folks‐lore 05/11



476


美佐枝さんと猫を教室に残して、廊下に出る。


そこにクマ(智代)は待っていた。


「ありがとな」


「…」


なんでもない、という風に首を振る。


「おまえ、ずっとその格好でいたのか?」


「…そういうわけじゃない。時々、休んでいる」


着ぐるみの中から、くぐもった声が聞こえてきた。


「そうだよな。すげぇ暑そうだからな…」


「うん、暑い。汗臭くなりそうだ…」


「そうか? 別に変な臭いはしないぞ」


「…嗅ぐな、馬鹿っ」


慌てたように、俺から距離をとった。


「まったく、お前という奴は…」


「ただの冗談だろ」


「美佐枝さんは、いいのか?」


「しばらく、ふたりにしてやりたい」


「…ふたり?」


智代は不思議そうに言う。


美佐枝さんと猫。その組み合わせをふたりと言うのはおかしく聞こえるだろう。


「ああ」


だが、俺としてはそう言うしかない。

「そうか」



智代はそれ以上何を聞くということもなかった。


察しがいい奴だから、なにか事情があることはわかったのだろう。


「岡崎。おまえはもう行くのか?」


「そうだな。春原でも探しにいかないとな…」


あいつ、どこに行ったんだろう。面倒でも起こしていなければいいが。


「もしよければ、少し一緒に見て回らないか?」


「おまえと?」


「迷惑だったか?」


「そういうわけじゃなくて、その格好で?」


「いや…そろそろ、脱ごうと思ってる。創立者祭ももう終わりそうだからな」


たしかに既に、お祭り騒ぎも収束に向かっている。


四時になると一般客が帰る時間になり、その後各出展の撤収や片付けが始まる。


六時からは後夜祭が始まる。


お祭自体は、あと三十分ちょっとしか残されていない。


「わかった。それじゃ、付き合うよ」


「ありがとう」


俺たちは肩を並べて、ざわめく廊下を歩いていった。



…。



「お待たせ」


「おう」


更衣室から出てきた智代を迎える。


傍によるとはっきりわかるほど、制汗剤の匂いをさせていた。別に不快なわけではないのだが、少し気になる。


「どうした? やっぱり、臭うか?」


「いや、すげぇスプレーの匂いがするって思っただけだ」


「仕方がないだろう。着ぐるみは暑いんだ。これくらいしないと臭いが消せない」


「別に気にしなくていいだろ」


「気にするぞ。おまえに、汗臭い女だと思われたくない」


まあ、その辺りは乙女心なのだろうなと解釈する。


こちらとしても、相手が気を遣ってくれているのを迷惑だとも思ってはいない。


「じゃ、行くか」


「…うん」


気を取り直して、俺は歩き出す。智代も横に付いてくる。


「忙しくて、今日の劇の本番は見ることができなかったんだ。どうだったんだ?」


「よかった」


俺はそう言う。


いい劇だった。


後半はまるで夢見ているような気分だった。


自分が大して芸術に対する感性が強いとも思わない。あの物語だから深い同調があるのかもしれない。それがどうしてなのかは、よくわからないが。


「…そうか」


俺の不十分すぎるであろう返事に、智代は穏やかに微笑んだ。


「おまえがそんな顔をするなら、きっといい劇だったんだな。うまくいったなら、私もとても嬉しい」


「おまえこそ、お疲れ様」


「ん?」


「大変だっただろ。仕事ばかりで、見回りもしていて」


「そんなことはない。十分、楽しかった。それにこうして、おまえとも見て回れているからな」


楽しそうに笑っている。それだけで、こちらも満たされたような気分になる。


「そうか…。行きたいところ、あるか?」


「それなら、そこでアイスを買おう。それを食べながら、見て回るだけでいい」


すぐ傍のクラスのアイス屋を指差す。


「そんなことでいいのか?」


「うん。それで、十分だ」


「いいけど。それじゃ、買ってくるよ」


「ああ。いくらだ?」


「これくらい出すぞ」


「…いいのか? 甘えてしまうぞ?」


「たまには先輩面をさせてくれ」


笑い合って、俺はアイス屋をしているクラスに入る。



…。



アイスをふたつ買って、廊下で出た智代のところへ。


目が合って、互いに言葉をかけようとした時…


「坂上会長っ」


別の生徒が割って入ってくる。


下級生の男子生徒だった。腕に腕章をしているから、生徒会の人間のようだった。


「どうした?」


智代はさっと表情を引き締めて、その男子生徒に顔を向ける。


「見つかってよかったです、あの、実は、この後の備品の回収なんですけど、人員が足りなくなってしまったんです。正門の方の外来の誘導が遅れていて、そっちに何人か応援に行ってもらったんですけど、まだ帰ってきてなくて、多分かかりきりになってしまっているみたいで」


