folks‐lore 05/11



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クラスに入ると、既に結構な数の生徒が来ていた。


俺の姿を見ると、何人かの生徒が挨拶の声をかけてくる。


…いまだに少しむずがゆい。


俺はそれに応えながら、いつものように自分の席へ…というわけにはいかない。既にクラスの内装はお祭り仕様に模様替えされていて、テーブル席風に机を合わせたような形になっている。余分な机は隣のクラスに運び出されてしまっている。


先に来ていたクラスメートは適当に隅の辺りに鞄を置いているようだったので、俺もそうしておく。


衣装担当の女子の何人かが固まってなにやら相談をしているものの、他の連中はまだ暇そうだった。大道具の責任者は来ていないし、杏や椋も登校してきてはいないようだった。そもそも、内装は既に完成しているし、あとはせいぜい微調整が必要というくらいだろう。


俺は客席のひとつに腰掛けて、あくびをひとつ。


黒板には喫茶杏仁豆腐の文字と、メニュー表が掲げられていた。


うちの主力は当然のように本格コーヒーらしい。


アイスコーヒーも同じように抽出して作るようなので、それもそれなりに胸をはれる代物。


残りはティーバッグの紅茶やジュース類はペットボトルと投げやり感があるが、高校の模擬店ではそんなものだろう。


ただデザートのケーキ類は種類はそこまでではないが、これはちゃんとした商品を入れているのでこれも悪くはないはず。ちなみにこれは、教室の隅に用意した小型の冷蔵庫を使ってちゃんと冷やすことになっている。どこから冷蔵庫なんて調達したのか、見事な手腕だな。


このクラス展について思うと、正直、準備期間の短さの割にはがんばったな、という感じがした。


「よう、岡崎。いよいよだな」


クラスメートの男が手前の席に座る。


「ああ。おまえは…ヒトデ屋だっけ?」


「ああっ」


相手は目をキラキラとさせた。


「風子ちゃんのお姉さんの結婚式を、みんなでお祝いできるようにがんばるぜ。売るものはもう準備もできたから、あとはやりきるだけだな。おまえも暇な時があったら出店のほうを見に来てくれよ」


鼻息荒い。


とりあえず気概は十分のようだった。


「気が向いたらな」


「ああ。待ってるぜ…お義兄さんっ」


俺はとりあえず男を蹴っておいた。



…。



やがて杏や椋も登校してきて、教室が活気づく。


ふたりは昨日の教室の内装の設営には関わっていないので、商品を置く机などを少しだけ模様替え。とはいえ、基本的には他の生徒と意思の疎通はしていたのだろう、大きな変更点はない。


いつしか、教室は多くの生徒でいっぱいになっていた。


隣のE組はD組の机などが詰め込まれていて手狭になっているからだろうか、多くの生徒がこっちで作業している。風船を膨らませて飾ったりという姿が見える。


それに、他のクラスのやつらも来ているようだった。


渚も何人かのB組の生徒と連れ立ってクラスにやってきて、彼らと一緒に廊下の装飾に出て行ってしまった。


ことみは椋や他の女子と一緒になって、話し合い…っぽい雰囲気の雑談。


杏はE組の方でオープニングの最終チェックをしているようだった。


大体の準備は終わっているから、朝から集まっているとはいえ、やることが山積みということでもない。


いよいよ本番、ということで生徒たちはいつもよりもはしゃいだ様子だった。


それは、自分もかもしれない。


なにせ、今日をすべての目標に、俺はがんばってきたのだ。


渚の部活をもう一度。


途方もない夢だと思っていたが、それは決して幻ではなかった。


たくさんの人に支えられて、今日やっと、結実しようとしているのだ。


『まもなく、創立者祭のオープニングを開催します。各生徒は総務委員の指示に従って体育館に集合してください。また、オープニングパフォーマンスに参加する生徒は、体育館わきの準備室に集合してください。オープニングパフォーマンスに参加する生徒以外は、制服を着用して集合してください』


