだって、その気持ちは痛いほどにわかる。


俺も同じようなものだったからだ。


だからこそ。


その悲しみを罰として、自分自身に課し続けることが間違っていることはわかっている。そして、それをわかっていても、止めようがないのだ。


そこには暖かな救済が必要とされる。孤独の内では、延々と積み重ねられる罰を振り払うことはできない。


俺は彼女の手を引いて、壁の方へと歩いていった。


部屋の中の空気が揺れて、びっしりと貼られた切抜きが再び揺れる。


俺は壁に手をついた。


ことみの目の前で、テープで貼られた切抜きを外して見せた。


ことみの目の前で、それを床に落として見せた。


それは、中空を舞って、音もなく床に落ちる。


「片付けよう」


落ちた切抜きをじっと見据えることみの肩に手を置く。


「俺も一緒にいるから。だから、できるか?」


ことみはそれには答えずに、そっと壁の切抜きをつまんだ。


しばらくじっとその記事に目を落としていたが…やがて、俺のほうを見上げた。


「いいのかな」


戸惑うように、瞳が揺れていた。


「もちろんだ」


俺は迷いなく、頷いていた。


「最後の別れの時のことばかり、覚えていてほしいわけがない。楽しかった時間とか、幸せだった思い出とかを覚えていた方が、きっと、いいだろ」


もちろん、忘れていいものではないだろう。だが、それに執着してもいけないはずだ。


「うん…」


「そういう思い出のほうが、いいだろ」


「うん…」


頷くと、彼女はそっと、壁に貼られた切抜きを剥がしてみせる。


そこに、日にやけていない白い壁が見える。


それはまるで、絆創膏でも剥がすような…もう治った傷跡を確認する行為のような気がした。


俺も目の前の切抜きを取っていく。ことみもどんどん、その作業を進める。


交わす言葉はなくても、気持ちは重なっていた。



…。



「あ…」


しばらく作業を続けていると、ことみが小さくつぶやく。


「どうした?」


「これ…」


傍によって声をかけると、彼女は壁に貼られたものを指差す。


…それは、切抜きではなかった。


それは一枚の写真。


そこには、ことみの家族と、幼い頃の俺の四人で写った写真が貼られていた。


格子柄のブレザーを着た穏やかな表情のことみの父。


清楚なシャツを着て微笑んでいることみの母。


余所行きの服を着て緊張した表情のことみ。


着古したTシャツ姿でぽかんとしたような顔でこちらを見ている俺。


それは、初めて見る写真だった。


「こんな写真、あったんだ」


「うん…」


「おまえも知らなかったのか?」


「うん」


こくりと頷く。


「でも…知らないわけじゃなかったと思うの。ここだけ、すごく、いっぱい切り抜きが貼ってあったし…全部、古い記事だったから」


「…」


「その時は、忘れたかったのかもしれないの」


ことみのしなやかな手がそっとその写真の縁に触れる。


「幸せな自分が、許せなかったから…ここに、いっぱい、悲しい記事を貼ったのかもしれないの。まるで…」


ことみはそこまで言って、口をつぐむ。


だが俺は、続く言葉はわかってしまう。


まるで。


まるで、蓋でもするように。


…それはきっと、悲しいことだ。


喜びを、悲しみで埋めるなんて。


だが俺は…寒気がするほど、その気持ちがわかる。


人は喜びだけを抱いて生きていることはできない。だがそれは、悲しみや後悔の全肯定というわけではない。


それらはもっと、ない交ぜになったものなのだ。


悲しみを恐れて、喜びだけを求めるのは思慮が足りない。


だが、喜びを遠慮して悲しみを抱いているのはそれこそ無分別だ。


そこまで思考が至り、だが、俺の心は凍結されてしまう。


ダメだ。


それ以上、今は、何も考えたくはない。


俺は頭を振るう。


その隣で。


「やっと見つけることができたの。ずっと忘れていた、昔のこと。とっても幸せだった、あの時のこと」


ことみが潤んだ瞳で幸福そうに微笑んで、その写真を見つめている。



…。



やがて、掃除が終わった。


病的なまでの悔恨に埋められた書斎は、本来の姿を取り戻した。


そして。


すっきりした内装の中、一点だけ。


壁には一枚の写真が残されている。


それは、幸福な記憶。


悲しみの跡に残された幸せ。


家族の肖像。


まるで未来への希望の曙光とでもいうようなもの。


…俺は、それをまっすぐに見ることはできなかった。


それは希望だ。


素直にそれを見つめることができなかった。


今の俺にはまぶしすぎたのだ。


たとえ、それが正しいものなのだとわかっていても。


俺には、それは、恐ろしいものに思えた。


未来への希望。


今の俺にとって、それは諸手をあげて受け入れることはできない。






492


部屋の掃除をしているうちに、ずいぶん時間が経ってしまった。


俺たちは再び居間に戻って、淹れ直したお茶を飲んでいた。


テレビをつけて、なんとなくワイドショーを眺めながら話をする。


ふたりっきりで話す時間は、久しぶりのような気がした。最近はいつも、部員やクラスメートとかに囲まれていたからな。


だが、たまにはこういうのも悪くはない。


この空間は、心休まるものだった。同時に、どきどきするような気持ちもある。


愛しい、そして、かけがえのない感じ。


俺たちのとりとめのない話は、いつまでも続いた。


小さい頃の思い出、昨日の話、テレビのニュースに気を取られ、将来のこと、最近できた商店街の店のこと、本の話、渚の劇のこれからのこと、両親の話、共通の知り合いの噂話…。


