folks‐lore 05/11



474


公子さんと幸村が会話に花を咲かせるのを見て、俺は部員たちの元へ戻る。


親父がそれを迎えてくれた。


「劇を見たよ。いいお話だったね」


「ああ…」


「昔のことを思い出したよ、色々と」


俺と親父は顔を見合わせる。


お祭りの華やかな空気がふたりの間を埋めてくれた。


ふたり、かすかな笑顔を交し合う。


「ずっと、がんばってきたものだから」


「ああ…」


「バスケは続けられなくなったけど、それで、全部が終わったわけじゃないんだ」


「ああ」


「俺は、別の夢を見つけることができたんだよ」


「そうか…」


親父は微笑む。


いつものような無精ひげなどではなく、今日はさっぱりと顔にはかみそりをあてられている。


俺は前に進んでいるのだ、と思う。


だから親父も、止めていた時間をまた進めていってほしい。


俺たちは父子家庭で、もともとあまり仲がよくもなくて…


喧嘩ばかりしていて、俺の右肩の怪我でその亀裂は決定的なものになった。


そして、俺たちは家族であることをやめてしまった。


ただの、同じ屋根の下の同居人に過ぎない関係になってしまった。


どこにもたどり着けないような物憂い諦観。


常によどんだ家庭の空気。


やっと、俺たちは、それを振り払うことができた。


「よくがんばったね…朋也」


「…父さん」


俺たちの間で凍り付いていた時が、再び動き出す。


ふたり、少しずつ距離を縮めた。


「ありがとう」


「ああ…」


俺たちは、微笑を交わした。


それは、お互いぎこちない笑顔だった。今までの決別していた関係を全て清算することなど、できるはずはない。


だが、それでも、お互いに歩み寄って、再び本当の関係を取り戻すための努力はできる。


また、初めからやり直そう。


以前よりももっと、心を重ねて過ごしていこう。


だって、俺たちは、家族なのだから。


それ以外に、一体どんな理由が必要だというのだ?







475


創立者祭もそろそろ終盤。


あと一時間程度で終わってしまう。


渚はせっかくだからこれからオッサンや早苗さんと見て回るらしい。


杏、椋、ことみ、風子はクラスの手伝いに。芽衣ちゃんもそれに同行。


有紀寧はまたお友達と遊ぶみたいだ。


仁科、杉坂、原田は三人で行動。


そして残ったのは…


「俺とおまえか…」


親父や公子さんは帰ってしまったし、幸村もいない。


俺は傍らの春原を見て息をつく。


「ま、僕らはみ出し者だからね」


「俺はこの学校からはみ出しているが、おまえは人間の領域からはみ出している」


「すげぇ断言っすね…」


「あんたたち」


そんな俺たちの前に、美佐枝さんが立つ。そういや、美佐枝さんもいたっけ。すっかり忘れていた。


「暇そうね?」


「いや、そんなことないよ。僕と岡崎はこれから楽しく遊ぶんだからさ」


「さっきまであれだけ女の子がいたのに、男ふたりが残されるってねぇ…」


美佐枝さんが不憫そうに俺たちを見ている…。


「ほっといてくれ」


「ねぇ、暇なら、猫を探すのを手伝ってくれない?」


「猫?」


俺と春原は、素っ頓狂な声を上げて美佐枝さんを見る。


視線を受けて、美佐枝さんは苦笑した。


「今日、ここにこようとしたら付いてきちゃったのよ。さすがにこんなところに連れてくるのも問題かなって思ったんだけど、勝手に付いてきちゃって」


「美佐枝さんなら、付いてこれないようにプロレス技とかでそいつをボコボコにすればよかったんじゃない?」


「このあたしがいたいけな動物を虐待なんてするかっ」


俺の素朴な言葉にツッコミが返ってくる。


「いたいけな生徒は虐待されてますけどね…」


横で春原がボソッと言った。


こいつも苦労しているようだ。…多分、自業自得なんだろうけど。


「それで、どう?」


「どうする、岡崎? 僕たちの楽しい時間がなくなっちゃうかもしれないぜ?」


「美佐枝さん、手伝います」


手を挙げて元気よく答える。


「あんた無茶苦茶薄情っすねっ」


「ほっとくわけにもいかないだろ」


「ちっ、ま、宝探しみたいなものだと思えば面白いかもね」


「あのね。そんないいものじゃないでしょうに」


ともかく、こうして即席の猫探しチームが出来上がった。


ひとまず、校舎に向かって歩き始める。


「それで、いつものあの虎猫だっけ? いる場所に心当たりはないか?」


「あるわけないでしょ。でも、そうねぇ…やっぱり、あんまり騒がしい場所にはいないとは思うけどね」


たしかに、そうだろうな。


となると旧校舎か新校舎の上の階。あるいは職員室などがある辺りの人通りが少ない場所。もしくは学校近辺の外。


大して広い学校ではないが、三人で探すには広大だ。


「手分けして探すか?」


「それがいいかしらねぇ…」


「でもさ、ほっといてもまた夜になったら戻ってくるんじゃない? あの猫、美佐枝さんにべったりだったじゃん?」


春原が軽い口調でそう言うが、美佐枝さんの表情は渋い。


「そうかもしれないけどねぇ、でも、急にふっといなくなったりもしそうなのよねぇ。別にそれならそれでもいいんだけど、もしかしたらあたしのことを待ってるかもしれないでしょ。そう思うと、放っておけなくて」


