folks‐lore 05/11



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「ここは、終わってしまった世界」


長いスカートの裾をひらめかせて、イスの背に手を置く。


「わたしの他には、誰もいない世界です」


手を虚空に差し出す。何かを探すように、視線を周囲へと向ける。


客席からはしわぶきひとつ聞こえない。


「部屋の中にあるのは、小さな木のテーブルとイス」


「窓の外には、何にもない荒野が広がっています」


照明が切り替わる。


「建物は広く、いつ建てられたのかもわかりません」


「わたしはここで、独りで暮らしています」


「時々外に出て、必要なものを拾ってきます」


ノブを開ける動作、扉を潜り抜け、さっと光が差し込む。


「外に出ても誰もいません」


「弱い日差しの中に、小さな光がたくさん飛んでいます」


「わたしは、木ぎれや釘や、いろいろなものを拾ってきました」


「友達を作るためです」


「でも、こんな世界に生まれてしまうことは、その子にとって幸せなのかしら」


「そんな疑問を、胸の中に抱きながら」


「そして、わたしは人形を作りました」


「小さな、ロボットのような人形です」


そっと、ロボットの頭にでも手を置くような動作。その体は、渚の腰ほどまでしかない。


「ですけど、この子には心がありません」


「わたしがほしいのは、友達です」


「だから、わたしはこの世界にひとつのお願いをしました」


「この何にもない世界に、誰かが生まれることを望んでくれればいい」


「そんなわたしの願いは、叶えられました」


「人形が、動き始めたのです」


人形が動き出すような効果音が流れる。


ぱっと一瞬、照明が明るく光る。


「わたしは、独りではなくなりました」


「新しい友達を連れて建物の外に出ます」


再び、外に出る。その手はロボットの手を引いている。


「友達は、不思議そうな目で外の景色を眺めています」


「この子は、昔、ここではない別の世界に暮らしていました」


「そこは、ここみたいに何にもない世界ではありません」


「もっと、毎日が楽しくて、素敵な場所です」


「友達が飛んでいる小さな光に手を差し出しますが、光の粒はその体をすり抜けていきます」


照明が切り替わり、光の粒が壇上を舞う。


「不思議そうに、頭を傾げています」


「…その光が不思議?」


「わたしが尋ねると、頷いてみせます」


「この子が暮らしていた世界では、この光がないようでした」


「そこは、どんな場所だった…?」


かがみこんで、ロボットに話しかける。


「…そうだよね」


「ここは、寂しい世界だよね」


「ねぇ、君は…」


「こんな世界に生まれることを、望んだ?」


「わたしが聞いても、友達は答えてくれません」


「この子には、口がなかったからです」


「だから、喋ることができません」


がしゃん、がしゃん、と金属質なものが飛び跳ねるような音。


ロボットが跳ねて、何かを伝えようとしている。


「友達は、大きく手を振って、跳び上がって、こちらを見ています」


「…どうしたの?」


「新しい体がほしいの?」


「…違うみたいです」


「友達? 友達がほしいの?」


「わたしがそう聞くと、この子は頷いてみせます」


「そうして、わたしたちは新しい友達の体を作り始めました」


「また、木ぎれや釘などを集めて…」


「今度は、ふたりで…」


「そうして、新しい人形ができました」


「あとは、この世界に生まれてくれる心があれば、この子も動き出してくれます」


「ですけど、新しい友達が動き出すことはありませんでした」


「ここは、終わってしまった世界です」


「そんなところに生まれてくれる命なんて、ありませんでした」


「最初に生まれてくれた、この子の他には」









場面が暗転する。


草原の背景を入れ替える。新しい背景には、いくつかの遊具のようなものが描かれている。


再び、照明がともる。


「動かなかった友達とは、ふたりで穴を掘ってお別れをしました」


「わたしたちの他に、生まれてくる命はありません」


「だから、今度はふたりで色々な遊び道具を作りました」


「建物の近くに落ちているものだけでは、とても足りませんでした」


「遠くまで行っていろいろな物を拾ってきます」


「そうして作った遊び道具は、とてもたくさんになりました」


手を指し示して、背景の遊具を見る。


シーソーのようなもの、滑り台のようなもの。


それらは少しずつ不恰好に、草原に孤独に建てられている。


「でも、ある時のことでした」


「いつまで待っても、友達が帰ってきません」


不安そうに、辺りを見渡す。


「あの子は、どこかに行ってしまったのでしょうか?」


「わたしをここに残して、新しい別の世界へ」


「いえ、そんなはずはありません」


「この世界から、別の場所に行くことなんてできないのですから」


照明が少し暗くなる。


舞台の端に、獣が現れる。


白い体毛、小さな体。くるりと曲がった角がふたつ。


「ああ、友達が帰ってきました」


「遠くまで部品を探しに行って、道に迷ってしまったみたいです」


「でも、獣たちがこの子を送り届けてくれました」


「獣たちは、この世界でわたしたちと同じように存在しているものです」


「でも、彼らと友達になることはできません」


「彼らには、心がないからです」


「彼らは、生き物ではないからです」


「…どうして、遠くまで行ってしまったの?」


「友達にそう聞くと、その子は、空を指差しました」


空を見上げる。


舞台の袖から、黒々とした雲が見えている。


…雪雲だ。


「黒い雲に気を取られてしまったようです」


「あれは、雪雲です」


「冷たい風を吹かせて、真っ白な雪を降らせる黒い雲…」


「そう」


「この世界に、冬が迫っていました」