気が付くと、もう昼になっていた。


ぽーん、という掛け時計の音で顔を上げたことみは、時間を確認するとびっくりしたような顔になる。


「わ…びっくり。もう、お昼になっちゃった」


「ほんとだな」


いつしかテレビ番組は昼のバラエティーになっていた。


「朋也くん、お昼ご飯食べてく?」


「そこまでしてもらうのも、悪いよ」


「ふたり分作るのも同じなの」


「…それじゃ、頼むよ」


お言葉に甘えることにする。


俺自身、いつまでだってここにいたいような気になってしまったな。居心地がよすぎる。


「ちょっとだけ、待っててね」


ことみはにっこりと笑ってそう言うと、奥の方へ引っ込んでいく。


俺はテレビを眺めながら、料理ができるのを待った。


平和な午後…。



…。



キッチンに案内され、ふたり、テーブルを囲んで釜玉うどんを食べる。


はふはふと言葉も少なく食べ終わり、再び居間に戻ってくる。


「そろそろ、帰るよ」


「うん」


ことみも俺の言葉は予期していたのだろう、こくんと頷く。


「朋也くん。最後に…一緒に、お庭に出てみない?」


その視線がちらりと窓の方へ向く。俺の視線も、彼女と同じ方を向く。


カーテンは開けられて、柔らかな日差し、荒れ果てた庭。


「ああ」


思い出の庭へ。


俺たちは靴を履き替えて外に出た。






493


膝ほどまでに雑草が伸びている。


「綺麗にしないとな、ここも」


俺はざくざくと草を踏みしめてあちこちを見てみる。実際この中に入ってみると、ずいぶん荒廃したことがわかる。これを綺麗に改めるには相応の努力が必要だろう。別の世界の俺がひとりでやり遂げたというのが信じられない。


「これから夏になると、一気に伸びるぞ。掃除をするなら今のうちだな。それを逃したら、次のチャンスは秋になっちまう…」


「…」


「ことみ?」


振り返る。


すると、ことみはにこにこと笑って俺のことを見ていた。


手を後ろに組んで、恥ずかしがるように肩を揺すらせて。眩しいものでも見るように、俺のことを眺めていた。


そんな視線を見て、俺は自分が彼女にどう見えているのかを想像する。彼女の家と、その大きな庭。迷い込んだみたいに辺りを見渡す俺の姿。


それはまるで、かつての記憶の焼き直しのように見えたのだろうか。


いや。


俺が見ることみの姿だって、あの頃のようだ。


恥ずかしげな表情、大人っぽい格好、ふたりで過ごす庭の時間。


不可思議なタイムマシンに乗り込んで、俺たちはここにやってきた。


俺は思い出す。


かつて、小さかった頃、繰り返し読んでいた本のこと。覚えてしまった、その文章を。


彼女に微笑む。口を開く。


「君はタイムマシンでここに来たんだね」


「あ…」


ことみが目を見開いた。


「ええ。わたしのお父さまが発明したの」


「なら、ここにはよく来るのかい?」


「もう何度も。ここはわたしのお気に入りの時空座標だから。何時間いても飽きないの。ここから見えるものは、みんなみんなすてき」


にこっと笑って、歯をかみ締めて。


ことみは続きの言葉を言った。


それは、かつても聞いた言葉。あの時の俺には意味不明だった言葉。


「おとといは兎を見たの」


ふたり肩を触れ合わせて一冊の本を覗き込んでいた昔の自分たちの姿が思い出される。


「きのうは鹿、今日はあなた」


それは幸福な光景だった。


「迎えに来た」


「うん…。うんっ」


さっとことみが駆け寄って、俺の手をとった。


「朋也くんが来てくれるの…ずっとずっと、待っていたの」


「ああ…」


ふたり、手を取り合って、俺たちは互いを見つめ合った。


「ずいぶん、遅くなっちまったが」


「そんなことないの。とってもとっても、うれしいの」


「それなら、よかった」


心からそう思う。


だがそれでも、俺にはまだ彼女の背中に手を回し、口付けをする用意がない。


たくさんの未来が俺の道を閉ざしている。


ことみは俺を見上げると、少しだけ首を傾げて、それから口の端でちょっと笑う。


ぱっと俺の手を離すと、彼女は庭のあちこちをさまよい始めた。


「ことみ?」


「ちょっとだけ、待っててね」


「…?」


いぶかしみながらも彼女を待つと、やがてことみはたんぽぽを束にして戻ってくる。黄色い花弁のもの、白い綿毛のもの。


たんぽぽの少女が俺を見る。


ぽかんと見惚れる俺に向かって可憐にそっと笑いかけ、ふっと息をつくと白い綿毛が空へと飛んだ。それは物語の一場面のようだった。


俺たちの視線の先に、日差しにゆるく輝きながら、空へと上る綿毛が飛んでいく。


風に乗って、空へと還っていくように、どんどん上へと飛んでいく。


…ああ。


俺はそんな光景に嘆息する。


涙が出るほど美しい。


そっとことみのほうを見ると、彼女も目を潤ませて空を、綿毛の行き先を見送っていた。きゅっと胸に抱いたたんぽぽの束。黄色い花弁が風にかすかに揺れている。


儚くて、幸せな光景。


俺たちは空へと飛び立つ花の種を見上げた。


千々に乱れる自分の心を、空へと飛び立つ小さなものに託した。





back  top  next

inserted by FC2 system