美佐枝さんらしい言い分だった。


「飼猫が勝手にどこか行かないでしょ。これもでもさ、きても僕の部屋くらいだったじゃん」


「別に飼ってるわけじゃないわよ。あたしがこの町に戻ってきた時に、また現れたの。というか、あいつは春原じゃなくて岡崎目当てでしょ」


「たしかに、春原にじゃれているのを見たことがないな」


「結構、人見知りするのよ」


「春原に近づくとろくなことがないってわかってるのかもしれない」


「そうかも」


俺と美佐枝さんは笑い合う。


「別に、猫に好かれても嬉しくないし」


春原は不機嫌そうにそっぽを向いた。


「というか、美佐枝さん。また現れたって、どういうこと? 前にも見たことあったの?」


先ほどのセリフが気になり、聞いてみる。


美佐枝さんは苦笑した。


「ちょっと、色々あってね。あたしが高校生の頃に見たことがあったのよ。この町に帰ってきたらまた現れて、それでなんとなく、縁があるような気がして」


「ふぅん」


「高校生の頃に会ってたって、それじゃあの猫、結構年取ってるんだね」


「春原…それは、どういう意味?」


美佐枝さんの視線が剣呑なものになる。


「…なんでもないです」


春原は渇いた笑顔でそう答えた。



…。



靴を履き替え、校内へ入る。


「それで、どうする?」


「まずは、そうだな…」


どうしようか…と思っていると、すぐ傍に無言で寄ってくる影がある。


「おまえは…」


顔を上げてみると、それは智代だった…ただしクマの着ぐるみを着た。


「うわっ」


その姿を見て、春原が飛びのく。こいつからしたら、先ほどぶっ飛ばされた宿敵の登場だ。


クマ(智代)は俺たち三人組を不思議そうな目で見る(ように見える)。


「ねぇ岡崎、知り合い?」


「ああ、まぁな」


「顔が広いわねぇ」


俺とクマを見比べて、くすくすと笑う。


「美佐枝さんの知り合いでもあるぞ」


「あらま。誰?」


「そりゃ…」


言いかけたところで、クマが俺の肩に手を置く。


振り返ってみると、ゆっくりと首を振った。


「秘密だってさ」


「別に、言ってもいいと思うけどさ」


「てめ、このクマっ! ここで会ったが百年目っ」


「おい、今は争ってる場合じゃないだろ」


鼻息荒く拳を握った春原を止める。というか、こいつは中身に気付いていないみたいだな…。


「実は、美佐枝さんの飼っている猫がいなくなったんだ」


「だから、飼ってるわけじゃないわ」


ふん、と鼻を鳴らして口を挟む美佐枝さん。


「そいつを探してるんだ」


「…」


クマはそれを聞くと、こくりと頷き、自らの胸に手を当てる。


「おまえも探してくれるのか?」


「…」


俺の問いに、頷き返す。


そしてすぐに踵を返すと、生徒たちの雑踏に消えていった。


「ちっ、あいつにばっかりいいところを渡すかよっ。僕が見つけてみせるっ」


それを見て、春原もその反対側に向かって走り出した。


そして、その場には俺と美佐枝さんが残された。


突然のことに、しばらく呆然とする。


「で…あたしたち、どうすればいいの?」


「待つしかないだろ」


「ああ、まったく」


美佐枝さんは頭に手を当てて、ため息をつく。


おかしなことになった、とでも思っているのだろう。


イスのあるところにでも移動したいところだが、勝手にどこかに行くわけにもいかない。仕方なく、俺と美佐枝さんは生徒の行き交う下駄箱の手前で壁に背を置いて帰りを待つことになる。