遊具の背景を、初冬の背景に差し替える。


場面転換。


「冬が近くなり、わたしたちは建物の中で過ごすことが多くなりました」


「外には、冷たい風が吹き始めています」


「窓辺に立って外を見ていると、友達がわたしの手を引きます」


「…どうしたの? そっちを指差して、なにがあるの?」


雪雲の反対側を見やる。


「あそこに…行きたいの?」


「でも、冬がくるよ?」


「それに、一度この場所を捨ててしまったら、わたしたちはもうここに帰ってこれなくなる…」


「冬に追いつかれてしまったら、わたしは寒さで動けなくなってしまう…」


「それでも?」


ロボットに問いかけ、再び向こうに目を向ける。


「あの先に…何があるの?」


その問いに、ロボットはぴょんぴょんと跳びはねて答える。


「…楽しいところ?」


「いろいろなものがあって…」


「毎日が楽しくて…」


「暖かな場所…?」


不安そうな目を、雪雲に向ける。


それは初めにあらわれた時より、ぐっと広がっている。


冬は間近に迫ってきている。


「この世界は、もう終わってしまった世界」


「時間もなく、何も生まれず、何も死なない」


「温もりのない世界…」


「どこにも繋がっていない世界…」


「でも、別の世界から生まれてきたこの子が、向こうに温かい場所があると教えてくれました」


「もしかしたら」


「本当に、そんなところがあるのかもしれません」


「友達は、悲しそうに遠くを見ています」


「泣いているみたいです」


「悲しいことを思い出しているみたいです」


「でも…そうじゃありません」


「この世界が、悲しいんです」


ぎぎぎ、と音がする。


ロボットが少女の手を取る。


「…遠くへ行く?」


「あの、温かい場所を目指して、ふたりで歩いていく?」


ぎぎぎ。


その返事。


少女も頷く。


「冬が迫ってきています」


「旅は、長くなりそうです」


「ここに帰ってくることはできません」


「途中で雪雲に追いつかれてしまうかもしれません」


「でも…」


「わたしたちは、その場所を目指して歩き始めました」


「ふたりきりで」


「すべてを後に残して」









家屋の背景と初冬の背景をはずす。


最後の背景をセットする。


今は分厚い白いシーツがかけられている。雪の風景だ。


場面転換。


「わたしたちは旅に出ました」


「風は、段々と冷たくなってきます」


「雪雲は、どんどん大きくなってきます」


「そして…」


少女が空を見上げる。


「雪が、降ってきました」

桜が舞っていた。
「空にはいつの間にか、雪雲が広がっていました」

顔を上げた俺の頬を、柔らかい花びらが撫でた。
「わたしたちの歩みは、段々遅くなっていきました」

まぶしい光に、顔をしかめる。
「雪は、降り続けます」

目を細めて、やがて、光に慣れて目を開く。
「そして、やがて、もう一歩も動けなくなってしまいました」

そこは…坂の下。
少女がゆっくりと倒れる。

高校へと延びる坂の下。
「体に、雪が降り積もっていきます」

見慣れた風景。いつもの景色。
「もう、体を動かすこともできません」

だが、俺は呆然として辺りを見回す。
「手を握っている友達」

あれ…?
「その子が、わたしに何か伝えようとしています」

どうして、俺はここにいるのだろうか?
「どうしたの…?」

ここではない別の場所にいたはずだ。
「わたしがそう聞くと、その子はゆっくりと体を起こします」

それは、どこだったっけ?
「わたしの手を引きます」

思い出そうとする。
「そして…」

思い出せない。
そして…。

しばらく考えたが、諦める。


ひとつ息をついてみる。


随分と静かだ。何の物音もしない。


周囲には誰もいない。


人ひとりの姿さえも見えないというのは、妙だな。


…いや。


よく見ると、そこに立ち尽くす姿があった。


どうして気付かなかったのだろうか。


坂の下。


一人の少女が背を向けて、坂の上を見上げていた。


俺は彼女の背中を見る。


風が吹き、髪が揺れ、スカーフが揺れた。


春の暖かい風が吹いた。


俺は何度もこんな光景を見たことがある。


かつて、自分が怠惰に暮らしていた頃。


いつものように遅刻して登校して、ここで彼女に出会った。


俺の中で固まっていた時間が、動き出した。


俺が今の時間に舞い戻ってきた時も、同じ光景を目にした。


あの瞬間に、この時間に戻ってきたということを深く納得した。


そしてまた…


そう…


俺はその時以外にも、こんな風景に出会ったことがある。


制服を着た渚の背中を見ている。


桜が舞っている。


坂道がずっと延びている。


そして俺は、彼女の名前を呼ぶ。


…思い出そうとしても、思い出せない。


記憶にきちんと鍵がかけられている。


その時の外枠だけはわかるのに、詳しいことが思い出せない。


だが。


今は、そんなこと、どうでもいい。


ひとりきりでいる少女。


不安な気持ちで坂を見上げている少女。


その背中に、声をかけないなどありえない。


「…渚っ」


俺はその背に声をかける。


その手をとろうと一歩踏み出す。


少女が俺の声に反応して、ゆっくりと振り返る。


「え…?」


振り向く彼女の顔を見て、俺は呆然とする。


俺たちふたりの視線が行き交う。


「おまえは…」


先ほどのまでの、制服姿の渚はもういなかった。


彼女の姿が、振り向くと同時に別の姿に変わっていた。


その姿は、渚とは似ても似つかない。


長い栗色の髪。


大きな瞳。


小柄な体。


白い簡素なワンピース。


「おまえは…誰だ…?」


見知らぬ少女。


俺を、優しい微笑で眺めている少女。


名前も顔も知らない少女。


それなのに俺は彼女のことを知っているような気がする。




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