焦った調子だった。問題発生、ということだろう。


「そうか。わかった」


智代はこくりと頷く。


ちらりと俺を見る。だがその表情に迷いはない。生徒会長の表情だ。


智代が男子生徒を見捨てて俺と遊ぶという選択を取るのはありえない。


彼女には彼女の責任がある。それを放り投げる奴ではない。それに物事の優勢順位もわかっている。


優先順位の下にされるのはもちろんいい気分ではないが、それが仕方がないことは俺にもわかっている。


なにより、こちらを取るようでは、あまりに智代らしくない。


だから俺は、こくりと彼女に頷いてみせた。わずかに智代の顔が安心したように綻んだ気がした。


「それじゃ、私が…」


「いや、待て」


だが、またもその間に入った男がいた。


「話は聞かせてもらった」


そこに現れたのは、元生徒会長の男子生徒だった。


「人手不足ということだな?」


「は、はい」


「それなら、僕が何とかしよう。昨年の実行委員に何人か知り合いがいるから、そこを当たってみよう。坂上さんはそのあたりの伝手はないだろう? 未経験者を集めるよりは、話が早くなる」


「ありがとうございます、それじゃ、よろしくお願いします」


「いや、私も手伝おう」


「それはいい」


智代はなおも協力を申し出るが、元会長にすげなく断られる。


「君はこの学校の創立者祭は初めてだろう? どうせ来年も忙しく働くことになるんだ、最後の最後くらいは…」


ちらりと俺を見る。


「楽しんでくればいい。それで、来年、同じような生徒がいればその分を肩代わりしてやってくれ」


「…ありがとう」


「気にする必要はない。こういうのは、持ち回りだ」


それだけ言うと、男二人はばたばたと小走りに去っていく。これから人集めをしなければならないのだろう。


「改めて礼を言わないといけないな」


智代はその後姿を見て、ぽつりと呟いた。


「あいつ、いいところもあるんだな」


そう言いながら、智代にアイスを渡す。


「いつも助けられてばかりだ。すごくいい人だぞ」


こいつは誰に対してでもそう言いそうだな。


智代も一緒になってあの男とやりあったこともあるのに、けろりとその時のことは忘れているらしい。


ちらりとそのことを言ってみると、咎めるように俺を見る。


「おまえは人の悪いところ見すぎだ」


「そうか? ま、今回は助けられたけどさ」


「ちゃんと礼を言うんだぞ」


「…」


お子様扱いされていた。


「俺があいつに頭を下げたら、あいつは驚いてその場で気絶するかもしれないぞ。それでもいいのか」


「その光景、面白そうだ。ぜひやってみてくれ」


「…」


冗談が通じない奴だ。


だが、まあ。


たしかにあいつに感謝してもいいのかもしれない。


ふたりでアイスを食べながら、軽口を叩きながら、創立者祭の出店をひやかす。


ただそれだけのことが、とても楽しかった。


この学校の不良と、話題の生徒会長。


どうしようもなく交じり合わないようなふたり組みが、一緒に楽しく創立者祭を見てまわることができるなんて、思いもよらないことだった。






477


四時が迫ると生徒たちが時間を気にする姿が目に付くようになった。


「私も、そろそろ生徒会の仕事に戻ろう」


「ああ。俺も、クラスのほうを見てみる」


名残惜しいが、そろそろお別れの時間だった。


「岡崎、ありがとう。とても楽しかった」


「俺もだ」


「また、おまえと一緒にこうやって遊んだりできないか?」


「おまえが、途中で生徒会の人間に呼び出されないならな」


冗談で返すと、智代はにっこりと笑った。


「それじゃあな、岡崎」


「それじゃあな、智代」


ふたり、軽く言葉を交わしてその場で別れる。


簡素なものかもしれないが、俺たちにはこれで十分。これが最後というわけではないのだ、名残を惜しむ必要はない。


歩き出して…春原と芽衣ちゃんに行きあう。


春原は猫を探していたような気もするが、すっかり忘れているようだった。


芽衣ちゃんは喫茶店に行っていたはずだから、大方、猫を探す春原とそこで行き会ったのだろう。


「あ、岡崎」


「やっと見つかりましたっ」


「どうしたんだ、一体?」