「ね。あんたたちの劇、よかったわよ」


「そりゃ、ありがと」


「最後の歌には、さすがにびっくりしたけど」


「あれは譲れない点らしい」


「最後の、久しぶりに聞いたわよ、あの歌。だんご大家族だっけ」


たしかに、流行遅れになって久しいからな。


「あんたも春原も、部活動に精を出すようになってて、ちょっと安心したわ」


「そう?」


「高校時代は一度きりなんだから、楽しみなさい」


「…」


俺の場合は、二回目っす。…などとは言えない。


そんな会話をしていると…


ぱたぱたと足音。


クマが戻ってきた。


その手には一匹の野良猫が掴まれていた。


「うわ、早いわね…」


「ああ…。でも、そいつじゃない」


その手にあるのは、ごく普通の野良猫だった。


「その猫、虎猫なのよ」


「…」


クマはこくりと頷く。


手に持っていた猫を放してやると、すぐさま立ち上がり、駆けていく。


かなり俊敏なクマだった。


「誰だか知らないけど、強力な助っ人ね…」


「だな…」


俺たちは何もしなくてよさそうだった。



…。



やがてまた、クマが戻ってきて、俺たちを手招きする。


ひとつの教室の前まで案内してくれた。


「わざわざ、ありがとね」


クマはなんでもないというように頭を振るが、肩が上下している。


相当、駆け回って探してくれたようだ。


まあ、智代にとっては美佐枝さんに対して何らかの恩返しができる、とでも思っているのかもしれない。律儀な奴だからな。


「悪いな、無理させて。ゆっくり休め」


「…」


クマは早く行ってやれ、というように肩越しに教室の中を指差した。


「しっぶいクマねぇ…」


美佐枝さんは感心したような様子だった。


ふたり、クラスの中に入る。


特に何にも使われていない教室だ。


机が並んでいるだけで、人の姿はない。


中に入って猫の小さな姿を探すと、隅の方に丸くなって眠っていた。


「あ、いた」


「まったく、あたしの気も知らないで呑気なものね…」


美佐枝さんは猫に近づくと、手招きをする。


「ほーれ、ほれ」


だが、猫は動かず、すぐ傍の美佐枝さんの手を触ってみせるだけだった。じゃれているようだ。


「ほら、きなさいよ」


美佐枝さんが両腕を開くが、その胸に飛び込んでこない。


指にじゃれ付いて遊ぶだけだ。


「はぁ、なんなのよ、もう…」


美佐枝さんが困ったように息をついた。


俺はそんな様子を後ろからぼんやりと見ている。


そんな時。




…楽しいねっ




「え?」


俺は周囲を見る。


誰かの、声が聞こえた。


だが、辺りには誰もいない。


美佐枝さんと、猫がいるだけだ。


だが…少年のような声が頭に響いた。


そう思った瞬間、俺の頭の中に、いくつもの情景が思い浮かんだ。


…この学校の光景。


…校門で待っているひとりの少年。


…願い事を叶えてくれるという言葉。


…創立者祭をふたりで楽しもうという約束。


…そして…。



…。



「ありゃ、岡崎、どうしたの?」


美佐枝さんが怪訝な顔をして俺を見ていた。


一瞬だけ、立ちくらみのように意識を失っていたのだろうか。


だが、先ほど感じたものは確かに俺の心に何かを残していった。


「今…声が聞こえたような気がしたんだ」


「そりゃ、するでしょ」


「いや、そうじゃなくて…」


猫を見る。


俺が聞いたのは、そいつの『思い』だった。


不思議な気分だった。


「なぁ、美佐枝さん。そいつと約束をしてなかったか?」


「は…?」


ぽかんとした美佐枝さんの表情がいぶかしげにゆがむ。


「そうだ…創立者祭だ」


俺はその思いを必死に汲み取る。


「創立者祭を一緒に遊ぼうって約束だ。まるで、それが叶って嬉しいっていうような声が聞こえた…」


「岡崎…?」


唐突な俺の話だ。


「他には…」


だが、美佐枝さんはそれに対して茶化すでも呆れるでもなく、すがるような視線を向けた。


「他には、何か言ってなかった?」


「いや、一瞬だったから…」


「そう…」


美佐枝さんは憂えた視線を猫に向ける。


「猫と、そんな約束をした覚えはないんだけどね…」


言いながら、猫の目の前で指を揺らす。猫は甘えるように彼女の指にじゃれついた。


なぜだろう。それは絵画の一場面のように非現実的で完結している光景に見えた。


一瞬聞こえた猫の思い。


どうして俺はそれを聞き取ることができたのだろうか。


よくわからない。


あまりにも強い思いは、強い願いは現実的な障壁などもものともせずに誰かに伝わるのだろうか。


俺はそんなことを考える。


そうだ。


思いは…力なのだ。


強い思いは、きっと、何かを変える力を持つ。


きっと…世界さえ、変えてしまうほどの。


俺は美佐枝さんと猫の幸福な光景を見る。


その光景は、本当ならば叶うはずもなかった光景なのだと俺は思う。


誰かが願い、誰かが叶えた。


そこまで考えて、俺ははっとする。


それならば。


俺が願ったこと。


…その時、俺の思いは、あの冬の日に逆戻りしていた。


旅行に行きたいと、汐は言った。


あの町で俺たちはふたりぼっちになっていて、小さな娘を失った時、俺が思ったことは。


…俺が、願ったことは。


そこまで考えて、その先に思いが及ばない。


…誰かが願って、誰かが叶えた?


それならば。


俺はなにを願ったのだ?


誰がそれを叶えたのだ?


春の日差しのお祭り騒ぎ。


それを余所に、俺の体は寒さに震えた。


耳の奥で誰かが何を言っているような気がする。


どこか遠い場所から、誰かが俺を「パパ」と呼んでいる声がリフレインしているような気がする。




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