放送がかかる。


朝のホームルームの代わりに創立者祭のオープニングがある。そのあと一度教室に集まり、創立者祭が始まることになる。


「あー、それじゃ、みんな体育館へ行ってー」


総務委員の男が面倒くさそうに指示を出す。


それを受けて、各員は作業を終えてぞろぞろと教室を出て行く。


「朋也、おはよ」


生徒でごった返す廊下を歩いていると、杏が後ろから肩をたたいて、横に並ぶ。ずっと忙しそうに立ち働いていたから、言葉を交わすのは今日はこれが最初だ。


「おはよ。…おまえも、オープニングの出し物に参加するんだっけ?」


杏は制服ではなく、衣装を着ていた。エプロンドレスのメイド服。


…そして、なぜか頭に耳を付けていた。


「それ…キツネ?」


「そうよ」


ヘアバンドになっているキツネミミを触って見せる。


俺はそれをぼんやりと見ていた。


キツネミミメイドさん…。


「どう?」


「あざとい」


「なんか言った?」


「よく似合ってる」


「そう。ありがと」


にこりと笑う。


「お、委員長、それ何?」


「耳?」


周りの生徒たちも、杏の格好に興味を示す。


「そう。せっかくだし、こういうのもいいかなって」


「尻尾も付けてくれれば言うことないぜっ。最高だぜっ」


なんだか、興奮している奴もいる…。


まあ、たしかに似合っているから仕方がないかなという気もするけど…。


「朋也、オープニングが終わったらすぐにケーキを運ばなきゃいけないから、手伝ってね」


「まあ、いいけど」


「陽平にもやらせようと思ったんだけど…あのバカは?」


「まだ来てない。遅刻じゃないのか」


「ほんと、どうしようもないわね…」


杏は呆れたようにため息をつく。


「ま、いいわ。あたし、オープニングがあるから先に行くわね」


「ああ」


杏は周囲の生徒に声をかけながらどんどん先に進んでいってしまう。しばらくは、生徒たちの頭越しにキツネミミが見えていたが、やがて消えた。


キツネミミか…。


なんだか、杏って感じだな。そう思うと笑える。


「くぅーっ、委員長のケモノミミ、最高だぜええーーーっ」


とりあえず、喜びをかみ締めている名も知らぬ男子生徒は通報したほうがいいと思うんだが。



…。



「よっ、岡崎」


体育館に行く道すがら、春原と合流。


「おまえ、遅刻?」


「まあね。でも、今日は教師どもも創立者祭の準備で忙しいみたいだからね。正門を通り抜けるのも楽だったよ」


どうしようもない奴だな…。


「…ふあぁ」


春原は、大あくび。


「大丈夫か? そんなアホ面して」


「何で心配されたんだよ、僕…。なんだか、今日が楽しみでさ、昨日はなかなか眠れなかったんだよ」


「へぇ」


こいつはこいつなりに、きちんとこのイベントを楽しみにしていたのか。


「それで、ついついゲームブックを始めちゃってさ。そしたらもう大熱中」


「馬鹿かお前は」


「おっと、そんなこと言うとお前には貸してやらないぜ?」


「言っとくけど、全然借りる気なんてないから」


「すんげぇ面白いんだよ。超エキサイティング」


春原とくだらない話をしているうち、体育館への渡り廊下へと差し掛かる。


俺はなんとなく、旧校舎を見上げる。ここからだと、ちょうど部室のあたりが見える。


…そして、気付く。気付いてしまう。


俺は小さくため息をついた。


「春原」


「あん? なに、ゲームブック借りる気になった?」


「それはない。急用ができた」


「はあ?」


「じゃあな」


「おいっ、岡崎?」


春原に別れを告げて、俺は上履きのまま外に出て、中庭に入り、旧校舎へ。


急ぎ足で、三階へとのぼった。


その先にある、空き教室…。


演劇部の部室の、ひとつ手前だ。


最近は合唱の練習に使われている場所であり、俺があいつと最初に会った場所。


中に入る。


「よう、なにしてんだ」


俺は声をかけた。


立ち尽くして、窓の外…創立者祭のオープニングに向かう生徒の波を見ていた風子が、びくりと肩を震わせた。


そうだ、風子はあの中に入ることはできない。


学籍はあっても、こいつ自身はあってないような存在だ。体育館に並んだパイプイス。だが、その中に風子の席などはない。


それは、なんて、残酷なことか。


「なにもしてないです」


風子は俺を振り返って、また視線を戻した。


「岡崎さん、早く行かないと、始まってしまいます」


「そうだな」


ここでのんびりするつもりはない。


俺は風子の傍に寄り、その手をつかむ。


「行くぞ」


「わっ」


風子は驚いたようにつないだ手を見る。


振り払おうとするが、俺はそれを離さない。


「離してくださいっ」


「離してもいいけど、行くぞ」


「…行きません」


すねたような表情で、ぷい、と顔をそらせた。


「行っても、あそこに風子のいる場所はないですから」


一年生の風子のクラスの席に着くというのは無理だろう。そもそも、席すら彼女の分はないかもしれない。


俺のクラスになら紛れ込めるだろうか? それでも、変な目で見られるだろうし、もしかしたら問題になるかもしれない。


遅刻した風を装ってクラスの集団に入らず、後ろの辺りで見るとかはできないだろうか。いや、それはそれで教師にクラスとかを聞かれるかもしれない。俺はいいけど、風子にそれはまずいな。うまく切り抜けられる保証はない。