「わたしもそろそろ帰らなくちゃいけないので、みなさんにご挨拶をしていたんです」


「今回は、泊りじゃないのか?」


「実は、宿題たくさん出されちゃってるので、帰ってそれをやらないといけないんです」


そう言と苦笑する。


この間、この町に長期滞在したしわ寄せだろう。俺も苦笑するしかない。


「そりゃ、がんばれ」


「はい」


「それじゃ、僕はこいつを校門まで送ってくよ。岡崎はクラスに戻ってなよ。四時になったらみんなでクラッカー鳴らすんだってさ」


今から校門まで送って行っていたら、四時には間に合わないだろう。


「ああ。それじゃあな、芽衣ちゃん。またこの町に遊びに来てくれ」


「はい、ぜひっ。とっても素敵なところですから、またお邪魔しますねっ」


芽衣ちゃんはそう言って、笑ってみせた。彼女がこの町を気に入ってくれたならば、それはとても嬉しいことだった。


手を振り合って別れる。


彼女とはしばらくは会えないだろう。


だからさっきの智代より、少しだけ名残をこめて、手を振った。



…。



俺は三階へと上り、自分のクラスへ。


既に外来の客は帰ってしまっているようで、中にいるのは三年生ばかりだ。


D組E組の生徒はもちろん、他のクラスの人間も多くいるおかげで、中は人でごった返している。廊下にまで溢れていて、遠くB組のあたりまで関係者がいる。


それをかきわけて、中に入る。


「お疲れ様」


「あ…朋也くん」


ちょうど手が空いていたメイド服姿のことみに声をかける。


「今、どんな感じなんだ?」


「ほとんど売り切れちゃったから、さっきからお店はおしまいになったの。今は、みんなで、お休みしているところ」


「マジで? ケーキとか、結構あったのにな」


たしかに見てみると、その残った飲み物を集まった奴らに振舞っているところみたいだった。


「うん。みんな、がんばったから」


「ことみ、おまえもな」


「あ…」


褒めてやると、子供みたいにぱっと頬を赤くした。


「うん…」


嬉しそうに頷いて、恥ずかしそうに肩をもじもじとさせた。


微笑ましい姿に、口元も緩む。


中を見回してみると、藤林姉妹は女子たちに囲まれて歓談している。


風子は…三井とふたりで窓辺に寄りかかって話をしていた。ふたりとも穏やかな表情だった。


渚はいない。今の時間だから、両親を校門まで送っているところなのだろう。じきに来るはずだ。


「あ、岡崎君、これまだ貰ってないよね?」


近くの女子がクラッカーを渡してくる。


「四時にかかる放送が終わったら、一斉に鳴らすんだって」


「ああ、わかった」


「がんばってねっ」


「いや、別にそんな応援されなくてもできるからさ…」


ダメな子だと思われているのだろうか。


去っていく後姿を見て、俺はこっそり息をついた。


そして、それから、少しして。


放送がかかる。


『午後四時になりました。これをもちまして、本年の光坂高校創立者祭を終了します。出展者は、片付けを開始してください。生徒会から備品を借りている方は、午後五時までに中庭まで返却をお願いします。ゴミは、可燃・不燃を分別した上でグラウンド隅のコンテナに五時半までにお持ちください。不明な点がありましたら、生徒会役員・実行委員までお願いします。六時より一二年生と三年生の希望者で後夜祭を開催します。それまでに片付けを完了させてください』


放送が終わる。


「せーのっ」


誰かが声を上げる。


同時。



ぱーーーーーーんっ!!



教室にごった返すように集まった生徒たちが、いっせいにその手に持ったクラッカーを鳴らした。


これだけ集まれば、耳をつんざく音だった。


だが逆に、それだけ人が集まったということ。


俺は思わず耳を押さえた。


ばかになった耳の先から、楽しげな声が聞こえる。


お疲れ様、と。


おめでとう、と。


ありがとう、と。


体を揺さぶるような、喜びの言葉が聞こえる。


このクラスに集まった、たくさんの生徒。


進学校だからといい顔をされなかった中で、楽しいことを求めて集まった仲間たち。


騒がしいその中で、俺も恥ずかしげもなく笑い声をあげていた。




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