「それなら」


頑なな風子の様子に腹が立ってくる。こいつも本当は、一緒にオープニングに参加したいだろうに。


「それなら、俺がお前の居場所を作るよ」


「…」


風子がぽかんと俺を見た。


俺たちの視線が交錯した。


「だから一緒に来い」


「は、はい」


不意に、つかんだ手が、ぎゅっと握り返された。


「あ、あの…」


風子が恥ずかしそうにしている。


「よろしくお願いします」


「ああ、行くぞ」


「はい」


俺たちは手を取り合って、みんなが集まる場所へと歩いていく。






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まず、正直に他の生徒に混ざるというのは下策。入るのは可能だが、座る場所が決められているので後で面倒が露見する。


それならどこから見物するか。


考えられるのは、もうひとつしかない。


「まずは教室に行く」


「え?」


「行くぞ」


「…はい」


なぜか素直だ。まあ、ありがたいことだが。


既に人がまばらになった新校舎に入る。残っている生徒も、ギリギリまで準備していた、というような様子で急いで体育館に向かっていく。


戻っていく俺と風子の姿を見て不思議そうな目をするが、多分忘れ物でもしたと思ったのだろう、そこまで気にするわけでもない。相手は相手で、それほど暇でもないのだろう。


…ま、忘れ物というのは外れていないけれど。


階段を上り、急ぎ足でさっきまでいた自分のクラスに戻る。


「風子、これを着ろ」


「これ…」


俺が風子に突き出したのは、メイド服。


「いいか。通常の入り口からは入れない。だが、オープニングに参加する生徒は別に体育館の横からは入れるんだ。これを着ておけば、オープニングの参加者だとごまかせる」


それが俺の作戦だ。通常の入り口からで怪しまれるなら、横道から入ればいい。


「はぁ」


「着替えが終わったら呼んでくれ。じゃあ、外にいるからな」


言うだけ言って、風子にメイド服を押し付けて外に出る。



…。



「お、終わりました」


「よし」


少しして、中から呼ばれる。


覗くと、メイド服に着替えた風子が恥ずかしそうな様子で立っていた。いつものように、ヒトデも持っている。


「よし、いいな」


「あの…」


風子は上目遣いに俺を見る。


「どうでしょうか?」


「え?」


風子はくいくいと落ち着かない様子で自分の衣装を引っ張ったりしている。


彼女が着ているのは、多分専用の衣装だ。同じ寸法の生徒はいないっぽかったからな。


特別性だからか、メイド服のあちこちに、ヒトデのアップリケや意匠が凝らされている。


…なんだか、無駄に熱い意気込みを感じた。力作過ぎるだろ。


普段は騒がしいばかりの風子のエプロンドレス姿。


さっきから妙にしおらしいのも相まって、ずいぶん可愛らしく見える。


「ああ、いいと思うぞ。よく似合ってるし、おまえっぽい」


「そうですか」


くるくると髪をいじりながら顔を背けた。照れているのだろうか。


「行きましょう」


「ああ、そうだな」


俺たちは再び駆けていく。


既に廊下に人影はない。


せっかく、ここまでしてオープニングに紛れ込むのだ。これでいいところを逃してしまってはもったいない。


「…はあっ、はあっ」


風子が遅れ始める。


…おまえは体力なさすぎだ。


まあ、本体(?)が病院で重篤状態だから、分身(?)の方も運動不足を引き継いでいるのかもしれない。


「大丈夫か?」


「はいっ」


…大丈夫ではなさそうだった。


走るペースを落として、早歩きくらいの速さにする。すぐに風子が隣に並ぶ。


大体道程の半分は来た。あとはこれくらいのペースでもいいだろう。


せいぜい、最初の校長の挨拶を聞き逃す程度のもだ。それくらいなら別に構わない。


周囲に誰の姿もない。今は、どの生徒も教員たちもオープニングに行ってしまっているだろう。


祭りの空気の中で、俺たちふたりの足音が響く。


今か今かと出番を待っているかのような、派手で演出過剰な廊下の内装。それなのに他に誰もいない。


春の空、春の風。


隣の風子もいつもとはぜんぜん違った格好をしているし、まるで夢の中に紛れ込んだようだ。


それは、多分、


とても幸福な夢だ。


俺たちは無駄な言葉は交わさない。


今のこの空気を、かみ締めるように。


ふたりで肩を並べて、体育館へと向かった。




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